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妹と弟とシグ・ザウエルP226
 

 10

 口内に酸味を感じる。気持ち悪い。そういや俺、吐いたんだっけ。
 舌を動かして眉をしかめる。遠い。何が遠いのかよく分からないがとにかく遠い。
 自分の意識をすりガラス越しに見ているような妙な感覚。わずかな痛みが闇に響く。痛み。もう一度。
 あぁ頭痛か、と俺は納得した。頭痛か。それならいい。痛いということは生きているということだ。
 笑う。顔の筋肉は確かに動いた。
 死んでない?
 自問した瞬間、俺の意識の前にあったすりガラスが取っ払われた。意識が覚醒する。
 とにかく全身、いたる所が痛かった。しかし幸いな事に骨折級の痛みは感じられない。
 一度深呼吸した俺は重たいまぶたを開いて辺りを見回した。
 自分が気絶してどれほどの時間が経ったのかは分からないが、とりあえずまだ薄暗い。
 目が慣れないせいかほとんど何も見えなかったが、自分のすぐ傍に木製のテーブルがあるのだけは分かった。
 で、テーブルに付き物の椅子はというと今は俺の尻の下にある。
 身じろぎすると冷たい鎖の音がした。
 ったくご丁寧にこんなもので縛りやがって。
 袖口に仕込んだ刃物も使えそうにない。俺は血の味がする唇を舐め、まっすぐ目の前の闇を見つめた。
 どこなんだろうか、ここは。情報が欲しい。
 視覚、まだ目が慣れない。嗅覚、埃っぽい臭いがするがそれだけだ。触覚、縛られていては物に触ることはできない。味覚、口内は胃液、唇は血の味がする。最後に聴覚、と微かに聞こえるある音に気が付く。
 それは波の音だった。まさか船、と思い一瞬あせったが地面は全く揺れていない。
 それだけでここが陸上であると断言できるわけではないが、八割方陸上であると考えて大丈夫だろう。
 ということは、ここは海の近くにある何かの建物、と考えられる。
 さて、どうしたものか。
 なぜ奴らが俺を殺さなかったのかは分からないが、運良く生きている以上脱出の手段を考えねばならない。
 その時、鉄の扉が産む甲高いきしみ音と共に数人の人間が中に入ってきた。
 蛍光灯が灯る。突然の光に目が痛み涙が滲んだ。瞬きで視界をクリアにして入ってきた人間を見やる。
 男が四人。三人が黒の戦闘服、残りの一人は俺のみぞおちに拳を叩き込んだ黒コートの男だった。
 ついでに周囲の様子もざっと確認しておく。広さはそれ程でもない。
 積み上げられた木箱、剥き出しの鉄骨。テーブルの上には酒瓶が二本転がっていた。おそらく倉庫だろう。
 海、倉庫。頭の中に地図を描く。候補は三つか。
 歩み寄ってきた四人の男たちが目の前に立ち並ぶ。見上げる俺に見下ろす男たち。
「多くの仲間が死んだ」
 たどたどしい日本語、と共に拳がとんで来る。
 視界がぶれ、濃い血の味が口に広がった。頭を振って意識を繋ぎとめる。
 間を置かず別の男が放った蹴りが腹にめり込んだ。反射的に口に溜まった血を吐き出してしまう。
 咳が止まらない。
 ちょっとばかしきついかな、これは。
 よだれ混じり胃液混じりの血を口から垂れ流しつつ、俺は黒コートの顔を見上げた。
 黒コートは無表情に俺を見下ろしている。また別の男がテーブルの上の酒瓶を手に取った。
 黒コートとは対照的に、男の顔からははっきりと怒りの感情を見て取れる。
 撮影用の飴細工、じゃないよなやっぱり。
 酒瓶を見ながら苦笑いを浮べる。
 だが酒瓶を振り上げた男を黒コートが腕を伸ばして制した。
 男に向かって黒コートが何事か言う。中国語のようだが内容までは分からない。
 男が渋々酒瓶を降ろしたのを見ると、諭すような言葉だったのだろう。
 まぁ「瓶なんかよりいいものがある」とか言って黒コートがブラックジャックを持ち出さないとも限らないのだが。
「なぜ殺さなかったんだ」
