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妹と弟とシグ・ザウエルP226 2nd
─拳をどうぞ、お嬢さま─

ライン

その4

 二時間目。宮下先生こと俺の授業は始業のチャイムと共にいきなり頓挫した。教室内を見渡し、眉間に皺を寄せる。どこかの狂科学者が透明人間になれる薬を大特価で売り出したわけでもなく、かつ、俺の眼球が腐ってないのであれば生徒の数が足りない。
 肩越しに振り向けば背後で担当教員の古田先生が渋い表情をしている。しかしその顔に驚きはなかった。どうやら半ば予想していたらしい。
 小さく息を吐いて顎に手をやる。俺はあくまでこの学校に教育実習に来ている振りをしているわけで、本当の目的は別にある。故にこのまま無言でいない生徒の机の上に趣味で集めてるフィギュア(世界の神秘シリーズ・深海魚編)を一個ずつ置いて、リュウグウノツカイやチョウチンアンコウ相手に夏目漱石の素晴らしさを語ってもいいのだが、その三分の一の中に沙耶が含まれているとなるとそういうわけにもいかない。
「探してきますね」
「ですが……」
 古田先生が口ごもる。教育実習なんだからこの手のトラブルには深入りせず、とりあえず授業をやりなさいということなんだろうけど、こっちは護衛対象の沙耶が視界から消えているわけで授業どころではないのである。
 俺は決意でも固めるように一度自分のつま先に視線を落とし、それから古田先生の顔を正面から見つめた。
「でも、やっぱりそういうのよくないと思うし。同じ校舎にいる以上、みんな同じ生徒ですよね?」
 それから自分の発言に照れたように微笑する。
「宮下君……」
「じゃ、そういうことで」
 言うや否や右手を、さっ、と挙げた宮下熱血先生もどきが廊下を叩き割る勢いで走り出す。美術部の生徒が描いたであろう「廊下を走るな!」というポスターをぶっちぎり、階段を駆け下りながら俺は上着のポケットから携帯を取り出した。
 携帯を開いて欲する画面を立ち上げる。そこに表示されているのは地図と光点が二つ。赤い方が沙耶で緑が俺だ。本人が知ったら激怒するだろうが沙耶の制服に発信機を付けさせてもらった。まぁ、画面を見れば沙耶も学校内にいるみたいだし、これだけ距離が近いとほとんど役に立たないだろうけど。ないよりマシといったところか。
 発信音と勘を頼りに校舎を抜ける。学生が授業をサボってるんだ、学校内にいても校舎内にいる可能性は低い。事前に渡された学校内の見取り図から推測するに裏庭か体育館裏、もしくはプール脇辺りだろう。
 俺は無人の校庭を突っ走り、とりあえず裏庭に向かった。昼食時には絶好のランチポイントになるであろうベンチ、芝生、木の上に人影は無い。ただそよ風が辺りを撫でるのみだ。大きく息を吸い込んでダッシュ。続いて体育館裏に来てみたがここにも我がクラスの生徒の姿は無い。体育館で授業をしている生徒たちの声が響くのみだ。自分の勘と運の悪さを呪いつつ俺が最後に向かったのがプール脇だった。電子音を発する携帯電話を閉じて気配を殺す。
 足を止めプールの陰から顔を覗かせると、更にその奥、更衣室の裏から声が聞こえた。この時期当然のように水泳の授業はない。と、いうことはだ。
「それを渡しなさい!」
 鋭く大きな声に近くの林から鳥が飛び立つ。どうやら大正解らしい。足音を消してさらに進み、更衣室の壁にへばり付く。しかし俺の聞いた沙耶の声には八割方ビックリマークが付いてるような気がするのだが。ハートとは言わないがいい加減語尾に何も付いてない普通の声を聞かせて欲しいものである。
 そこにいたのは四人。男女同数。一人は言わずと知れた沙耶で残りはうちのクラスの生徒だった。仕事柄人の名前と顔を覚えるのには自信がある。間違いない。
 四人の立ち位置を見るに形勢は三対一のようだ。当然沙耶が一なのだがその気迫というか迫力は三人に負けてはいない。まぁ、少々空回りしているような感じがしないでもないが。
