武器屋リードの営業日誌

第三話 
─竜を追う者─

ライン

 夕方になって俺はレイが寝ている部屋の戸を軽く叩いた。女性が寝ている部屋にノックもなしに入るのは気が引けたし、かといってノックの音で起こしてしまうのも気が引ける。
 で、結局軽く叩くことにしたのだ。
 起きていれば聞こえる。寝ていれば気付かない。そんな微妙な力加減。
「起きている」
 扉の向こうから聞こえてきた声はしっかりとしていた。どうやら目が覚めていたようだ。
「入るよ」
「あぁ」
 返事を待って扉を開く。
「どう? 調子は」
「悪くない」
 敗因はつま先を見ながら部屋に入った事だと思う。視線を上げぬまま、先に後ろ手に扉を閉めたのが間違いだった。退路を断ってしまったんだから。
 顔を上げた。レイがベッドに座っている。
 全裸で。
 らっきー。とか言って指を鳴らす余裕は俺にはない。ぶっとぶ思考、流れる汗、バクつく心臓。
「ごめんっ!」
 叫ぶように詫び、俺は天井を仰いで目を閉じた。手探りでドアノブを探すがなぜか見つからない。
 何でこんな時に限って。
 必死に手を動かす。何度やっても木目をなぞるだけの指先は震えてさえいた。
 と、唐突にレイが笑い出した。なぜか明るいその声にドアノブを探す手を止めてしまう。
「気にしなくていい。見られたところで減るものでもない」
「いや、でも」
「見る価値もないか?」
「まさか」
 反射的に答える。そりゃ見たくないと言えば嘘になる。でも、いくら本人がいいって言ったってこの状況はなぁ。
 大体、目を開けたとして俺はどんなツラをすればいいんだろうか。というより半笑いになってしまいそうな自分が恐かった。とてもじゃないが普段の表情を保持する自信はない。
「意外と純情なんだな」
 目を開けられないでいるとそんな事を言われた。小さな溜め息混じりに。
 意外と「子供」なんだな。響きから察するに、そう言われているのと大差ないようだ。
 さすがにこれは聞き流せなかった。胸の奥で対抗心が頭をもたげる。この時点ですでに「子供」のような気もするが都合の悪い事には蓋をするのが「大人」なのでそれに倣うことにする。
 とにかく俺は男のプライドをかけて目を開き、レイを見やった。
 頬は緩まない。とてもではないが笑みなど浮かべられなかった。口を半開きにしたまま何も言えなくなる。
 傷だ。
 体に巻かれた包帯のことではない。それ以外にもレイの体には無数の傷跡が刻まれていた。大きなものから小さなものまで、数えればきりがない。
 もちろん数える気などなかったが。
 そして、無数の傷跡を残すその体は見事なまでに引き絞られていた。
 女性特有の丸みを残しつつも、筋肉はその存在をはっきりと誇示している。割れた腹筋を見つめながら、俺は喉を鳴らした。
 間違いなく戦って生きてきた人間の体だ。これがレイ・ケインベックという人間の歴史なのだろう。
 全てがここに集約されている。そう思うと鳥肌が立ち、レイから目を離せなくなった。
「リード」
「あぁ」
 レイの体に気圧されたせいか、少し低い声で返事をする。彼女の人生を想像すればそれも必然だった。
「そう凝視されるとさすがに困る」
「え?」
 一瞬意味が分からなかったせいで妙な声を出してしまう。
 レイはシーツで体を覆い隠し、苦笑した。
「少し、はずかしい」
 言葉の意味が分かるまでたっぷり三秒はかかった。三秒間棒立ちになった後で俺は、逃げた。
 扉を叩きつけるように閉め、廊下を走り抜けて店を通り抜け、なぜか外にまで出てしまう。
 通りに出た俺は大きく深呼吸した。肺の中の熱い空気を抜き、火照った体を冷やすための冷たい空気と入れ替える。
 夕日に赤く染まる町並みを見ながら俺は「まいったな」と呟いた。
 俺は別に変な目でレイの体を見ていたわけではない。その姿に圧倒され、目が離せなくなってしまっただけだ。が、問題はレイがそう思ってはくれないであろうところにある。
 彼女の目には俺がもの凄く飢えた男に見えたことだろう。