 先程日本語を喋った男に向かって訊いてみる。単純に不思議だったし、脱出の算段をする時間が欲しかった。
 男は黒コートに向かって何か言い、また黒コートが男に向かって何か言う。
 こんなまどろっこしい会話が今はありがたかった。
「情報が入ったからだ」
 情報? と訊き返す代わりに顔をしかめてみせる。
「ただの社員なら見せしめに達磨にするところだが、お前、あの男の息子らしいな」
 男の口から出た言葉に俺は口を半開きにして固まってしまった。
 あの男、が誰を指しているのかは会話の流れからバカでも分かる。現在目下行方不明中の我が親父だ。
 しかしこんな所で親父の関係者に出会うとは人の縁とは不思議なものだ。ていうか呪いだな、これは。
「あの男はどこにいる」
 男が俺の髪をつかみ、無理やり顔を引っ張り上げた。
「悪いが教えてやれない。俺が探してるくらいだ」
 薄く笑って答える。一秒後には先程と逆の頬を殴られていた。
 はずみで椅子ごと冷たいコンクリートの上に倒れてしまう。
 俺は口内の血を唾と一緒に吐き出し、男たちを見上げた。口がちくちくする。
 舌で傷を探ってみたが多すぎて嫌になった。
「もう一度だけ問う。あの男はどこだ」
「分からない」
 それからしばらくの間、俺は黒コートを除く三人に蹴られ続けた。
 思い出したように親父の行方を訊かれ、また蹴られる。
 気が付けば腫れ上がったまぶたのせいで左半分の視界が潰れ、鼻血を垂れ流していた。
 生暖かい血が鼻から喉に抜け咳き込む。
 鼻がつまってしまったため口を半開きにして空気を肺に送り込みつつ、俺は眼球だけを上に向けた。
 頭を上げることさえしたくない。それでもこの男たちに訊いておかねばならないことがあった。
「なぜ、親父を狙うんだ」
 答えは返ってこない。あきらめて本命の質問に移ろうとした時だ。
 薄く笑って顎をしゃくった黒コートに呼応して通訳の男が口を開いた。
「あの男は俺たちの組織を潰した」
 なるほど。復讐のために親父を探しているのか。
 それにしても、あれだけの人数がいて残党だとはかなり大きな組織だったらしい。
「俺たちは上海を追われた。全てあの男のせいだ」
 まぁ親父なら中国黒社会の幇を一つ潰すくらい朝飯前だろう。あれはそういう生き物だ。
 そういえば二ヶ月ほど前社長が、中国で組織が一つ潰れた、みたいな事を言っていた。
 直接関わりがないので聞き流したのだが、こいつらのことだったのか。
「お前らが俺の親父に会ったのは二ヶ月くらい前か」
「それがどうした」
 もし人違いでなければ親父は二ヶ月前までは生きていたことになる。少しだけ安心した。
 もちろん今日この時点で生きているという保証はないのだが、二ヶ月前に組織を一つ潰したくらいだ、今でも生きているだろう。
 それに親父が生きているなら母親も無事なはず。意地でも守り通しているだろう。
 ろくでもない親父だがその点においてのみ、俺は少しだけ尊敬していた。
 まっ、母親自身親父の嫁になるくらいだから普通のオバサンじゃないんだけど。
「夜明け前にお前を殺す。それまでよく考えろ」
 そう言うと、男は俺に唾を吐き掛けた。残りの二人がこちらを指さして笑う。
 黒コートは口元さえ動かさなかった。つまらなそうに俺を見下ろし、一番最初に踵を返した。
 それに三人の男が続く。ご丁寧に灯りを消してくれたため再び辺りは真っ暗になってしまった。
 地面の固さを頬で感じながら大きく息を吐く。
 とりあえず親父の安否は分かった。次は俺が生き延びる番だ。
 先程、男たちが出て行くときに見えたのだが、外には一人見張りがいた。あまり大きな音は立てられない。
 それをふまえた上でまずすべきは体の自由を確保することだ。
 体をよじってみる。鎖は腕と椅子にがっちりとからみつき、はずれそうになかった。
 見えない位置に南京錠でもついているのだろう。
 だが幸運なのは椅子が木製であること、そしてボディーアーマーは脱がされたもののブーツがそのままだったことだ。これなら何とかいけるだろう。
