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(株)八百万神 座敷童派遣業務部 場末支部

ライン

その7

 車の中、俺はご機嫌だった。鼻歌など歌いながら昼飯は何にするかと考える。
「楽しそうね」
「楽しいぞ」
 イナに答えてステアリングを右に回す。あのあと朝飯を食べて「仕事」に出かけたのだが、昨日と同じように鈴音の力で色んな人が幸せになっていた。とりあえず午前中だけで五人だ。いや、副次的に幸せになった人の数まで入れるともっとだろう。幸せというのは波及するのだ。
「他人の不幸は蜜の味、なんて言うけどさ、やっぱり他人のものでも幸福の方が見てて楽しいよな」
「そう」
 イナの返事はそっけない。
「そりゃ頑張ってるのは俺じゃなくて鈴音だから俺がはしゃぐのは筋違いだろうけど」
「えらい?」
 後部座席から鈴音が身を乗り出す。
「もちろん」
「へへ」
「あのね、優一郎」
 イナの声には浮かれた雰囲気を押さえ込むような重さがわずかに含まれていた。イナは何かを考えるようにしばらく押し黙った後で結局俺から視線をそらす様にうつむいてしまった。
「ごめん。何でもない」
「んだよ、気持ち悪いな。気になるだろ。そんな何でもあるような顔で何でもないとか言うなよ」
 言葉を切って息を吐く。
「ていうか朝から少し変だぞ」
 俺は助手席のイナをちらりと見やった。
「そうね。変、かもね」
「かもね、じゃなくて確実に変、だ」
 俺の指摘に再び空気が重さを増す。朝、さなちゃんに対してもそうだし、それから後も仕事をしながらイナはずっと何かを考えているようだった。
「ごめん」
「いや、別に怒っちゃいないさ。悩み事なら話くらい聞くけど」
「ありがと。でも、悩むのは多分私じゃないから」
 意味が分からない。情報の断片だけ小出しにされても困ってしまう。それがイナにも伝わったのか彼女はふたたび、ごめん、とつぶやくように詫びた。
「話したくない、とか」
「というよりは、上手く話せない、かな。これからする仕事のことなんだけど」
「やっかいなのか?」
 イナは答えない。俺は小さく息を吐いてステアリングを握りなおす。意味ありげなイナの沈黙は俺の浮かれ気分を根っこから引き抜いていった。
 イナは何を悩んでるんだろうか。考えたところで分かるはずもない。ただ俺が知る限り、といっても昨日今日の話だけど、鈴音に、座敷童に関わった人たちはみんな最後には笑顔だ。幸せを運ぶ、の看板に偽りはない。
「あなたのアパートに戻って欲しいの。そこが次の仕事場だから」
「ん、了解」
 と返事をしてから気付いた。
「ウチのアパートから選ばれたんだ」
「……うん」
「へー。誰だろ。あ、俺って可能性も」
「あるかもね」
 よっしゃ、と心の中で拳を握る。
 でも……な。
「できればさなちゃんがいいな」
「どうして?」
「いい娘だから」
「好き……なの?」
「話をとばし過ぎ」
 ブレーキを踏みながら苦笑する。先生に引率され、横断歩道を渡っていく幼稚園児たちはカルガモのお引越しみたいだ。
「でも、まぁ好きか嫌いかで言えば間違いなく好きなんだけど。人間的にって言うか友達として」
「……そう」
「さなちゃんから逃げた男な、ほんとに馬鹿だと思うよ。なかなかいないと思うんだけどな、あんなできた娘」
 本人が苦労してきたせいか、さなちゃんは他人の痛みが分かる人だった。一度さなちゃんが公園のベンチで中学生くらいの女の子と話しているのを見かけたことがある。女の子は泣いていた。よく晴れた日曜日の午前くらいだったろうか。夕方、同じ場所を通りかかったら二人はまだ話し込んでいた。
