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武器屋リードの営業日誌

第三話
─竜を追う者─

ライン

 庭を後にした俺はポケットに手を入れて石の廊下を歩き、写本室の前で立ち止まった。扉を開こうとして延ばした手を引っ込め、一応ノックする。
 乾いたノックの音ののち数秒の間を置いて「はい」というセシルの声が返ってきた。
「入るぞ」
 言って返事も待たずに扉を開ける。と、そこにあったのはクッキーと紅茶、要するに午後のティータイムセットを挟んで閲覧台についているセシルとクレアの姿だった。
「あ、クッキー美味しいよ、お兄ちゃん」
「食べる?」
 なぜかひどく納得いかない感情に襲われた俺はセシルの手から皿を奪い取り、クッキーを全て口に流し込んだ。
「ひゃふへめーら、ひろらあれふぉれはやんれるほふぃにのんふぃにひゃなんはほみやはっれ」
 口をもごもごさせる俺に顔を見合わせるセシルとクレア。
 数秒の沈黙ののち、二人は同時に肩をすくめやがった。
「でね、言ったのよ私」
「うんうん」
「何事もなかったかのように茶会を再開するんじゃねぇ。大体その二皿目のクッキーはどこから出てきた」
 気が付けば閲覧台にはもう一皿クッキーが載っている。
「謎多き女って魅力的じゃない?」
「それはただの奇術だ」
 沈黙。
「じゃあ次は本から鳩だしまーす」
「出すなっ!」
「わぁ、凄ーい」
「お前も喜ぶなっ!」
 ったく。
 腕を組んでセシルの顔を見やる。
「本当に修道女だよな、お前」
 本気で不安になってきた。
「間違いなく修道女よ、今はね」
「神に誓って?」
「ええ、もちろん」
 俺はしばし考え、
「セシルの『セ』ー」
「精一杯生きてますー」
 沈黙。
「だから何で反応するんだ?」
「いいじゃないのよ。それよりも続きやらないの? せっかくオチ考えたのに」
 俺の中でセシルの過去が決まった。旅芸人の一座にいた彼女は問題起こして辞めさせられ、各地を転々としたあと修道院に拾われたに違いない。絶対そうだ。
 辛いと言えば辛い、暗いと言えば暗いセシルの過去に俺は同情を禁じ得なかった。
「頑張れよ。生きてればきっといい事があるから」
「あのさ、あなたの中で物凄く私が歪んでるような気がするんだけど」
 涙ぐむ俺をセシルが半眼で見上げた。
「まぁ、そんなことはともかくだ」
 馬鹿話はこのくらいにして本題に入ろう。
「何かとても大切なことを軽く流されたような気がする」
「気がするだけだ」
 俺は断言した。
「むう」
 うなるセシル。
「いやさ、ちょっと聞きたいことがあって」
 気を取り直し、話を始める。
「人の中身が入れ替わってしまうって話を聞いたことがないかな、って」
 俺の問いにセシルが、ついでにクレアまで眉間に皺を寄せた。そんな顔をしながらふたりともきっちりクッキーを手にしているのにはなんだかなぁ、ではあるが。
「それは何、その、例えばあなたとクレアの心が入れ替わってしまうっていうような」
「いや、そうじゃなくてだな、酔っ払って記憶なくしちまう人間っているだろ。あれのもっとシビアなやつだ」
 この説明で分かるかどうか不安だったが、セシルの表情を見るに何か思い当たる事があるようだ。
 セシルはクッキーを口に放り込んで席を立ち、本棚の間を歩いていった。
 しばらくしてセシルは一冊の本を手に戻ってくる。埃を払われ手渡された本には「一体二心」というタイトルがつけられていた。
 セシルから本を受け取りぱらぱらとめくる。めくってから今さら初めから読んでいる時間などこっれぽっちもないことに気が付く。
「この本読んだんだろ? 何が書いてあったのかまとめてくれよ」
 恥も外聞もなくセシルに頼る俺。
「訊くんならはじめから本を受け取らないの」
