武器屋リードの営業日誌
第二話  
短剣と待ち人─
ライン

 女性の幽霊はフィーナ・ハイクラインと名乗った。聞けばニースリール最後の姫だと言う。
 ニースリールとは今から約八百年前に滅んだ国で、この国ルーヴェリアの北方に位置していた。今ではニースリール地方としてその名を残しており、銅の産地としても有名だ。
「で、呪いってのは」
 何か最近王族と縁があるなぁと思いつつも訊く。フィーナはおなかの上で指を組むと、澄んだ声で話し出した。
「私には将来を誓い合った男性がいました。その人は我が国の将軍で、とてもりりしく、勇ましく、優しい方でした。私は彼を心から愛し、また彼も私を愛してくれました」
 ついでにのろけ話とも縁があるようだ。大分緊張感も解けてきたため、今の俺はベッドの上にあぐらをかいて頬杖をついていた。幽霊……フィーナは俺の傍に腰掛けている。
「ですが」
 フィーナの顔に影が差した。
「当時隣国だったルーヴェリアに攻め込まれ城は陥落、城からは逃げ出せたものの」
 フィーナが下唇を噛む。
 その表情にルーヴェリア人である俺が責められているような気がして、つい身じろぎしてしまった。
「将軍は約束してくれました。必ず行くから湖のほとりで待っていてくれ、と」
「だが、来なかった」
 膝の上に置かれたフィーナの拳が一回り小さくなる。握り締める音さえ聞こえてきそうだ。
「将軍は討たれ、その首は城門の前に晒されました。今でもその光景は目に焼き付いています」
 言葉を切り、目を閉じるフィーナ。白い頬を伝い、一粒の涙が零れ落ちる。涙さえも透けていた。
「絶望に打ちひしがれた私は短剣を自らの胸に突き立て、湖に身を投げました。きっと来世では結ばれると信じて」
 言ったきり、フィーナは黙ってうつむいてしまう。フィーナの話は意外と重かった。辺りの闇がその色を濃くしたような気さえする。典型的な悲恋物語ではあるが、さすがに本人から聞くとくるものがある。
 俺は敢えて感想は述べずに、話を進めることにした。
「来なかったんだな、来世」
 フィーナが無言で肯く。
「八百年以上、狭間で迷ってるわけだ」
 再び無言の肯きが返ってくる。
「それが呪いだと?」
「確かなことは分かりません。ですが、どうすればいいのかは分かります」
 何だ、解決する方法はあるのか。
 フィーナが提示した方法は意外と簡単なものだった。
「私と待ち合わせをして、それを守って欲しいんです」
 俺は顎に手を当てて、ふむと肯いた。待ち合わせ場所に現れなかった将軍のことが未練の鎖となってフィーナをこの世にとどめている、というわけだ。約束を守る事でその鎖を断ち切る、か。一応納得はできる。それで本当にフィーナがあの世に行けるかどうかはわからないが。
 疑問はもう一つあった。
「そんなに簡単な方法で解ける呪いなのに、何で八百年も迷ってるんだ?」
 フィーナはこちらの質問に答えようと口を開きかけたが、思い直したようにかぶりを振って嘆息した。
「それは、私と待ち合わせをしてみれば分かると思います」
 なるほど。
「じゃ、試しに一つやってみるか」
 と、なぜかフィーナの目が驚きに見開かれる。
「協力して頂けるのですか」
「頂けるのですかって、そのために出てきたんだろ」
 呆れ声になる俺。協力する理由なんて「面白そうだから」で十分だ。だって幽霊だぞ、幽霊。しかも初めてだし。こんな機会めったにない。
「とりあえず……そうだな、食堂にしよう。会いに行くから待っててくれ」
「あの」
「場所、分からないか?」
「そうではなくて、一つ条件があるんです」
 訊き返す代わりに俺はフィーナの顔を見やった。まさかその条件が滅茶苦茶厳しいとか。空中浮遊で来い、とか言われたらどうしよう。さすがにそれは無理だ。そんな心配をしていたらフィーナが慌てた様子で手を振った。よほど不安そうな顔をしていたらしい。
「刻限を決めて欲しいんです」
 そんな事か。まぁ、待ち合わせには付き物だよな。
 ベッドから降りた俺は机に歩み寄り、引出しから銀色の懐中時計を取り出した。爺ちゃんの形見だ。昼間は時計を耳に当てなければ聞こえない針の進む音が部屋に響く。夜の静けさを実感する瞬間だった。
「君がこの部屋を出てから二分後だ」
「はい」
 フィーナが肯く。
「誤差はどれくらい許されるんだ?」