 あとでさなちゃんに聞いたら「知らない子。泣いてるの見たら気になっちゃって」と笑いながら答えてくれた。
「気に入ってるんだ、彼女のこと」
「嫌いになる理由がないからな」
 イナが何かに耐えるように下唇を噛む。
「何だよ、そんな顔して。ヤキモチか?」
「馬鹿なこと言わないで。私はただ……」
「ただ?」
「とうちゃくー」
 後ろから聞こえてきた元気一杯の鈴音の声に、会話を続けられなくなってしまう。ま、とりあえず産地直送幸せ宅配便の当選者発表といきますか。


 車から降りた俺は目を細めて自分が住むアパートを見上げた。イナに言われたとおり普通の、二階建てのアパート。これから少しの間だけ座敷童が幸せを呼ぶ普通じゃないアパートになる。
 特に何を言うでもなくイナは歩き出した。その表情は相変わらず厳しい。一体何だというんだろうか。人が幸せになる。それはもちろんいいことだし、俺がイナや鈴音と見てきたのは実際いい事だった。なのにイナの唇は引き結ばれたままだ。
 鈴音の手を引いて無言のままイナに付いていく。鼻歌を歌う鈴音だけが相変わらず元気だ。
 イナは角部屋である俺の部屋の前をあっさりと通り過ぎ、その隣のドアの前で立ち止まった。角部屋に住む俺の隣人は一人しかいない。言うまでもなくそれはさなちゃんが住む部屋の前だった。
 ついつい顔がほころぶ。
「さすが。やっぱり神様は見てるんだねぇ」
 うんうんと大きく二つ頷く。「ゆうちゃん。誰もいなくてもお天道様はいつもゆうちゃんを見てるんだよ」というお婆ちゃんの言葉は本当だったようだ。
「鈴音、お願い」
「はーい」
 硬いイナの声にも元気よく返事をして鈴音がドアをすり抜けていく。が、イナは立ち止まったままだ。
「入らないの?」
「あとで、ね。あなたも少しだけここで待ってて」
 胸の下で腕を組み、ドアを見つめたままイナが言う。言われるまま待つことしばし、ドアをすり抜けて鈴音が戻ってきた。しかしいつもの笑顔はない。ただ自分の手を見ながら不思議そうな顔をしている。
 イナの顔を見上げた鈴音は何事か言おうとした。だがそれを遮るようにイナが鈴音の頭に手を置く。
「少し遊んでて。あとは私たちがやるから」
 でも、と再び口を開きかけた鈴音をイナは視線で制した。結局鈴音はちらりと俺の顔を見て、駆けて行ってしまった。その小さな後姿を見ながら乾いた唇を結ぶ。明らかに雰囲気が今までと違う。イナに問いたい気持ちではあったが、そのいつもとは違う空気が問を発せさせてくれない。
「行きましょ」
 短くそれだけ言ってイナがドアをすり抜ける。胸のポケットにイナがくれた葉っぱがあることを確認し、俺もドアをすり抜けた。
 視界が一瞬暗転して、気が付けばそこはもうさなちゃんの部屋だった。何度か訪れたことがある、六畳一間の殺風景な部屋。
 カーテンが閉じられているせいで室内は薄暗い。そして不思議なくらい静かだった。
「さなちゃ……」
 声は自分でも分かるほどにかすれていた。よろめくように一歩前に踏み出す。つま先が玄関に揃えられていたさなちゃんのサンダルにあたって、こつん、と鳴った。
 カーテンの前でさなちゃんが揺れていた。カーテンレールにかけられたビニール紐。それにさなちゃんの体がぶら下がっていた。
「さなちゃん!」
 俺は靴も脱がずに部屋に上がり、さなちゃんのもとに駆け寄った。お腹の膨らんだ体を抱き上げようと震える手を伸ばす。だが俺の手はさなちゃんの体をすり抜けるだけで触れることはできなかった。
 葉っぱ。
 だが同じように胸ポケットの葉をつかみ出すこともできなかった。
「イナっ!」