 呆れ顔で俺の手から本を引き抜き、セシルは小さく息を吐いた。本の内容を思い出すように手の中の表紙を見つめ、一呼吸おいてから口を開く。
「まぁ、書いてあることは貴方の頭の中にあるだろう事とほとんど同じだと思う」
 つまり、とセシルが言葉をつなぐ。
「時として自分の中に二人の自分を持つ人がいるってこと。本の書き手はそれをタイトル通り一体二心って名付けてる」
 表紙を手のひらで撫で、セシルが俺を見上げる。
 そこまでは知識として俺の頭の中にもあった。問題はその先だ。
「で、その一体二心はどんな場合に発生するんだ?」
「そうね、たとえば酷く辛いことがあったときなんか、その辛さを押し付けるための自分を作ってしまうことがあるって書いてあったけど。具体的には親に虐待を受けた子供なんかにみられることがあるらしいわ」
「そか」
 短く返事をして俺は顎に手を当てた。しばし考え、その情報を頭の片隅に置いておく。
「でもどうしたの? 急にこんな事に興味持ったりして」
 本を胸元に抱え、探るような視線を俺に向けた。さすが写本室の管理人。好奇心は人一倍旺盛なようだ。
「どうもしないさ」
 と、どうもしているときに最も使われるであろう台詞を言っておく。この台詞を受けて「嘘つき」と返すほどセシルは空気が読めないわけでも無粋でもない。が、
「三食昼寝つき」
 返ってくる台詞は俺の予想の斜め上をすっ飛んでいく。まぁ、慣れてしまった今ではどうということもないが。問い詰められるよりはよっぽどいい。
「あ、先生が見せたいものがあるから後で来いって言ってた」
 そして何事もなかったかのように会話を再開させるこの図太さ。ある意味、この修道院で一番神に近いのはセシルかもしれない。もっとも、世界で一番どうしようもない神様だろうけど。
 俺は頭をかき、あぁ、と短く肯いた。ハンターであるエイクの所に行くつもりだったがその前に先生の所に寄ったほうがよさそうだ。気ぃ短いからな、あの人。
「クレアはもう少しここでお茶してましょ」
「はふ?」
 急に名を呼ばれ、両の手に二枚ずつ、口に一枚のクッキーをくわえたクレアが顔を上げた。
「幸せか?」
 目を細めたクレアが大きく肯く。
「そりゃよかった。つーわけで、悪いけど」
 言いながらセシルに視線を移す。
「ええ、後でちゃんと送っておくから」
「頼む」
 言って俺は二人に背を向けた。
「主の御加護を」
 背後から聞こえたセシルの妙に真剣な声にとりあえず、
「ばーか」
 と礼を言って俺は写本室を後にした。

ライン


 町で最も寂れていると言っても過言ではない裏通り。俺を呼びつけた先生の診療所はそんな所にある。風の丘亭がある裏通りが知る人ぞ知る、閑静でちょっと洒落た裏通りなら、ここはできれば知りたくない、ちょっと洒落にならない裏通りだ。
 まぁ、自分で自分の身を守れれば結構楽しいところなんで男友達だけでたまに遊びに来たりはするんだけど。危ないといったって所詮田舎町の裏通り。たかが知れている。
 しかし昼間だというのにこの静けさ。さすが夜型人間の集まる通りだ。
 視線を移せば酒瓶片手の酔っ払いが昼間から道端で寝ている。そしてそれを気にする人間は誰もいない。昼寝の場所を奪われた野良猫が不機嫌そうな顔をしているくらいか。
 そんな通りの並びにある二階建てのこじんまりとした建物。その脇の階段をきしませながら上っていくと診療所だ。扉には診療所の「し」の字も書いてないが町の人間の大抵はここが診療所だということを知っている。腕のいい人間ってのは隠れていたって自然と表に出て来るものだ。
 ただ先生自身はそれについて複雑な思いをしているらしい。
 自分を頼ってくるのは構わない。自分は医者だ。いつでも来い。ただ大通りに引っ越せとか、治安のいい所に住んでくれとは言うな。ワシはこの通りが気に入っている。
