妹と弟とシグ・ザウエルP226 2nd
─拳をどうぞ、お嬢さま─

ライン

その7

 自分はひどく場違いな格好をしている。それだけはよく分かった。けばけばしい電飾の中を仕事帰りのサラリーマンや夜遊びに繰り出した若者たちが行き来する繁華街。足元に落ちているタバコの吸殻を何となく見下ろし、口元を結ぶ。場違いな格好とは別にスーツのことではなく、
「ネギとかすごいウケるんだけど」
 派手なメイクをしたミニスカートの女の子が無遠慮な声をあげる。そのまま悪びれる様子もなく彼女は一緒に歩いていた同系統の友人と人ごみの中に消えていった。
 よく見れば繁華街を行くほとんどの人間が俺の買い物袋とそこから顔を出しているネギを見て、何らかのリアクションをとっていく。
 ったく。子供のころ親に教えられたろうに。こういう人をまっすぐ見ちゃいけませんって。
 心の中で三秒ほど沈黙。
 何かが非常に納得いかなかったがとりあえず俺は欲望にまみれた繁華街に対する反骨精神の発露の一環として「ネギとかすごいオイシイんだけど」とつぶやいてから雑踏の中を歩き出した。
 目的の住所までは徒歩で十分ほど。パーソナルスペースに侵入される居心地の悪さを感じながら歩を進める。しかしなぜこの辺りの人は真正面からぶつかるように歩いてくるのだろうか。お互いに半歩ずつ避ければいいものを、なぜか少しでも譲ったら負けだと言わんばかりに突進してくる。おかげで俺はメトロノームの様に右に揺れ左に揺れしなければならなかった。
 そんなわけでいささか不機嫌な表情で繁華街を行くことしばし。本通りからいくつか奥に入った路地裏の、とある建物の前で俺は立ち止まった。少しばかり遠くから聞こえてくる喧噪を後頭部で聞きながら視線を上に持っていく。
 Beat Freak.
 黄色いネオン管を用い、筆記体で記されたそれが最後のピリオドまで含めて店名らしい。視線を店の入り口に戻すとやけにだぶだぶの服を着た数人の男たちが物凄い勢いでこちらを睨んでいた。ていうか全員がヒゲにボウズなので妙に怖い。しばらくいたことがあるアメリカのダウンタウンをふと思い出した。アジア人だからという理由でやたら絡まれ、どつきあった次の日には道で会うと「調子はどうだブラザー。クスリいるか?」とか言ってくる良くも悪くも愉快な街だった。
 そんな思い出に浸りつつ歩を進め、周囲の視線にもめげず入口のドアノブに手をかける。
 戸を引いて中に入った瞬間。
 うるさっ! まぶしっ! たばこくさっ!
 度を超えた音と光と紫煙の濁流に心が悲鳴を上げる。俺は眉間に皺を寄せて店内をぐるりと見回した。が、店を仕切ってるらしき人物の姿は見当たらなかった。大体一番いい席で女を左右にはべらせてたりするのだが。もしかしたら別にVIPルームでもあるのかもしれない。
 ま、訊いてみるか。
 俺は高音に引かれるように、低音に押されるようにしてバーカウンターに向って歩いて行った。途中何度も「なんだこいつ?」的な視線に刺されつつ何とか踊る若者たちの間を縫って何とかカウンターに辿り着く。というか世間的に見れば俺も十分「若者」の一部なんだろうがどうにもこういうノリは苦手だ。シャロンならきっとこういう空気にもすぐなじめるのだろうが、優菜と優希の面倒を見る過程で染み付いてしまった家庭臭、古い言葉でいえばぬかみそ臭さがこういう空気と相容れないのだ。
 まぁ、二十五歳にしてここの音楽よりも地元商店街に響く魚屋さんのダミ声の方が落ち着くなんてのは色んな意味で末期のような気がしないでもないが。
「兄さん、注文は?」
 不意に視界を肉の壁が塞いだ。驚いて視線を上に持っていけば頭に赤いバンダナを巻いた力士のような大男が俺を見下ろしている。何かのマークが彫られた二の腕には脂肪がついていたが、その下に恐ろしいほどの筋肉が存在していることはすぐに見て取れた。まぁ、殴り合いの喧嘩だけはすまいと、そう思わせるような体形だ。往年の名横綱、千代ノ富士がこんな体をしていたと思う。(母親が彼のファンで子供の頃よく取組のビデオを見せられた)
「いや、飲みに来たんじゃないんだ。ここの店長かオーナーに聞きたい事があるんだけど取り次いでもらえないかい?」
 大男はしばし俺の顔を見降ろした後でカウンターの蔭からウォッカとオレンジジュースを取り出した。それを慣れた手つきでシェーカーに注ぐ。小気味いい音をさせながら振られるシェーカーを見ながら待つことしばし。俺の前に差し出されたのは一杯のスクリュードライバーだった。
 何かの符丁だろうか。だとすれば少しばかり下調べ不足だった。
 大男の顔を見上げてみてもさしたる反応はない。むしろこっちの反応を待っているようだった。
 スクリュードライバーにひっかけて、俺がこの大男をパイルドライバーでKOすれば「ふははははは! よくぞ我が配下に勝利した。しかし次はこの私だっ!」とか言ってマスクド店長が現われるなんて趣向じゃないよな……やっぱり。
 俺は一つため息をついて、仕方なく手を伸ばした。と、指先がグラスに触れる直前、
「すみません。これは私のなんです」
 涼しげな声と共に伸びてきた指が俺の前からグラスを奪い去っていった。
 視線をやる。歳は二十代後半から三十代前半。高そうなスーツに身を包んだホスト風の優男がこちらを見て微笑していた。
「店長の雑賀(さいが)です」
「あぁ、ええと、私立清真進高等学校で教師をしてます、宮下といいます」
 自己紹介して会釈する。
「先生……ですか」
 言いよどむ雑賀の視線の先にはカウンターに置かれた俺の買い物袋があった。当然ネギは半分顔を出している。
「あれは個人的な買い物なんで触れないでもらえるとありがたいです。まぁ、それでも触れるというのならネギの歴史から効用、そして三分でできる主婦大助かりのネギ料理まで三時間にわたって語りますが」
「そ、それは残念ですが別の機会に」
 うろたえる雑賀に対してつい笑みを浮かべてしまう。ネギ話三時間程度で動揺するとは。マンホールの蓋について十時間語る俺の友人を紹介したら発狂するに違いない。ちなみに俺は八時間半で発狂した。
「ちょっと聞きたい事があって来たんですが……しかしスクリュードライバーとは。口説かれるのかと思いました」
 苦笑する俺に雑賀は手にしたグラスを掲げて見せる。
「部下にも似合わないとよく言われます。これは飲ませるもので飲むものではない、ともね」
 笑う雑賀。と同時にいくつかの気配が店内を動く。どうやら歓迎会の準備があるらしい。
「奥に個室があります。お話はそこで」
 小さく頷いた雑賀がグラスを手に歩き出す。唇を結んだ俺は鞄と買い物袋を手にその後をついて行った。
 できれば穏便にいきたいものだけどな。

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