×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

君と俺と世界の繋がり

ライン

その2

 ぼやけた視界に最初に映ったのは無数の縦線だった。それが畳の目だと分かるまでたっぷり十秒はかかったと思う。脳みその代わりに漬物石でも詰められたような感じがする頭を持ち上げて辺りを見回す。薄暗く狭い六畳一間にぼんやりと浮かび上がる本棚。文庫本が前後二列にぎっしり詰められ、それでも入りきらなかった分は床に積まれている。それだけでここが自分の部屋だということは分かった。
 夢だったんだろうか。
 畳に肘を突いて上半身を持ち上げる。が、自分のすぐ隣で横たわっている女の子のワンピースのスリットから覗く太ももが目に入った瞬間その可能性はあっさり崩れ去った。
 男の性とはいえ悲しいものがあるが。
 この女の子は誰なのか。なぜ空から降ってきたのか。なぜ大学の生協の前にいた自分が自室に戻ってるのか。疑問は山ほどある。しかしとにかく先に女の子の無事を確認することが先だろう。いくらかわいくても死体じゃ話にならない。
「大丈夫? 分かる?」
 声をかけながら女の子の肩を揺する。
「ん……あ……」
 発せられた声にとりあえず俺は息を吐く。まだ命の方は大丈夫らしい。
「大丈夫? 救急車呼ぼうか?」
 俺の問いかけに女の子が顔をこちらに向け、わずかに目を開いた。透き通ったエメラルドグリーンの瞳が瞼の間から覗く。やっぱり日本人じゃないんだろうか。
「ここ、どこ……ですか」
「俺の部屋。大丈夫? 病院行った方がよさそう?」
 女の子はしばらく半分眠ったような顔で俺を見つめていたが、やがて目を閉じるとゆっくり体を起こした。衣擦れの音。それだけで部屋の空気が動き、胸の奥が痛くなるような香りがする。
 片手で顔を押さえ、女の子が眉間に皺を寄せる。頭痛がするのだろうか。しかしそれも数秒のことだった。女の子は多少の疲れは見えるもののしっかりと覚醒した目で俺を見据える。
「ここは、なんという世界なのですか?」
「は?」
 ガラスのベルの様に澄んだ声に感動する暇もなく聞き返してしまう。
「いや、あの……え?」
 意味が分からない。それともからかわれているんだろうか。そういや何か格好もそれっぽいし、そういうなりきり遊びとか。いわゆる濃いオタクさんの。もしかして自分はとてつもない爆弾と一緒にいるのではないだろうか。そんな不安が心をかすめる。それともやはり頭でも打ったか。
「あの、この世界の名前です。ありませんか?」
 俺の不安が伝わってしまったのか、女の子が幾分焦った声で詰め寄ってくる。その距離の近さにどぎまぎしながら俺は何とか「地球だけど」と返事をした。
「ちきゅう」
 と繰り返し女の子が考え込むように口元に手をやる。
「やっぱり失敗してる」
 そしてうなだれて勝手に落ち込む。おいてけぼりだ。
「あのさ、体とか大丈夫?」
 とか、に色んな意味を込めて言ってみたのが返ってきたのは、
「大丈夫です。ちゃんと空間転移防壁張ってましたから」
 暖かい微笑みとさらにこちらを二週は周回遅れにする不思議ワードだった。俺は一体どうすればいいのだろうか。生まれて初めて自室に入れた女の子がこれだなんて。凪の海になぜいきなりサーファーが追い求める伝説のビッグウェーブが来ますか。
「と、とにかくさ、大丈夫なら安心した」
 ぎこちない愛想笑いなどしつつ女の子に向かって言う。と、急に女の子は何かに気付いたように目を大きくし居住まいを正した。
「いえ、あの、こちらも迷惑をかけてしまったみたいで。ありがとうございました」
「いやいや気にしないで。でも急に空から落ちてくるから。驚いたよ」
 女の子と話をしている嬉しさから自然と口元が緩んでしまう。
「ええ、航行空間湾曲のせいで設定座標がずれちゃったみたいなんです。こんなこと初めてだったからものすごく焦りました」
「あぁ、そう……」
 緩んだ口元はすぐに戻ったけど。
「お茶入れるよ」
「いえいえ」
 女の子が持ち上げた両手をぱたぱたと振る。
「せっかくですけど先を急ぎますから。この世界のお茶にも興味がありますけどまたの機会に」
「そ、そっか……」
 微笑む女の子に安堵とも残念ともつかない気持ちが胸中に沸く。
「それで、ここから一番近い精霊流殿を教えて欲しいんですけど。からっぽになっちゃったみたいで」
 そう言って女の子は恥ずかしそうに笑いながら両手を持ち上げて見せた。手首にはあの赤い石が嵌め込まれたブレスレット。明滅していた石も今は沈黙している。確かに「からっぽ」みたいな気はするが……気はするが当然のように言われても非常に困る。
 ていうか、せいれいりゅうでん、って何だ。
 そんなわけで俺が非常に困った顔をしてると女の子の顔が曇った。
「近くにはありませんか?」
「近くにはって言うか……なにそれ」
 女の子の眉間に皺が寄る。
「何って精霊流殿ですよ。精霊流を充填してくれる」
 不思議ワード第二弾。今度は追い抜き様俺の後頭部を殴っていった。脳内に浮かんだ選択肢は三つ。

