武器屋リードの営業日誌
 第二話
─短剣と待ち人─
ライン

 昨夜とはうってかわって暖かい日差しが降り注ぐ今日この頃、俺は目の前に立つ煉瓦造りの建物を見ながら大きなあくびをする。
 町外れの小高い丘の上。振り返れば灰色をした石畳の道が町から自分の足下まで続いている。
 吹く風は柔らかく、外で昼寝をしたら気持ちいいだろうな、と心の底から思わせてくれるような陽気だった。
 聞こえてきた小鳥のさえずりに誘われた二度目のあくびを遠慮なく放出し、俺は建物の入り口に歩み寄る。
 結局夜明けまで待ってもガルドの奥さんは現れなかった。
 二人、ただひたすら待ち続けた無言の時を思い出すと今でも唇を噛みたいような気分になる。
 家に戻った俺とガルドはわずかな仮眠をとり、別行動となった。
 ガルドは町の広場へ、俺は「ここ」へ。
 ガルドのことが心配でないと言えば嘘になる。
 が、男二人が黙ってベンチに座っていてもどうしようもないのも事実だ。
 ガルドが待つと言った以上俺にはどうする事もできない。
 できるだけ早くガルドの奥さんがガルドの前に現れてくれるのを願うのみだ。
 そして、願いつつも俺にはやる事があった。
 フィーナ、である。
 昨夜、気がつけば彼女はいなくなっていた。それから今まで一度も会ってない。
 少しだけ打ち解けることはできたものの、まだ呪いの原因をどうこうできる所までは来ていなかった。
 それで何かヒントがあれば、と思い「ここ」に来たのだ。
 店のことなら心配ない。今日は週に一度の休業日だ。
 クレアのことも心配ない。
 隣にいる。
「早く行こ」
 澄んだブルーの瞳に促され、重厚な両開きの扉の前に立った俺はノッカーで扉を叩いた。
 「はい」という返事から待つことしばし、重いきしみ音と共に扉を開けて出て来たのは二十二歳の女性だった。
 黒の、裾の長いゆったりとした服に身を包んでいる。
 彼女の名はセシル・アイフォード。修道女だ。
 そう、「ここ」とは修道院である。と言っても別に神様の力を借りてフィーナを無理やり何とかしようとか思っているわけではない。
 俺は本を読みに来たのだ。フィーナや彼女の故郷であるニースリールについて少し調べてみようと、こういうわけだった。
 修道院には数多くの書物が収められている。修道士や修道女が修行の一環として書物を書き写すからだ。
 そんなわけで修道院には多くの写本が並ぶことになる。そして幾らか払えばそれを読むことも可能だった。
 さすがにタダというわけにはいかない。いくら清貧をよしとしていても、貧しすぎれば餓死してしまう。
 セシルを前にクレアは胸の前で手を組むと目を閉じて頭を下げた。
「えと、心は常に主と共にあり。日々いち……一日の平穏を主に感謝し、喜ぶなり」
 たどたどしくではあるが祈りの言葉を述べるクレアにセシルは大きく、ゆっくりと肯いた。それから俺に顔を向ける。
 まっすぐに伸びたダークブルーの髪が風に揺れ、同じ色の瞳が「早くしなさい」と俺に言う。
 正直、俺は「カミサマ」とやらをあまり信じていない。
 全知全能のカミサマが作ったにしては世界も人間もあまりに不完全だ。
 一度それについてセシルと議論した事があるが、平行線を辿るばかりで結局どうにもならなかった。
 俺としては「カミサマ」よりも原始信仰である「精霊」の方が何かしっくりくる。
 世の万物には精霊が宿り、世界はそれによって構築されている。
 当然、俺が商売で扱っている武器にだって精霊は宿るし、フライパンにだって宿るんだろう。
 俺にしてみれば「カミサマ」よりも「精霊」の方が圧倒的に近くにいるような気がするのだ。だから信じられる。
 全知全能の神、とか言われると遥か空の高い所にいて俺のことなんて見てないんじゃないかと思ってしまう。
