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妹と弟とシグ・ザウエルP226 



 3

 運動場で遊ぶ子供たちの元気な声を聞いていると頬が緩んでしまう。
 どの子もゼンマイ仕掛けのおもちゃがとてとて歩いたり走ったりしているようにしか見えないのだ。
 会社から戻ってきた俺は少し離れた所に車を置いて幼稚園を見ていた。
 先生を説得するといってもいきなり幼稚園に乗り込むわけにもいかない。
 お弁当の時間が終われば昼休みだし、少しくらいは時間が取れるだろう。
 とりあえず挨拶だけだし、それほど時間はかからないはずだ。
 腕時計を見れば十時半過ぎ。もうしばらく待たなきゃならない。
 俺は開けてあった窓から顔を出して運動場を見渡した。どうしても優奈と優希の姿を探してしまう。
 が、二人を見つける事はできなかった。
 教室の中で遊んでるんだろうか。怪我とかしてなきゃいいけど。
 優奈と優希には俺の携帯電話の番号を完璧に暗記させて、何かあったらすぐここに電話する、
 もしくは電話してもらうようにと教え込んである。
 連絡がないというとは優奈も優希も普段と変わりないんだろう。
 でもなぁ、どうしても連絡できない状況に陥っている可能性だってないわけじゃない。
 うーん、ちらっとでも姿を見せてくれれば安心できるんだが。
 そんなことを考えながら運動場を見渡していると、いた。
 初めに数人の男の子が教室から跳び出してくる。それを追っかけて出てきたのが優奈だった。
 優奈はあっという間に一人の男の子に追いつくと、腕をつかんで教室の方へ引きずっていった。
 抵抗する男の子をものともしない。
 一体何をやっているんだろうか、我が妹は。
 その歳で男を捕まえる訓練か? だとすると兄は少し悲しいぞ。
 と、今度は先生の手を引いた優希が教室から出てきた。
 優希は優希なりに鋭い目で辺りを見回すと、タイル張りの水飲み場の陰に先生と隠れてしまう。
 といっても教室から見て陰なのであって、俺には二人の様子がよく見えた。
 一体何をやっているんだろうか、我が弟は。その歳で女を物陰に連れ込む訓練か? 
 だとすると兄はやっぱり悲しいぞ。
 まぁ実際は鬼ごっこ……助け鬼でもしてるんだろうけど。何はともあれ二人の姿を見られて安心した。
 今日も優奈と優希は元気みたいだ。
 ただその元気な優希の横にいる先生まで元気そうなのが気になる。
 先生は優希と顔が合うたびに笑いかけ、優希をどぎまぎさせているようだった。
 優希のリアクションも分かる。あんな優しい笑顔を向けられれば男なら誰だってああなるだろう。
 しかし、なぜ笑えるんだろうか。
 父親の死から一年、その間にかなりの追い込みをかけられ、先生の精神は極限まで磨り減っているはずだ。
 それでも先生は笑っている。
 俺はシートに背を預け、ホーンボタンをぼんやりと見つめた。
 もしかしたら先生は意外と強いのかもしれない。
 本当に気が弱い女性なら今ごろは債権者の言うまま身体を売っているだろう。
 それを一年も幼稚園の先生を続けているのだ。
 一緒に頑張りましょう、と言えば意外と素直に肯いてくれるかもしれない。
 とにかく顔を合わせて言葉を交わすことだ。こんな時の時間は実に遅く流れる。
 幼稚園の屋根についている大きな時計を見てもまだ十一時前だ。
 屋根によじ登って時計の針を十二時半くらいまで回したい衝動にかられてしまう。
 結局俺は昼休みまでの時間を先生を見たり優奈と優希を見たり優奈と優希を見たり缶コーヒーを飲んだり先生を見たり優奈と優希を見たり明日の誕生パーティーの献立を考えたりして潰した。
 ここまでトラブルらしいトラブルはない。
 腕時計を見れば針は一時十分を指していた。
 えーっと、お弁当の時間が一時までで昼休みが二時までだから、そろそろいいだろう。
 お昼休みとはいっても小学校や中学校と違って幼稚園の先生は子供たちから目を離せないから、ちゃちゃっとやってしまおう。
 俺はグローブボックスの書類を鞄に入れ、ドアノブに手をかけた。
「あん?」
 その時、門の前に横付けされた場違いな一台の車に我ながら妙な声を出してしまう。
