君と俺と世界の繋がり

ライン

その4

 翌日、昼過ぎ。
 俺はコートを羽織ったフィオと並んでアーケード街を歩いていた。外を歩くのにさすがにあのコスプレのような格好では目立つだろうと貸したのだ。サイズは若干合ってないがそれは勘弁してもらいたい。
 クリスマス直前。どの商店にも工夫を凝らした飾りが施され、年末商戦を全力で戦い抜いていた。クリスマスとは全く関係ないように思われる干物屋さんまでツリーを飾っているのもご愛嬌。きっちり楽しんできっちり商売。そんな空気で商店街は溢れている。
 普段ならそんな空気に溶け込めず、何か申し訳ないような気分で街を歩いていた俺も今年は違った。隣に女の子がいる。それだけの理由でクリスマスという空間に自分の居場所ができたような気がしていた。もちろんフィオは俺がそんなこと考えてるなんてこれっぽっちも思ってないだろうけど。
 彼女にとっては俺よりもこの世界の「食材」の方が気になるようだ。肉屋魚屋八百屋の前で足を止めては店先に並べられた商品を興味深そうに眺めている。気になることがある度に俺は袖を引っ張られた。
 何かヒントになるようなことはないかと行ってみた図書館。俺たちは今そこから街はずれの丘に向かっている。フィオが元の世界に戻るための手がかりがつかめたわけではない。今から向かう丘がこの辺りでは一番「古い」というだけの理由からだ。そこには小さな神社があるらしい。俺たちの世界、こと日本に関して言えば精霊っぽいものといえば神様なわけで、まさに困ったときの神頼み以外の何者でもなかった。
「フィオ、行くよ」
 お茶屋さんの前で立ち止まっていたフィオに呼びかけてアーケード街を抜ける。彼女の名前を呼ぶとき、やっぱり声が少しだけ上ずった。追いついてきたフィオと歩幅を合わせて歩くことしばし。家の数もすれ違う人の数も次第に減っていき、やがて木に覆われたこんもりとした丘が目に映りだした。
 その丘を目標に車一台が通れるほどの道を歩き二、三度角を曲がる。ほどなくしてそ丘に登るための入り口にたどり着いた。鳥居と森を裂いて真っ直ぐに上まで伸びる石段。頂上はここからではよく見えない。
 森の中から鳥の鳴く声がする。落ち着くような不気味なような。多分こういうのを畏敬の念と呼ぶのだろう。一度大きく深呼吸すると木の匂いがした。隣にいるフィオを見やると彼女も神妙な面持ちで石段の先を見つめている。
「どお?」
「はい。その、少しだけ」
 石段の先を見つめたままフィオが言う。どうやら全くの見当はずれでもなかったようだ。俺は乾いた唇を舌で湿らせ、石段を登り始めた。俺の二、三段後をフィオが黙ったままついて来る。吹く風が木々を揺らし葉がこすれる音。湿った土の匂い。
 確かに雰囲気はあるよなぁ。
 空に向かって真っ直ぐに伸びた左右の木々を見上げていると背筋が震えた。最後の一段を登りきるとそこは猫の額ほどの広場になっていて、その奥に小さな鳥居とお社が鎮座していた。
 神社って言うか、祠だなこりゃ。
 ご神体が奉ってあるだけの小さなお社。その前の鳥居の高さは丁度俺の身長と同じだった。お社に下げられた小さな鈴と前に置かれた小さな賽銭箱についつい頬が緩んでしまう。小さくて精巧な物にはなぜか人を引き付ける魅力があると思う。
「この世界の神殿ですか?」
 フィオが手を伸ばして鳥居に触れる。
「うん。俺たちの世界の神様がここにいる」
 へー、と声を漏らしてフィオが祠を覗き込んだ。伸ばされた細く白い指が鈴に触れる。
「ずいぶん小さいんですね。礼拝のときとか、人が集まったら困りませんか?」
「あぁ、神様って言っても八百万のうちの一つ、というか数え切れないくらいたくさんのうちの一つだから、もっとたくさんの人が集まれる所がちゃんとあるよ」
「はっぴゃくまん?」
「そ、はっぴゃくまん。俺たちはやおよろずの神様って言うけどね」
 眉間に皺を寄せたフィオが俺の顔を見上げる。顔が熱くなった。やっぱりどんな表情をしていてもかわいい。翡翠色の瞳に心が吸い込まれそうになる。
「神様は一人ですよね?」
「いや、俺たちの国には数え切れないくらいいる」
 フィオの眉間の皺がさらに深くなった。
「くに、ってなんですか?」
 今度はこっちが皺を刻む番だった。まさか真顔でそんなこと聞かれるとは思ってなかったし。
「いやほら、異なる文化や言葉や神様とか民族とか、そういうのを区切った地域というか……」
 自分でもよく分からない説明になってしまった。普段当たり前のように使っている言葉の説明とはこうも難しいものなのだろうか。三角形ってなんですか、と質問されるのと似ているのかもしれない。
「だって、そんなのが同じ世界にあったら大きな争いが起きますよね?」
「起きるね」
 文化、民族、宗教、価値観、それらに端を発する紛争は今もって世界中で継続中だ。
「でも仕方ないよ。俺たちの世界はここしかないんだし。みんなが傷付け合うことなく仲良くできればいいと思うけどね。フィオが住んでる世界は違うの?」
「わたし達の世界には同じ種族で同じ言葉を使って同じ神様を信じて……そういう人しか住んでませんから」
「でも他の世界に自由に行き来できるんでしょ?」
「自由に、はできません。規則ではなく現象として他の世界に渡航できる人数が決まってるんです」
「じゃあ戦争もなくて平和だろうね」
「昔はあったのかもしれません。少なくとも戦争という言葉が古代語として残ってますから。その戦争をなくすために太古の神が世界を今の形に分けたという説を唱える学者もいますし」
