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妹と弟とシグ・ザウエルP226 2nd

─拳をどうぞ、お嬢さま─

ライン

その5

 チャイムが放課後の到来を告げ、俺は職員室に置かれた自分用の机の前で大きく伸びをした。はふ、と息を吐いて首をこきこきと鳴らす。慣れない環境ってのはやっぱり疲れる。これならジャングルでのサバイバルの方が気持ち的には楽かもしれない。未知の生物、という意味ではジャングルの虫も十代の子も俺にとっては大差なかった。
「お疲れ様です。初日から大変でしたね」
 掛けられた声に視線を持ち上げれば古田先生がいた。眼鏡の奥で目が申し訳なさそうに伏せられている。担当教員として責任を感じているのだろう。
「彼、結局お咎めはなしですか?」
 俺に問われた古田先生は小さく息を吐き、力のない声で答えた。
「ここでは教師より保護者の方が立場が上なんですよ」
 なるほどね。嫌な話だ。俺をナイフ片手に追い回した男子生徒にしても名を聞けば誰も知っている金融会社の社長と同じ名字だった。普通ならニュースになるような生徒の暴走もここではお戯れ程度ということか。俺の、別の意味で「先生」だった親父にナイフなんて向けてみろ。次の瞬間には実弾が飛んできてる。
 ……それはそれでどうかとも思うけど。
 まぁ、とにかく大変なのはこれからだ。俺は自分の鞄……そしてその中に入っているラムネの入った紙袋のことを思いつつ嘆息した。
 さし当たっては家に帰るまでの沙耶の護衛か。俺は鞄を手に取り、立ち上がった。
「すいません、お先に失礼します」
「あぁ、はい、お疲れ様でした」
 古田先生に向かって頭を下げて出口に向かう。普通教育実習だと放課後に担当教員と話し合ったり次の授業計画立てたりするんだろうけど俺の場合それは免除されていた。古田先生にしてみればおかしな教育実習生だろうがちゃんと会社から校長、校長から古田先生に話が通っているから大丈夫だろう。
 職員室から一歩、廊下に出ようとしたときだった。背後から古田先生の声がかかる。
「宮下君、最後までやめないで下さいね」
 振り返れば古田先生が力なく、それでもこちらを励ますように微笑んでいた。その笑顔を見ていると偽りの教育実習生として学校に入り込んだことが申し訳なくなってくる。俺は逡巡して、
「大丈夫。僕、割としぶといですから」
 に、っと笑って職員室をあとにした。
 後手に扉を閉めてから一つ息を吐く。俺は眉間に皺を寄せつつ廊下を歩き出した。頭を振って脳内のもやもやを追い出す。
 余計なことは考えるな。とにかく仕事だ仕事。