 一 真実を述べる。
 二 近所のガソリンスタンドの場所を教えて女の子が出て行った後に鍵をかける。
 三 布団にもぐりこんで目が覚めたら元の世界に戻っていることを願う。

 結局俺は一を選択した。暇だったのと、どんな内容にせよ女の子と会話してるのには違いないという事実に気付いたから。
「いや、多分世界中探してもないと思う」
「そんな」
「さっきから精霊精霊言ってるけど、そういうの好きなの?」
「好きっていうか、呼び出せないと生活できないじゃないですか」
「どういう……」
 意味、の「い」まで発音しかけたのと同時だった。
「おいで、ホム」
 女の子が持ち上げた手の甲にいきなり火が付く。薄暗い六畳一間を照らし出した灯りに俺の口は見事なまでの半開きになった。そんな俺を見ながら女の子は怪訝そうな顔をしている。
「熱くないの?」
 当然の疑問を口にする俺に向かって女の子は首を傾げて見せた。併せて長い銀髪がふわりと揺れる。
「ええ、自分の精霊ですから」
 確かによく見れば火は女の子の手の甲から少し浮いていた。一体どういう仕組みなんだろうか。手品か……それともまさか。
 と、
「うわぁっ!」
 俺は反射的に大声を上げて火から飛び離れてしまった。火の中にいきなり現れた二つのつぶらな瞳と目が合ってしまったからだ。火も火で驚いたようでそのつぶらな瞳をもっと大きくして女の子の手から飛び降り、火の粉を散らして部屋の中を跳ね回る。
「ちょ……燃えるっ!」
 畳の上を逃げ回る火の玉と追いかける俺。築三十年の木造ぼろアポアート。そりゃよく燃えることだろう。近くにあったクッションを手に取り大きく振りかぶった瞬間、火の玉は見事な新月面(二回宙返り二回ひねり)を決めて女の子の手の上に戻った。なぜかちょっと胸? を張る火の玉。
 続けて女の子は逆の手を持ち上げる。
「出てきて、ミュー」
 応えるようにどこからともなく現れた水滴が女の子の手の上で収縮する。やがてそれはゆらゆらと揺れる水球の形を成した。無重力状態での水と全く同じだ。水球はその形を蛇のように変え、女の子の手から肩、そして首を一周してまた手に戻ってきた。もとの水球に戻ったところでこちらには目を細めた猫みたいな顔が浮かび上がる。
「ホム、ミュー、お願いね」
 がってんしょうち、と言わんばかりに火の玉と水球が大きく揺らめく。跳躍し、女の子の頭上で螺旋状に絡み合うホムとミュー。呆けた俺が唾を喉に流し込むほどの時間はあったと思う。ホムとミューが畳の上に降り立ったとき、六畳一間の中心、天井からぶら下がった裸電球の下には湯気を立ち上らせる水の玉が浮いていた。
 どうやらお湯が沸いたらしい。
 俺は恐る恐るそのお湯の玉に指先で触れてみた。
「あちっ」
 間違いない。見事な熱湯だった。お湯に痺れた指先をさすりながら女の子の顔を見つめる。どうやら認めるしかないようだ。この子は俺の知らない世界の住人であり、俺にはない力を持っている。どうやらそれは精霊の力を行使することらしい。要するに……、
「すげぇ」
 鼓動が高鳴る。顔が熱くなる。手の届く距離に自分の全く知らない世界がある。
「普通ですって。あ、でも火と水の扱いにはちょっとだけ自信あるんですよ」
 ホムとミューを見ながら女の子が照れたように、でも少しだけ得意げに微笑む。
「とにかく信じるよ。君は本当に異世界の住人みたいだ」
「ありがとうございます。それで、その、精霊流殿の場所を……」