 フルスモークのベンツS600。絵に描いたようなその筋の人間仕様だった。
 中から出てきたのも絵に描いたようなその筋の人間だ。
 趣味の悪いシャツの上にスーツを着たのが二人。ジャージを着ているのが一人。
 遠目に見ても上下関係が一発で分かる。
 ジャージの男が携帯電話取り出し、どこかへかけた。それを頭を下げながら白スーツの男に渡す。
 白スーツの男は下卑た笑みを浮べながら三十秒ほど話すと、ジャージの男に携帯電話を投げて返した。
 ややあって、男たちの前に現れたのは幼稚園から出てきたはるか先生だった。
 先生は辺りを見回した後で、男たちに向かって頭を下げた。今は先生も笑ってはいない。
 むしろ明らかに怯えていた。顔を伏せ、ただ肯いたり頭を下げたりするのみだ。
 白スーツの男が先生の肩に手を回す。先生はうつむいたままで、抵抗しなかった。
 男たちが先生を連れて移動を始める。
 当然このままぼけっと見送るつもりは無い。
 俺は鞄を手に車を降りると、先生を追った。あのチンピラ共は十中八苦金貸しだろう。
 しかしこのご時世、職場まで取り立てに来るとは根性があるのか、はたまた唯の馬鹿なのか。
 先生を追って辿り着いたのは、幼稚園のすぐ傍にある小さな公園だった。
 食事を終えたお母さん達が子供を連れて集まってくるにはまだ時間が早い。
 そのせいか公園に俺達以外の人間はいなかった。
 男たちは先生を小さな公園のさらに奥、通りからは見えない位置に連れ込むと、半円状に取り囲んだ。
 先生の背後には緑色のフェンス。逃げ場はない。
 俺は傍の茂みに身を隠す、と同時に鞄からテープレコーダーとカメラを取り出した。
 レコーダーの録音ボタンを押し、カメラを構える。
 シャッターを切りながら、交わされる会話に耳を傾ける。
「それで、いつになったら返してもらえるのかな、先生」
「もう少しだけ待って下さい。すぐにお返ししますから」
 先生の声は震え、今にも泣き出してしまいそうだ。
「この前も、そう言ってたよなぁ」
「本当です。一週間のうちに必ずお返しします。だから、もう少しだけ」
 涙目になって頭を下げる先生に、三人の男たちがにやにやと笑う。
 どこか遠くで犬が鳴いた。
「ざけんなコラァ!」
 いきなり声を荒上げた白スーツの男がフェンスを蹴りつけ、先生の髪を引っ張る。
 んく、と呻き声を上げた先生を無理やり引き寄せ、男はさらに声を張り上げた。
「慈善事業じゃねぇんだよ! 金が無きゃ体売ってでも作れやボケ!」 
 歯を食いしばりながらシャッターを切る。葉のこすれる音がやけに耳についた。それ以上に男の声に腹が立つ。
 男が女の子囲んで声張り上げてんじゃねぇよ、馬鹿野郎が。
「いい風呂屋があるんだ。紹介してやろうか? 先生なら月百はいけるぜ」
 もう一人の、グレーのスーツを着た男が先生を見ながらいやらしく笑う。
 先生の目からとうとう涙がこぼれた。
「本当に、一週間で払います。許して……お願い……許して、ください」
「一週間? ダメだね。俺は今すぐ欲しい」
「そんな……」
「先生の一大事なんだ。保護者にいやぁカンパくらいしてくれんじゃないのか。何なら俺が手伝ってやろうか」
 白スーツの言葉に涙に濡れた先生の顔が跳ね上がる。
「お願いします! それだけは許してください」
「おいおい。あれも許してくださいこれも許してくださいじゃ話にならねぇよ、先生。まっ、だが」
 そこで白スーツは言葉を切ると先生の体を反転させ、後から抱いた。
「先生の気持ち一つで許してやらないこともないけどな」
 無骨な手に胸をつかまれ、先生の細い肩が大きく震える。
 だが、それだけだ。あとはただ全てを諦めたようにうつむき、声も出さずに涙をこぼすだけだった。
 そんな先生の姿をデジカメに納め、俺は大きく長く息を吐き出した。
「見張ってろ。後で回してやるから」
 白スーツに言われ、ジャージの男がこちらに向かって歩いてくる。
 これから起こる事に期待するにやけた笑みが俺の神経を逆なでした。
 とりあえず貴様は殴る。
 ジャージが茂みの前で立ち止まったと同時に俺は立ち上がった。
 面食らったジャージの動きが一瞬止まる。
「ナンだテメェはコ」