 対する三人は非常に冷めた、めんどくさそうな表情で沙耶を見ている。これが今時の冷めた若者というやつなのだろう。何か新鮮だ。十代の頃俺の周りには基本的に人生のロクでもない方向に情熱を燃やすバカ──例えばコカ・コーラの王冠を集めてミッキーマウスとドナルドダックがまぐわっている巨大な壁画を作り法的にかなりアレなことになったアメリカ人とか(本人は著作権法に対する高尚にして勇敢な抗議であるとのたまっていた)──しかいなかったし。
「今ならまだ学校には黙っておきます」
 沙耶の台詞に俺は片眉を持ち上げた。どうもあまり穏やかな状況ではないらしい。目と耳に意識を集中させ情報の収集を開始する。もしかしたら沙耶の周りで起きている事象のヒントがつかめるかもしれない。
「学校には黙っておきます、だってさ」
 沙耶のセリフを繰り返し、男子生徒が鼻で笑う。
「さすが委員長さまは言うことが違うね」
「点数稼いでますって感じよね」
 男子生徒に女子生徒が続ける。唇を引き結ぶ沙耶。それは彼女が初めて見せた表情だった。泣くのを堪えているような。
「別に……私はそんなつもりじゃ」
「違うって」
 沙耶の声を遮って別の男子生徒が口を開く。
「自分が世界の中心だと思ってるんだって。朝倉のお嬢様だしな」
「そうそう。俺達なんて下々の者だからな」
「あぁ、お嬢様。どうかこの下賎なる虫けらにお慈悲を」
 芝居がかった女子生徒の台詞と振る舞いに沙耶以外の一同が大笑いする。沙耶はその様子を黙って見ている。握り締められた拳が微かに震えていた。
「で、こいつをどうするって?」
 笑いを収めた男子生徒が沙耶の前に紙袋をぶら下げて見せる。遠目で見る分には何の変哲も無い茶色の紙袋だ。小さな、駄菓子の詰め合わせが入ってるくらいのやつ。
「私が預かります」
 そう言った沙耶の声は先ほどよりも小さかった。それでも目だけはしっかりと紙袋を手にした男子生徒を見据えている。
「なんで?」
「私なら……処理できます」
 言った後に沙耶が下唇を噛む。自分で自分の言ったことが気に入らない、とでも言うように。沙耶の言葉を受けて男子生徒が紙袋の口を開き、傾けた。男子生徒の手のひらに数粒の白い錠剤が転がり落ちる。目を凝らしてみたがここからではそれが何であるかまでは判別できなかった。
「処理する? これを? なんで?」
 言って男子生徒が白い錠剤を口に放り込む。あ、と声をあげた沙耶の前で男子生徒の喉が鳴った。
「ただのラムネなのに?」
 何がおかしいのかそこで沙耶以外の生徒が爆笑する。
「ほら、喰ってみろよ」
 男子生徒が沙耶に白い錠剤を手渡した。沙耶は眉間に皺を寄せ、しばらくその錠剤を見つめていたが結局投げ捨ててしまう。
「そのラムネ、随分と高額で売買されてるみたいですね」
 生徒たちの笑い声を押さえ込むように沙耶が低い声で言う。なるほど。彼女は学校内でのドラッグの売買を疑っているわけか。それが事実なら確かに困った事態ではあるが……。
「はぁ? 知らねーよ」
 男子生徒がめんどくさそうに唇を歪めた。
「携帯電話に入ってる動画、見せましょうか」
 証拠は押さえてある、ということか。さすがに抜け目ない。見事な学園探偵ぶりだ。しかしなぜ沙耶が、という気がしないでもなかった。
 生徒たちから笑みが消える。誰ともなく上がった舌打ちを合図にするように彼らは沙耶を取り囲んだ。沙耶の表情がこわばる。
「ねぇ、こいつ本気でうざくない?」
 女子生徒のセリフを残りの生徒が沈黙で肯定する。それは沙耶にも伝わったようで、彼女の瞼がわずかに伏せられた。それは後悔の表情だったのかもしれない。
「俺らのこと信じねーし」
「あんたさ、わたしらのこと上から見てるよね」
 女子生徒が沙耶の肩を押す。
「朝倉、ってそんなに偉いわけ?」
「そんな……」
「当たり前だろ。天下の朝倉様だぞ。こいつから見たら俺らなんかゴミだって」
 男子生徒が沙耶の声を遮る。ここまでくると正直たちが悪い。卑屈さを逆手に取った嫌がらせだ。ただ気になることがある。先ほど白い錠剤を飲み込んだ男子生徒の様子に変化がない。多少テンションは上がっているようだが俺が過去に見てきたジャンキー達とは重ならない。ということはやはりあれはただのラムネなのだろうか……まぁ、どちらにしろどちらかが手を出す前に出て行った方がいいだろう。
 俺は一つ深呼吸し、
「授業をさぼるごはいねーがー」
 と、秋田県は男鹿半島に伝わる国指定重要無形民族文化財っぽく沙耶たちの前に姿を現す。
