武器屋リードの営業日誌

第三話 
─竜を追う者─

ライン


「妹を喰われた」
 深夜、ベッドに寝転がった俺はくすんだ天井を見つめながらレイの言葉を胸中で呟いていた。
 低く、唸るような風の音が微かに聞こえる。獣の咆哮にも似たその音に俺は小さく息を吐いて寝返りをうった。
 ばふ、と枕に顔をうずめる。
 そろそろ干さなきゃな。ふかふか度の減ってきた枕にそんなことを思う。
 目を閉じた俺は再びレイについて考える事にした。
 竜を狩るために旅を続けている女性。理由は復讐だという。だがそれ以上のことは分からない。夕飯のときもレイは自分について何一つ話してくれなかった。本人が話したくないものをこちらが訊くわけにもいかない。
「妹を喰われたって、どんな風に?」
 そんな質問ができるほど無謀な勇気を俺は持ち合わせていない。
 だから結局分かったのは妹を竜に殺されたレイが復讐のためにその竜を追っている、ということだけだ。
 もっとも、それだけ分かれば十分のような気がするが。
 俺がレイにしてあげられるのは今のところメシとベッドを提供する事だけ。
 それ以外のことに首を突っ込もうとは思っていなかった。
 もっとも、そんな権利もないのだが。
 ゆえに、クレア以外の誰かがきしむ廊下を踏みしめて外に向かう気配と足音を察知したときも無視しようかと思った。
 子供ではないのだ。余計な詮索以外のなにものでもない。
 が、俺はまず右目を開き、ちょっと迷ってから左目も開いた。ベッドから降り、机の上に放り投げてあった上着の袖に腕を通す。
 その冷たさに一度身震いしてから俺は息を止めて部屋の扉をわずかに開いた。一度外の様子を伺い、頭を出す。
 俺の目に映ったのは闇に溶けていくレイの背中だった。とてもじゃないが「夜中にトイレに起きた」という風には見えない。
 第一、彼女の背には布に包まれたパルチザンがしっかり背負われていた。
 その後姿を見送り、自分をごまかすために言い訳を必死で考える。が、結局は何も思いつかなかった。
 思いつかぬまま余計な詮索を続ける。
 とりあえずどっち方面に行くのか位は客の身を預かっているホストとして知っておいた方がいいだろう。
 お、何かちょっと納得できそうな言い訳ができた。
 口元を苦く緩め、廊下に出た俺は足音に細心の注意を払いつつレイを追う。
 我ながら情無い。素直に「何か気になるから」とか「興味がある」とか思ってしまえばいいものを。
 言い訳を考えなければ女性の一人も追えないとは。自分がいまだに独り身な訳が少しだけ分かったような気がした。
 要するにへたれ、なんだよな。
 冷たい夜気にさらされ感覚を失っていく手をこすり合わせ、嘆息混じりの息を吐きかける。
 指先は暖まったが心はちと寒い。
 レイは食堂から外に出ると庭を横切って勝手口に向かった。
 そこで辺りを警戒するように左右を見回してから表に出る。
 庭に降り立った俺は草をつま先で踏みしめ、勝手口に歩み寄った。立ち止まり、ゆっくり五つ数えてから勝手口の戸を開く。
「うわらっ!」
 思わず妙な声をあげて飛びすさってしまった。
 開けた戸の隙間から黒い瞳が俺を見つめていたからだ。
「何をしてるんだ?」
 眉根を寄せたレイが首を傾げる。責めている、というよりは本気で俺の行動が理解できないらしい。
 後をつけられていたという自覚はなさそうだ。
「いや、あの」
 夜の散歩、とでも言えばごまかせそうな状況ではあるがなぜか正直に言ってしまう。
「どこ行くのかな、と思って」
 が、ばつが悪い俺とは対照的にレイが浮かべたのは納得の表情だった。
「そうか。一言いえばよかったな」
 言葉を切ったレイが町外れに立つ山のシルエットを見やる。その目には確かな昂揚感があった。形のいい唇がわずかに緩んでいる。
 兎を前にした狼はこんな顔で笑うのかもしれない。
 最後まで聞かずともレイの表情と背中のパルチザンが教えてくれた。
「こんな時間に?」
「奴だって生き物だ。夜は眠る」
 そこを狙い撃つというわけか。
「卑怯だと思うか?」
 俺は少し考え、首を横に振った。
「そうでもしなきゃ竜なんて討てないだろ」
 あぁ、またか。そんな感想しか抱けなくなるほどのハンターが毎年竜によって殺されている。ハンターは手段を選ばない。必要とあれば毒や爆薬だって使う。それが周囲にどんな影響を及ぼそうとも、だ。
 だがそこまでしても竜は人の上をいく。竜とはそういう生物だ。