「分かりません」
 答えを聞いてから、そうかと俺は肯いた。誰も彼女の呪いを解くことに成功してないんだから分かるはずない。
「ではお願いします」
 一つ頭を下げてフィーナは部屋から出て行った。もちろん扉を開けたりなんてしない。幽霊の掟を守り壁をすり抜けて。
 フィーナを見送ってから時計に目を落とす。白い文字盤の上、時を刻んで走る秒針を見ながら俺は乾いた唇を舐めた。
 目標は二分ちょうどだ。
 まぁ、ちょっと早めに出て食堂の扉の前で待ってればいいわけだし、そんなに難しくはない。ほんとに、何でこんなちゃちい呪いで八百年も迷ってるんだろうか。
 フィーナは「私と待ち合わせをすれば分かります」と言ったが、今のところその理由は明らかになっていない。
 もしかして八百年の呪いを俺が解いちまったりして。伝説の勇者みたいじゃないか。悪くないな、それも。
 顎に手を当ててそんなことを考えているとノックの音が三度、聞こえてきた。聞き慣れたその音に苦笑し、扉を開ける。廊下には案の定クレアが立っていた。彼女はいつも三度扉を叩く。
「おトイレ」
 半分眠った声と目でクレアが言う。
 俺はクレアの手を引き、トイレに連れて行ってやった。用を足したクレアの手を再び引き、彼女の部屋まで戻る。ベッドに入ったクレアは瞬きもせずに寝入ってしまった。多分夜中に起きてトイレに行ったことさえ覚えてはいないだろう。
 でも、そろそろ完全に一人で行けるようになってもらわないとなぁ。変に甘える癖がついてしまっては困る。今日は幽霊話もあったし、それを思い出して恐かったんだろう。
 こうして頼られてるうちが花なのかな。
 ベッドの傍らでクレアの穏やかな寝顔を見ながら俺は微笑んだ。
 微笑んで、ふと思う。
 幽霊?
「あ」
 クレアの部屋を飛び出した俺は廊下を走り抜け、食堂の扉を引き剥がす勢いで開け放つ。暗闇の食堂に一人佇むフィーナの姿に、俺は頭を掻いてばつの悪そうな顔をすることしかできなかった。
 当然、約束の二分は過ぎている。
「悪かった」
「いいえ。分かっていたことですから」
 微笑んではいるがフィーナの表情には明らかな落胆があった。女性にそんな顔をされると、この場から消えてしまいたいような気分になる。
 俺は目を閉じ、拳を握った。
「もう一度だけチャンスをくれないか」
 どう考えたってこのままじゃ終われない。俺自身納得できないし、今度は大丈夫だという自信があった。というのも一度失敗したからだ。失敗し、そこから学べば人間は成長する。
「俺の部屋で待っていてくれ。一分後に行く」
 今度こそ、という思いを込めて俺は肯いた。小さく、はい、と返事をして食堂を出て行くフィーナ。
 一人残った俺は一度大きく息を吸って、吐き出した。さっきはクレアの事もあり、つい遅れてしまったが今度は大丈夫だ。先ほどの失敗はちょっとした偶然の悪戯に過ぎない。あんな事そう何度もあるもんじゃない。
 それに何かあったとしてももう大丈夫だ。フィーナとの待ち合わせが最優先であると意識していればいいわけだから。
 そうすれば他の出来事など安易に無視できる。
 まぁ、さすがに火事とか泥棒は無視できないが、まさか……ねぇ。
 うーん。
 少し不安になった俺は組んでいた腕をほどき、食堂の奥まで歩いて行った。炊事場へと続く扉を開けてかまどをチェック。
 火は完全に消えていた。
 ついでに炊事場の戸締りも確かめておく。
 炊事場から侵入されることって結構あるらしいからな。肉屋のニールんとこもそれでやられたっていうし。
 窓を揺すりながらニールの店を思い浮かべる。
 そういや最近あそこのハム食べてないな。程よく乗った脂、絶妙の塩加減、最高の歯ごたえ。それをちょっと厚めに切ってフライパンでさっと焼く。くーっ、想像しただけで腹が減ってきた。明日の晩飯はハムだ、ハム。
「あの、すみません」
 頭の中をハムで一杯にした俺に横手から声がかかる。目をやればフィーナが何か言いたげな表情で立っていた。
「ん、どうした?」
「いや、その」
 フィーナはしばし考えるように視線をさ迷わせると、結局無言で俺の手の中にある懐中時計を指さした。
 辺りに漂う妙な間。
 懐中時計は律儀に時を刻みつづけている。
 俺はいいパンチをもらった拳闘士さながら、膝から炊事場に崩れ落ちた。