 叫びながら振り返る。だがイナは返事をしてくれない。俺の声など聞こえないといった風に腕を組んで立ち、じっとさなちゃんを見つめている。その表情に同情や哀れみはあっても焦りは全くなかった。
 そんなイナの様子が俺をさらに焦らせ、苛立たせる。
「何やってんだ! 早く!」
「その必要はないわ」
 イナの声は冷たかった。だがイナに対する畏れが麻痺しかけていた思考能力を回復させたのも確かだ。
 その必要はない。そうか、そうだ。俺たちはさなちゃんに幸せを運びにやってきて、鈴音はもう幸せを運んだんだ。これからどうなるのかは分からないが、さなちゃんが助かることは間違いないんだ。今にもそこのドアから医者や救急隊員が飛び込んでくるに違いない。
 でもさすがにこれはまずいんじゃないだろうか。神様なら完全に死んだ状態の人間さえ生き返らせてしまうだろうが、このままなのは気の毒だし。
「やっぱりさなちゃんに触れるようにしてくれよ。下ろすだけは下ろしてあげたいし」
「だめよ」
 厳しい口調でこちらの提案を切り落とし、イナが俺を睨む。ついだじろんでしまった俺から瞳を閉じたままのさなちゃんに視線を戻してイナは言った。
「そんなことをしたら助かってしまうから」
 その言葉の意味が理解できず、口を半開きにしてしまう。だがイナは何も言葉を継いでくれない。さなちゃんを見つめたまま押し黙っている。
「なに言ってるんだ」
 気が付けば俺はイナの肩をつかんでいた。俺から視線を外そうとするイナの両肩をつかんで無理やりこちらを向かせる。
「助けに来たんだよな? さなちゃんを幸せにしに来たんだよな?」
 イナは何も答えない。ただ唇を噛んだまま俺から逃げるように顔を背けるだけだ。
「言えよ!」
「そう……」
 俺の怒声にイナの口がわずかに開く。
「私たちは彼女に幸福を運んできた。だから、殺すの」
 イナの肩をつかんだ手が汗ばむ。喉は張り付くほどに渇いていた。
「人間は一生のうちにつかめる幸せの量が決まっている。彼女には……もうほとんど残ってないの」
「だから、殺すのか」
 乾いた喉を通った声はやけにかすれていた。
「彼女は自ら死を望み、それを実行した。彼女は偶然部屋を訪れたアパートの住人によって発見されてしまう。私たちの干渉がなければ、ね」
「死んだ方がさなちゃんにとって幸せだって言いたいのか」
「少なくとも彼女はそう考えた」
「ふざけるな!」
 叫び、イナを壁に押し付ける。
「そんなことがあってたまるか! さなちゃんが何したって言うんだ! ただ普通に、いや」
 言葉を切り、短く唇を引き結ぶ。
「人よりいっぱい苦労して、それでも頑張ってただけじゃないか!」
 それが何で……。
「何でなんだよ!」
 俺はつかんだままのイナの肩を強く揺さぶった。それでもイナは眉間に深くしわを刻んだまま俺の顔を見ようとしない。ただ唇を噛みうつむいていた。
 喉の奥から小さなうめき声が漏れる。顔面の温度が一気に上昇した。
「神様にとっちゃ人間が一人二人死のうが関係ないってのか!」
「勝手なこと言わないでよ!」
 薄暗いアパートの一室にイナの声が爆ぜる。睨むように俺を見上げた彼女の瞳は潤んでいた。イナの肩をつかんでいた両手から力が抜ける。指先が痺れるような感覚。
 イナは嗚咽を堪えるように一度息を飲み込み、それからゆっくりと吐き出した。
「じゃああなたには彼女の人生を背負う覚悟があるの? あなたには自ら死を選んだ彼女に死よりもつらい人生を歩めと言う権利があるの?」
「そんなの、俺は」
 言葉が続かなかった。気が付けばイナの肩をつかんでいた手は垂れ下がり、指先はだらしなく伸びきっていた。
「生きろ、なんて一番残酷で無責任な優しさじゃない!」