 俺にはふぅん、と唸ることしかできなかった。同時に改めてフィオが異世界の住人であるということを意識する。なんかでも、もし日本人しか住んでない日本という国が一つの世界だったとしても、大阪と東京は戦争しそうな気がするけどな。もしかしたらフィオみたいに気性が穏やかなのがフィオの世界の人の気質なのかもしれない。
 ふとした沈黙。それを埋めるように木々がざわめき、一瞬遅れて強く風が吹き付ける。その冷たさに俺は身を縮こませ、フィオがなびく銀髪を手で押さえる。こりゃどうやら早いところウチに帰ったほうがよさそうだ。
「フィオ、帰ろうか」
 の「フィ」まで言ったところだった。遠くを見つめるような表情で視線を巡らせているフィオに気付いた。
「どうしたの?」
「匂いがするんです」
 視線はこちらに向けぬまま言ってフィオが歩き出す。その両肩にはいつの間にかホムとミューが乗っていた。フィオは祠の脇を抜けて道もない林の中に入っていく。俺には後を付いていくことしかできなかった。
 こもった様な木と土の匂いが強くなり、足の下で枯枝や枯葉が折れる音がする。前を歩くフィオは立ち止まることなく、目的地が分かっているかのように進んでいった。
 三分ほど歩いただろうか。やがてフィオが一本の木の前で立ち止まる。俺は隣に並んでフィオの上気した頬をちらと見やり、それから視線を木に移した。
 真っ直ぐに空を突き刺すような勢いで伸びている杉の巨木。他の木々と違うことは一見して分かった。フィオがゆっくりと木に向かって歩を進める。彼女は一度大きく深呼吸すると手のひらで幹に触れた。
「感じます」
 呟いてフィオが額を幹に預ける。
「本当にわずかですけど。精霊の存在を」
「ほんとに?」
 反射的に聞き返してしまった俺の方を振り返り、フィオが緊張したような面持ちでうなずく。そんなフィオの隣に並んで俺も木に触れてみた。かさついた杉皮が手のひらを押し返す。
「感じませんか?」
「ごめん、俺にはよくわからないや」
 問いかけるフィオに向かって苦笑する。フィオも、仕方ないか、という風に苦笑を返してくれた。
「でも、おかげでほら」
 フィオが俺に向かって右手を持ち上げてみせる。俺の目に映ったのはわずかながらも光を取り戻したあのブレスレットの赤い石だった。ということは……、
「時間はかかると思いますけど、ここに通い続ければきっと」
 フィオが杉の巨木を見上げる。その横顔には安堵と喜びが広がっていた。日本には自然を神様として奉る信仰は当たり前のようにある。西洋のように自然を敵として征服するのではなく、畏敬の対象として奉り共存することを選んだ東洋の思想。そう考えるとフィオが日本に落ちてきたのも「神様のおぼしめし」なのかもしれない。まぁ、八割がたただの偶然だったりするんだろうけど。
 俺も微笑して杉の木を見上げた。屋久島の縄文杉にでもフィオを連れて行けばすぐに元の世界に帰れるのかもしれないが、さすがにそれは無理だし、今の俺にとってはフィオの「時間がかかると思いますけど」という言葉が正直嬉しかった。フィオには申し訳ないがそれは彼女との共同生活がもうしばらく続くことを意味する。ただ、それは同時に「もうしばらく」でフィオと別れなければならないことを意味していた。
「どれくらいかかりそう?」
 できるだけ平静を装って声を出す。フィオは一度手首のブレスレットに視線を落とし、
「そうですね。七日くらいあれば帰れるだけの精霊流が充填できそうです」
 嬉しそうに答えた。あと一週間。もうそれしか残ってない。正直、うつむいて唇を噛みたいような気分だった。でもそれはできない。フィオの前なんだから。
「じゃあさ、お祝いしようか」
 無理矢理に声が大きくなっているのが自分でも分かる。
「今日はさ、とある神様の誕生を祝うお祭りの前夜祭なんだ」
「あ、それで何か街がわくわくしてたんですね」
 クリスマスという習慣に触れたことがないフィオにも街が騒がしいことが分かったようだ。
「大したことはできないけど、いい事もあったしさ」
 口元を緩める。ほんの少し、フィオには分からないくらいに苦味を含めて。
「いいんですか?」
 遠慮がちにフィオが訊いてくる。お祝いの費用がすべてこちら持ちになることを気にしているのだろう。そんな事どうだっていいのに。
「気にしないで。元々一人でもお祝いするつもりだったし」
 大嘘だ。恋人のいない一人暮らしの貧乏学生にとってクリスマスイブは平日と一緒。
「タカヒロさんて信仰心が厚いんですね」
 感心したようにフィオが言う。フィオの勘違いに俺は笑いながら「まぁ、ね」と言葉を濁した。
「じゃあお言葉に甘えて」
 と、フィオが何かを思いついたようにぽんと手を打つ。
「そうだ。だったらわたしお料理作ります。こっちの食材にも興味あるし」
 ね、と微笑むフィオに顔が熱くなった。服と肌の間に熱がこもる。
「いやでも俺んち調理道具とかそんなに揃ってないし」
「だーいじょうぶ、任せてください。これでも食文化研究家の卵ですよ。鍋と包丁さえあればそれなりのものは作って見せます」
「じゃあお願いするよ」
「はい。頑張りますね」
 破顔するフィオ。俺は冷たい手で熱を帯びた頬に触れ「期待してるよ」と笑った。多分、ものすごくぎこちなかっただろうけど。

ホームへ   前ページへ   小説の目次へ   次ページへ