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猫と魔術

ライン

 その日、役所が開くと同時に入ってきた三人の女の子が、俺に向かって差し出したのは一匹の子猫だった。何でも学校へ行く途中に、一人ぼっちで道のまん中に佇んでいたのを見つけて連れて来たそうだ。
 女の子たちが言うには、この子猫は迷子で飼い主が絶対に探している、とのこと。首輪をしているのが「飼い猫」の証拠だと女の子たちは考えたようだ。
 両手で子猫を抱えた俺に向って女の子たちは「ちゃんと飼い主の所に届けてあげてね」と異口同音に言うと最後に三人そろって頭を下げた。
 それが少し前の話。
 今、俺は自分の机に子猫を乗せ、ただじっと見つめ合っていた。
 市民生活保護課に配属されてからそろそろ二年になる。この地方では珍しいダークブルーの髪と瞳が人の目を引くが、それ以外はどうということもない。特に顔がいいわけでもなく悪いわけでもなく、言ってみれば普通の青年。
 それが俺だ。
 あえて特徴付けをするならば、真面目そう、ということになるか。
 自分で言うのもなんだが。
 一方の子猫はというと、黒一色の毛に鈴の付いた赤い首輪。大きな目は澄んだ空色をしていた。子猫は机に積み上げられている書類の間におとなしく座り、少しだけ首を傾けて俺を見上げている。
「さて、どうしたもんだろ」
 心中でつぶやき、俺は腕を組んだ。悩んでいるのは飼い主の探し方ではない。今までの経験からして、この子猫が本当に飼い猫であれば、そのうち飼い主が名乗り出てくるはずだ。子猫をぶら下げて町を歩き回る必要はない。
 問題は、飼い主が出てくるまでこいつをどうするか、ということだった。
 机の上に積み上げられた書類を見れば分かるように、一日中子猫の相手をしていられるほど俺も暇ではない。左隣に座っていた後輩は大きな鞄を持ってすでに出かけてしまったし、右隣の先輩は陳情書に回答すべく羽ペンを走らせている。皆が自分の仕事に没頭していた。
「とりあえず箱に入れて、ミルクでもやっとくか」
 顎に手をやり、再び心中で漏らす。確か裏口の辺りに清掃課が集めたゴミが焼却されずに残っていたはずだ。木箱の一つや二つはあるだろう。
 物珍しげにインク瓶の蓋を叩いていた子猫の首根っこをつまみ、俺は裏口に向った。かなり年季の入った板張りの廊下が、一歩踏み出すたびにみきみきと妙な音を立てる。途中、休憩室に配達されていたミルクの缶からコップ一杯分ほど失敬した。
 思った通り裏口には焼却前のゴミが小さな山になっていた。ほとんどが木板や屑木、そしてお目当ての木箱だが、ナベカマの姿もちらほら見える。どうやら分別作業もまだ終わってないらしい。
 ミルクの入ったコップと子猫を地面に置き、俺は適当な大きさの木箱をゴミの山から引っ張り出した。ゴミ山の頂上が崩れ、転がり落ちたナベに驚いたのか、子猫が跳びのく。首輪に付けられた鈴が可愛らしく鳴った。
 軽く頬を緩めつつ子猫を木箱に入れてやる。 
「それにしたって汚い箱だね」
「まぁ、ゴミだからな」
 答えて、ふと空を見上げる。どこまでも高い青。綿のような雲がゆっくりと視界を流れていく。いい天気だった。ただ、続きすぎている。夏には水が不足するかもしれない。めんどくさいんだよな、節水のお願いに一軒一軒回るのって。
「俺は今……誰と喋った?」
 数ヶ月先の夏に飛んでしまった己の思考を呼び戻し、俺は自問した。それから子猫、と自答しそうになった自分を慌てて否定する。
 きのう飲めない酒を無理して飲んだのが良くなかった。慣れないことはするものじゃないな、ほんとに。
 俺は箱の前にしゃがみ、指先で子猫の小さな顔を撫でながら苦笑する。
「まだ酒が抜けてないのかもな」
「二日酔い? だったらモールの実をお茶に入れて飲むといいよ。モールの実にはお酒を消すエレメントが含まれてるから。あっ、でもこの季節じゃ無理かな。秋じゃないと実はならないよね」
 実に饒舌だ。そう、実に。