 まぁ、信仰心が足りないと言われればそれまでなんだけど。
 俺は手を組み、目を閉じた。
「心は常に主と共にあり。日々一日の平穏を主に感謝し、喜ぶなり」
 本を見せてもらうためと割り切って祈りの言葉を述べる。
「主は全ての者を等しく受け入れ、お許しになります。日々の祈りを忘れぬよう」
 そう言って手を組み頭を下げたセシルは、最後に苦笑した。
「相変わらずね。心がこもってない」
「主は寛大なんだろ。甘えさせてくれるさ」
 言って俺も笑う。
「主よ、この愚か者に試練をお与え下さい」
「あ、ひでぇ。主よ、あなたの娘であるセシル・アイフォードはろくでなしです」
「こら。で、今日はどうしたの?」
 セシルが修道女としてこの町に来たのが十五のとき。俺も暇な時にはよく本を読みに来ていたので結構長い付き合いになる。
 友人、と言っても差し支えないだろう。
 もっとも、体に触れたこともないんだけど。
 もちろん変な意味ではなく俺はセシルの肩を叩いたことすらない。
 修道女である彼女は男性との身体的な接触を一切禁じられている。できるのは話だけ。禁を破れば破門だ。
 厳密に言えば即破門ということはないだろうが、敬虔な信徒であるセシルは教えを忠実に守り、貫いている。
 もしセシルが町で普通に暮らしていれば男どもが放ってはおかないだろう。
 彼女にはそれだけの美しさがあった。
 というより何か色っぽいのだ。
 涼しげな目元に艶のある唇。セシルが浮べる微笑に、背筋を指でなぞられたような気分になったことも多くある。
 彼女が耳元で一言ささやけば男は金貨の十枚や二十枚、強盗をしてでも差し出すことだろう。
 実際、彼女がこの修道院に来てから寄付の額が上がったらしいし。
 もちろんセシルは何もしていない。男という存在がひたすら悲しいだけだ。
「いつものだよ」
 そう答えるとセシルは軽く肯いて俺たちを中に招き入れてくれた。
 俺たちを迎えてくれたのは左右に伸びる廊下、そして正面にある重厚な両開きの扉だった。
 扉の向こうは礼拝堂だ。
 修道院の構造としては中心に礼拝堂があり、その周りを廊下を挟んで様々な部屋が囲んでいるという風になっている。
 しかしこの空気。
 深淵とか静謐とか普段あまり使わない言葉を使いたくなる。
 基本的に「カミサマ」に対する信仰心は薄い俺だが、それでもこの空気には口数が少なくなってしまう。
 何度来てもやっぱり慣れない。
 隣にいるクレアが俺の手を握った。小さな手から緊張感が伝わってくる。
 黙って歩き出したセシルの後を、俺もクレアの手を引いて無言で付いて行く。
 石畳の廊下。高い天井に足音が響く。
 にしても、だ。
 セシルの後姿を見ながらふと思う。
 美味しそ……うがっ。
 つま先に激痛が走った。
「お兄ちゃん」
 踵をぐりぐりと俺の足にねじ込みながらクレアが笑う。
「ダメだよ、変なこと考えちゃ」
「何で分かった」
「いやらしいこと考えてる顔してたもん」
「顔に出してしまうとは俺もまだまだ修行が足りんな」
「ばか」
 繋いでいた手をほどき、ぷいと横を向いたクレアは先に歩いていってしまった。
 一つ息を吐き、痛む足で後を追う。
 一番前を歩いていたセシルが立ち止まり、振り返った。そこは馴染みの写本室の前だ。
「相変わらずね、あなた達」
 俺とクレアの顔を一度ずつ見てセシルが言う。
 口調こそ呆れてはいたが表情は非常に楽しそうだ。
「待ってて、鍵取ってくるね」
 廊下の奥へと歩いていくセシルを見つつ、俺は写本室の扉に背を預けた。
 クレアはまだ膨れっ面をしている。
「そこまで怒んなくてもいいだろ。ちょっと見とれただけじゃないか」
「別に怒ってなんか」
 と言いつつもクレアは床を蹴る。
「……わたしだって大きくなればあれくらい」
「は?」