 なんてことを言っていた。もともとが裏通りの医者みたいだし、先生にとってはここが一番住み心地がいいのだろう。
 俺はドアノブをひねり、扉を押して中に入った。何とも言えない薬品臭さが鼻を抜ける。長椅子がに二脚おかれた、くすんではいるが掃除はされている待合室を抜け診察室に向かう。靴の下できしみ、やたら沈み込む床に抜けたりしないだろうかと心配しつつ奥へ。
「じゃあね、先生」
「あぁ、今度はもう少し早く来い」
 そんな声が聞こえ、ふと診察室の入り口に目をやる。診察室から出てきたのは妙に胸元が大きく開いた服を着た女性だった。女性は俺を見つめ、艶っぽい唇を緩めると指先で俺の頬を撫でた。そのまま何を言わず俺の脇を通り抜ける。濃くはあるが不快ではない香水の香りが後に残った。この診療所がどこにあるのかを考えれば彼女の職業を推測することはそう難しいことではない。まぁ、いわゆる「人類最古の職業」ってやつだ。
 俺は少々間を置いてから一つ咳払いをした。先生にも後片付けがあるだろうし。
 そして努めて明るく、
「いやー、昼間っから先生も好きですねぇ」
 と言って診察室に顔を出した瞬間、銀光が俺の頬をかすめた。汗を一筋たらしつつ視線をやれば、背後の壁に突き刺さる手術用の小刀。
「患者だバカタレが」
 つまらなそうに言って、先生は手を拭いていたタオルを診察台に放り投げた。
「危な……、刺さったらどうするんですかっ!」
「心配するな、その時は二割引で治療してやる」
 金とるのかよ。
 二本目の小刀が怖かったので心中でつっこみつつ、俺は診察室に足を踏み入れた。ここの雰囲気も待合室と大差ない。掃除はされているがくすんでいる。待合室より窓が大きいので多少明るくはあるが。
 先生は使い古された机につくと、引き出しから二枚の羊皮紙を取り出した。何も言わずにそれを俺に向かって差し出す。
「何ですか、これ」
「いいから見ろ」
 ため息をつきつつも言われるまま二枚の羊皮紙を受け取る。
 そこに描かれていたのは人体の全身図だった。その図にはところどころ線が引かれており、その線について説明書きがしてある。俺は僅かに眼を大きくして先生の顔を見やった。線が傷を表していることは一目瞭然だった。とするとこれは……、
「二つの死体についていた傷の状態を描き取った。警備に提出したものの写しだ」
「何で先生がこんなものを」
「なぜだと? ワシが死体を視たからに決まっとろう」
「いや、だから何で町医者の先生が検死なんて」
「警備直々の依頼だ。この町には死体を視る人間など医者以外におらんからな」
「じゃあ、殺人が起こる度に先生が?」
「まぁな」
 言って、白髭を撫でる先生。
「もっとも、建前上ワシは、協力、だが」
 知らなかった。でもよく考えたらこの町で殺人が起こることなんてほとんどないし、そんな所に専門の検視官を派遣できるほど王都の中央警備院にも余裕がないのだろう。町医者に任せられるんならそうしてしまおう、ということなのかもしれない。で、書類上は町の医者に「協力」してもらったことにするわけか。
 まぁ、そんな警備がらみの裏話はさておき、だ。
 俺は二枚の図を両手に持ち、交互に眺めた。眺めつつ、つい顔をしかめしまう。
 致命傷となったのは互いに胸への一刺しのようだ。だがそれ以外にもかなりの刺し傷が確認できた。めった刺し、というやつだ。他には斬り傷も幾つかある。
「胸の傷、深いですね」
「あぁ、ほとんど背中まで達しとったよ」 
 答える先生に俺は再び図へと視線を落とす。
 背中まで達しそうな傷、か。
 胸中でつぶやき、俺は手にした二枚の図を重ねた。
「専門家としての意見は?」
 頬杖をついた先生が試すような視線を俺に向けた。
「専門家って、傷に関しては先生が専門家でしょうに」
 わざとらしく肩をすくめる俺。
