武器屋リードの営業日誌
第二話
─短剣と待ち人─
7晩飯時を過ぎ、クレアがベッドに入る時間になってもガルドは帰ってこなかった。
天井からぶら下がっているランプを見上げ、あくびを一つ。さすがにケーム茶の効果も切れてきたようだ。涙に滲んだ視界を瞬きでクリアにして、俺はテーブルに突っ伏した。
食堂。目の前では三人分の料理が食べられるその時を待ちわびている。さすがにクレアまで待たせるわけにはいかなかったので先に食べさせたが、俺はどうにも手を付けられなかった。
ガルドのことが心配で食事が喉を通らない……わけではない。
友人が未来の嫁さんを連れて来るその日に家主が先に晩飯を済ませてどうする、という礼儀的な理由ゆえにだ。
そりゃ全く気にならないと言えば嘘になる。が、俺もガルドも下手したら「おじさん」に片足突っ込みそうなのだ。誰かが待ち合わせに遅れたくらいで右往左往するような歳でもない。待ち合わせの相手が自分の子供とかなら多少はあたふたするかもしれないが、今回は少なくとも結婚できる歳の女性なのだ。心の片隅で、何かあったんだろうなぁ、と思ってみるくらいだった。
どうせ今ごろ手でも繋いでウチに向かっているに違いない。それどころか適当な宿にしけ込んであんなことやこんなことを時にひねりを加えつつやっているという可能性もないでもない。ガルドの嫁さん 「いいの? お友達」
ガルド 「あぁ、待たせとけばいいさ、あんな奴。それよりも」
ガルドの嫁さん 「あん。だーめ。ベッドに入ってから、ね」よし、殺ろう。
神様もきっと許してくれる。お祈りなんてしたことないけど僕はあなたを愛しています。と、アホなことを考えていても時間は過ぎていく。揺れる自分の影を見ながら俺はがしがしと頭を掻いた。
っとに何やってんだ、さっさと来いよ。料理冷めちまったじゃないか。
時が進むたびに階段を上がるかのごとく不安のレベルが少しずつ高くなっていく。
強盗。誘拐。事故。
考えてはならない単語ばかりが頭に浮かんでは消える。確かに相手は子供じゃない。それゆえに大丈夫だと俺は思っている。だがその裏で大人だからこそ、と思っていることも確かだった。なぜならば、まともな大人は待ち合わせに遅れたりはしないからだ。遅れてもせいぜい水が湯になる時間ほど。緊急事態でも起こらない限り「来ない」なんてことはまずない。俺はガルドが料理を作って待っている人間を放り出して宿にしけこむような性格でない事も知っている。ウチに来ないということは、まだ奥さんと会えてないのだろう。
緊急事態……なのか?
下唇を噛んで頭を振る。
「フィーナ。いるんだろ」
緊急事態について考えるのが嫌になった俺は限度を越えた不測の事態に意識を移すことにした。こっちはこっちで問題が山積みなのだ。八百年間の悩みをわずか二十五歳の俺がなんとしようとしてるんだから無謀と言えば無謀だった。だがこのまま放っておいては一生フィーナに付きまとわれたままになってしまう。別に鬱陶しいわけでも邪魔くさいわけでもないのだが、居心地が悪かった。やはり問題が解決せずそのまま残っている状態というのは決して気持ちのいいもではない。歯にモノが挟まったまま過ごす一日が何となく嫌なのとよく似ていた。
「フィーナ」
再び呼びかける。彼女は現れない。
気配を探ることができないため、頭を巡らせて食堂中に視線を走らせてみたがやはりフィーナはいなかった。
天井に張り付いている、わけでもない。
どこ行ったんだよ。
椅子の背に寄りかかり、目を閉じる。数秒後、少しだけ期待しながら目を開けてみたが、やはりフィーナはいなかった。
深夜になり、気温はますます下がっている。真冬の寒さに比べればまだマシだが、それでも人を落ち着かなくさせる程度には寒かった。拳を握れば指先の冷たさが手のひらに伝わってくる。小さく舌打ちした俺は結局ガルドの顔を思い浮かべてしまった。考えまいとすればするほど考えてしまう。
は。まさかこれは恋?