 俺はブーツの右の踵を床を使って外し、椅子ごと体を回転させて中に仕込んであった小さなノコギリを手に取った。
 指先だけを使い、少しづつ椅子を切っていく。
 指がつりそうだ。だが夜明け前まで何時間か分からない以上休んでいる暇はない。
 どれだけ指の曲げ伸ばしを繰り返しただろうか、軽い手ごたえがあってノコギリがすっと抜けた。
 片方が切れればもう片方は……体をひねって折る。思いのほか大きな音がしたが外から何の反応もない。
 気付かれずにすんだか。立ち上がり、鎖の輪と背もたれを静かに床に下ろす。
 一度大きく腕を伸ばし、肩を回した俺ははずした踵を元に戻して扉の脇に張り付いた。
 胸に手を置いて息を吐く。
「屋根よりたーかーいこいのぼおりー」
 歌いながら扉をノックする。
「大きい真鯉はーおとおさーん」
 鍵を外す音。わずかに扉が開きサブマシンガンの銃口が顔を覗かせる。
 俺はサブマシンガンをつかむと見張りごと中に引きずり倒した。
 声を上げようとする見張りの口をふさぎ、ギロチンチョークで絞め落す。
 二三度体を震わせて見張りの男は動かなくなった。ボディアマーとサブマシンガンを頂いておく。
 それにしても俺のP226はどこにいったんだろうか。
 愛着もあるんでできれば取り返したいが、今回はちょっと無理かもしれない。
 俺は監禁されていた部屋を抜け出し、扉に鍵をかけた。正面には扉が一枚、左右に廊下が伸びている。
 運命の分かれ道、ってやつだ。俺は逡巡した後右を選んだ。理由はない。純粋な勘だ。
 裸電球が一定の間隔でぶら下がっている廊下をしばらく行くと、今度は右に折れ曲がっていた。
 角で立ち止まり、先の様子を伺う。正面には扉。人の気配はない。
 俺は一度背後を振り返り、扉に向かって走った。足が鉄のように重い。
 途中、何度も膝が抜けたが何とか扉までは辿り着けた。壁に寄りかかって深呼吸する。
 普段ならこんな間はとらないのだが、さすがに体力が落ちていた。
 怪我のせいか体中が熱い。半分しかない視界がさらに霞む。
 車で言えば完全に給油ランプが点灯した状態だ。
 一、二、三っと同時に扉を開け放つ。中には男が一人いた。
 ヘッドホンをかけ、机上の通信機に向かっている。
 男がこちらに気付いた時、俺の指はすでにトリガーを引いていた。
 破裂音と共に通信機が砕け飛び、男の体が椅子から転がり落ちる。
 ぼやけた視界と反動のせいで狙いが定まらず、殺すことはできなかった。
 だが今はこの男の頭に弾を撃ち込んでとどめを刺している暇などないし、第一弾丸の無駄だ。
 腹を抑えて横たわる男に銃口を向けたまま部屋を横切り、次の扉を抜ける。
 波の音、潮の香り、冷たい空気、その全てが半分眠っていた俺の五感を叩き起こした。
 どうやら最短のルートで迷路からの脱出に成功したらしい。俺の目の前には港と水平線が広がっていた。
 だがこれで終わりじゃない。
 港と水平線のさらに前に一人の男が立っていた。
 男はくわえていた煙草を吐き捨てると、ブーツで踏み消した。潮風に闇よりも濃い色をしたコートが揺れる。
 やっぱりそう簡単にはいかないか。うまいことバランス取るよな、神様って。
 扉に背を預けた俺はサブマシンガンを両手でしっかりと構えた。
 男が懐から銃を抜き、空に向かって顎をしゃくって見せる。視線を上に持っていくと空が白んでいた。
 夜明け前にお前を殺す。そういやそんなこと言われたっけ。
「Yes or No?」
 こちらに向けられたシンプルな疑問文。だが意味はよく分かる。生か死か。
 背後の扉を通してざわめきが聞こえてくる。もって数十秒だろう。
 俺は大きく息を吸い込み、言い切った。
「No……でもな、俺は死なない。帰ってケーキ作らなきゃならないからな」
 鉄の扉が激しく叩かれる。優奈と優希の顔を思い浮かべながら、俺は人差し指に力を込めた。
 必ず、生きて帰る!