 大体出会いからして発禁本拾ってもらってるし。
 何と言うか、とてつもなくカッコ悪い。
 空を見上げると涙が出そうになった。夕日ってこんなに眩しかったっけ。
「どうしたの?」
 店から出てきたクレアに問われ、言う。
「俺は今非常に落ち込んでいる。励ましてくれ」
 腕を組み、むー、とうなるクレア。それから手を打って一言。
「どんなに小さな虫にだって生きる権利はあるんだよ」
「真顔で言うな」
 うめき、腕を組む。とうとう人として生きる権利さえも失ったか。
 でも色々考えないで済むだけ虫の方が楽しいかもしれない……などと本気で思ってしまった自分がとてつもなく悲しかった。
「あぁ、春はどこだ」
「ん? 冬の次だよ」
 何の疑いもなく、きょとんとした顔で答えるクレアに俺は小さく吹き出した。
「長いのかな、その冬は」
「分かんないよ。でも、早く雪が降るといいね」
「どうして?」
「雪だるまでしょ、雪合戦でしょ、あと……遭難ごっこ」
「は?」
「遭難ごっこ。一人を雪に埋めて掘り返すの。去年パトラを埋めたらほんとに場所が分からなくなっちゃって、どうしようかと」
「やめなさい。そんな危険で不毛な遊び」
「えー、楽しいよ。お兄ちゃんも一度やってみればいいのに。知ってる? 雪の中でじっとしてると何か気持ちよくなってくるんだよ」
「凍死しかけてるだけだ、それは」
 半眼で言う俺にクレアは明らかに「分かってない」顔をしていた。どうやら雪が降り始めたらこいつを徹底監視する必要がありそうだ。
 組んでいた腕をほどき腰に当てた俺はやれやれと首を振った。子供ってのは突発的に訳の分からない事するからな。
 まぁ、俺も子供の頃「水死体ごっこ」とか言って川の上流からとりあえず流されてみるっていうアホな遊びしてたから気持ちは分からないでもないけど。
 一度本気で流されて「ごっこ」じゃなくなりかけたことがあったが今ではいい思い出だ。
 あのとき俺を引っ張り上げてくれたのは俺が生まれる前に亡くなった婆ちゃんだった。少なくとも俺はそう信じている。
 ありがとう婆ちゃん。リードはこんなに立派になりました。墓参り行くからねー。
 と、夕日に向かって叫びたい気分だったが人の目もあることだし止めておく。
 俺は武器屋だ。ちょっとでも精神に異常をきたしたと思われたら営業停止処分になってしまうのだ。
 だって恐いだろ。キチ○イに刃物は。
 そんなわけで武器屋の営業許可審査ってのは結構厳しい。親父から店を引く継ぐときだって三回くらい役所に呼び出されたし。
 で、許可が取れたら取れたで一週間に一度は警備兵が見回りに来る。
 何か変わったことはありませんか、なんて言ってはいるが目的は俺の監視だ。まぁ、扱ってる品物が品物なだけに犯罪集団と武器屋ってのは結びついたりする事があるから仕方ないんだけど。
 それに今ウチに来てる警備兵は子供の頃からの友人だ。遊び仲間だった頃、そのままの関係が続いている。それゆえ一週間に一度監視に来られても嫌な気分にはならなかった。
「あ、リード」
 不意に声をかけられ、俺は視線をそちらに飛ばした。三人の少女がこちらに向かって歩いてくる。歳はみな十八だ。なぜ年齢を知っているのか。知り合いだから。単純な理由だ。
「独り身のリードだ」
「独り身、だね」
「こんばんは、独り身さん」
「喧嘩なら買うぞ」
 前に並んだ三人娘に向かって顔を引きつらせる。と、少女たちは互いの顔を見合わせてけらけらと笑った。
「ただの挨拶じゃない」
「社交辞令よね」
「年上は敬わないと、です」
「いや、君ら言ってることが無茶苦茶だから」
「そんな事より」
 一番背の高い赤毛の少女が無理矢理話を打ち切って前に出る。
「そんな事、って」
「あ、クレア。こんばんは」
「こんばんは」
「今日もかわいいですね」
「あー、いいなぁ。綺麗な銀髪」
「人の話聞きゃあしないし」
