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(株)八百万神 座敷童派遣業務部 場末支部

ライン

その6

「……郎。優一郎ってば」
 闇の中に優しい声が響き、身体が揺さぶられる。俺はまだ寝たいと絶叫する脳ミソに逆らい、張り付いてしまった感じのする瞼を何とか持ち上げた。
「起きて。ご飯できたよ」
 声に導かれるままもそもそと布団から這い出す。辺りには味噌汁のいい匂いが漂っていた。いつ以来だろうか、こんな朝は。まるで実家にいるみたいだ、と覚醒前の頭でぼんやりと考えているうちに俺は気付いた。
「……何やってんだ?」
「まだ寝ぼけてるの? 朝ごはん作ってるのよ」
 味見用の小皿とお玉を手にしたイナがやれやれといった風に俺を見下ろす。当然のように彼女はエプロン姿だった。
「だから、何で朝ごはん作ってるんだ?」
「あのねぇ、朝ごはんは一日の基本でしょ。ちゃんと食べて血糖値上げないとぼんやり午前中を過ごしちゃうわよ」
「いや、そういうことを聞いてるんじゃないんだが……」
 理解に苦しむ、と言わんばかりの表情を浮かべるイナに対し、とりあえず人差し指で頬などかいてみる。俺が聞きたいのは何で合鍵渡した彼女みたいなことをしてるのかであって、別に朝ごはんの効用とかではないのだが。
 ないのだが、何かこのシチュエーションは非常に嬉しいので疑問を差し挟むのは止めにした。寝起きでややこしい問答するのもめんどくさいし。もちろん昨日の夜、俺とイナの間に何かがあったとか、そういうのは一切ない。そういえば神様に関わった人間の世話をするのも自分の仕事だって言ってたし、これもその一環なんだろうか。
 とりあえず俺はイナの隣、流し台の前に立って歯磨きと洗顔を済ませる。冷水で顔を洗うとぼんやりしていた頭も多少はすっきりした。
「はい」
「ありがと」
 どこからともなくイナが取り出したタオルを受け取り、顔を拭く。
「おはよ」
「ん、おはよう」
 照れつつ小声で返事をして、何となく手にしていたタオルを首にかける。
「鈴音が外にいるから呼んできてくれる?」
「あ、鈴音も来てるんだ」
「当たり前じゃない。私だけ来てどうするのよ」
 怪訝そうな顔をするイナに向かって、そりゃそうだよなと乾いた笑みを浮かべてしまう。やっぱり朝ごはん作ってくれてるのも仕事だからなんだろうか。ちょっとだけ期待したんだけどなぁ。
 なんてことを考えつつ、俺はサンダルを足に引っ掛けて表に出た。
「お兄ちゃん!」
 表に出ると早速鈴音が駆け寄ってくる。お日様に朝の挨拶をする暇もない。もっとも、そんなことした記憶なんてないんだけど。
「おはよ、お兄ちゃん」
 腕をぶんぶんと振って鈴音が朝の挨拶をしてくれる。朱色の振袖が目に眩しい。
「はい、おはよ」
 抱きつき、頬をすり寄せてくる鈴音の頭を撫でながら、俺は朝の太陽を見上げた。すがすがしい、というよりはむしろせかされている気分になる。さぁ、起きろ。起きて活動しろ。と言われながら脳みそを揺さぶられていうるような。
「お兄ちゃん、ちょうちょ、ちょうちょ」
 俺のTシャツを引っ張りながら鈴音が指さした所を、二匹のモンシロチョウが互いの位置を入れ替えながら舞っていた。
「もう大分暖かくなったからな」
 蝶を目で追う。今日も汗ばむような陽気になりそうだ。目と肌で聞く夏の足音、か。と、少しばかりしみじみしたところで鈴音に呼びかける。
「さ、ご飯食べよ」
「えー」
 鈴音はあからさまに不満げな声をあげると駆け出してしまった。先ほど蝶が飛んでいた辺りまで行って、くるりと振り返る。
「鬼さんこちら」
 朝日にも負けないくらい眩しい笑顔で手を叩く鈴音。
 腰に手を当てた俺は微苦笑した。
 首をコキコキと鳴らし……ダッシュ。振袖を揺らして逃げる鈴音を追いかける。何がおかしいのか大笑いしながら走る鈴音に、俺もつい笑ってしまう。まっ、朝イチから鬼ごっこも悪くない。
 適当に泳がせたところで鈴音をキャッチ。
「ほら捕まえた」
 鈴音を抱きかかえた俺は自分の部屋に足を向けた。
「えー、もういっかいしよ」
「先にご飯食べてからな」
「むー」
 と、むくれながらも鈴音が首に手を回して抱きついてくる。首筋に感じる柔らかい髪の感触に口許を緩めた、その時だった。
「あ……おは、よう」
「ん、おはよ」
 何のことはない、見慣れた人物。そこに立っていたのは隣人の女の子だった。
 森下早苗。俺は勝手に親しみを込めて「さなちゃん」と呼んでいる。歳は18だと言っていた。ゴミ袋を手にした彼女は少し驚いた表情で俺の顔を、いや正確には俺の肩辺りを見ている。
 そこに何がいるのかと言えば……え?
 背中から吹き出る嫌な温度の汗。
「あの」
 恐る恐る声を出す。
「はい」
「見えて……る?」
「えっと……」