 四発の発砲音。
 一発が背後の扉に当たり、目のすぐ横で火花を散らす。
 と同時に黒コートの身体が傾いた。
 え。
 俺は心中で間抜けな声を発していた。俺は「まだ」撃ってない。
 誰が、と問いを発した瞬間黒コートの足元で無数のコンクリート片が舞った。
 乱れ飛ぶ弾丸。視線が交錯する。
 黒コートはやはり無表情だった。無表情のままゆっくりと後ずさり、海に落ちていく。
 俺が口を半開きにしたのと叩水音が聞こえたのはほぼ同時だった。
 それを合図にでもするように完全武装した十数人の男たちがこちらに向かって来る。
 男の内の一人が俺の肩を押し、扉から引き離した。
 ワンテンポ遅れて中に投げ込まれたスタングレネードが爆発する。
 そのまま流れるような動きで突入が開始された。
 乱れなど一切ない。愚直なまでの訓練によって生み出された究極の団体行動。
「一応、生きてるみたいね」
 呆然とする俺にそんな声をかけてきたのはシャロンだった。
 その手には愛用の二丁のグロック26が握られている。
 シャロンはグロックを脇のホルスターに収めると軽く手を挙げてみせた。
「お前が撃ったのか」
「ええ、間に合ってよかった。これからは私を命の恩人として崇め奉るように」
「そっか」
 言いながら、その場にへたり込んでしまう。膝が笑っていた。シャロンの顔を見上げ、力なく笑う。
 助けられた。
 その一言を強く噛み締める。生きているのは俺だ。だが撃ってない。黒コートの方が確実に早かった。
 拳を握り締める力は残っていなかったが、それでも握らずにはいられなかった。
「よくここが分かったな」
「幸いにも廃工場で死体の処理をしてた人達がいて、教えてもらったの。なかなか喋らないから少し遅くなってしまったけど」
 シャロンのセリフに俺は苦笑した。
 どうやって教えてもらったのかはこの際訊かないことにしよう。
「そうそう、彼ら今日は非番だったんだから後でちゃんとお礼言っといてね」
 彼ら、が突入していった扉を見ながらシャロンが笑う。彼ら、はウチの会社が独自に組織している特殊部隊だ。
 マネージャーとは別物だが、時にこうして協力しあうこともある。
 まぁ、今回は完全に助けてもらった形だけど。借りを一つ作ってしまった。
 これでまたしばらくはつつかれるだろうな。
 会社の廊下で会うたびに俺をからかう部隊長の顔を思い浮かべて小さく息を吐く。
「大変だったな」
 また別の声が頭上でした。
「社長」
 反射的に立ち上がろうとした俺を手で制し、社長が笑う。
「そのままでいい、シャロン」
 社長に目配せされたシャロンが一つ肯いた。
 シャロンは少し迷うような顔で俺を見つめた後、膝を折って目の高さを俺と同じにした。
 潮の臭いに混じって香水の香りが漂ってくる。
 久しぶりに血とか鉄とか硝煙とか、その類のもの以外の香りを嗅いだような気がした。
「まず、あの男性のことだけどとりあえず命に別状はなし」
「そうか」
 安心した。それに、あれだけ苦労して死なれたんじゃ報われないしな。
「その男性からの情報なんだけど、彼に廃工場へ行くよう命令したのは彼の上司で小和生命の人間よ」
 シャロンのセリフに俺は眉をハの字にした。俺の表情を見て取ったシャロンが微笑する。
「そ、はるか先生の生命保険を請け負ってる会社」
「でも何で保険会社の社員が俺たちを襲うんだ?」
 俺が問うとシャロンはわずかに視線を下げ、口元を歪めた。