 大体、槍一本で竜に立ち向かう事自体が自殺行為外のなにものでもない。今までレイが死なずに済んでいることは奇跡に近かった。
 とてつもない強運の持ち主か、とてつもない槍の使い手か。
「よく分かってるじゃないか」
 声はレイの肩越しにいきなり飛んできた。人をなめたような響きに反射的に口を歪めてしまう。
 レイの背後に闇から切り取られるようにして三人の男が現れた。三人は揃って顔に感じの悪い笑みを貼り付けている。
 直感で分かった。俺はこいつらとは友達になれない。というよりなりたくない。
 そんなわけで俺はかなり不機嫌な視線でもって男たちを見やった。
 声を発したであろう男が軽くこちらを睨みつつレイの横に並ぶ。恐らくこいつがリーダーなのだろう。
 皮革の鎧に腰に提げた両手剣。男もレイと同じように武装していた。
 残りの二人も似たようなもんだ。特に注目するに値しない。
「彼らはハンターだ。しばらく前から行動を共にしている。もっとも、奴と対峙する時だけだが」
 レイの紹介に俺はとりあえず肯き、どうも、とあからさまにやる気のない挨拶をした。
 リーダーの男は俺を嘲るように笑うと、路上に唾を吐いた。それだけだ。
 うぁ、感じわる。
 ま、人のこと言えないけどな。
「武器屋ってのは儲かるのか?」
 唐突にそんなことを訊かれ、言葉に詰まる。
 男は空を見上げ、心底どうでもよさそうに続けた。
「俺も狩りに飽きたらやってみるか。楽そうだし」
 楽そう。その一言に血液の温度が上がる。だが俺は敢えて笑みを浮かべた。
「ハンターってのは儲かるのか?」
 今度は男が言葉に詰まる番だった。
「武器屋に飽きたら俺もやってみるか。楽そうだし」
 俺の台詞に三人のハンターが色めき立つ。
 自分が言われて嫌なんだったら初めから人に言うんじゃねぇよ。
「こっちは命かけてやってんだ。なめてんのか、田舎の武器屋ごときが」
 何が命がけだ。
 鼻で笑い、言い返す。
「安い命だから幾らでもかけられるんだろうが。あんたが死んだって誰も困らないんだろ?」
 一歩踏み出した俺に男も一歩踏み出した。
「狩ってやろうか、この場で」
 あ、と顔を歪める男に俺は拳を握る。何が「狩ってやろうか」だ。自分に酔ってんじゃねぇぞ。
「やってみろよ。俺は竜より弱いがあんたに狩られるほど間抜けじゃない」
 唇の端を吊り上げ、笑う。
 張り詰め、硬質化する空気。握った拳の内を熱い汗が濡らした。
 何でもいい。きっかけが一つあればこの男に拳を打ち込める。この距離なら両手剣よりも拳の方が早い。
 開始の合図はまだだろうか。犬の鳴き声でも風の音でも構わない。
 さっさとやらせろ。
 そう、思ったときだった。
 俺と男の間に何かが割って入る。薄いブルーの何か。焦点を合わせてみればパルチザンの穂先だった。穂先から柄を辿り、持ち主へと視線を移す。
 当然そこにはレイがいた。
「すまない。抑えてくれ」
 そう言われてしまったら続けることはできない。仕方なく握っていた拳をほどき、一歩下がる。熱かった手が一気に冷めていった。
 男は大きく舌打ちしてこちらに背を向けた。
「行くぞ」
 吐き捨てるように言って歩き出す。二人のハンターがその後に慌てて続いた。
 レイはそんな男たちの後姿と俺の顔を一度ずつ見てから、やれやれ、といった風に笑う。
「子供だな」
「俺は別に……その」
 言葉を濁す俺にレイは声をあげて笑った。その楽しそうな笑顔につい見とれてしまう。
 いつもこんな風に笑ってればいいのに。
 レイは最後に俺の肩を叩くと踵を返した。揺れる黒髪は闇夜の中であってもその存在感を失わない。
「朝食までには帰る」
 振り向かぬままでレイが言う。
「気を付けてな」
「心配するな。今日こそ狩ってやるさ」
 残し、レイは歩き出した。闇に溶けていく後姿を俺は見つめ続ける。考えてはならない事だが、これが今生の別れになる可能性だってあるのだ。
 日の出までレイ生きている保証は無い。
 吹き付けた風の冷たさに一度目を閉じ、開いた時、通りにいるのは俺一人になっていた。
 もう一度手に息を吐きかけ、レイが見ていた町外れの山を見上げる。恐らくはあそこに竜がいるのだろう。この近辺でそんな巨大な生物が身を隠せるところといえば山くらいしかない。
 月は、出ていなかった。
 そういやランプ持ってなかったけど大丈夫かな。
 そんな心配をしながら、朝食を三人分作ることを俺は心に決めた。