 呟き、大きな大きな溜め息をつく。ていうか誰が喋ってるのかもよく分からなくなってきた。もっとも、会話の流れさえ分かれば特定する必要もないのかもしれないが。
「で、君らはこんな所で何をしてるんだ?」
 収拾がつきそうに無いので会話を仕切ることにした。と、胸の前で手を組んだ一番背の低い少女がこんな事を言う。
「気合を入れに来たんです」
 言葉の意味が分からず、俺は顔に疑問符を浮かべた。
 そんな俺を見ながら赤毛の少女が笑う。
「この子さ、今から告白するんだ。知ってるだろ、パン屋の」
「ロイ、だよな」
 赤毛の少女にこの子、と呼ばれたダークブルーの髪を持つ少女に向かって訊く。
「うん。ロイ」
 青い髪の少女は頬を染めて肯いた。なるほど、よく見れば彼女だけかなり気合を入れてお洒落をしている。初々しいね、まったく。
「で、気合を入れに来たってのは」
「ほら」
 赤毛の少女が青い髪の少女の肩を押す。青い髪の少女は一度肯くと俺の顔を見上げた。それから唇を引き結び、両手で自分の頬を叩く。
「大丈夫。こんなの私の未来じゃない」
「……言いたい事は山ほどあるがとりあえずお役に立てたようでよかったよ」
 笑いながらもかなり低い声を出す。
 どうせ俺は恋愛ヒエラルキーのアンタッチャブルだよ。俺でよければいくらでも踏み台にしてくださいな。
 ご用命とあらば四つん這いにだってならせて頂きます。これで高いところだって安心さ。
 あぁ、何か全てが嫌になってきた。明日の夜明け前に音も無く消えてたりしないかな、俺。それならそれで構わないような気がしてきた。
 と、クレアが俺の袖を引っ張る。
「お金で買える愛もあるらしいよ」
 俺はふと顎に手を当て……泣きそうになった。
「うぅ、ちょっとでもその手があったかなんて思ってしまった自分が嫌だ」
 そんな俺を尻目に三人の少女は現れたときと同じように騒がしく去って行く。
 用が済んだら、ぽい、ですか?
「あぁ、くそ! お前ら夜道を歩く時は背後に気をつけろよ」
 そう言う俺に三人は笑いながら手を振って、やがて消えてしまった。
「ったく、嵐かよ」
 女三人寄れば姦しいとはよく言ったものだ。まだ耳の奥に声が残ってるような気がする。
 耳の穴を掻きながら、俺は大きく息を吐いた。
 まぁ、からかわれつつも嫌われてないだけましなのかもしれない。納得はいかないけど。
 人通りの少なくなってきた通りを見ながら苦笑する。
 皆が一日の仕事を終え、かまどから煙が立ち昇る時刻。そろそろ店じまいか。
「華やかだな」
 不意に背後からした声に俺は振り向き、ばつの悪さに視線を戻してしまった。
「もう大丈夫なの?」
「あぁ、おかげ様で何ともない」
 クレアに向かって答えたレイは俺の隣に並ぶと胸の下で腕を組んだ。袖口からは巻かれた包帯が覗いている。
 微かに漂う消毒液の匂い。そして思い出される一糸まとわぬレイの姿。
 とてつもなく居心地が悪い。風に揺れるレイの黒髪さえ俺を軽蔑しているように思えてくる。
「その、さっきは」
「気にしなくていい。それよりも私の方が迷惑をかけてしまった」
「それこそ気にしなくていいさ。大した事ないってんで治療費取らずに先生帰っちゃったし」
「いや、この恩は必ず」
 どうもかなり義理堅い性格らしい。ほんとに気にしなくていいのに。
 少し考えた俺は人差し指を立ててこう提案した。
「じゃあ、さっきのでチャラ」
「いいのか、あれで」
 驚きに目を大きくするレイ。
「十分さ」
 冷たくなってきた手を上着のポケットに入れながら言う。
「ありがとう」
 微笑んだレイに俺は表情を緩めてしまった。土台がいいだけに笑うと冗談も言えなくなるくらい綺麗だ。自分が隣にいていいんだろうか。そんなことさえ考えてしまう。
「歳の離れた友人がいるんだな」
 一瞬誰の事か分からず眉間に皺を寄せてしまったがすぐにあの三人の事だと思い当たる。
「友人っていうか小さい時から知ってるだけだよ」
 この歳になってからは一緒に遊ぶなんて事ないしな。あの子らにしてみれば俺は「近所の兄ちゃん」だし、俺にしてみればあの子らは「近所の女の子」だ。