「あの男性ね、娘さんが病気で命令に従うなら治療費を負担してやるって言われたって。それに、断ればクビとも。選択権なんてなかったのね」
 何か絵に描いたように不幸な話だ。
「それで、多分こっちがあなたが望んでいた答えだと思うんだけど、なぜその上司が私たちを襲わせたかについて。私は廃工場にいた人たちを尋問するのに忙しかったから情報部に当たって貰ったんだけど、そのバカ上司ちょっと締め上げたら全部喋ったそうよ」
 で? とシャロンの話を促す。
「結論から言うとフレンド、小和生命、そしてあいつら」
 とここでシャロンは親指を立てると背後のドアを指差した。
「みんな繋がってた」
 大手金融会社、保険会社、上海の裏組織の残党、なぜこいつらが。っと、考えるより聞いたほうが早いか。
「まずはフレンドと小和生命のつながりね。まぁ正確に言えば繋がってるのは双方とも会社内部の一個人なんだけど。フレンド社長の後藤雄一、小和生命保険業務部部長の平田孝義、この二人。で、二人が何をやっていたかというと、保険金を懐にぽいっ。お小遣い稼ぎね」
 口内に溜まってきた血を吐き捨て、シャロンの言葉に耳を傾ける。
「順を追って説明すると、はるか先生みたいな多重債務者に目を付けた後藤が平田に連絡、平田がはるか先生に電話でセールストーク。もちろん生命保険で借金を返しませんか? なんてことは絶対に言わない。ていうか保険会社は契約者に死なれたら損するんだから『生命保険で借金を』なんて言う会社は在り得ないし。平田の言う事には命と引き換えに大金が手に入ることを婉曲的に強調するそうよ」
 そういや先生、偶然保険会社から電話がかかってきて生命保険での債務返済を思いついたって言ってたよな。
 シャロンの話によればそれは偶然じゃなかったということか。
「そこで債務者がどうしてものってこなければそれまでなんだけど、はるか先生は見事に釣られちゃったのね。で、保険会社を訪れたはるか先生の担当に平田が就くわけなんだけど、ここではまだ保険の契約はしない。というか出来ない」
「受け取り人がいない、か」
「そういうこと。はるか先生には親も子も兄弟もいないしね。頼れるような親戚もいなかったんでしょう。まぁ、はるか先生のことだから迷惑がかかると思って頼れなかったのかもしれないし。そこでしどろもどろする先生に平田が言うわけ、何かわけ有りのようですがよろしかったら知り合いの弁護士を紹介しましょうか? ってね。しらじらしい」
 シャロンがわざとらしく肩をすくめた。
「そこで平田の息のかかった弁護士に、これはちょっと調停も自己破産も無理ですねぇっていかにもな顔して言われるわけだ。普通の人ならまず信じるよな。弁護士って肩書きにはそれくらいの重さはある。そこで先生は生命保険で債務を返済する話を切り出すわけか」
「ええ、そしてもうワンステップ。今度は弁護士から『その手の問題に詳しい男』を紹介されるの。紹介というよりは情報を入手すると言った方が正確ね。世の中にはそのような問題を扱う業者もいるようですが、とか言って先生の気を引く。頼る人がいない先生は当然この情報に食いつく。でも弁護士は教えない。自分が保険会社側の人間であるということをアピールしておかないとね。怪しまれちゃうから。で、確たる情報は得られないまま弁護士事務所を後にする先生。すると何と目の前の電柱には『保険に関する相談承ります』というちょっと怪しい張り紙が」
