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(株)八百万神 座敷童派遣業務部 場末支部

ライン

その2

 白く清潔感のある五階建ての病院前。周囲の植え込みが青々と茂っている。駐車場に会社の車である白のセダンを停めた俺は運転席から降りて目の前の建物を見上げた。イナに言われるまま車を走らせ、到着したのがこの市立病院だった。俺も何度かお世話になったことがある。
 白い外壁が照り返す日光が目に痛い。ドアを閉めたところで鈴音がぱたぱたと寄ってきた。
「おててつないで、お兄ちゃん」
「あー、はいはい」
 車のキーを上着のポケットに突っ込み、手に小さな紅葉を握る。その温かく柔らかい感触につい口許が緩んでしまった。
「お父さんっ」
「うるせぇ」
 からかうイナに照れながら反抗する。
「で、ここで何をするんだ?」
「それは見てのお楽しみということで」
 と、イナがいきなり自分の胸元に手を入れた。少しだけ見えた胸の谷間に素で焦る俺。別に純情ぶってるわけじゃないが、こんな所でそんなことをされると、つい辺りを見回してしまう。妙に恥かしい。この恥かしさが快感に変わるとき立派な野外プレイマニアが誕生するのかもしれない。
「おっ、おい」
「あったあった」
 俺の微妙な男心などどこ吹く風、イナは実にあっけらかんとしていた。
 見ないでよ……ばか。くらい言ってみろってんだ。ていうかむしろ言え。何なら俺が言ってやろうか。
「はい」
 笑顔と共にイナが差し出したのは一枚の葉っぱだった。ちょっと虫が食っている。
「は?」
 俺の頭上に浮かんだ巨大な疑問符などどこ吹く風、イナが俺の胸ポケットに葉っぱを押し込む。
「これでよし」
 いや、何が。
「あのさ」
「ん?」
「オヤツに葉っぱを齧る習慣は俺にはないんだけど」
「私にだってないわよっ!」
 え……。じゃあこれは一体何のために。
 はっ。
「大丈夫、心の病は決して恥かしいことじゃ……」
「それはもういいっ!」
 叫ぶイナを前に押し黙る。考えることしばし、思い当たった。
「電波を……」
「もう、何でもいいからとにかく黙って大人しく素直にその葉っぱを持ってなさい!」
 結構な勢いで踵を返してイナが入り口に向かって歩き出す。
「いこ、お兄ちゃん」
 鈴音に手を引かれ、俺はイナの後を追い始める。
 やーれ、やれ。深みにはまり始めたかな、ちょっと。