 喚こうとしたジャージのみぞおちに無言で拳を叩き込む。
 崩れ落ち、胸を押さえてのたうつ男の頭に蹴りを入れ、黙らせた。
 いきなり割って入った俺に一瞬の戸惑いは見せたものの、残りの二人はすぐに殺気立ち、喧嘩をする態勢に入ったようだ。
 この辺の切り替えはさすが本職、といったところだろう。
 俺は先生の腕をつかむと、半ば無理やり白スーツから引き剥がした。
 口を開こうとした先生を制し、自分の後ろに立たせる。
 意味も無く(本人にとってはあったのかもしれないが)首を左右に二度ひねると、白スーツは人を見下すような薄ら笑いを浮べた。
「怪我したくなかったら今のうちに土下座しとけ、兄ちゃん」
「あんたら、金貸しだろ」
「ナメてんのかコラァ!」
 声を上げていきなり殴りかかってきたグレースーツの顔面にカウンターで一発。
 あぁ、こりゃ折れたな。
 大量の鼻血を流しながら地面で痙攣する男を一瞥する。
 俺の腕を握る先生の手に力がこもった。
「てめぇ、自分が何したかわかっ」
「そんな事はどうでもいい。で、あんたは金貸しなんだよな」
 沈黙。
「そ、それがどうかしたのか」 
 全く態度を変えない俺に白スーツが多少気圧され始める。
 俺は深く息を吸い、
「あんたのやってることは貸金業の規制等に関する法律の第二十一条に違反しているので訴えられたくなかったら今すぐ帰れ」
 一息で言った。
 白スーツの表情が僅かに強張る。さすがに法律を知らないほど抜けているわけではないらしい。
 貸金業の規制等に関する法律によって債権者を脅すような取立ては禁止されている。
 裁判になればまず間違いなくこちらが勝つだろう。
「証拠が、あんのか」
 まったくもって往生際が悪い。
 俺はテープレコーダーとカメラを無言で両手にぶら下げて見せた。
 そして笑う。
 白スーツの喉の奥から短い呻き声が漏れた。
「どこの法律屋だ、テメェ」
「いや、見ての通りバッジもない。はるか先生にお世話になってる善良な一般市民だよ」
 ポケットにテープレコーダーとカメラをしまいながら言う俺に、白スーツの態度が一変した。
 どうやら俺をただの正義漢だと判断したらしい。
 とたんに先程まで先生を脅していたヤクザ者に戻ってしまう。
 白スーツはこちらに歩み寄ると、上から俺を睨みつけた。
「かじっただけの法律振り回して喧嘩売ってっと怪我じゃすまねぇぞ」
 言いながらズボンに差されているドスを見せ付けてくる。
 背後で先生が短く声を上げた。なるほど、そうくるか。ふーん。
 お返しにスーツの襟を持ち上げ、懐に吊ったP226を晒してやる。
「怪我じゃすまないのはどっちだろうな」
 白スーツの目が僅かに大きくなる。だがすぐに唇の端を吊り上げると、さらに顔を寄せて来た。
「デキがいいじゃねか。どこのおもちゃ屋で買ったんだ」
 白スーツの台詞に、俺も唇の端を吊り上げて笑う。
「試してみるかい。銀玉か鉛弾か」
 公園を吹く風が辺りの木々を揺らした。竿竹を売る音質の悪い声が聞こえてくる。
 一秒、二秒、三秒、四秒、沈黙。
 竿やー、竿竹ぇー。硬くてじょうぶな竿だ……
 白スーツの手がドスに触れる。
 次の瞬間、P226の銃口がその手を抑えていた。
 数秒の硬直と沈黙の後、笑う。
「試してみるかい。銀玉か鉛弾か」
 俺にも聞こえるほど大きく歯軋りして、白スーツは唾を吐き捨てた。
「ヤクザにハジキ向けて無事でいられると思うなよ、兄ちゃん」
「だったら、俺も一つ忠告しとこう」
 P226を白スーツの額に突きつける。
「死にたくなかったらプロに喧嘩は売らないことだ」
 俺は何の迷いも無くトリガーを引いた。一発の銃声と共に白スーツの体が崩れ落ちる。
「うそ。殺し、ころ」
「ああ、大丈夫です。空砲ですから。気絶しただけですよ」
 顔から血の気を引かせ、喘ぐ先生に向かって俺は微笑んだ。
「くう、ほう」
「ええ。音がするだけで弾は出ません」
 そう言った瞬間先生が腰からくだけた。たぶん気が抜けたんだろう。
 その場に座り込みそうになった先生の体を支え、俺は公園中央のベンチまで連れて行った。
 先生の体は可哀相なくらい震えている。
「ちょっと待ってて下さい」