 当然のようにすべったけど。
 冷め切った八つの視線がこちらに向けられる。こんな視線、タクラマカン砂漠で最後の飲料水が入った水筒をひっくり返した時以来のことだ。嫌なこと思い出させやがって。
「お前には自らの血を水分として提供する義務がある」
 とサバイバルナイフ片手の仕事仲間にマジ顔で言われたときにはちょっと泣きそうになった。
 とにかくまぁ、そんなトラウマをほじくり返されたりしたわけだがこちとらプロである。このまま泣いて家に帰り大学ノートの中だけにいる神様に祈りを捧げてから手首を切るわけにもいかない。
 俺は気を取り直すべく小さく咳払いして、
「授業をさぼるごは」
「いいから引っ込んでなさいダメ人間!」
 こちらに向けられた沙耶の声と形相に思わずびくっとなってしまう。しかしダメ人間て。そうはっきり言われるとつい認めてしまいそうになるから素敵だよな、人生って。
「いや、あのさ、一応見習いとはいえ先生だし、俺。ここは任せてみない?」
 自分の顔を指差しながら言うとしばしの間を置いて沙耶は道を譲ってくれた。悪いね、と軽い調子で言って三人の生徒の前に立つ。生徒たちは首を傾げたり互いに顔を見合わせたりしながらこちらの出方を窺がっているようで、自分たちから口を開こうとはしなかった。もしくは窺がっていると言うよりは試していると言った方がいいのかもしれない。仕方がないのでこちらから声を発する。
「一応一部始終見てたけど、朝倉さんの言ってたことは本当?」
「はぁ?」
 男子生徒が眉を吊り上げる。
「いや、その……お金とか」
 わざと小声で返す。気弱な振りってのも結構難しい。
「せんせー、朝倉さんはわたしたちが嫌いだから退学にしようとしてるんだと思いまーす」
 言って女子生徒がけらけらと笑う。沙耶の表情を盗み見ればうつむき、目を伏せていた。これ以上引き伸ばしても意味がない。おそらくもう限界だろう。
「とりあえずさ、その白いやつ見せてもらっていいかな」
「ん」
 何の抵抗もなく男子生徒がその白い錠剤を俺に手渡す。一応唇で止め、舐めてから口内に落とす。舌の上に広がる爽やかではあるが安っぽい酸味。それは正真正銘のラムネだった。
「ラムネだね」
「でしょ?」
 女子生徒がなぜか嬉しそうに俺の顔を覗き込む。
「そんな」
 驚きと落胆の声をあげた沙耶に向かって俺は沙耶がドラッグだと思っていたその駄菓子を差し出した。細い指を震わせて沙耶がラムネを口に運ぶ。わずかな間を置いて小さく喉を鳴らした彼女は拳を握り締めた。
 俺は息を吐いて他の生徒たちの方へ向き直る。それから一瞬の虚を突いて踏み込み、男子生徒から紙袋を奪い取った。
 沈黙が一秒と少し。
「なにすんだよっ!」
「おおっと」
 つかみ掛かって来た男子生徒を可能な限り情けなく派手に避け、ついでに偶然を装って足を払う。顔面からの見事なダイブを見せてくれる男子生徒。
「ってぇ……」
「いや、あの、一応お菓子の校内持込も禁止だし、放課後には返すから。先生にも言わないし」
 地面にへばり付いたままこちらを睨み上げる男子生徒から後ずさりながら言う。
「だから、その……授業に出てくれると嬉しいな」
「ぶっ殺す!」
 跳ね起きた男子生徒が制服の懐に手を入れ、こちらに突っ込んでくる。懐から抜かれた手にはバタフライナイフが握られていた。素人にしては見事な手つきで刃を露出させ、何のためらいもなく俺に向かって突き出す。
 ちょ、いきなりかよ!
 反射的に一歩踏み込んで男子生徒の顔面にカウンターを入れそうになった体を何とか留めた俺はナイフをさけ、まず沙耶の手をつかんだ。それから残りの女子生徒の手をつかみ、没収した紙袋は口にくわえてカタパルトから射出された戦闘機のごとく駆け出した。
「あ、せんせー女好き?」
 間の抜けた女子生徒の声に走りながら苦笑する。それから鼻の下で揺れる紙袋をちらと見下ろし「めんどくさい」と心中で呟いた。
 背後からは俺に向けられる物騒な文言。結局この誰も得しない無益な鬼ごっこは沙耶と女子生徒を教室に送り返したのち、一時間に渡って続けられたのだった。

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