数秒の間をおいてランプの炎が揺れる。ランプに鼻で笑われたような気がした。
俺はいつまでこうして馬鹿なことを考えていればいいんだろうか。
もしかして今晩も半徹か? だとすれば明日はクレアの淹れたケーム茶(二倍)だぞ。それだけは何としても避けなければならない。今度こそ本気で死ぬ。出されたところで飲まなければいいだけのような気もするが、それはできない。
芸の道の生きる人間に、そんな「おいしい」アイテムを見逃す事などできるだろうか。いや、できはしない。
やはりそこは……って、ちょっと待て。
忘れていたが俺は武器屋だ。なぜ身体を張って笑いをとりにいかねばならんのだ。誰もそんなこと期待してないだろうに。危うく自分を見失うところだった。
再びランプの炎が揺れる。
今度は嘲笑か、おい。ランプに向い心中で呼びかける。
いい加減、自分でも自分の行動がおかしいんじゃないだろうかと思い始めた時だ。微かに聞こえた戸を叩く音に俺は大きく息を吐いて立ち上がった。どうやら御着きになられたようだ。
っとに、主役は遅れて登場するとはいえ、少し遅れすぎだろ。
頭の中で毒づきながらも頬の辺りは緩んでいた。問題が解決される瞬間というのは何度味わってもいいものだ。
食堂から庭に出た俺は薄く白い息を一つ吐いて勝手口を開いた。
そこにいたのは案の定ガルドと、ガルドと……。
闇のせいかと思い目を凝らす。だが、いくら見てみてもそこにはガルド以外誰もいなかった。
「上着を取りに戻った。意外と寒いな、ここは」
一人立ち尽くすガルドが力なく笑う。俺は無言でガルドを中に招き入れた。言うべき言葉が見つからない。まだ来ないのか。そんな事は見れば分かる。声にする必要はない。
「腹、減ったろ」
思案して、言えたのはそれだけだった。
「あぁ、いや。そうでもない」
どこか呆けた表情で曖昧な返事をするガルド。
「食べて行けよ。食堂に用意してあるから」
親指で家の方を指した俺にガルドは首を横に振った。
「すぐ、戻るつもりだ」
「でもお前、朝からずっとだろ。少し休めって」
さすがに「今日はもう来ないだろ」と言える雰囲気ではなかった。来るまで待ちつづける。疲れた表情の中でガルドの目がそう言っていた。
「だが」
その間に来るかもしれない、か。
「俺が行くさ」
ガルドの目がわずかに大きくなる。
「気にするな。ついで、なんだから」
腰に手を当てた俺は微笑して見せた。
「ついで、って何のだ」
「最近、初代町長の像を見るのに凝っててな。月明かりに照らされたのも一度見とかなきゃ、なんて」
俺の微笑は苦笑に変わっていく。そんな俺を見てガルドも笑った。
「いい趣味だな」
「だろ。というわけでお前もメシ食って一休みしたらすぐに来い。最高のポイントを教えてやるから」
言いながら俺は勝手口を開いて外に出る。町は完全に静まり返っていた。さすが田舎だ。寝るときはきっちり寝る。健康的でいいじゃないか。眠らない王都なんていつも睡眠不足でイライラしてるに違いない。だから犯罪率が高いんだ。
「リード」
名を呼ばれ、振り向けば拳を握ったガルドが深く頭を下げていた。
「すまん」
「謝るな」
それだけ言い残し、俺は勝手口を後ろ手に閉じた。どうもこういう雰囲気ってのは苦手だ。手に向かって息を吐きかけ、空を見上げる。
晴れ渡った空には雲ひとつなく見事な星空だ。こうして星を見ていると空の高さがよく分かる。昼間よりも空が大きく見えた。
いいことありそうじゃないか。
目を細めた俺は上着のポケットに手を突っ込み、中央広場に向かって歩き出した。