「傷に関してはな。だが、傷を付けたものに関しては?」
「まぁ、一応武器屋ですが」
「じゃろ?」
 俺は小さく息を吐き、それから口を開いた。
「刺し傷と斬り傷、突くことも斬ることもできるパルチザンならばこんな傷ができるでしょうね。それに突き傷と並ぶように二つの小さな傷もある。両脇に刃がついているパルチザンによってつけられた傷の特徴です」
 俺の言葉を聴きながら黙って先生が肯く。
「ただ、気になることが一点だけ」
「それは?」
 先生の方眉がわずかに上がる。俺は乾いた唇を湿らせ、自分が感じた疑問点を先生に話して聞かせた。その間先生は目を閉じ、時折肯くだけだったが俺の話が終わると、にやり、と音が出そうな笑みを浮かべた。
「まだ、確信がもてたわけじゃないんですけどね」
 言って俺は二枚の図を机の上に置く。先生はその図をちらりと見やり、顎を撫でた。
「それで、これからどうするつもりだ?」
「とりあえずもう一人の当事者のところに行ってきますよ。色々と聞きたいことあるし。話してくれればいいんですけど」
 昨晩は話を聞くことはできなかったが、今回は少し粘ってみるつもりだ。早いところなんとかしないとレイが暴走しそうで怖かった。話を聞いて穏便に……結果はどうあれ血を流さずに済むのならそれが一番いい。
「ところで、なぜこれを俺に見せたんですか?」
 尋ねつつ机の上の図に視線をやる。俺はこの事件に首を突っ込んでいるとはいえただの武器屋だ。というかこれ、警備の外に持ち出しちゃいけない大事な資料のような気がするんだが。
「なぁに、頭の固い警備の連中にいささか腹が立っとるだけだ」
「何かあったんですか?」
 訊く俺に先生は小さく息を吐くと、不機嫌そうな目つきでこちらを見上げた。
 いや、別に俺は何もしてない……よな?
「お前と同じ疑問はワシも抱いた。だがあいつらはまともに話を聞きもせん。人が安い謝礼で手伝ってやっとるというのに、だ。どうもあいつらは疑わしい奴をかたっぱしから捕まえて拷問にでもかければその内に犯人に行き当たると思っとる節がある。王都ならともかく、こんなど田舎じゃあ検死の結果を冊子の厚さを水増しするための飾りとしか思っとらん。死体は誰よりも雄弁だというのに。まぁ、ほれ、お前の友人で……」
「カートですか?」
「あぁ、あの若造だけはワシの話を熱心に聞いとったがな」
 ふーん、と息を吐きつつ酒の席で愚痴を漏らしていたカートの姿を思い出す。そういやあいつも王都に比べて捜査の手法が遅れてるとか前時代的だとか言ってたっけ。俺は自営業だけど組織に所属してると上との軋轢に疲れたり腹立ったりするんだろうな。
「まぁ、結局のところ警備の連中が気に食わないから先に犯人捕まえて鼻をあかしてやれ、と」
「そういうことだな。じゃあ頼んだぞ」
 ぶっきらぼうにそれだけ言って先生は机の上で何やら書き物を始めてしまった。しかしよく考えたら殺人犯と対峙することになるか、もしくはもう対峙してるわけで……俺ってただの武器屋かつ善良なる一般市民だったよな、確か。
 もし俺が先に犯人捕まえたら警備に納品してるショートソードの数、倍にしてもらおう。一振りあたりの単価上げるのもいいな。大体あいつら公の機関のくせして金払い悪すぎるんだ。今月は予算が厳しいから一振り辺りこの値段で、とか言いながら立てた指二本減らされた時には本気で両手剣振り回して乗り込んでやろうかと思った。それじゃあ、ほとんど儲けないんですけど、って顔引きつらせながら言ったら「そろそろ立ち入り検査の時期だね」だと。それは「武器屋の一軒や二軒、営業停止に追い込むなんてわけないんだよ」と言われているのと同じだった。