 職員用の玄関から外に出るとわずかに赤味がかった春の空が目に入った。昼間とも完全な夕方ともつかない微妙な時間。この放課後というやつは海外だろうが日本だろうが一緒。嬉しいとも寂しいともつかない不思議な感覚をもたらしてくれる。なんだろ、分かりやすく言えば「また明日」なのだろうか。
 終焉と開放、などとちょっとブンガク的に表現しつつ「ふっ」と笑ってみる。一応国語の教員だしな、俺。っと、顎に手を当てて絶滅危惧種の文学青年気取ってる場合ではなかった。
 手を振ってくる女子生徒に向かって「はい、さようなら」と返し、沙耶との待ち合わせ場所である駐車場に向かう。携帯で確認すればちゃんと沙耶はその場にいる。終業のチャイムと同時にダッシュで逃げられたらどうしようかと思ったが、そこまで子供でもないらしい。もっとも、駐車場に行ってみたら発信機だけそこに転がっていたという状況もなきにしもあらず、なのだが。
 そんなわけでやや速いペースで石畳を踏みしめる。いい子にしててくれよ、と心中でつぶやきつつ歩くことしばし。駐車場に辿り着いた俺の目に映ったのはそりゃあ見事な「高級外車展示ショー」だった。
 グラウンドと同じくらいの広さが有る駐車場には見事なまでに磨き上げられた高級外車が奥まで並び、夕暮れ前の春の陽を照り返している。口を半開きにしつつもざっと見渡してみたが、つい自分が上から下まで四万九千五百円のスーツを着ていることに居心地の悪さを感じてしまう。
 フェラーリ、ベンツ、ポルシェ、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、アストンマーチン……その他あれこれ。あぁ……ランボルギーニまでいやがるちくしょう。要するに、俺がゲームの中でしか運転したことがない車がそこにはずらりと並んでいたわけだ。
 大人が決して入ってはいけないと言う魔法の森。ほんの悪戯心からそこで迷ってしまった少年のような心持で駐車場を進む。右を見ても高級外車。左を見ても高級外車。いや、仕事柄そういうクラスの人たちとまったく付き合いがないわけじゃないが、それでもこれだけ並ぶと圧巻だ。
 まぁ、小市民の面目躍如といったところだろう。伊達に地下射撃場の隅で漬物を漬けている俺ではない。そんなわけで妙な疲労感を覚えつつ沙耶を探していると、駐車場の一角に生徒が集まっているのが見えた。何やら一台の車を遠巻きに取り囲んでいる。マクラーレンF1(価格日本円にして約1億円)でもいるのかと思ったがそうではない。そこにいたのは普通の国産スポーツカー。マツダのアンフィニィRX7だった。色は赤。
 国産最高峰のボディラインを持つセブン。この面子に囲まれてもなかなか頑張っている。が、ふと視線を移した瞬間、俺の目はセブンよりも頑張っている車の持ち主の姿を捉えてしまった。
 上下黒のタイトなスーツ。細めのサングラスをかけて赤いセブンの車体に体を預けているその白人女性の姿は恐ろしくさまになっていた。広告写真から切り取られたかのようなその光景につい足を止めてしまう。が、セブンのボンネットに置かれているのがコカ・コーラの瓶で女性が口にくわえているのが酢こんぶだと分かった瞬間、俺の口からは小さな呻き声が漏れていた。
 通りで「遠巻き」だったわけだ。俺だって知人でもなければこんな破壊的な味覚を持った謎の外国人に声などかけないだろう。そう……知人でもなければ。
「シャロン」
 生徒たちの輪の中に割って入り、その女性の名を呼ぶ。女性──要するに俺の相棒であるところのシャロン・オブライエンはくわえていた酢こんぶを口臭予防のミントペーパーのごとくスタイリッシュに口に入れ、かけていたサングラスを胸のポケットに引っ掛けた。
 周囲の生徒たちからざわめきと感嘆の声が上がる。黙って立っていればモデル並の美貌を有するシャロン。気持ちは分からないでもない。どうやら酢こんぶの分のマイナスは完全に取り戻したようだ。
「お勤めご苦労様、先生」
 冗談めかして言うシャロンに対して苦笑する。
「英国旅行は楽しかったか?」
「ええ。実り多き旅だったわ。どうでもいい事をいかに長くつまらなく話すかという命題について思索する時間を山ほど与えてもらえたから」
 そう言うシャロンは幾分疲れたような顔をしていた。英国出張中の時間のほとんどを本社のお偉いさん方の相手に費やさねばならなかったらしい。お疲れ様でした。
「あぁ、それとこれ、お土産ね」
 どこからともなくシャロンが菓子折りを取り出す。英国国旗柄の包装紙に包まれたその菓子折りにはくだけたフォントで "I have gone to London cookie" と書いてあった。
 ロンドンに行ってきましたクッキー。
「なぁ。もうちょっと何かなかったのか」
 半眼で呻く俺に向かってシャロンは心外だと言わんばかりに「あら」と声をあげる。
「知り合いの商業デザイナーと菓子職人にオーダーメイドで作ってもらったんだから結構お金かかってるのよ、それ」
「ちなみに幾らだ」
「日本円で三万円くらい」
「リアルに無駄遣いだな、おい」
「まさに大人の遊びって感じよね」
 違うだろ、それは。とは思ったが満足げなシャロンの手前それを口にするのは我慢した。一箱三万円のクッキーありがたく頂戴することとしよう。
「で、何でここに?」
 ここからは気を使いながら話さなければならない。俺にもシャロンに演じなければならない立場が設定されている。シャロンは微笑すると側にいるある女生徒に視線を向け、口を開いた。