「おてぇて、つないでー、のみちーをゆけぇばー」
 リズムに併せて前後に揺れる腕。上機嫌な歌声が看護婦や入院患者の行き来する廊下に響く。
 ここは野道ではなくて病院の廊下です、と大人気ないツッコミを入れられるほど俺は勇気ある人ではない。だがそれ以前に、
「ストップ。病院では静かにな」
「あら、大丈夫よ」
 前を歩いていたイナが不意に振り返る。
「何で?」
「この子の声は私たち以外には聞こえてないもの。それ以前に姿すら見えてないし」
 俺は無言で鈴音の顔を見つめた。
「へへ」
 とても楽しそうな笑みが返ってくる。続けて俺は無言でイナの顔を見つめた。
「ちなみに私とあなたの姿も見えてないから」
 わけの分からないことを言うイナ。しばし考え、言葉を選んでから言う。
「一緒に森へ帰ろう。な?」
「まったくどうしてほんとにあなたって人は!」
 酷い頭痛でも抱えたような表情になってイナが首を小さく振る。それから彼女は鈴音に視線を落とした。応えるように鈴音がぱっとつないでいた手を離す。
「回れー右!」
 いきなりイナに肩をつかまれた俺は、病院の白い壁と向き合わされてしまった。
「発射!」
「え?」
 押される感覚。
 我ながら間の抜けた声だ、と思ったときには視界は白一色、壁だけだった。
 反射的に目を閉じて手を前に突き出す。が、いつまで経っても衝撃が訪れない。おかしい。そろそろ壁に激突して鼻血の一つも吹いた挙句イナに「出るとこ出るぞこら!」と叫んでいてももいい頃なんだが。
 とりあえず目でも開けてみるか?
 一度喉を鳴らして唾を飲み込み、ゆっくりと目を開く。
 それ程広くはない個室。多くの機材に囲まれた女性がベッドに横たわっていた。ベッドの傍には青年が座り、じっと女性の顔を見つめている。
 俺の目が腐ってなければ、ここは病室である。壁に向かって突き飛ばされた俺が病室にいる。規則的に聞こえてくるピッ、ピッという電子音を聞きながら俺は一度目を閉じて頭を振った。それでも間違いない。ここは病室だ。
「信じてもらえたかしら」
 壁から湧き出るように現れたイナが俺を見て笑う。視線をやや落とせば鈴音が同じように壁から湧き出てきた。変わらぬ二人の笑顔がローギアから一気にトップギアに入ろうとした俺の心臓を静めてくれる。
 俺は顔を上げてイナを見つめた。
「夢じゃないわよ」
 続けて鈴音の顔を見る。鈴音も俺の顔を見ている。さらに鈴音の顔を見つめる。
「あうぅ」
 ふ、照れよって。
 それはさておき。
「とりあえず二人は普通じゃないと仮定する」
「まだ『仮定』なの?」
「るさい。人間には薄皮一枚の理性で認めてはならんものがあるんだ」
「無駄な足掻きを」
 ダメねぇ、と言わんばかりわざとらしく肩をすくめるイナ。俺は唇を一度ひん曲げてから鈴音の前で膝を折った。
「俺、鈴音を普通じゃないって言ったけど、それは個性であって決して悪いことじゃないんだ。それは忘れないで欲しい。でも……」
 言葉を切って鈴音の頭に手を置く。
「あっちのお姉ちゃんはただの変態だからそれも忘れないで欲しい」
「うあ、むかつく。人間のクセに」
「それだ」
 俺はイナの顔を見ながら立ち上がった。
「俺は人間だぞ。何で壁を抜けられるんだ?」
 と、イナが黙って俺の胸ポケットを指さす。
 そこにあるのは一枚の葉っぱ。先ほどイナにとにかく黙って持ってろと言われたものだ。
「それに私のありがたーい力を込めてあなたに分けてあげたの」
「ありがたい? うさんくさーい、の間違いじゃないのか」
「あなたねぇ、本気でバチ当たるわよ。私の力はご主人様に与えて頂いたものなんだから。それを胡散臭いだなんて」
「ご主人様ってアレだろ、確か……農家の味方のタンバリン」
「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)よ!」
「たんばりーん」
 万歳するように両手を持ち上げて鈴音が飛び跳ねる。無邪気に無意味に楽しそうだ。
「たんばんりん、ってなぁに?」
 汚れなど一ミクロンも感じさせない瞳で見上げられ、俺は人差し指で頬をかいた。それから手でわっかを作り、
「……えーっとな、こういう薄い太鼓みたいなやつで」
「へー」
「ちょっと、人のご主人様をタンバリン呼ばわりしたことについては一言もなしなの?」
「おう」
「胸を張らないでほしいんだけど」
 自信を持って答えた俺に対し、腰に手を当てたイナが大きく息を吐く。
「とにかく、これから鈴音に頑張ってもらうから、目の前で起こることをちゃんと受け止めるように」
 問題児を前にした先生のような顔で言って、イナはベッドの方に向き直った。
 俺も視線をそちらへ向ける。
「何が見える?」
「多分昏睡状態であろう女性と、それを見つめている男」
「よくできました」
「バカにしてるだろ」
「ええ」
「即答か、コラ」
「それはさておき」
 うめく俺をあっさり無視してイナは僅かに目を伏せた。
「ベッドで眠っているのは今井綾香、二十三歳。二年前、交通事故に遭って以来ずっとこの状態が続いてるわ。男性も同じく二十三歳。名前は宮本祐介、彼女の婚約者よ」
 胸の下で腕を組み、イナが一度唇を結ぶ。
「二人は同じ施設で育ち、恋をした。ささやかでもいい、幸せな家庭をつくろう、それが二人の合言葉だったみたい。アパートの小さな部屋でささやかなパーティーをして、彼は彼女に指輪を渡した。でも、その翌日」