 うむ、何か思い出したら腹立ってきた。真実を明らかにする事と同じくらいの、事件に首を突っ込むだけの理由があるじゃないか。どうやら日々の生活の中であの時の屈辱を忘れていたらしい。リード・アークライト、お前はいつからそんな腑抜けになったんだ? 商売人の牙はまだ鈍ってないはずだろ? 銅貨一枚でも多くの儲けを。それが唯一にして絶対の正義だったはずだ。そう、むしっても心痛まないところからはきっちりむしらなきゃな。
 俺は口元をいびつに歪め、先生に向かって宣言した。
「必ずや国家権力の犬どもに正義の鉄槌を下してやります」
「何か、お前の黒い部分を垣間見たような気がするが、まぁ……気をつけてな」
 なぜか引き気味の先生に向かって肯き、俺は診察室を後にした。歩きながら、手のひらに拳を撃ち付ける。
 やる気出てきたな、おい。

ライン


 所変わって気持ちのいい風が吹く表通り。宿屋の看板を見上げ、立ち止まる。左手には一本の酒瓶。脇を駆け抜けていった子供達の背中を見送り、俺はスイング式のドアを押し開けた。
「こんちはー」
「おや、どうしたんだい?」
 挨拶をしながら中に入るとすぐさまこの宿のおかみさんと目が合った。小さなカウンターの中でレース編みをしていたようだ。編み棒を手にこちらを見ているおかみさんに向かって「いや、ちょっと」なんて言いながらカウンターに歩み寄る。
 太めな体にそれに見合った指。細い編み棒がさらに細く見えた。ただ、そのアンバランスな指と道具からは見事な作品たちが生み出されているようで、ここ、一階の待合室は趣味よくおかみさんの作品で飾られていた。
「あー、えっと」
 と、言いよどんでいると不意におかみさんが眼鏡をはずし、カウンターに身を乗り出した。
「とうとう決心がついたんだね」
 なぜかその顔はひどく嬉しそうだ。わけが分からず一歩引く俺に、おかみさんの顔がずいっと前に出てくる。だから、何でそんなに嬉しそうなんですか?
「うんうん、私に任せな。世話焼きおばさんの名にかけてあなたにぴったりのお嫁さん探してかげるから」
「そりゃどうも……って、はぁ?」
 ここにきて俺はおかみさんが年頃の男女をくっつけることをレース編みと同じくらいの趣味にしていることを思い出した。要するに俺の天敵である。
「あなたは……そう、胸の大きな娘が好きそうだね。そんな顔してる」
「勝手に決めないで下さいっ」
「嫌いだった?」
「いや、嫌いじゃないですけど……というか基本的に胸なら何でも。できれば形重視で」
「ふんふん。形重視、ね」
 かりかりとペンを走らせるおかみさん。
 ……で、俺は何をやってるんだ?
 自問し、自答する。
 嫁探し。
「違うわっ!」
 叫ぶ俺に驚いた顔でおかみさんがこちらを見上げる。
 えぇい、あやうくおかみさんワールドに引き込まれるところだった。
「あの、嫁探しはまたいつかお願いするとして、ここにエイクって男が泊まってませんか?」
 俺の問いにおかみさんの表情が曇った。悲しげに眉を寄せ、小さく首を振る。
「泊まってるね。仲間を二人も殺されたそうじゃないか。可哀そうに」
 宿帳を見ずとも分かったということは、殺人事件の関係者として彼もそこそこ有名というわけか。
「ええ、その彼とは少し面識があって、今会えますか?」
「部屋にいるはずだよ。行って少し話しでもしておやり。気がまぎれるだろうから。203号室だよ」
「そのつもりで来ました」
 微笑、手にした酒瓶を掲げて見せる。
「グラスを二つ、貸してもらえませんか?」
「あぁ、ちょっと待っておいで」
 一度奥に引っ込んだおかみさんはすぐに二つのグラスを持って戻ってきてくれた。
 俺は頭を下げてグラスを受け取り、階段へと足を向ける。肩越しに振り向くとハンカチで目を押さえているおかみさんの姿が見えた。
 おっせかいな所もあるけどいい人なんだよな、実際。
 そんなことを思いつつ階段を上っていく。203号室は二階廊下の中ほどにあった。扉に貼られた木のプレートを確認してからノックする。さて、上手くいくだろうか。
