(株)八百万神 座敷童派遣業務部 場末支部

ライン

その3

 その後も鈴音は何人もの人たちを幸せにしていった。
 ある少年は幸運にも意中の少女と声を交わす機会を得、またある女性は無くした大切な指輪を幸運にも見つけた。あの中年男性は幸運にも事故を回避できた事に気付いているだろうか?
 幸運。
 鈴音と俺があだ名を付けた座敷童によって演出された幸運。
 それはいい。
 鈴音は座敷童なんだ。幸運くらい演出できるだろうし、実際してみせた。
 でもちょっと待ってくれ。
 座敷童ってのは家に住み着くものであって、こんな「幸せ宅配便」みたいなことはしなかったはずだ。
 それともそれは俺の勝手なイメージで、座敷童にとっては当然のことなんだろうか?
 そもそもなぜ座敷童は人間を幸せにするんだろうか。人間を幸せにしたところで何の見返りもない。
 家に住み着いて、雨風をしのがせてもらう礼としてその家に幸福をもたらす?
 というか、座敷童に雨風をしのぐ必要があるんだろうか。
 いや、座敷童なんか雨に濡れてればいいんだよ、とかそういうことじゃなくて、そもそも雨に濡れるのかとかその次元の話であって……、
「ブレーキ!」
「え?」
 唐突に鼓膜を打ったイナの声に右足が反射的にブレーキを踏んだ。
 全員仲良く前につんのめる。車間距離は、たぶん拳ひとつ分くらいしか残ってないだろう。
「ふぃー」
 息を吐いて冷や汗のにじんだ額に手をやる。全身の毛穴が開いたような気がした。
 こちらに向けられた視線ががすがす刺さる。特にイナのは鋭かった。かなりの業物だ。俺は助手席のイナと後部座席から身を乗り出している鈴音の顔を一度ずつ見てから、かくんと頭を下げた。
「ごめん」
「しっかりしてよね。これがあなたのお仕事なんだから」
「以後気をつけます」
 前の車が動き出したのを見てギアを一速へ。ゆっくりクラッチをつなぐ。
「死ぬのはあなただけなんだから……あ、問題ないじゃない」
「ないことあるか!」
 夕日に赤く染まる車内でイナに向かって叫ぶ。
「あら、だいじょぶよ。死んでも私たちの仲間になるだけだから」
「俺にはまだこの世でやりたいことがあるの」
「ふーん。何?」
「……近所の定食屋のメニュー制覇」
「小さっ」
「るせぇ。とりあえずだよ、とりあえず。まだまだ後には大物が控えてんだよ。四天王だって最初に出てくるのは一番弱いヤツで、後ほど強いだろ」
「いや、よく分からないんだけど」
「そういうもんなんだ」
「でも、最初が『近所の定食屋のメニュー制覇』だったら最後までいっても『いつかはスポーツカーに乗りたい』くらいしか出てこないような気がするんだけど」
 イナの浅慮な台詞に俺は、ふっ、と口元を緩めた。
「心配するな。四天王の後には五人衆とか十二神将とか際限なく出てくるから」
「あ、そう」
 返ってきたのは心底どうでもよさそうな返事だった。
「で、何考えてたの?」
「何、って?」
「あなたねぇ、それでさっきぶつかりそうになったんでしょ」
「あぁ、うん」
 先ほどまで考えていたことをまとめるためにステアリングを人差し指で叩いて間を取る。
「何で二人がこんな事してるのかなって」
「こんな事?」
「幸せ宅配便」
 言いながらギアを三速から二速に落とす。やっぱりこんな時間に国道を走るもんじゃない。予想通りの帰宅ラッシュだ。
「座敷童ってのはどこかの家に住み着くものじゃなかったっけ?」
 言いながらルームミラーでらちらりと鈴音の顔を見る。
「今でもそうだよ」
 身を乗り出している鈴音の声はすぐ耳元でした。鼓膜が妙にくすぐったい。
「でもね、わたしは違うの」
「どんな風に?」
「えーっとね」
 尋ねる俺にルームミラーの中の鈴音は立てた人差し指を顎に当てて、
「うんとね」
 それからちょっと首をひねって上を見上げて、
「違うの」
「……そっか。違うのか」
 うんうんと肯きながら俺はイナの顔に視線をやった。俺の意を汲み取ってくれたのかイナが口を開く。
「この子は神様から命じられてこんなことをやってるの。もちろん私もね」
「それじゃ何か、神様に『そこの二人、ちょっと人間幸せにしてきて』とか言われたのか?」
「そんなところかしら」
 相変わらずではあるがイナはあっけらかんと答える。母親に頼まれて近所のスーパーに醤油を買いに行くのと同じような口調。
「あなた、昼間病院で不公平だとか不条理だとか言ってたじゃない」
「あぁ、そういや神様も同じとかなんとか」
「人間ってね、生れた時から一生のうちにつかめる幸せの量が決まってるの」
「……マジかよ」
「ええ、それも神様にさえ分からない偶然性によってね」
「神様よりすごい誰かがどこかでサイコロ振ってるってことか」
「そうね」
「それじゃなにか、幸せになれない奴はどんなに努力してもダメってことなのか?」
 イナが黙って肯く。
「何か、イヤな話だな」
 小さく息を吐く。
 俺だって努力は必ず報われる、なんて思っちゃいない。でも、いつか報われると信じて努力する事を心底バカにしているわけでもなかった。可能性は信じたい。でなきゃやっぱり、辛いし。