 俺は吹き出してしまった。よくやるよ、まったく。
「ここで先生が電話番号をメモすればしめたものよ。まっ、メモしなくてもその広告を先生の家に投げ込めばいいんだけどね。結局最後はその業者が受け取り人になって保険の契約は成立。あとは後藤の子飼いの殺し屋が先生を事故に見せかけて殺せば保険が下りて、それぞれに配当されるって仕組み。ただ」
 そこで一度言葉を切ったシャロンは喉を鳴らした。
「今回に限って予想外の事態が起きてしまった」
「先生がウチに来たことか」
「ええ、業者に事故っぽく死んでくれとか言われて先生が悩んでる間に事故っぽく殺しちゃえば問題なかったんだろうけど、ウチが絡んだことで後藤の子飼いの殺し屋が仕事を拒否したらしいの」
「一部で米軍よりタチが悪いとか言われてるおかげだな」
 俺のセリフにシャロンが破顔した。
「そこで、さぁどうしようって焦ってた所に現れたのがあいつらよ」
 俺はシャロンの肩越しに倉庫に続く扉を見つめた。
 わずかに開いた扉の奥からは細かい破裂音が断続的に聞こえている。
 そこから右を見れば数人の隊員が海面にライトを当てて黒コートの死体を捜していた。
「なぜあいつらが後藤に近付いたのかは分からないけど、とにかく後藤は先生の殺害を依頼。あとは説明しなくても大丈夫よね」
「ああ」
 と俺は軽く肯いた。
「にしてもさ、よりによってチャイニーズマフィアに殺しを依頼するなんて後藤もよっぽど切羽詰ってたのね。奴らに、事故っぽく殺す、なんて大人しいことができるわけないのに」
 かなりの偏見を含んだ物言いだが、先生のアパートの前で銃撃された事を思い出し俺もシャロンと同じように笑う。
 でも馬鹿笑いはできなかった。体中に響いて痛いのだ。
 俺は思うところが有って笑いを収め、切れた唇に気を付けながら口を開いた。
「奴ら、始めから大人しく殺す気なんてなかったのかもな」
 こちらに向けられたシャロンの目が少しだけ大きくなる。
「さっき、なぜあいつらが後藤に近付いたのか分からないって言ったよな。それな、答えは多分俺たちが絡んでたからだ」
 首をひねって社長の顔を見上げる。
「社長、二ヶ月くらい前に中国で裏組織が一つ潰れたって言いましたよね。あれ、やったのウチのバカ親父です」
 今度は眼鏡の奥で社長の目が大きくなる番だった。
「あいつの事だ、死ぬわけがないと思っていたがまさかそこまで相変わらずだとは」
 苦笑する社長。だがその表情からは安堵と喜びの色が感じられた。
 俺にとってはただのバカでも社長にとっては子供の頃からの友人だからな、ウチの親父は。
「お父さんの事は何か分かったの?」
「いや、何も。こっちが訊かれたくらいだからな。正直に知らないって答えたらこの様だよ」
 俺は自分の顔を指差して息をついた。
「分かったのは奴らがいかに親父を憎んでるか、って事だけ」
「それであいつらはウチと絡んでる後藤に近付いたのね」
「親父は今でも一応ウチの社員だからな。それに日本で活動するためのスポンサーも手に入るわけだ。この件を片付けた後も後藤を脅せばかなりの金が引き出せるだろうし。だから奴らにとって先生の殺害とその報酬は実はどうでもいい事で、後藤というサイフをしっかり握ったうえで俺たちにケンカを売るのが本当の目的だったんじゃないかな」
「確かにマフィアの残党にしては装備がきっちり揃ってたしね。結局、後藤も利用されてたってことかぁ」