 返事もなく、扉はいきなり開いた。一見不健康に思えるこけた頬が目に入る。隙間から覗く顔は間違いなくエイクのものだった。もともと友好そうな顔つきではないがこちらを伺うような目つきがさらにそれを酷くしている。どうやら警戒しているらしい。まぁ、友人でもない男がいきなり宿まで訪ねてきたら警戒の一つもするだろう。
「何の用だ?」
「いや、ちょっと話をしたくてさ」
 エイクの眉間に刻まれた皺がさらに深くなる。一秒後には「帰れ」と言われそうな雰囲気に、ブーツの先を部屋にねじ込むと俺はエイクの眼前に酒瓶をぶら下げて見せた。
「頼むよ。なんか俺だけ仲間外れにされてるみたいで気持ち悪いんだ」
 な、と言いつつ酒瓶を振る。数秒の間があってエイクは人間が中に入れるだけの隙間を作ってくれた。
「悪いな」
 言いながら酒瓶をエイクに手渡す。
「いや、警備の連中にここを出るなって言われてな。息が詰まってた。酒を買う金もないしな」
 子供が見れば泣くか逃げるかしそうではあるが、多少は友好的な笑みをエイクは浮かべて見せた。
 エイクがベッド脇の小さなテーブルの上に酒瓶を置き、俺がその隣に二つのグラスを並べる。壁に立てかけてあるエイクの両手剣を一瞥し、俺は椅子に腰を下ろした。椅子が一脚しかないためベッドに腰掛けるエイク。
 まぁ、とりあえず向かい合って座ることはできたわけだ。
 小さく息を吐き、ややうつむいて乾いた唇を舐める。
 コルクを抜く音が聞こえ、やがて二つのグラスは琥珀色の液体で満たされた。
 何を言うでもなくグラスを持ち上げ、互いに打ち合わせる。硬く、小さな音が室内の空気を揺らした。
 エイクはグラスを大きく傾けると、半分ほど一気に飲み干した。それから長く、大きく息を吐く。俺は対照的に唇を少し濡らしただけだ。さすがに昼間からこれだけ強い酒を飲む気にはなれないし、酔って前後不覚になってしまったんじゃここに来た意味がない。
「旨いな」
 酒に映る自分の顔を見つめるように視線を落とし、エイクが呟いた。
「心に染みるってのはこういうのを言うのかもな」
 目を細め、寂しげに口元を緩めるエイクに胸が重くなる。ただあまり深く感傷に浸ることはできなかった。今はできるだけ感情を動かさず、冷静でいなければならない。惑ってしまっては意味がなかった。
「あの夜のこと、聞いてもいいか?」
 グラスをテーブルに戻し、切り出す。エイクは口に運ぼうとしていたグラスを宙で止め、いぶかしむ様な視線を俺に投げた。
「聞いて……どうする」
「なぁに、自分の推論を確かめてみたくてさ」
 エイクの警戒心を受け流すように軽く、柔らかな口調で言う。
「推論?」
 肩眉を僅かに上げたエイクに、俺は身を乗り出した。
 さて、うまく引き込まないと。
「俺も、レイが殺ったんじゃないかと思ってる」
 声を抑え、低く真剣な音を出す。エイクも身を乗り出し、テーブルに両肘をついた。どうやら興味は持ってもらえたようだ。
「あんた、レイが竜を前にすると人格が入れ替わる、って言ったよな」
「入れ替わってるかどうかは知らないが、少なくとも外からはそう見える」
「酒場でのことを思うに……あり得ると思ってさ」
「俺にいきなり襲い掛かったときか」
「あのときの彼女は確かに別物だと、そう感じた」
 酒を口に含み、乾いた喉を濡らす。できれば水の方がいいのだがない物ねだりをしても仕方ない。
「それで?」
「俺は、一体二心を疑ってる」
 エイクの口が僅かに開き、すぐさま閉じる。笑ったように見えたのは気のせいだろうか。
「クレアを人質にとったことも含めて、彼女のもう一つの人格が暴走してるんじゃないかと思って」
「なるほどな」
 言いながら空のグラスに酒を注ぐエイク。結構早いペースで飲んでいる。まぁ、適度に酔ってくれた方が俺としてはありがたいのだが。
