武器屋リードの営業日誌
 第二話
─短剣と待ち人─
ライン

「どうした。顔が恐いぞ」
「あー」
 この「あー」を正確に表現するならば濁点が必要となる。そんな「あー」を喉の奥から搾り出しながら、俺はカウンターに突っ伏していた。
 カウンターを挟んで立っているガルドの姿も、半分しか開いていない目ではよく見えない。
 結局、俺のゴミ投げは夜が白むまで続けられた。おかげで完全な寝不足だし、とにかく体中が痛い。打った足の小指を扉で挟むという連続攻撃を喰らった時には本気で叫びそうになった。
 「何でもいいからみんな死ね。とにかく死ね」と世界を呪ったりもしたもんだ。
 で、結論を言えばゴミはゴミ箱に入らなかった。
 ふよふよと頭の上を漂っているフィーナを見上げ、俺は大きな溜め息をつく。彼女は何が楽しいのか店に展示してある武器を見ながら穏やかな笑みを浮べていた。幽霊のくせにフィーナには不思議と朝日が似合う。もし透けていなければ金色の髪は朝日を照り返し、美しく輝いた事だろう。
 しかし俺じゃあるまいし、お姫様が武器なんて見て楽しいのかね。
 フィーナの顔を見ながら頭を掻く。
 大体、何で幽霊が朝っぱらから普通に活動してるんだよ。ルール違反だろ。
 だが夜も昼も普通に活動しているということは、あの「眠る快感」を味わえないわけだし、それはそれで不幸のような気もする。
 そう、睡眠とは非常に心地良い至福の時。こうして少し目を閉じればすぐにでも幸せは訪れ……、
「リード」
 ガルドの野太い声が俺の意識を連れ戻す。顔を上げた俺は目をしばたかせ、辺りを見回した。
 いかん。完全に寝るところだった。
「大丈夫か?」
「あぁ、ただの寝不足だ」
 と、腰に手をやったガルドが呆れ顔になる。
「何をやってたのかは知らんが、体調管理も商売人の仕事だぞ」
 お前がくれた短剣のせいだ、と前歯の裏まで出ていた言葉をかろうじて飲み込む。正直、フィーナのことを説明する気力がなかった。それにガルドには見えてないのだ。説明したところで信じはしないだろう。
「どこか行くのか?」
 あくび混じりに訊く。
「待ち合わせだ」
 俺はつい眉間に皺を寄せてしまった。待ち合わせ。できれば聞きたくなかった単語だ。だがガルドの表情は俺とは対照的に明るかった。春と春と春と春が一度に来たような笑顔をしてやがるのだ。その表情からガルドの待ち合わせの相手が誰であるのか嫌でも分かった。
「今日来るって言ってたよな」
「うむ。この町の広場で待ち合わせている」
 町の中央広場。
 まぁ、この町で待ち合わせをしようと思えばそこくらしかないか。そこくらいしかない故に非常に分かりやすくもあるんだけど。
「紹介してくれるんだろ?」
「もちろんだ」
「あんまり綺麗な娘連れてくるなよ。お前に殺意を抱いちまうから」
 笑いながら言う俺にガルドは苦笑した。
「じゃ、行ってくる」
「おう」
 軽く手を挙げて出て行ったガルドを見送ると、店内は途端に静かになった。もう一人いるにはいるんだが、気配がしないため一人残されたような気分になる。店の前を干草を積んだ馬車が通り過ぎていく。その小気味いいリズムが今日何度目かのあくびを引き出した。
 大きく口を開け、あむ、と閉じる。
 なーんかしゃんとしないなぁ。お客でも来てくれれば目が覚めるんだけど。が、ウチは武器屋だ。八百屋や果物屋と違って朝イチから賑わう事はあまりない。帳簿の処理とか在庫のチェックとかやることは結構あるのだが、どうにも動く気がしなかった。
 そのとき背後の扉が開き、クレアが現れる。彼女の手には読み書きを覚えるためのテキストが握られていた。
 そっか。今日は読み書きの日か。忘れてた。
 クレアは俺の隣に来ると、彼女用の椅子に腰掛けた。
 学校に通えるのはほんの一握り、お金持ちのお坊ちゃんお嬢ちゃんだけだ。だから大抵の子はこうして身近な大人から読み書きと算術を習う。もちろん俺も例外ではなく、母親から習った。ちなみに親父が教えてくれたのは武器の扱い方のみ。ついでにもう一つ言っておくと下半身関係の知識は爺ちゃんが嫌と言うほど教えてくれた。