「だな」
 その時倉庫に至る扉が大きく開かれ、内部の制圧に向かっていた部隊が戻ってきた。
 一つ気合を入れて立ち上がり、彼らを出迎える。シャロンが砕けそうになった半身を支えてくれた。
 手を拘束され銃を突きつけられた男たち。暴れようとする物はいない。だがうつむいてもいなかった。
 素早く視線を左右に飛ばしている。やはりボスがいない事が気になるのだろう。
 俺は海面を捜索している隊員達を再び見やった。死体はまだ見つかっていないみたいだ。
 一人の男と目が合う。間違いない、俺に唾を吐きかけた通訳の男だ。
 男の表情が歪んだかと思うと辺りに喉の奥から搾り出すような叫び声が響いた。
「お前があの男の息子である限り、お前は狙われ続ける! 永久にだっ!」
 それはほとんど呪詛だった。血の滲んだような声色にたじろいでしまう。
 隊員に銃のグリップで殴られ引っ張られながらも男はずっと俺の方を睨んでいた。
 あの男の息子である限り永久に、か。
 心中で繰り返す。親父の奴、一体何をやってるんだ。
 一抹の不安を覚えると共にだんだん腹が立ってきた。
 大体何で俺が親父のせいで命を狙われなきゃならないんだ。勘当してやろうか、本気で。
 そんなことを考えていると「ほら」という声がして何かが飛んできた。
 反射的に受け取ると冷たくも懐かしい感触が蘇ってくる。手の中にあったのは間違いなく俺のP226だった。
 嬉しさに顔を上げるとスキンヘッドの隊長がいかつい顔を緩めて笑っている。
「たまにゃあ浮気もいいが、本当のお気に入りは大切にしねぇとな。女も銃も」
「ぶー」
 親指を下に向けて唇を尖らせるシャロン。
「こいつは失言だった。今度酒でも奢ってくれや」
「ええ、浴びるほど」
「忘れんなよ」
 いかつい顔の割にさわやかな笑顔を残して隊長は去っていった。
 彼が隊員たちから絶大な信頼と尊敬を得ている理由が分かるような気がする。
 俺は口元を緩めて空を見上げた。輝いていた星が消え朝焼けと共に夜が明ける。
 水平線の彼方から昇る太陽に目が細くなった。
 海面には針のような光の欠片が無数に飛び散り、その一つ一つが闇に慣れていた俺の眼球を突き刺す。
 確かに目は痛かった。でも不快じゃない。反射的に流れる涙が視界の汚れを洗い流しているような気がした。
 日の光を真正面から体全体に浴びて大きく伸びをする。
 このままここにいればどんな怪我も病気も治ってしまうんじゃないかと思えるほど気持ちいい。
 俺は大きく大きく息を吸い込むと、長くゆっくりと吐き出した。
「ご苦労だったな。二人とも帰ってゆっくりと休んでくれ」
「いえ、まだ全部終ってませんから」
 シャロンと顔を見合わせた後で俺は言った。
「あとは事後処理だけだ。それは私の方でやっておく」
 俺は首を横に振った。
「自分が受け持った仕事ですから最後まで」
 社長は言うべき言葉を捜していたようでしばらく口を開いたり閉じたりしていたが、結局大きな溜息をついて「分かった」と一言だけ漏らした。
「無理はするなよ」
 社長の視線が一度づつ俺とシャロンの視線と交差する。
 社長は最後にもう一度肯くと、残っていた隊員たちの方に歩いて行った。
「もう一仕事だな」
 つぶやく俺の隣で、シャロンがぱちんと両手で自分の頬を叩いた。

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