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(株)八百万神 座敷童派遣業務部 場末支部

ライン

その5


「っだぁー。もういい。うっく」
 床に転がった俺は刺せば破裂しそうなほどに膨れたお腹をぺしぺしと叩いた。今、誰かに上に乗られたら酸味のきいた噴水が口から吹き出ることだろう。
 っと、やめよう。そんな想像は。シャレにならなくなる。
 喉まで上がってきたような気がする「何か」を胃に押し戻し、俺は大きく息を吐いた。
 しかしマジに喰いすぎた。これっぽっちも動きたくない。
「ほんとに……食べちゃった」
「んだよ。そっちが残さず食べろって言ったんだろ」
 少しだけ頭を上げ、口を歪めながらイナの顔を見る。
「そうね。ありがと」
「ん、あぁ」
 あらためて礼なんぞ言われると少しばかり照れくさい。確かに結構な量だったけど、完食できたのは八割方「味」のおかげだし。箸を動かした、よりも、箸が止まらなかったと言った方が正確だ。
 ふと流れるちょっとした間。
 外を走るバイクの低い排気音が聞こえてくる。やがてそれは尾を引くようにして小さくなり、消えた。
 もう一度頭を上げる。イナが慣れた手つきでお茶を淹れていた。それを何とはなしに見ていると、目が合った。何を言うでもなくただ微笑んだイナに顔が熱くなり、やはり目を逸らしてしまう。
 なに意識してるんだろ、俺。
 顔の上半分を手で覆い、小さく息を吐く。でも、口は緩んでいた。
 おいしいご飯を作ってくれたイナに対して好意を抱いているだけなのか、それとも彼女に恋心を抱いてしまったのか、それはよく分からない。ただ俺に分かるのは「悪くない」ということだけだ。
 そう、悪くない。うん。
 それから間を置くこと暫し。湯呑みがテーブルに置かれる音を聞いた俺は普段の倍は重たく感じるお腹を持ち上げて身体を起こした。
 湯飲みを手に、黙ってお茶をすする。
 久しぶりに飲んだ温かいお茶が身体の隅々まで染み込んでいくような気がした。
 一人暮らししてると急須でお茶なんか淹れないし。落ち着く。やっぱ日本人だわ、俺
 黙ったままもう一口。湯呑みの中を見つめる。茶柱は立ってなかった。
 ……いかん。だんだんと間が持たなくなってきた。何か喋らなくては、と思えば思うほど頭は空回り。何の解決策も出せなくなる。
 ならば、
「なぁ」
「ん?」
「……あの」
 とりあえず話し掛けて己を追い込んでみたものの、やっぱりどうにもならなかった。
「どうしたの?」
「いや、どうもしないんだけど、な」
 背中を濡らす嫌な汗。
 もはやこれまでか。そう思った瞬間、俺の頭に神様が降りてきた。
「何で俺なのかな、って」
 可能な限り自然に言葉をつなぐ。
「どうして俺が選ばれたんだ? 別に俺じゃなくてもいいような気がするんだけど」
 一度話題が決まれば言葉はすらすらと出てきた。まぁ、本当に訊きたい事でもあったし。忘れてたけど。
「嫌、だった?」
「え?」
 反射的に聞き返してしまう。
「あなたが普通の生活に戻りたいって言うんだったら明日にでも福神さんに話して……」
「いや、別に嫌だとかそんなんじゃなくて、純粋にどうしてかなって」
 申し訳なそうな顔をするイナの言葉を遮って、俺は笑って見せた。
 にしても何か違和感がある。
「神様の決定に人間が従うのはとーぜんよ」とか言われるかと思ったんだが。ウチに来た辺りから、どうもイナが「気遣いさん」になっているような気がするのだ。少なくとも俺は昼間のイナにこんなにドギマギしてなかった。
 と、なぜか照れたような表情でイナがうつむいてしまう。
「お礼をしたかったの」
 俺の頭の上に疑問符が一つ、ぽんっと出現する。が、いくら考えたところで答えは出なかった。俺が謎の組織にさらわれて特殊な機械で記憶喪失にでもされてない限り間違いなくイナとは初対面だ。
 無言で顔を見つめる俺にイナは微笑みながら小さく頷いた。
「その、手の傷ができたときのこと、覚えてる?」
 言われて右手に視線をやる。手のひらを横断するように残る横一文字の傷跡。
 この傷は確か……。
「今日あなたに会って握手をしたとき、ほんとにドキドキした。これが私を助けてくれた手なんだ、って」
 私を助けた。
 傷に関する記憶がゆっくりと、滲むように思い出され、俺は反射的に声をあげそうになった。
 俺が小学校の低学年の頃だから……えーっと、何年前だ?
 咄嗟には計算できなかったが、夏休み中のアホみたいに熱い日だったことは覚えている。その日、虫捕り網と虫かごを手に近所の山に遊びに行った俺は、そこで罠にかかっている一匹の狐を見つけた。
 罠にはさまれた足から滴る鮮血に毛を染め、こちらを見つめる狐に子供だった俺はまずショックを受けた。
 周りには誰もいない。自分が何とかしなければこの狐は死んでしまう。勝手に狐の命を背負った気になってしまった俺に、大人を呼んでくる、などという選択肢は存在しなかった。下手すれば指がちぎれ飛ぶ、などということは子供の無知ゆえに考えもせず罠をこじ開ける俺。そのとき少しばかし引っ掛けてできてしまったのが右手の傷というわけだ。ちなみに手を切った俺は狐のことも虫捕り網のことも虫かごのことも忘れて家に向かって泣きながら山を走った。
 怒られると思って親にも怪我したわけを言えなかったんだよな。
 そんな子供の頃の思い出し、つい笑ってしまう。
 それから包帯がとれるまでの数日間、友達に怪我の理由を訊かれるたびに「ちょっとね」と答える自分をカッコイイと思っていたんだから何とも、いや。幼い俺は「誰にも言えない名誉の負傷」をヒーローっぽくて悪くない、とか思っていた。
「あのときの狐とはねぇ」
 イナの顔をしげしげと見つめてしまう。急に彼女が身近な存在であるかのように思えてくる。不思議な親近感。
「ここにいるってことは無事に逃げられたんだ」
「はい。あなた様のおかげで命をつなぐことができました。感謝の言葉もございません」
 急に口調を変えたイナが三つ指をついて深々と頭を下げる。
「ありがとうございました」
「どしたの?」
「ん。お礼はちゃんと言わないと、って思ってたから」
 頭を上げたイナは、また照れたように笑った。
「でも納得したよ。お礼、ね。それで無職の俺に仕事をくれたってわけか」
「恩返し、したくて」
「そか」
「うん」
 湯飲みを両手で包むようにして持ち、緑色の水面を見つめる。情けは人のためならず。お婆ちゃんの言っていたことは本当だった。
 狐の恩返し、か。
 世の中には色んなことがあるもんだ、まったく。

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