「どうかした?」
「いや、何でもない」
 自分のつま先を見つめるようにうつむいてしまうレイ。彼女が何を考えているのかは分からない。だが表情から察するに楽しいことではないようだ。
 俺は一度日の沈みかけた空を見上げ、切り出した。
「どうだろう、今晩食事でも」
「唐突だな」
 こちらを見つめるレイの瞳には驚きと戸惑いがあった。まぁ、明らかに食事に誘うような会話の流れじゃなかったしな。
 でもいいだろ、断ち切ったって。暗くなりそうな流れだったし。
「いやな、先生に言われたんだ。何か栄養のあるもの食べさせてやれって」
「私は君の料理で十分ありがたいのだが」
「それはそれで嬉しいんだけど過労だとも言われたし。何と言うか、美味しいものでも食べて飲んでさっさと寝て少し休養をとった方がいいんじゃないかと思って」
「だが、私にはお金も服もない」
「そんなこと。お金は俺が出すし、服は……」
「おばちゃんのがあるよ」
 言いよどんだ俺をクレアが助けてくれた。俺の母親も女性にしては背が高い方だったし、サイズは合うんじゃないだろうか。
「お化粧道具も残ってるし」
 レイを見上げてクレアが「にっ」と笑う。
「『風の丘亭』だよね」
「もち」
 返事をして大きく肯く。風の丘亭。俺たち行きつけの店だ。ここの料理はとにかく旨い。特にデザートのアップルパイ。これが絶品なのだ。
「お姉ちゃん、服選ぼ」
「あっ、あぁ。だが……」
 戸惑うレイに俺は笑みを浮かべてこう言った。
「もてない男が勇気を出して食事に誘ったんだ。情をかけるとおもって、な」
「そうそう、お兄ちゃんが女の人にお金を使うことなんてめったにないんだから少しくらいたかったって大丈夫だよ」
 大層な言われようだな、おい。
「でも、リードはクレアのではないのか?」
「いいのいいの。お姉ちゃん優しいから半分だけ貸してあげる」
「優しい? 私がか」
「うん。優しい人。それより早く服選ぼ。お姉ちゃんお化粧して着替えたら絶対綺麗になるよ」
「そうだろうか」
「もちろん。早く早く」
「あ、あぁ。じゃあリード、すまないが」
 クレアに手を引かれながら頭を下げるレイに俺は、いってらっしゃい、と手を振った。
「母親の部屋にあるものは自由に使って構わないから。見事に変身して見せてくれよ」
「努力する」
 そんな言葉を残し、レイはクレアに引っ張っていかれた。
 大きく伸びをして、ゆっくりと手を下ろす。やっぱり「お出かけ」ってのは楽しいものだ。それが綺麗な女性となら尚更だった。
 これで少しでも気を緩めてくれればいいんだけどな。
 レイとクレアが入っていった店の奥、住居部分へと続く扉を見ながら思う。
 誰にだって疲れてるときには休息が必要だ。肉体的にも精神的にも。
 もちろん依然として気になっている事はある。
 レイの体に付いていた血のことだ。
 あれが誰の血なのかは分からない。そもそも人間の血であるかどうかさえも分からないのだ。
 知る方法はただ一つ。レイに直接訊く事のみ。
 しかし、と思い直す。
 俺にそれを訊く権利はあるのだろうか。彼女から話してくれない限り訊いてはならないような気もする。
 話さないという事は話したくないという事なんだから。
 でも、と再び思い直す。
 もし、仮にだが、人の命が絡んでいるとすれば放っておくわけにもいかなかった。
 でもな……さすがにそれは何らかの態度に出るだろ。
 見たところレイの様子に変化はない。何かを隠してるとか、何かに怯えてるとかそんな風には思えなかった。
 結局、心配するだけ損なのかもしれないな。
 種明かしをすれば意外としょうもない理由だったという可能性だって十分あるのだ。
 とりあえず閉店準備、だな。
 こきこきと首を二度鳴らした俺は店の雨戸に手をかけた。
 でも、と思考の輪を断ち切れぬまま。

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