 さなちゃんはしばらく俺の肩辺り、要するに鈴音を見つめてから、
「姪っ子さん?」
 いくつかの選択肢からとりあえずは一番可能性が高いものを選んでくれたようだ。もちろんその選択肢の中に「座敷童」などというものはなかっただろうが。
「まぁ、そんなもの、かな」
 適当にごまかすしかなかった。でも何で鈴音の姿が見えてしまったんだろうか。鈴音のせいなのか、さなちゃんのせいなのか、この場でそれを追求する事はできないが。
「親戚の子でさ、ちょっと預かることになって」
「そうなんだ」
 苦笑しながら言う俺にさなちゃんは素直に納得してくれた。お兄さんは疑うことを知らない素直な子は好きだぞ。
「おはよ」
 さなちゃんが鈴音に顔を寄せる。
「へへ……おはよ、お姉ちゃん」
「いくつ?」
「んと、215歳」
 眉根を寄せるさなちゃんに、固まる俺。
「えと、その……笑うとこ。多分」
「あ、うん」
 俺のフォローにさなちゃんも気を取り直したのか再び鈴音に笑顔を向けた。
「すごいね。わたしなんてまだ18歳なのに」
「すごいでしょ」
 鈴音が小さな胸を張る。しかし俺も始めて知ったぞ、鈴音が215歳だなんて。
「お姉ちゃん」
「なぁに?」
「赤ちゃんいるの?」
「あ……うん」
 鈴音が言うようにさなちゃんのお腹は大きく膨らんでいる。だが彼女の表情は決して明るいものではなかった。理由は分からないでもない。さなちゃんのおなかの中には確かに赤ちゃんがいる。だが俺は一度として父親の顔を見たことがなかった。偶然、ということも考えられるが予定日間近になっても傍にいないとなると……。
 まぁ、色々とあるんだろうな、事情が。
 胸中でつぶやき、わずかの間をおいて拳を握り締める。俺はさなちゃんが結婚したとも聞いてないし、相手が死んだとも聞いていない。正直かなりムナクソ悪かった。
 子供作って逃げるか? 普通。最低だ、男として。
 だが怒ってみたところでその怒りをぶつける先はなし。心の奥で噛み潰すしかなかった。
「まだ入院しなくて大丈夫なの?」
「うん、もう少しだけ。そんなにお金もないし」
 さなちゃんは笑うがそれはできれば見たくない種類の笑顔だった。
「そっか」
 俺にはそうつぶやくように答えることしかできない。
「俺の携帯の番号知ってるよね。いつでも鳴らしてくれていいから」
「うん。ありがと」
「お姉ちゃん。赤ちゃん生まれたら見せてね」
 屈託のない鈴音の笑顔が今はありがたくもあり、羨ましくもあった。
「ええ、一緒に遊んであげてね」
「うん!」
 さなちゃんは俺と鈴音に向かって微笑むと、ゴミ捨て場に向かって歩いて行った。離れていく小さな背中に胸が重くなる。
「楽しみだね、赤ちゃん」
「そうだな」
 せめて元気に生まれてくれればいいけど。
 生まれてくる赤ちゃんには父親がいない。それどころかお爺ちゃんとお婆ちゃんもいない。幼い頃事故で両親を亡くしたさなちゃんは施設で育った。人づてにそんな話を聞いたことがある。彼女には頼るべき親がいない。俺も協力は惜しまないつもりだが他人にできることなどたかが知れている。出産祝いをいくらか包むとか、どんなに夜泣きがうるさくても怒鳴りこんだりしないとか、そんなものだ。
 視界の端で不意にドアが開く。ドアを少しだけ開き、なぜかイナがこそこそと顔を出した。まるでさなちゃんがいなくなるのを待っていたかのように。
「どうした。何かやましい事でもあるのか?」
「ん? あぁ、いや、別に」
「別にって」
「……ちょっと、ね」
「どっちだよ」
 彼女は俺を無視してさなちゃんが去っていったゴミ捨て場の方を見つめている。
「なぁ」
「なに」
「あさりたいのか? ゴミ」
「何でわたしがゴミあさりしなきゃなんないのよっ!」
 朝も早くから叫ぶイナ。
「いや、狐って犬科だし。DNAに刻まれたゴミあさりズムがうずくのかと」
「うずかないっ!」
「存在は否定しないんだな。ゴミあさりズム」
 反論はない。
「と、とにかくご飯にしましょ」
 なぜか焦ったように言ってイナは引っ込んでしまう。
「変なの」
「へんなの」
 鈴音が俺の口調をなぞってにへへと笑う。
「マネするなー」
「まねするなー」
 どうやら新しい遊びを思いついたらしい。
「バスガス爆発」
「ばすがすばくはつ」
 お、なかなかやるじゃないか。
「生麦生米生卵」
「なまむぎなまごめなまたま……ご」
「この杭は引き抜きにくい」
「このくいは引きぬきにくい」
「隣の客は柿喰う客だ」
「となりのきゃくは柿くうきゃくだ」
「あ、間違えた」
「まちがえてないよ!」
 と言った後で鈴音の口が半開きになる。まだまだ子供よのう。215歳だけど。
「むー」
 ふくれながらも抱きついてくる鈴音。そんな鈴音の頭を撫で、俺は部屋に戻った。

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