「事故が起こった」
 イナの台詞を継ぐ。
「ええ、犯人はいまだに捕まってないわ。でも、それ以上に深刻な問題があるの」
「治療費、か」
 イナが黙って肯く。
 俺は宮本祐介の顔を見つめた。疲労の色が濃い。目を細めている理由は婚約者を前にしているから、だけじゃないはずだ。
 眠気。明らかに睡眠が足りていない顔をしている。
 婚約者の治療費を稼ぐためにかなり無理をしてるんじゃないだろうか。
「何か、きつい話だな」
 眠る恋人を前に丸められた背中を見ながら呟く。
「別に彼らが世間様に対して何かしたわけじゃないんだろ? 不公平っていうか不条理っていうか」
「そうね。でも、あなただけがそう思ってるわけじゃないの。神様も同じよ」
 俺は眉根を寄せてイナの顔を見つめた。
「詳しいことは後で話すから。今は少し、見てて」
 そう言われてしまえば仕方がない。俺は黙って一歩下がった。それと入れ替わるようにして鈴音がベッドに歩み寄る。
 座敷童。
 この子が住み着いた家は栄え、この子がいなくなるとその家は没落するという、幸せを運ぶ存在。
 唇が乾いた。鈴音は目を閉じ、うつむいている。汗ばむ肌。室温が少し上がったのだろうか。 
 緊張感に生唾を飲み込む。その時だった。かざされた鈴音の手に淡く温かい光が灯り、優しくはじける。
 細かい光の砂がベッドの上、眠っている今井綾香に降り注いだ。粉雪のようにゆっくりと舞った光の砂は白いシーツの上に一度積もり、今井綾香の中に吸い込まれるようにして消えていく。
 手に残った光の砂をぱんぱんとはたいて鈴音が振り向いた。その顔に大きく「達成感」の三文字を書き付けて。
「だいせいこー。もうだいじょうぶだよ」
「お疲れ様。偉い偉い」
 膝を折ったイナが鈴音のおかっぱ頭をくりくりと撫でる。目を細める鈴音は気持ちがいい時の猫みたいだ。
「……あのさ」
 問おうとした俺の声を遮り、イナが立てた人差し指を唇に当てる。押し黙った俺の視界の端で今井綾香の身体がわずかに動いた。反射的に目を見開いてベッドを凝視する。
 宮本祐介の身体がびくりと震え、頭が跳ね上がる。
「あ……」
 か細くはあるが確かに聞こえる意思を持った声。
「綾香……綾香!」
 混乱と喜びを含んだ恋人の声に今井綾香の目がうっすらと開く。
「分かるか? 俺だよ、祐介」
「祐介……さん?」
「あぁ、うん。そうだ。待ってろよ、先生呼んでくるから」
「あ……うん」
 今井綾香の返事を受け、椅子を蹴り倒すような勢いで立ち上がった宮本祐介は病室から駆け出していった。
 派手に開け放たれ、ゆっくり閉じていく扉を見ながら俺は拳を握る。
 マジかよ。
 二年間、意識不明だったんだよな。
 鈴音が手をかざして、光がはじけて。
 偶然? ……にしては都合がよすぎる、か。
「信じなきゃ、ダメなのか?」
 汗ばんだ拳を開く。
「信じて」
 今までとは違う、その穏やかなイナの声につい沈黙してしまう。俺を見つめる栗色の瞳は胸が高鳴るほど深い色をしていた。
 大きく息を吸い込んだ俺はそれをゆっくりと吐き出し、一度自分のつま先を見つめてから顔を上げた。
「イナは神様の使いで」
「うん」
「鈴音は幸せを運ぶ座敷童」
「そうだよ」
 二人の笑顔から邪気は感じない。こちらを騙そうとしてるわけではないらしいが……。
「やっぱり信じなきゃダメなのか?」
「ダメ!」
 イナと鈴音の声が見事に重なる。
 俺は何となく天井を見上げて、頭を落とした。それからベッドにいる今井綾香に目をやる。
 そう、だな。何より目の前で見せられちまったし。
「信じるよ」
「あは。偉い偉い」
「撫でるなって」
 頭の上のイナの手をぺしっとはたく。
「どうも新興宗教とかじゃないみたいだし、信じても自我は保てそうだから」
「新興なんて」
 イナが人差し指を立てた。
「私たちは一番の古株だもの。だから安心して信じてちょうだい」
「信じて信じて」
 鈴音が振袖を揺らしてぴょんぴょんと跳ねる。
「あぁ、信じるよ」
 こちらを見上げるどこかふわふわとした少女。その頭の上に手を置く。
 へへ、と笑う鈴音。俺も釣られて笑ってしまう。
 その時ざわめきと複数の足音が近付いてきた。宮本祐介が先生たちを連れて戻ってきたようだ。
「私たちはそろそろおいとましましょ。今日中に行かなきゃならない所がまだまだあるんだから」
 軽いステップで振り返り、壁に向かって歩き出すイナ。
「おててつなご?」
 差し出された小さな手を握り、俺もイナの後を追った。
 が、ふと立ち止まり肩越しにベッドを見やる。
 こちらを見つめる今井綾香と目が合った。いや、多分気のせいだ。相手に俺の姿は見えてないんだから。
「お幸せに」
 呟くように言う。と、今井綾香の目が大きく開かれた。
 反射的に、え、と口を半開きにしてしまう。
「なっ、なぁ。俺たちの姿は見えてないんだよな?」
 慌てて鈴音に視線を送る。鈴音は少しだけ困ったような顔をして、
「えとね、力を使ったあとだとときどき見えちゃうの」
 沈黙の中、病室に近づいてくるざわめきが大きくなっていく。
「ども、失礼しましたー」
 とりあえず愛想笑いなど浮べつつ、俺は鈴音の手を引いて壁に突っ込んだ。幼女を連れたスーツ姿の男の霊がでるなんて噂がたたなきゃいいんだけど。

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