「何でもない!」
 何かをかき消すように大声で言って、クレアはそっぽを向いてしまった。
 頬が赤いような気がするが、まぁ気のせいだということにしておこう。
 口元をかすかに緩めて待つことしばし。鍵の束を手にしたセシルが戻ってきた。
「お待たせ、っと。どうしたの?」
 クレアに目をやったセシルが首をかしげる。
「いや、まぁ、人生哲学の相違による軋轢とでも言おうか」
「何それ」
 と、クレアがとてとてとセシルに歩み寄った。
「お兄ちゃんが無理矢理いやらしい言葉を教えるの」
「ちょっと泣きそうな顔してそんなこと言うんじゃないっ!」
「リード! あなた何考えてるの!」
「信じるなっ!」
 修道院に魂の絶叫が響く。
 今の声ならば空の遥か高くにいるカミサマにだって届いただろう。
 肩で盛大に息をする俺を冷たい瞳で一瞥し、セシルはクレアの前で膝を折った。
「クレア、辛くなったらいつでもここにいらっしゃい。主は全ての者を等しく愛されます」
「うん。ありがとう」
 こらクレア、やっと自分の居場所が見つかった、みたいな顔して肯くな。
「この愚か者の言動については私がしっかり証言するから。異端審問にかければ神の名のもとに武器屋の一人や二人」
「主よ、あなたの娘であるセシル・アイフォードは変なクスリをやってるみたです」
「やってません!」
 今度はセシルが叫ぶ番だった。
「本気で否定するな。余計怪しいだろ」
 と、セシルはふと思案して、
「やっ、やってないよ?」
 静寂。
「まぁバカ話はさておきだ」
「うぁ、はらたつ」
 俺は上着のポケットから銀貨を一枚取り出した。
 何人の手を渡ってきたのかは知らないが、かなり傷が入っている。
 本の閲覧料だ。
 深く頭を下げたセシルは銀貨を受け取り、写本室へと続く扉の鍵を開けてれる。
 言うまでもなく、本は貴重品だ。一冊作るのに結構な手間がかかる。
 クレアの読み書きのテキストだって爺ちゃんの代から使っている年代ものだった。そう頻繁に買い換えられる物ではない。
 そういう意味で、扉の向こうは宝の山だった。
 閲覧台と天板に角度がついた写本台が中央に置かれ、それを挟むように本棚が立ち並んでいる。
 古めかしい羊皮紙とくすんだインクの匂いに俺は目を細めた。
 十代の頃、親父に頼まれた店番を放り出してここに来ていたことを思い出す。
 本が日に焼けるのを防ぐためか明り取りの小さな窓があるだけの薄暗い写本室。
 町の喧騒もここまでは届かない。時折風が木々を揺らし、葉のこすれる音が遠慮がちに聞こえてくるのみだ。
 目には悪いだろうが本に没頭するには最高の雰囲気だった。
 もちろん今でもお気に入りの場所だ。
「それで、何をお探しなの?」
「ニースリールについて書かれた本なんだけど。できれば最後の姫について」
「ん、分かった」
 一つ肯き、セシルは本の森を迷うことなく歩いていく。
 椅子に腰掛け、閲覧台の木目を見ながらあくびを二度し終えたときには数冊の本が俺の傍に積み上げられていた。
 さすがは写本室の管理人。仕事が早い。
 早速一番上の一冊を手に取り、ページを開く。
 何か分かればいいけどな。

ライン


 数時間後。
 最後の一冊を閉じ、俺は閲覧台の上に突っ伏した。
 目を閉じても瞼の裏に字が浮かんでくる。同じ姿勢でいたため、肩と背中は石のように硬くなっていた。
 思いっきり腕を振り上げて大きく伸びをする。
 涙が滲むくらい気持ちいい。
「あっ、うぅ……あぁう」
「ちょっと、気持ちの悪い声出さないでよ」
 クレアに字を教えながら一緒に本を読んでいたセシルがこちらを睨む。
「どうだったの?」
 セシルの問いに俺は黙って首を横に振った。
 何冊もの本を読んでみたが、フィーナの呪いを解くヒントになりそうな記述は見つけられなかった。