「いや、だからないよ。この世界の人間は君みたいに精霊呼び出したりブレスレットで空間飛び越えたりできないから」
 女の子が俺の顔を見つめたまま沈黙する。何かまずいことでも言ったのだろうか。ひざの上で拳を握り、何かを考え込むようにうつむいてしまう。
 しばしの沈黙。暇なのかホムとミューが畳の上を転がっていた。
「例えば、ですよ? この世界の人はお湯を沸かすときどうするんですか」
「どう、って」
 俺は人差し指で頬を掻いてから立ち上がり、水道の蛇口をひねって水を出して鍋に水を張り、それをガス台の上に置き、スイッチをひねった。カチ、という音がして鍋の下で青い炎が灯る。
「これがこの世界での湯沸しの作法だけ……のわっ!」
 気が付けばすぐ隣にいてガス台を覗き込んでいる女の子。触れ合う肩の感触が気になって仕方がなかった。
「そんな」
 女の子が独り言でもつぶやくように言う。
「何の精霊の力も感じないのに」
「そこはほら科学の力ってやつで」
 別に俺が偉いわけじゃないのになぜかちょっと誇るように言う。ついでに言っておくと俺は文系だ。科学とはビタ一関係ない。
「最後にもう一度だけ」
 泣きそうな顔で女の子が俺を見上げる。
「この世界では精霊の力を行使したりしないんですね」
「それ以前に、できない」
 答えた瞬間女の子が崩れ落ちた。反射的に俺も膝を折る。
「どうしよう……帰れない」
 喉の奥から搾り出すような声で言って女の子が頭を振った。細い肩が、畳の上で握られた拳が震えている。そんな彼女の心細そげな姿に俺の胸まで重くなってきた。そして、何とかして助けてあげたいと思う。全く理が違う世界から来た彼女のために一介の学生である俺に何が出来るのかは分からないけど。
「だっ、大丈夫だって。きっと何とかなるよ。ね?」
 うつむいたままの女の子。やがて小さくしゃくり上げる声だけが聞こえだす。日は完全に落ちかけていた。その色を濃くした闇が背中にのしかかってくる。情けないよな、ほんと。何を言えばいいのか全く分からないなんて。
 うつむいたまま泣く女の子を見つめながら、ただ下唇を噛む。
「ほんとに、どうすれば」
 ……ぐ〜。
 一瞬の沈黙。
「帰れないよ、私」
「いやいや、今お腹鳴ったよね?」
 震えていた女の子の肩がぴたりと止まる。手の甲で涙を拭って女の子はそっぽを向いた。
 再び沈黙。
「なっ、鳴ってません」
 その声に込められた照れや恥じらいに吹き出してしまう。つい女の子の頭を撫でたくなって右手がぴくりと動いたがそれは自制した。涙には驚いたが意外と折れない子なのかもしれない。
「でもおなかが鳴るってことは体は前を向いてるってことだよ。頑張ってる」
 笑いながら言う俺に女の子も涙目で笑ってくれた。
 顔に血が上っていくのが分かる。反則だろ、そんな笑顔。
 火にかけられたままの鍋がコトコトと鳴る。その姿に親近感を覚えずにはいられない。
「とりあえずカップラーメン食べてみる? 丁度お湯も二人分沸いたしさ」
 鍋、それから宙に浮いているお湯の玉に視線を移して言う。
「カップラーメン?」
「そ、この世界の技術の粋を集めて作られた食べ物」
「すごそうですね」
「すごいさ。これがなきゃ今頃俺は餓死してる」
「へー」
 素直に驚く女の子。俺は立ち上がり、裸電球の根元に付いているスイッチをひねった。貧乏臭くはあるが蛍光灯より温かみのある灯りが室内を照らし出す。
 果てさて、カップラーメンがお口に合うといいんだけど。

ホームへ   前ページへ   小説の目次へ   次ページへ