 俺は無言で立ち上がり、人さし指でこめかみを掻いた。
「ちょっと待ってろ」
「うん。待ってる」
 できれば聞きたくなかった返事を聞き、俺はみきみきと鳴る廊下を早足で抜けて市民生活保護課に戻った。研修中に教えてもらった「困った事があれば誰かに必ず相談する事」というのを忠実に実行するためである。
「ティアさん」
 俺の右隣の机で羽ペンを走らせている先輩に向って小声で呼びかける。ティアさんは手を止めると、少し不機嫌そうに俺の顔を見上げた。黒髪黒瞳、目の覚めるような美人。街を歩けばほとんどの男が、時には女でさえ振り返る。
 彼女を目当てに、用も無く役所に通ってくる人間まで出る始末だった。
 涼しげな目元にすっと通った鼻筋。黒曜石を思わせる透明感溢れる瞳に対して肌は驚くほど白い。その中にあって赤い唇が……っと、今はティアさんの容姿について云々してる場合じゃない。
「何?」
 研修中にお世話になった先輩の細い指の上で、ペンがくるりと弧を描く。手短にお願い、というティアさんの意思表示だった。
 俺はいつの間にか乾いていた唇を舐め、ティアさんに耳打ちした。
「猫が喋りました」
 一瞬の沈黙の後、何だか鈍い音が辺りに響く。
「朝から馬鹿なこと言ってないで仕事しなさい」
 あまりの痛さにうずくまってしまった俺に、ティアさんはそっけ無く言った。
 しかし蹴りますか、脛を。
 ああ、確かに自分でも馬鹿だと思いますよ。鉄格子のついた病室に放り込まれた患者みたいなこと言ってますよ。
 でも事実なんです。少しくらい信じてくれてもいいじゃないですか。
 などとは間違っても口に出せない。俺は痛みににじんだ涙を拭いつつ「お願いですからちょっと来て下さい」とかなり情けない声で言った。
 そんな俺を哀れにでも思ったのか、ティアさんが小さく息を吐いて立ち上がる。
「ったく。そんなことだから新しい恋人の一人もできないのよ」
「全く関係ないうえに、きっぱりとお互い様では」
 俺の余計な一言にティアさんの瞳が嫌な光り方をする。
「死にたい?」
「いえ、それはちょっと」
 俺は本能的に視線をずらした。多分今のを人殺しの目と言うのだろう。
「とにかく裏口にいますから、お願いします」
 そう言って俺はティアさんの先に立ち、裏口に向った。
 俺が戻った時、子猫は箱の中にはいなかった。といっても行方不明になっていた訳ではない。箱のすぐそば、地面に置かれたミルク入りのコップを抱きしめて舌を伸ばしていた。一生懸命、という単語がこれほど似合う猫も珍しい。
 子猫は舌を出したまま上目遣いに俺を見つめた。黒い毛が口の周りだけミルクで白く染まっている。
「お帰り。あのさ、もう少し浅い入れ物に移してもらえないかな、これ」
 馴染みの客が酒場のマスターにでも言うような口調。俺は「でしょ?」とティアさんを見やった。だが俺の視線に何の反応も示さず、ティアさんはじっと子猫を見下ろしている。驚きに声もでないのかと思ったが、表情からしてどうもそうではないらしい。何か考えているような、そんな感じがする。
 ティアさんはその場にしゃがみ込むと、ミルクを自分の手のひらに注いで子猫の前に差し出した。それからふと思い出したように微笑む。
「どうぞ」
 子猫は一瞬戸惑いの目でもってティアさんの顔を見上げたが、すぐにミルクを舐め始めた。よほど腹が減っていたのか、かなりの勢いで舌を動かしている。二日酔いの治し方なんて人に教えてないで飢えているなら飢えていると言えばいいのに。せっかく喋れるんだから。見栄でもはったんだろうか。
「変な奴」
 外には漏らさないように口の中で呟く。まぁ、喋れるというだけで既に相当変ではあるのだが。しかし考え様によっては幸運だったかもしれない。喋れるということは即ち人間と対話ができるということであり、こいつがどこの誰かなんてことは本人から直接聞けばいいのである。
 見た目は子供でも喋り方からするにかなりしっかりしているようだし、泣き喚く子供より対応は楽そうだった。