 フィーナの過去については彼女が語った通り。代表的な悲恋物語としてどの本にも挙げてあった。
 だが今さらそんな事が分かったところで仕方がない。
 生前のフィーナの人物像に触れている記述もあったが、ハチミツをたっぷり塗ったパンが好きだったという情報をもとにどうやって呪いを解けというのだ。
 正直、フィーナと話す時のとっかかりが一つできたくらいだ。
 本を探してくれたセシルには申し訳ないが無駄足だったらしい。
 やっぱり根気よく会話を続けて少しずつ彼女の心を解きほぐしていくしかないのだろうか。
 頭を掻き、色とりどりの背表紙を見つめる。
「お姉ちゃん、これは?」
 尋ねるクレアの声。
「あぁ、ごめんね。『革命』よ」
 本を見ながらクレアがふーん、と肯く。
 革命。
 その単語を右から左に通過させながら俺は今まで読んでいた本に指先で触れた。
 タイトルには「ニースリール最後の美姫、フィーナ・ハイクライン」とある。
 フィーナが有名人である事を改めて実感してしまった。
 革命。ニースリール。フィーナ。
 そんな単語が頭をよぎり、抜けていく。
 革命。ニースリール。フィーナ。
「あ」
 反射的に声をあげた俺は口元を手で押さえ、固まってしまった。
 心臓の鼓動が強くなり胸が苦しくなる。指先が燃えるように熱くなり、反対に足の指は痛いほどに冷たくなっていく。
「お兄ちゃん?」
 クレアの声さえ無視して俺は思考に没入した。
 もしかしてとんでもない勘違いをしてたんじゃないのか。
 口内が恐ろしい勢いで乾いていく。
 張り付いた舌を引き剥がし、俺は唇を舐めた。
 思い出せ。
『好きなの?』
『はい。愛する人の仕事道具ですので』
 俺とフィーナが昨日店でかわした会話だ。
 あの時のフィーナは武器を見ながら本当に幸せそうな顔をしていた。
 ありえない。
 ニースリールが滅んだ八百年前といえばある『革命』が起こった時期だ。
 その『革命』ゆえにニースリールは滅んだと言っても過言ではない。
 フィーナが武器好きだということは否定できない。
 だが、ニースリールの姫がウチの武器を見ながら幸せそうな顔をするのは間違っている。
 なぜ昨日店でフィーナと会話をした時点で思い出さなかった。いくら眠かったとはいえボケ過ぎだ。
 武器屋として最低限押さえておかなければならない歴史なのに。
 だが疑問が残る。
 だとすればフィーナは……。
 彼女と出会ってからの記憶を辿る。
 印象に残っているのはやはり武器を見ているときの幸せそうな顔、そして昨夜中央広場で見せた泣き顔だ。
 俺は泣きじゃくるフィーナを見て、より彼女らしいと思った。
 そもそも何で泣いたんだっけ。
 ……そうだ。言葉をかけたんだ。
「体が透けてたって心まで透けてるわけじゃないだろ」って。
 そう言ったら泣かれた。よりフィーナらしく泣かれた。
 武器と幸せ。言葉と泣き顔。
 瞬間、俺は椅子を蹴って立ち上がった。弾みで倒れた椅子が床に打ち付けられる。
「え、なに。どうし」
「組合報だ」
 セシルの声を遮って呟き、俺は顔を上げた。
 こうしてはいられない。すぐに確認をとらなければ。
「クレア、帰るぞ!」
「え、だってまだ……きゃっ」
 俺はクレアを抱え上げ、写本室から飛び出した。
「お兄ちゃん、なに、なに、なに?」
「喋るな。舌噛むぞ!」
 修道院の廊下を走り抜け、外に出る。
 後ろからセシルの声が聞こえたが構っている暇はない。
 俺は足に力を入れ、さらに強く石畳の道を蹴った。
 もし俺の予想が正しければフィーナを解放してやれるかもしれない。
 今はとにかく全力で走れ。

ライン

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