「だから私たちみたいなのがいるわけ。生まれつき三しか幸せをつかめない人が、死ぬまでにそのうちの一しかつかめなかったんじゃ悲惨だもの」
「じゃあ、生まれつき十の幸せをつかめる人が死ぬまでに一しかつかめなかったら?」
「それは本人のせい。しかるべきところで努力を怠った結果よ」
「まぁ、な」
 確かにそれだけチャンスが多いということだけど……。
「生まれつき5の人が死ぬまでに1だったらどうなるんだ?」
「それは……微妙」
「微妙、って」
「だからそれを判定して、私たちの行き先を決めるのが福神さんの仕事なの」
 福神さんの温和な笑顔を思い出す。八百万神、座敷童派遣業務課、場末支部の支部長。
「なぁ、福神さんって福の神なの?」
「そうよ」
 さらっと言われた。
 まぁ、福神と福の神、分かりやすいだけマシかもしれない。俺も今さら驚かなかった。
「何で神様は人間を幸せにしてくれるんだ?」
「突然ね」
「だってそうだろ、何の見返りもないのに」
「あら、人間の幸せが神様の幸せだもの」
「嘘くさ」
「あなたねぇ……まぁ、でも何の打算もないわけじゃないんだけどね」
 イナが一つ息を吐く。
「あなたの言葉を借りれば、カミサマよりすごい誰かがどこかでサイコロ振ってる。その『誰か』を私たちは知ろうとしてるの。そのために人間を幸せにしながら、人間の幸せについて調べてるってわけ。視点が一方的にならないように人間を交えて、ね」
 イナの説明にふぅん、と一つ息を吐く。それが俺の雇われた本当の理由だろう。本社スタッフの送迎は建前ってわけだ。ただ、神様よりすごい存在なんて正直想像力さえ及ばない範囲だった。
「よく分かんないけど神様も大変なんだな」
「興味なさそうね」
「興味がないっていうより実感が沸かない。正直、神様の調べものより一ヵ月後にちゃんと給料が支払われるかの方が俺にとって大事だし」
「小市民」
「何とでも言え。人間はメシ食わなきゃ死ぬんだよ」
「そっか。あ……だったらご飯作ってあげよっか」
 こちらを見ながらイナがぽんと手を叩く。
「はぁ?」
「なによ、その反応は」
「いや……確かに最近温もりを感じられる食事はしてないけど」
 今の俺はいいかげん飽きてきたカップラーメンから冷凍食品への移行期にあった。手料理を、それもこんなに綺麗な人が作ってくれる手料理を食べられるというのは幸運なことではあるのだろうが……、
「できるの? 料理」
 俺は疑惑の表情をイナに向けてしまった。
「どういう意味よ」
「なんか、その、いかにも今どきだし」
 たぶん髪の毛が茶色、というか狐色のせいだと思うが、どうにも料理が得意な様には見えないのだ。夏はボディボード、冬はスノボ。クラブなんかもたまに行くかな、なんて自己紹介が似合いそうな風貌とでも言えばいいのだろうか。俺のものすごい偏見なんだろうけど。
 そんなイナを試すように、言ってみる。
「お米ってさ、洗剤使わなくてもきれいになるんだぞ」
「うそっ!」
 車内に響く驚きの声。そして沈黙。夕日が目にしみる。
 あぁ、やっぱりか。まったく最近の若いもんは。フェミニストに何と言われようが家庭的な女の子を愛する会名誉会長代理補佐として慨嘆のため息をつこうとした時だった。助手席のイナが小さく鼻で笑う。
「……なんて言うとでも思ったの?」
 イナの顔には実に挑戦的な微笑が浮かんでいた。
「あのねぇ、これは世を忍ぶ仮の姿で、私はあなたよりもずーっと、ずーっと長生きしてるの。薪とかまどとお釜でご飯を炊いた事だってあるんだから。電気炊飯器なんて寝てても使えるわよ」
「失礼しました」
 素直に謝る。確かに考えてみればこの世で一番日本的な「神様」の使いだもんなぁ。どうやら俺の方が未熟だったらしい。
「じゃあさ、洗濯板とか使ったりもした?」
「もちろん。特に冬場はつらいのよ。今みたいに蛇口をひねればお湯が出る時代でもないし」
 と、イナはどこかババくさいことを自慢げに語ってくれた。
「でも、なんで神様の使いがそんなに人間くさいんだ? ご飯とか洗濯とか」
「長く生きてると色んなことがあるのよ。神様に関わった人間のお世話をするのが私の役目でもあるしね」
 イナが破顔する。
「というわけで、あなたのアパートに行きましょ。会社には寄らなくていいから」
「お兄ちゃんのおうちに行くの?」
 鈴音が後部座席からぴょこんと顔を出す。
「そうよ。一緒にご飯食べましょ」
「ねぇねぇ、畳はある?」
「どうして?」
「そのほうが落ち着くの」
 尋ねる俺に鈴音が満面の笑みで答える。
 そっか、座敷童だもんなぁ。
 でも……、
「ごめん、俺んちフローリングなんだ」
「ふろーりんぐ、ってなぁに?」
 鈴音が後ろから袖を引っ張る。
「えっと……板の間、かな」
「わたしは好きだよ、板の間。つめたくてきもちいの」
「ごめん、上に絨毯敷いてる」
「むう」
 困ったように、何かを考えるように腕を組む鈴音。
 あぁ、俺の大馬鹿野郎。とりあえず帰ったら絨毯を引っぺがすこと。まずそこから始めよう。時期的にも丁度いいしな。
 そんなことを考えながら、俺はアクセルを踏み込んだ。

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