 家がこの近くなら一人で帰ってもらえばいいし、遠ければこいつを抱えてひとっ走りすればいいだけの話。その程度なら他の仕事に支障をきたすこともないだろう。まさか街の外から来たなんてことはないだろうし。
「ありがと。ごちそうさま」
 やがてコップ一杯のミルクを飲み干した子猫は澄んだ空色の瞳でティアさんを見上げ、ぱたぱたと尻尾を振った。ティアさんは何も言わずに微笑む。人間に対してもそれだけ愛想が良ければ今ごろ貴族の奥様にでもなっていたかもしれないのに。余談だがティアさんは人にほとんど笑顔を見せない。理由は分からないがとにかく笑わない。
 そんなわけで課内では「美人だけど可愛げがなくて冷たい女性」として通っていた。
 ただ運がいいと今みたいに人間以外のものに向って微笑んでいるティアさんを見ることができる。はっきり言って確率はかなり低い。だいたい晴れ雨に遭遇するのと同じくらいだ。
 実は前に一度俺はティアさんに「何で笑わないんですか? 人間不信にでも陥ってるんですか?」と訊いてみた事がある。ティアさんは書類の束で俺の頭をはたいてから「笑いの感覚が違うだけ。あなたと私のね」と実につまらなそうに答えてくれた。
 それ以来この話題には触れていないが、よく考えたら殆ど笑わないというだけで、別に後輩をいじめるとか仕事も出来ないのに威張り散らすとか、そういう問題を抱えた人ではないので俺も気にしないことにした。
 さて、それはともかく。
「あなた、使い魔ね」
 両手で子猫を抱えあげたティアさんの口からいきなり発せられた聞きなれない単語に、俺の口は「どこから来たんだ、お前」の「ど」を形作ったまま固まってしまった。
 聞き慣れない単語とはもちろん「あなた」ではなく「使い魔」の方である。
といってもその意味すら知らないわけではない。ただきっちり説明すると長くなるので、魔法を使う人間に使役する事を目的として特別な方を用い、人並みの知能を与えられた生物、という魔法学のテキストからの引用に留めておく。
 要するに魔法使いの使いっぱしりだ。
 ただし、その使い魔が合法的に存在できたのも今から百年ほど前までの話。いつの時代にも悪い奴はいるもので、使い魔を悪事に利用する者が出始めた。そりゃ家の周りを猫がうろついていたら世の奥様方は晩御飯のおかずになる魚の心配くらいはするけど、へそくりを貯めて旦那には内緒で買った指輪の心配まではしないだろう。そこに目を着けた奴がいた。
 そんなわけで使い魔による窃盗が爆発的に増えたのだ。そもそも使い魔ってのは卒業試験(向上心旺盛な魔法使いは入学試験とも言うが)みたいなもので、魔法使いは使い魔を持てて初めて一人前とみなされるわけだ。ただそれが金になるものだから盗賊や闇ギルドに使い魔を売る魔法使いが出始めた。需要があるから供給されているのか、供給が需要を生み出しているのかは知らないが、とにかくその当時、禁令が出るまでかなりの数の使い魔が取引されたらしい。
 そして実は今でも使い魔の闇取引は行われている。年に何度かは使い魔を使ったとしか思えないような窃盗や殺人がおこるし、悪質な魔法使いも捕縛されている。一度吸った甘い汁はなかなか忘れられないようだ。
 さて、となるとティアさんに抱えられているこいつは存在自体が不法ということになる。といっても別にこいつが悪いわけではないが。
 ちなみにティアさんがこいつのことをすぐ使い魔だと分かったのは、彼女が魔法使いだからだろう。ならば猫が喋る可能性があるということは分かっていたはず。それでも尚俺を蹴る。ティアさんとはそういう女性だ。
「あなた、主人は誰」
 子猫に訊くティアさんの声に少しだけ冷たいものが混じる。魔法に関してはかなり真面目なティアさんのこと、禁を破って使い魔を作り出した魔法使いに少なからず怒りを覚えているようだ。抱えている子猫をどうこうするつもりはないだろうが、主人の方には何らかの警告と書いてヤキ入れと読む行為がなされるだろう。
 死人が出なければいいが。