「それで、あの夜のレイの様子を知りたいんだ」
「残念だがそれは無理だ」
 エイクの返答に一瞬肩を震わせてしまう。焦るなよ、俺。
「警備に止められてるからか」
「いや、それはどうでもいいんだ。ただ……あの夜俺が見たのはまともな方の女だけだ」
 眉根を寄せてエイクの顔を見る。酒のおかげか、彼は自分からあの夜のことを話し出した。
「焚き火の周りで軽く腹ごしらえしたあとで、俺達はそれぞれの持ち場に散った。それから不意にあいつらの叫び声がして……竜にやられたんだ、と思った」
 黙ったまま、俺は視線で話を促した。
 細く息を吐き、エイクが続ける。
「俺は逃げたよ。薄情だと思うかもしれないが、初めから仲間内で決めていたことだ。大きなギルドに所属していて人数を集められるなら別だが、俺達のような野良のハンターは一人かけちまえばもう狩りはできない。当然、あの女にも逃げるように言ってあった」
「なるほどね」
 小さく肯きながら、傾ける気もないグラスに触れる。
「竜を見てとうとう錯乱しちまったんだろうな、あの女。前から危ないとは思っていたが、まさか仲間に手を出すなんてな」
「兆候はあった?」
「そうだな、狩りのあとなんかは特に不安定だった。俺達にまで敵意をぶつけることもあったからな」
「感情の暴走、か」
「さぁな、俺は学者様じゃないんでね、難しいことは分からない」
 お手上げ、のポーズをとりつつエイクは口元を緩めた。
 合わせて笑みを浮かべつつ、俺は視線を移した。そこにはエイクの得物である両手剣が立て掛けられている。鞘、鍔、握り共に一切の装飾もなく実用一辺倒な一物だが、使い手の思想は伝わってくる。即ち、
「戦闘に飾りはいらない」
 だ。
 職人気質とでも言えばいいんだろうか。
「もう、長いのか?」
 壁際の両手剣を見ながら問う。
「そうだな」
 エイクにとっても自慢の一品らしく、その声は僅かに弾んでいた。本当に、僅かに、だが。
「死んじまった仲間には悪いが、俺は誰よりもこいつを信じている。こいつだけは絶対に裏切らない」
「武器を信じてるってことは、それだけ自分の腕も信じてるってことだ」
 冗談めかして言いながら笑ってみる。
「これでも竜を相手にして生き延びてきたからな。あの夜もこいつで竜を狩ってやるつもりだった」
「じゃあ、ずっと手放さず持ってたんだな」
「当たり前だ。もうこいつは俺の体の一部さ」
「そうか」
 俺は小さく肯き、テーブルの下で指を組み合わせた。じっとりと、汗ばんでいる。
 それからはただ適当に話をし、相槌を打って俺は部屋をあとにした。
 また来いよ。そう言って酒瓶を振るエイクを見るに、俺を疑ってはいないようだ。
 通りに出ればいつの間にやら辺りは夕日に照らされ赤く染まっていた。立ち止まり、宿を見上げる。
「あとは……どうするか、だな」
 一人呟き、俺は石畳の通りをゆっくりと歩き出した。

ライン

 あれこれと、これからこのことを考えながら町を歩き、店の前まで戻ってきてみればそこに見知った顔が二つあった。クレアとセシルだ。どうやら修道院から送ってくれた所に鉢合わせたらしい。
「ありがとう。悪かったな」
 セシルに向かって礼を言ったその時だった。
「どこ行ってたのよっ!」
 いきなりセシルの声が爆ぜた。彼女の表情からはかなりの焦りと苛立ちが見てとれる。セシルが修道女でなければ、多分俺はつかみかかれていただろう。それほどの勢いだった。
「何だよいきなり。先生のところに行くって言った」
「レイさんがいないの……どこにも」
 拳を握り、セシルが悲痛とさえ言える声を漏らす。
 夕飯を囲み、人々が一日で最も穏やかな瞬間に安堵する時刻。どうやら俺には無縁な話のようだ。

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