 言い残し、自動販売機まで走った。買ってきたオレンジジュースを先生の震える手に持たせる。
 焦点の合わないような目で俺を見上げる先生に「給料日前だけどおごりますよ」とつまらない冗談を言ってみた。
 真面目な先生がそれを真に受けて深々と頭を下げる。
 先生は缶を開けようとプルトップに指先を引っ掛けるが、震える手では開けられないようだ。
 指がすべりその度に爪が当たって鳴った。
 先生の隣に座った俺は細い指の上から缶を持ち、プルトップを引き上げる。
 再び俺に頭を下げた先生は缶を口に近づけると一気にあおった。
 細く白い喉が鳴り、大量の液体がそこを通過している事が外からも分かる。
 やがて先生は上に向けていた頭を下に向け、長く、長く息を吐いた。
「少し落ち着きました?」
 俺の問いかけに小さく「はい」と答えてくれる。体の震えも収まっているようだ。
 先生は両手で包むように缶を持つと、まだ少し潤んだ目で見つめてきた。
 照れくささから反射的に目をそらしてしまいそうになるが、そんなラブコメごっこをしてる場合じゃない。
 俺は仕事で来たんだから。
「あの、本当にありがとうございました。でも、どうしてお兄さんがここに」
「その事で話があります」
 何から話せばいいのか。迷った挙句、俺は鞄から今朝受け取った二枚の資料を取り出して先生に見せた。
 先生は一度俺の顔を見てから資料に目を落す。
 一枚目、二枚目、の最後までいったところで黒い瞳が再び俺に向けられた。
「これは」
「会社から渡された先生の資料です」
 資料を鞄にしまいながら言う。
「私の、ですか」
「先生の依頼は受理されました」
 少しの間の後で、先生は気付いたようだった。薄く口紅が引かれた唇が僅かに開く。
「殺しに、来ました」
 俺の一言に、やはり少しの間を置いて先生は唇を引き結ぶとうつむいてしまった。
 柔らかい黒髪がはらりと揺れる。
「そうですか。お兄さんが」
 そう言ったっきり先生は黙ってしまった。ただじっと手の中の缶を見つめている。
「驚かないんですね」
「何だか疲れて、実感できなくて」
 そう言った声は弱く、細かった。
「まっ、嘘なんですけど」
「え?」
 先生の顔が勢いよく上がった。訳が分からない、という表情も実にいい。
 俺は緊張の糸を切るために大きく息を吐くと、笑って見せた。
「本当は説得しに来たんです。殺さずにすむのなら殺さないのがウチの方針ですから」
 少し顔を傾けて先生の顔を見つめる。だが俺の笑顔に反して先生の表情は春に似合わない曇り空だ。
 園内で子供たちに向けられていた笑顔はここにはない。
「でも、もう私は」
「その先は幼稚園が終わってから伺います。とりあえず今は挨拶だけ、時間もあまりないですし」
 俺は右腕の時計を先生に向けてみせた。すでに一時五十分をまわっている。
 ちゃっちゃと済ますつもりがあいつらのせいで余計な時間を食ってしまった。
「そろそろ戻った方がいいんじゃないですか」
 俺の言葉に小さく頷いて先生が立ち上がる。
 少しふらついてるような気がするが、大丈夫だろうか。
「缶、捨てておきます」
「すみません、ご馳走様でした。お給料日前なのに」
 空き缶を受け取る俺に先生が本気ですまなさそうな顔をする。
「いや、そこまで貧しくないですから」
 というか本気で頭下げられてもこっちが困る。
 この性格じゃ相続する必要の無い債務、相続しちゃうよなぁ。
 先生は失礼しますと頭を下げると、こちらに背を向けた。が、数歩行ったところで振り返る。
「あの、嬉しかったです、助けてもらって。ありがとうございました」
 そう言って、やっと微かに笑ってくれた。
「午後からは俺が見てます」
 少し大きな声で言う。
 手を前で重ね、もう一度頭を下げた先生は幼稚園に戻っていった。
 やっぱり殺せないよな、絶対に。あんなに優しくて真面目な人は死んじゃいけない。
 先生の後姿を見送りながら思う。
 ゴミ箱に向かって放り投げた空き缶は一度縁に当たって中に落ちた。
 先生は死んじゃいけない。
 空を見上げ、日の光を顔に浴びながら俺は胸の奥で呟いた。

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