「私の新しい生徒に挨拶しておこうと思って。空港から直行したの」
 シャロンが視線を向けた先には唇を引き結んで立っている沙耶がいた。まぁ、目が合った瞬間そっぽを向かれてしまったわけだが。
「悪いわね、家庭教師のくち紹介してしてもらって」
 なるほど、そういう設定ね。
「いや、河原の土手で食べられる草探してるお前の姿はさすがに不憫でな」
「ほんとね、こんなことならもっと早くあなたに抱かれるんだった。一晩涙を我慢すれば職に就けるんだから」
 周囲の生徒たちが一斉にざわめく。
「いやお前そういうカウンターは打っちゃだめだろ」
 呻く俺。
「何のことかしら。ちなみに今でもあの時見つめ続けてた天井のしみが夢に出てきたりするけどそれはどうでもいい話だと思うから行くわね」
「いや、おい」
 さっさと車に乗り込んでしまうシャロンに向って手を伸ばす。シャロンはそんな俺をあっさり無視するとサングラスをかけ、あくまでスタイリッシュに酢こんぶを口にくわえた。それから傍に立っている沙耶に向って視線を送る。沙耶は一瞬戸惑うような表情を見せたものの小さく息を吐いてセブンのナビシートに乗り込む。
 その直前沙耶が俺に向けた視線の冷たいことと言ったらもう。多分これを「心理的絶対零度」と言うのだろう。別に本で読んだわけではない。今俺が作った。
「じゃあね」
 シャロンが手を振る。と同時にセブンのアクセルがあおられ夕日を受けた赤い車体が俺から離れていく。やがて赤い車体は左ウインカーを明滅させながら俺の視界と学校の敷地から消えていった。
 通りに出たのだろう。聞こえてくる排気音が一気に甲高くなり、それはシフトアップのリズムを刻みながら尾を引き遠くなる。気がつけば――排気音よりも周囲にいる生徒たちのざわめき声の方が大きくなっていた。
 いたたまれないような、針のムシロに座らされているような雰囲気の中で俺はただ沈黙していた。許されるならスタングレネードを二、三個放り投げて逃げ出したい気分だった。中東でテロリストの相手でもしてる方がまだ気分的にはマシだ。
 今日の晩飯、あいつの分だけハンバーグ小さくしてやる。
 なんて小さ暗いことを考えていたら一人の男子生徒が神妙な顔つきで俺の前に歩み出てきた。
「先生、マジっすか」
 男子生徒の声は微かに震えている。何か、普通ではないものを見るようなその視線に俺は「いや、あの」と声を漏らして後ずさった。周囲を見回せばいつの間にかこの場にいる全ての生徒が俺を見ていた。何かこう、探るような視線で。
「マジなんすね?」
 男子生徒がさらに一歩歩み寄ってくる。その妙なプレッシャーに負けた俺は再び口ごもった。結局その間がロクでもない結果を生んでしまったわけだが。
「先生凄いっす! マジ凄いっす!」
 いきなり瞳を輝かせ、拳を握る男子生徒。
「いや、はい?」
「やっぱその、外人さんは違うっすか!?」
 ……そういうことか。ていうか手をわきわきさせるな。脳内で何を揉んでるんだ君は。
「いや、外国人だから特にどうとか」
「おおっ、その答え方が何か玄人っぽい!」
 さらに別の男子生徒が詰め寄ってくる。
 いや別に俺玄人じゃないし。まぁ、その、経験が全くないわけじゃないけども。でも海外にいたころの友人たちと比べたら圧倒的に少ないし。これでも真面目で控えめな青少年だったのだ。そのころから材料個人輸入して地下室で漬物漬けてたからな。薄暗くひんやりとした地下室で丹精込めて育てたぬか床をかき混ぜる。なんと幸せなことか。
 ……今になって冷静に考えてみたらヤな十代だな。
 ちなみに異臭騒ぎは六度起こした。異文化間のギャップとは時として争いの火種になる。悲しむべきことだ。
「に、にくあつ。にくあつとかはっ!」
 さらに別の男子生徒が発したその単語が脳内で「肉圧」に漢字変換されるまで三秒かかった。言わんとすることと気持ちは分かるがそういう単語を創作するのはどうかと思う。「肉圧」と書いて「プレッシャー」とルビを振るのだろう。多分。
「いやだから変わらないって。二の腕と胸の感触が同じなのもやっぱりそうだし」
 言った瞬間男子生徒達が一人の男子生徒に群がる。そして二の腕と胸を揉まれまくる斉藤君(太め) 名前は名札に書いてあった。
「おぉ、マジっぽい」
 感嘆の声をあげる男子生徒一同。いや、君らがそれで納得するんなら別にいいんだけど。
 それよりも君たちの視界の外で何となく互いの二の腕や胸を触り合ってる女子生徒の姿を目に焼き付けておいた方がおいしいんじゃないのか、若人。たったそれだけの事象があれば君たちは妄想の翼で世界の果てまで飛んで行けるはずだ。
 少なくとも十代の頃の俺はそうだった。
 にしても、
 周囲で騒いでいる生徒たちの姿を見ながら何となく口元を緩める。冷めてるだのドライだだの言いながらやっぱり日本にもちゃんといるわけだ。いい意味で頭の悪い十代が。そういう点で俺たちと変わらないということが分かって少しだけ安心した。
 まぁ、それが二十代になると悪い意味で頭が悪くなったりするから困りものなのだが。なんてことを思いつつ自嘲気味に苦笑する。
 ま、日本の未来は安泰ということか?
 耳には相変わらず騒ぎ続ける生徒たちの声。夕日に薄赤く染まった空を見上げ、とりあえず俺は今朝チラシで見た安売りスーパーを効率よく巡る為のルート検索を開始した。

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