 修道院へ行けば読み書き算術を安く教えてはくれるのだが、ただに越した事はない。俺が教えれば修道院に行く手間もかからないし。
「どこからだっけ」
 訊いてくるクレアに俺はテキストを手にとってぱらぱらとめくった。めくって、そのまま閉じてしまう。
 思いっきり首をひねるクレア。
「クレア、水出しでいいからケームの葉でお茶淹れてくれないか」
 多少くせがあるものの、ケームのお茶は眠気覚ましの飲み物として昔から愛用されている。
「濃い目でな」
 恐らく死ぬほどまずいだろうが、そんなものでも飲まなければ活動する気になれない。
「どうしたの?」
「寝不足なんだ」
 途端にクレアの眉がハの字になる。
「あー、わたしには早く寝なさいって言ったくせに」
 腕を組んだクレアの目が下からこちらを睨んだ。
「悪かったよ」
「じゃ今日は少しだけ遅くまでガルドおじちゃんのお話聞いてもいい?」
「あぁ。少しだけ、な」
「やった。すぐお茶淹れてあげるね」
 満面の笑みで椅子から飛び降りたクレアは扉を開け放ち、廊下を走って行ってしまった。半開きの扉が小さく鳴る。手で顔をこすり、俺はいまだに武器を眺めているフィーナに視線をやった。
「フィーナ」 
 壁に掛けられた左手用短剣(マン・ゴーシュ)に鼻がくっつきそうなほど近付いていたフィーナがこちらを振り向く。
「はい。どうかしましたか」
 と訊かれて困ってしまった。声をかけたのは眠気覚ましに話し相手になってもらおうと思ったからで、何を話すかまでは考えてなかったからだ。
 半開きの扉がもう一度鳴った。
「とりあえず……クレアの前には出ないでくれよ。あの子、お化けが大嫌いなんだ」
 夜、せっかくトイレに一人で行けかけてるのに、全てが水の泡になってしまう。
「気を付けますね」
 それだけ答えて、フィーナは再び武器に見入ってしまった。
「なぁ」
「はい」
 振り向いたフィーナは多少めんどくさそうな顔をしていた。恐らくは邪魔するなと言いたいのだろう。
「さっきからずっと眺めてるけど、楽しい?」
「ええ、とても」
 そう答えたフィーナは本当に幸せそうだった。彼女も俺と同じ種類の人間なのだろうか。いや、俺でさえ武器を見ながらここまで幸せそうな顔はしない。せいぜい頬を緩めてみるくらいだ。
「好きなの?」
「はい。愛する人の仕事道具ですので」
 そういうことか。
 フィーナは手を伸ばし、それこそ愛する人の頬でも撫でるように展示してある長剣の刃に触れた。うっとり、という単語がこれほど似合う表情も珍しい。
 甘い思い出につま先から頭のてっぺんまで浸かりきったフィーナを見つつ、あくびをする。昨晩、自分のことを語った時とは大違いだ。悲しい別れはあったものの、それまでは非常に幸せだったのだろう。華やかな宮廷での華やかな恋。皆がお似合いだと祝福するような幸福で、まっすぐで、熱い関係だったに違いない。将軍と姫ならば決して許されざる恋でもないし。どこかの二人のように「考え直せ」と言われもしなかったろう。でも、幸せだったからこそ八百年経っても未練を断ち切れずにいるんじゃないだろうか。それなりに幸せだったのなら適当なところでそれを思い出にすることができる。気持ちを整理して次に進もうと思えるのだ。
 だが思いが深すぎる故に過去を過去だと認められなくなってしまうことが人にはある。
 正直、それは俺にだってあった。今でも思い出す度に喉の奥に魚の小骨が引っかかったような気分になる過去がある。きちんと思い出にできていない過去だ。ただ、俺は喉に小骨を刺したままでも前に進みたいとは思っている。
「いいかリード。人はそのうち死ぬ。でも、どうせ死ぬならかっこよく死ね」
 そう言っていつもと同じ時間に工房に入った爺ちゃんは作業台に伏したまま死んだ。爺ちゃんは最後の一瞬まで武器屋だった。そして、かっこよかった。