 完全に忘れてた。ハムのことしか考えてなかった。
 冷たい石の床に手をつきつつ、呻き声を漏らす。
 俺は自分で自分の事を「そこそこできる子」だと思っていた。そんなにトロくないし、それなりに物事はこなせる方だと、そう信じていた。
 だが、
「うぅ……俺って馬鹿?」
 のろのろと顔を上げ、フィーナを見上げる。
 頬を引きつらせてあとずさるフィーナを見るに、俺はそうとう酷い顔をしているようだ。
「あの、ですから」
 フィーナの言葉を遮るように手を挙げ、俺は立ち上がった。
 慰めの言葉などいらない。言い訳の言葉を発する事もしない。男は黙って前に進むのみ、だ。
「食堂で待っててくれ。十秒で行く」
 目で何事か訴えかけるフィーナを無視して炊事場から追い出す。俺はなぜか笑っていた。これが無我の境地というやつだろうか。半笑いのまま歩を進め、扉の取っ手を握る。いけるじゃないか。やっぱこういうのは意識せず気楽にやった方が……と思いつつ扉を引こうとしたその瞬間。
 とてつもなく硬く重い何かが俺の頭を強打した。
 頭を押さえてうずくまる俺。
 体中の穴という穴から涙が出てきそうなほど痛い。閉じた瞼の裏で精霊が飛び回っている。
 一瞬、死んだ爺ちゃんに会えたような気さえした。夜の静寂を打ち破って床に転がったそれを見れば、黒光りする愛用のフライパンだった。闇よりも暗い黒をまとい、石の床の上に転がっているその姿からは風格さえ感じられる。安物の戦槌より遥かに使えそうだ。
「さすがはゲオルクのオヤジ。いい仕事しやがる」
 ゲオルク。それがこのフライパンを作った職人の名だ。
「大丈夫、ですか?」
 フィーナの翡翠色の瞳がこちらを覗き込む。
 約束の十秒など遥か昔だ。ここにきてやっと俺は思い当たった。
「呪いってこの事なのか」
「はい。先ほど説明しようとしたのですが」
 今日の人生訓。人の話はよく聞きましょう。
「私が便宜的に呪いと呼んでいるだけですので、もしかしたら違うのかもしれません。ですが、私との約束を守ろうとするとこのような事に」
 フィーナの説明を聞きながら立ち上がった俺は調理台に手をついて頭を振った。
 なるほど、八百年も彼女が迷ってるわけだ。
 だがその一方で、次こそはと思っている俺がいるのも確かだった。だって待ち合わせに遅れないだけだぞ。今までの経験を踏まえて慎重に行動すればいけそうな気がする。いや、絶対にいける。
「まだ、やるんですか?」
「当たり前だ。八百年の呪いを解いて俺は勇者になる」
 主旨が違ってきたような気がするがまぁいい。これは神が与えてくれた機会なのだ。田舎町の青年が歴史に名を刻むための。
「大体、当事者の君がそんな事でどうする。気合入れていこう。声出していこう」
「はぁ」
 気の抜けた返事をするフィーナに釈然としないものを感じつつも、俺は次の待ち合わせ場所を考える。
「そうだな……店。店にしよう」
 あそこなら俺に有利な展開が期待できそうだ。根拠はないけど。
「時間は少し多目に十分。やっぱり余裕を持って行動しないとな」
 十分あれば多少のトラブルがあっても大丈夫だろう。
「ほら、行った行った」
「分かりました」
 小さく息を吐くように肩を落とし、フィーナは炊事場から出て行った。もちろん壁を抜けて。
 しかしあの態度、三回の失敗でもう見限られてしまったんだろうか。もちろん多少腹も立った。だがそれだけ成功したときに得られるカタルシスも大きいということだ。
 両手で頬を叩き、気合を入れる。
 人間ってのは、できそうでできない事に対して異様に執念を燃やす生き物だと思う。喩えるなら……投げたゴミがゴミ箱に入らず、それを拾い上げてそのまま捨てればいいものを、なぜか元の位置まで戻って投げ直す。
 俺の心境はまさにそれだった。
 今度こそ、と思って俺はこれから四度目のゴミ投げを行う。
 もちろんゴミ箱を壁際に移動させるなんて邪道なことはしない。その喩えがこの状況において何を意味するのかはさっぱり分からないが、とにかくしないのだ。
 正面突破。真っ向勝負。そんな気持ちの表れだということにしておこう。
「いざいかん。戦いの舞台へ」
 心中で拳を握り、俺は一歩踏み出した。
 こんな時間に睡眠時間削って何やってんだと、ほんの少しだけ思いつつ。

 

ホームへ   前ページへ   小説の目次へ   次ページへ