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君と俺と世界の繋がり

ライン

その6

 翌朝、こたつの中で目を覚ますと室内に人の気配はなかった。痛む頭を持ち上げて携帯電話を開く。午前八時半。息を吐いて上半身を起こすとこたつの上には一枚のメモと朝食が乗っていた。メモはフィオからだろう。朝食を作っておいたことと、昨日の木の所に行ってくるという事が丁寧な字で記してあった。
 顔を撫でると伸びた髭に手のひらがざらつく。吐き出した息が白く曇った。
「寒いな」
 つぶやいて視線を移すと壁のハンガーにかかったままのコートが目に入った。まさかあんな薄着でこの朝早く出て行ったんだろうか。こたつから抜け出して衣装ケースを開けてみるが服が減っている気配はない。
 俺は携帯電話と財布をパーカーのポケットに突っ込むとコートを手に部屋を飛び出した。


 荒い呼吸を落ち着かせながら長い石段を登る。これだけ長い距離を走ったのなんて何年ぶりだろうか。シャツの下で汗がにじみ、久しぶりに鞭を入れられた心臓がフル稼働している。冬、それも朝の空気は乾燥していて口と喉の中が張り付くような感じがした。一つ大きく息を吸い込むたびに肺が痛くなる。
 ホットの缶コーヒーでも買ってくればよかったな。
 そんなことを思いつつ石段を登りきった俺は祠の脇を抜けて林の方へと足を向ける。木と土の匂いを嗅ぎながら歩くことしばし。足元の小枝を踏み折ったのと同時にフィオの姿が目に映る。彼女は目を閉じたまま木の根元に座り込んでいた。
 木々の間から漏れ落ちる朝日とそれを優しく照り返す長い銀髪。二羽の小鳥がフィオの側でステップを踏んでいた。絵になる、とはこういうことを言うのだろうか。ファンタジー小説の挿絵でしか見たことがない光景がそこにはあった。
 静謐、なんて普段は使いもしない単語が思い浮かぶ。絶対不可侵のようでもあり、全てを受け入れてくれそうでもあった。まぁ、どれだけ言葉を繰ったって最後は「いいな」に行き着くんだけど。
 ふと、目を開いたフィオが顔を上げる。こちらに向けられた少し驚いたような顔に向かって俺は笑って見せた。
「真冬にそんなカッコじゃ風邪ひくよ」
 言いながら歩を進める俺に小鳥が飛び立ち、木々の間に消えていく。
「持ってきた」
 と言ってコートを差し出したときだった。フィオの陰からホムが顔を出し、温風が俺を包み込んだ。冷え切っていた指先と耳にぬくもりが染み込んでいく。
「あぁ、そっか」
 と呟いて俺は苦笑してしまった。フィオの側には火の精霊であるホムがいたんだ。
「わざわざ来てくれたんですか」
「ん、あぁ、でも必要なかった……かな」
 こちらを見上げるホムと視線を交わす。
「昔からの悪い癖でさ。慌てると物事を考えなくなる」
 言いながら掻いた頭はぼさぼさだった。
「寝癖ぐらい何とかしてくればよかった」
 ぐー、と腹が鳴る。
「朝飯も食べてなかった。せっかく作ってくれたのに」
 苦笑する俺にフィオが手を差し出した。
「貸して下さい、コート」
「でも」
「ホム、ありがとう」
 俺の言葉を遮って言い、フィオがホムを撫でる。同時にホムの姿が消えて冬の冷気が戻ってきた。俺が差し出したコートを受け取ってフィオが微笑む。
「隣、座りませんか?」
「ん、あぁ」
 と返事をしてパーカーのポケットに手を入れた俺はフィオの隣、木の根元に腰掛けた。フィオに触れるか触れないかくらいの距離をとって。
「ありがとうございます」
 いや、と笑って鼻の頭を指で撫でる。
「でもほんとに余計なお世話だったみたいで」
 フィオが首を横に振る。
「ホムと一緒にいると少しずつですけど精霊流を使っちゃうんです。だからこの方が」
「そうなんだ」
 コートも全くの無駄ではなかったらしい。
 不意に右肩に柔らかい重みがかかる。驚いて視線をやればフィオが目を閉じて俺の肩に体を預けていた。心臓が締め付けられるような感覚。何だろう。ものすごくいい匂いがする。
「眠い?」
 少しばかり上ずった声で聞く。はっと顔を上げたフィオはなぜか辺りを見回してから俺の顔を見た。わずかに頬を染めたその恥ずかしそうな表情に俺の顔まで熱くなる。
「少しだけ」
「何時に家出たの?」
 俺の問いにフィオが戸惑うような表情を浮かべた。そうか。時、って言ったってフィオの世界とこの世界の時間の感覚が同じとは限らないんだ。一日が二十四時間なんてのはこの世界でだけ通用する常識だ。
「えと、家出たときまだ暗かった?」
「はい」
 この季節だと日の出が七時前くらいか。昨晩、というか正確には今日なんだけど、フィオがひっくり返ったのが午前三時くらい。ずいぶんと早起きしたんだ。それだけ気が焦ってるってことなんだろうけど。
「いいよ、眠って」
「でも」
「気にしなくていいって」
 自分でも不思議なくらい強く言葉が出た。フィオが少し驚いたように俺の顔を見つめる。
「あ、いや、嫌だったら別に、その」
 しどろもどろになる俺。ちょっと強引だったか。いやほんとに眠たいなら気にしなくて眠ればいいとはおもってるけど残りの二割くらいで……ごめん嘘ついた残りの四割くらいで「女の子に体を預けられる」というシチュエーションに憧れてただけとかいうのが顔に出てしまっただろうか。
 視線に耐え切れなくなった俺は唇を引き結んでフィオから視線を外してしまった。周囲の季節を無理矢理冬から春に変えてしまえそうなほどに顔が熱くなる。首に巻きついた沈黙がゆっくりと絞まっていった。噛み締めた奥歯の感覚がなくなっていく。
 乾いてひび割れた唇を舌先で舐めた時だった。
「じゃあ少しだけ」
 肩にかかった柔らかな重みに不安が霧散する。同時に拳を握り締めるほどの喜びが流れ込んできた。聞こえてくる穏やかな吐息。体にかかる長い銀髪がフィオが息をするたび微かに揺れる。
 俺は息を吐いて頭上で茂る杉の枝葉を見上げた。舞い上がっていた俺の中にふと灰色が染み出してくる。
 はじめフィオと出会った時に比べたら二人の距離は縮まったと思う。フィオがどう思っているのかは分からない。ただ少なくともこうして俺が隣にいるとことを許してくれてる。
 でも、距離が縮まれば縮まるほど別れるときに辛くなる。俺は涙を流さずにフィオと別れることができるんだろうか。フィオが隣にいる。この状態は有限だ。準備が整えば彼女は元の世界に帰らなければならない。
 ポケットの中で拳を握り締め、俺は唇を噛んだ。目を閉じて後頭部を杉の幹に預ける。
 フィオと別れたくない。
 ただその一言だけが心の奥で何度も何度も繰り返された。

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