 まぁ俺のことはさておき、問題はフィーナだ。
 一応自分から「呪いを解いてください」と出てきたわけだから、それなりに前向きなのだろうがあくまでそれなりにだ。大体その呪いにしたって誰かにかけられたものではなく、フィーナの未練そのものが呪いになってるわけだから、結局は彼女の後ろ向きな思考のせいだとも言える。
 どうすればフィーナに前を向いてもらえるんだろうか。
 相変わらずの表情で武器を眺め続けるフィーナを見やり、俺は溜め息をついた。
 生きている人間ならば日常に追われているうちに辛い過去が思い出に昇華していくこともある。いわゆる「時間が癒してくれる」というやつだ。ところが幽霊であるフィーナの場合それもない。
 彼女には日常がないのだ。
 食べなくても寝なくても死なないのだから、一日中過去に囚われて生活、というか存在していても全く問題ない。
 それが問題なんだよなぁ。
 心中で頭を抱えた俺は再びカウンターに突っ伏した。
 面白そうだから。
 フィーナに協力しようと思った動機が不純なだけに「どうでもいいや」と放り出すわけにもいかない。真面目にやるだけのことをやったんならまだしも、それは余りにも無責任だ。それに、フィーナの気持ちも俺には少しだけ分かった。
 本当に辛いと逃げ出したくなるもんな、やっぱり。
 昔の事を思い出し、唇を歪める。
 大切なのはそこで踏みとどまれるかどうかだ。一歩前に出るのは落ち着いてからでいい。たとえ他人からただ立ち尽くしているように見えたって、歯を食いしばり、拳を握って立ち尽くすことに意味があるんだ。それが前に出る力を生む、と俺は信じている。
 俺の信念をフィーナに教えることが正しいのかどうかは分からない。俺はフィーナとの待ち合わせに間に合うように、黙って行ったり来たりして、適当なところで諦めれば一応かっこうもつく。
 だがそれは「一応」でしかないのだ。
 フィーナの呪いが俺には手の出しようもない古代の呪術か何かならば諦めればいい。でもそうじゃない。呪いがフィーナの心の問題である以上、俺にできることはしてあげたいと思う。ちょっとした責任感と、多大な同情心ゆえに。
 とにかく今夜、話をしてみるか。
 思い、顔を上げた時だった。お盆の上にティーカップを一つ乗せ、クレアが戻ってきた。
「お、ありがと」
 礼を述べてカップを手にする。白いカップにはドス紫色をした液体がなみなみとと注がれていた。
 ケーム茶を見るたびに思う。これを最初に飲もうと思った奴の顔を見てみたい、と。
「うんと濃くしといたよ」
「ありがたいね」
 言いつつ苦笑する。確かに濃くしてくれとは言ったが、どろどろになるまで濃くしろとは言ってないはずだが。もはやこれは飲み物ではない。感覚としては赤ん坊の離乳食に近かった。もっとも、こんなもの赤ん坊に食べさせたら顔が変形するくらい母親にぐーで殴られるだろうけど。
 カップを鼻に近づけ、匂いを嗅ぐ。少し甘味のあるお茶の匂い。
 匂いだけは普通なんだよな。だからこそ客商売をしている身でも飲めるわけなんだけど。
 覚悟を決めた俺はカップの縁を唇につけ、一気にあおった。
 端的に言いたいと思う。
 帰れ。
 誰がどこになんてのは些細な事だ。
 クレアが淹れてくれたケーム茶はそんな味がした。
 あ、なんか足がガクガクする。心臓はバクバクしてるし、もしかして俺、危ない? そういや一度に大量に飲むと「死んじゃう」って聞いたような。
 変な温度の汗と脂汗を同時に流しつつ、俺は大きく深呼吸した。もう一度。さらにもう一度。足の震えと心臓の動悸が収まってきたところで額の汗を手のひらで拭う。今までかいたことのない種類の汗だった。
 何か、暗殺とかに使われないうちに法で規制した方がいいんじゃねーか、これ。
 嫌な紫色に染まってしまったカップを見つつ、俺は胃から登ってきた気色の悪い何かをこらえた。
「飲んじゃった」
「あのなぁ」
 驚きを隠そうともしないクレアに向かってうめく。