 子猫はティアさんの顔を見たまま黙っている。初めは主人をかばっているのかと思ったが、そうではなかった。
「分からないんだ。まったくもって困ったことに」
 どう見ても顔は困ってなかった。いや、それ以前に猫は困った時に困った顔をしただろうか。
「何だよその、分からないってのは。記憶を道にでも落したのか?」
「そうみたい。紛失届はここでいいんだよね」
 そう言ってティアさんに抱えられている子猫はぱたぱたと尻尾を振った。俺とティアさんは顔を見合わせてとりあえず肩などすくめる。
「冗談はともかく本当に分からないんだ。気が付いたら道のまん中にいて、女の子に拾われてた」
 今度はやや深刻そうな声。俺は人さし指でこめかみを掻き、ティアさんは首を少し傾けた。
「本当に主人のこと覚えてないの?」
「うん。何一つ」
 抱えていた子猫を胸に抱き直し、小さく息を吐くティアさん。
「あの、使い魔の記憶喪失って珍しいんですか?」
「記憶喪失自体はありえないことではないわね。実際にそういう記録も幾つかあるし。でも主人のことまで忘れてしまった使い魔に会ったのは初めて」
 喉を撫でるティアさんの指に子猫が気持ちよさそうに目を細める。
「でも記憶喪失なんだから主人のこと忘れてても不思議じゃないんじゃ」
「人間ならね。だけど使い魔はそうじゃない。自分の名を忘れても主人のことは忘れない。そういうものなの」
 正直言ってよく分からなかった。そんな俺の顔に浮かんだ疑問符が見えたらしく、ティアさんが付け加える。
「魔法使いはね、使い魔をそういう風に作るの」
 やっぱりよく分からない。
 二度目の疑問符に一つ息をしてからティアさんがさらに付け加える。
「使い魔を作る時に何より重要なのは主人へ絶対服従させること。主人に死ねと言われれば死ぬ存在。だから」
 そこまで言われてやっと分かった。
「何があっても主人のことだけは忘れない、いや忘れさせない」
「そういうこと」
 できの悪い生徒を前にした先生みたいな口調で言って、ティアさんはうなずいた。
「しかしこいつ、そんなに稀なケースならちゃんとした研究室とかに任せた方がいいんじゃないですか?」
「それはだめ」
 俺の提案にティアさんが珍しく厳しい口調で反対する。
「その、実験とか研究とかされたらかわいそうじゃない」
 少しだけ視線をずらして言うティアさんに、俺はわざとらしくため息をついた。
「百分の一でいいから、その優しさを後輩に向けてくれると嬉しいんですけど」
「もったいないから嫌」
 正直、優しくしてくれと言ってもったいないと即答されたのは初めてだった。
「とにかくこの子に街を見せてやって何か思い出すのを待つしかないわね。どうせあなた今日は外回りでしょ」
 そう言ってティアさんは抱いていた子猫を俺の左肩に乗せた。柔らかい毛が耳に触れてくすぐったい。
「連れて行くんですか、こいつ」
「そっ、連れて行くの。私は昼休みに図書館にでも行ってみるから。何か質問異論反論は?」
 俺は肩に乗っている子猫と顔を見合わせてから「ありません」と答えた。魔法使いの素質が欠片もなかった俺には魔法や使い魔に関する知識はほとんどない。俺が足を使いティアさんが頭を使う。そうなるのは当然だろう。
「じゃ、お願いね」
 言って子猫の頭を撫でると、ティアさんは俺たちに背を向けて建物の方に戻っていった。
 と、ティアさんの姿が見えなくなる直前、子猫が口を開く。
「ごめん。なんか面倒なこと持ち込んじゃって」
 小さな、しゅんとした声に振り返ったティアさんは微笑み、俺は子猫の体を軽く叩いた。
「気にすんなって。これが俺たちの仕事なんだから」
 そうでしょ? と目配せした俺にティアさんは微笑んだまま小さく手を振る。
「まっ、そういうことだ」
「うん。ありがと」
 礼を言う子猫と、その耳に当たる毛のくすぐったさに頬が緩んだ。
 さて、落した記憶を拾いに行くとしますか。

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