 イナの声が耳朶を打つ。確かに、と思ってしまった。イナはさなちゃんの人生にはもうほとんど幸せが残っていないと言う。それが真実ならばこのまま死なせてあげた方がいいのかもしれない。イナの言う通り俺には覚悟も権利もない。一人の女の子が自分の責任で自分の人生を見つめ、決断を下した。それを侵していい法などどこにもない。そして、このままさなちゃんに背を向けたとしても誰も俺を責めはしない。葬儀に出て幾ばくかの香典を包み、涙の一つでも見せれば隣人としての、一社会人としての俺の責任は果たされる。何一つ間違ってはいなかった。
 でも、
「じゃあ何で泣いてるんだよ」
 潤んだイナの瞳を見つめ、震える声を喉から絞り出す。
「その顔は何なんだよ」
 まばたきをしたイナの目から大粒の涙が一つこぼれ落ちた。
「泣くほど辛いんだったら心にもないこと言う必要なんてないだろ」
 きっと俺も泣きそうな顔をしていたと思う。イナに何が課せられているのか俺には分からない。でも、彼女の中に葛藤があることだけは分かった。イナは自分の言葉を信じ切れていない。
「そりゃ確かに筋は通ってるさ。さなちゃんの人生はさなちゃんのものだし、自殺が肯定されるべきか否定されるべきかなんてことも俺には分からない。でも」
 言葉を切って一度唇を引き結ぶ。
「目の前で死のうとしてる人間を見捨てるなんてことはしちゃいけないんだ。俺にさなちゃんの人生に踏み込む権利なんてない。だけど覚悟なら今この場でする。それしかできないなら」
「あなた、自分が言った言葉の意味が分かってるの」
 睨むような目つきでイナが俺を見上げる。俺はゆっくりと首を横に振った。
「分かってない。口でどれだけ覚悟するなんて言ったって、きっと分かってない。でも、今この瞬間に自分を追い込まないとさなちゃんは助けられないし、助けちゃいけないんだと思う」
 もう俺にはイナの目を見ながら偽らざる気持ちを吐き出すことしかできなかった。自ら命を絶とうとしているさなちゃんを助けたいという俺の気持ちはただの我がままなのかもしれない。それとも英雄願望だろうか。人を見殺しにしたという重圧から逃げたいだけ? 余裕ある者が持つ弱者への優越。同情。憐憫。自己満足。そして、純粋に助けたいと思う気持ち。
 そのどれでもなくて、どれでもある感情が心中で渦を巻く。感情の整理なんてつけられないし、通すべき道理を構築することもできない。でも、どうしたところで選択肢は二つしかないんだ。さなちゃんを止めるか、止めないか。
 自分の中に確固たる信念があるわけじゃない。それについて思うとき、”それ”はいつでも霞んで揺れて左右にぶれる。だから積極的に「止める」を選べるわけじゃない。でも積極的に「止めない」を選べるほど俺は悟ってもいないし、達観してもないし、強くもない。
 それに、この先もし俺が人生に絶望し生きることよりも死ぬことを選ぶようなことがあったとき、俺は誰かに助けて欲しい。どんなに陳腐な言葉でもいい。「人を励ます101の言葉」なんて本に載ってるフレーズでも構わない。一言でいい。大丈夫だよ、と言って欲しい。
 だから……、
「頼む」
 最後に祈るように頭を下げ、イナに言えたのはその一言だけだった。外から聞こえてくる車の音。こんな状況でも世の中はちゃんと動いている。
 どれほどの時間が流れただろうか。イナの口から小さな吐息が漏れた。細く白い指が俺の胸ポケットから一枚の葉っぱを持ち去る。イナは何も言わなかった。ただ潤んだ瞳で俺を見上げている。
「ありがとう」
 心の底から声を絞り出し、俺はさなちゃんに向かって踏み出した。

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