「飲めると思って持ってきたんじゃないのか?」
「うーん。次は二倍かな」
「お願いだからやめてくれ」
 ていうか何なんだそのちょっと狂った錬金術師みたいな台詞は。
「お兄ちゃんいつも言ってるでしょ。人間は前を向いてなきゃダメだって」
「知らん」
 そっぽを向いて腕を組む俺。
 茨の道ならまだしも、そんな「馬鹿一人ここ眠る」と刻まれた墓石に続くような道へ一歩踏み出すような勇気、俺にはない。
「大人って嘘つきだね」
「難しい言葉でこれを処世術と言うんだ」
「簡単な言葉だと?」
「忘れてしまった大切な何か」
 俺を見上げていたクレアがわざとらしく溜め息をつき、首を振る。どこで覚えたんだ、そんな仕草。
 最後にぽんぽんと俺の腕を叩き、クレアは読み書きのテキストを差し出してきた。
 何かに負けたような気がするが、まぁいい。
 テキストを受け取った俺は前回の続きのページを開く。気がつけば眠気はすっかりとんでいた。
「じゃあここから」
 読んでみな、と言おうとして俺はその言葉を飲み込んだ。
 店の入り口から覗き込むようにしてこちらを伺っている女性の存在に気付いたからだ。
「いらっしゃいませ」
 客にしては変だなと思いつつも立ち上がり、声をかける。女性は一度大きく肩を震わせ、何かを確かめるように店内を見回してから中に入ってきた。その足取りもなぜかおぼつかない。肝試しでもしているような歩き方だ。
 女性、というよりも少女に近い。年の頃十七、八。
 下手をすれば十五、六でも通るだろう。
 濃青のスカートと長く伸ばされたライトブラウンの髪を揺らしながら、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。やがて少女はカウンターから少し離れたところで立ち止まると、満月のような黄色い瞳で俺を見つめた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか」
 初めて見る顔だ。この町の人間でもなさそうだし、旅行者だろうか。
「あ、あの」
 震える声でそれだけ言って少女はうつむいてしまった。どうも様子がおかしい。
「はい、どのようなご用件で」
 穏やかな声を発しつつも、自分の身体でクレアを隠すようにして立つ。追い詰められたような少女の表情が気になった。いきなり短剣でも突きつけられて「金を出せ」と言われないとも限らない。だが、どれだけ待っても少女は短剣もまともな言葉も出してはくれなかった。
「その、だから」
「はい」
 少女の喉が鳴る。
「あ……すみませんでした」
 少女は叫ぶように言い残し、走って店から出て行ってしまったのだ。
 後に残された俺とクレアは互いの顔に浮かんだ疑問符を確認しあってから、同時に息を吐いた。ちなみにフィーナは我関せずといった様子で武器を眺め続けている。
「何だったんだろうな、一体」
 腕を組んだ俺は今しがた少女が出て行った店の入り口に目をやった。町の様子はいつもと変わりなく、それなりの人間がそれなりの活気で行き来している。そんな日常にできた谷間にふと落ちてしまったような不思議な感覚だ。
 フィーナが見えたとか。
 でもそれだったらもっとこう、叫び声とか派手に驚いてもいいような気がするし。
「あの人にはあの人なりの理由があるんだよ、きっと」
「何を悟ったようなことを。大体、理由もなくあれだけ挙動不審だったら恐いだろ」
「でもおじちゃんは理由がなくても床から出てきたりするよ」
「あれは別枠だ。忘れろ」
 ここでクレアが言うおじちゃんとは俺の親父のことである。アレのことを考えたら今の少女が随分とまともに思えてきた。
「とりあえず勉強するか。普通の大人になるためにも」
「はーい」
 元気よく返事をするクレアに一つ微笑して、俺は授業を開始した。

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