 

ライン

 

 レイは約束を守ってくれなかった。
 一年中変わらないような気がする小鳥のさえずりを聞きながら俺は頬杖をついていた。
 朝の食堂。
 テーブルの上には少しばかり気合を入れて作った朝食が並び、そのまま視線を正面に持っていけばクレアがいる。
 朝からよく食べるクレアの健康を嬉しく思いながらも、口から出たのは小さな溜め息だった。
「どうしたの?」
 頬にパン屑をつけたクレアに訊かれ、何となくスプーンを手に取る。オニオンスープをかき混ぜながら視線は残された三つ目の席にいったままだ。
 さすがにクレアも俺が何を気にしているか気付いたようだ。レタスを突き刺したフォーク片手に俺と同じ方を見る。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「あ、あぁ。そうだな」
 曖昧な返事をしてスプーンを口に運ぶ。スープの味は悪くなかった。
 食べて欲しかったんだけどな。
 スープを喉から胃に落とし、二度目の溜め息をつく。
 クレアには何と言えばいいだろうか。まさか「竜を狩りに行って死んだかもしれない」とは言えない。やはり「ちょっと用事で出かけてるだけさ」くらいが妥当だろうか。
 と、そこまで考えて俺は苦笑した。
 別にレイが死んだと決まったわけじゃない。なのになぜこんな事で悩んでるんだろう。思い当たる理由がないと言えば嘘になる。
 竜のせいだ。
 竜を狩りに行って帰ってこない。ならば生存は絶望的だ。そう、思わせるだけの力が竜にはある。
 もしかしたら俺の中で勝手に竜という存在が肥大化しているだけなのかもしれないが、普通の人にとっては大抵そうだろう。
 時化の海で船が転覆した。竜を狩りに行って帰ってこない。
 少なくとも俺にとってこの二つの言葉には大した差が無かった。
「大丈夫さ、きっと」
 自分に言ったのかクレアに言ったのか分からないような声で呟き、俺はパンを口に入れた。分かっていたことだが随分と乾いている。パンってのはそういうもののはずなのに。
 口を動かしながら視線をあちこちに飛ばす。話題を変えるためのネタが欲しかったのだ。
 ネタは意外と近く、クレアの胸元にあった。見覚えの無いペンダントに気が付く。
「どうしたんだ、それ」
 パンを飲み下した俺はクレアの瞳と同じ、澄んだブルーの石をあしらったペンダントを指さした。
 クレアは、これ? と石を人差し指と親指ではさむと笑みを浮かべた。
「きれいでしょ。お姉ちゃんにもらったの」
 結局レイの話題からは離れられないらしい。
「高いもんじゃ……ないよな」
 身を乗り出し、ペンダントを見つめる。宝石の類ではないようだが。
「分かんない。使ってもらった方が喜ぶから、ってお姉ちゃん言ってたよ」
 ふぅん、と鼻から息を吐く様に肯いて元の姿勢に戻る。
「ちゃんとお礼言ったか?」
「言いました」
 むくれたクレアが唇を尖らせた。子ども扱いしないで。表情がそう言っている。
 しかし、使ってもらうと誰が喜ぶんだろうか。ペンダントを作った職人、じゃないよなぁ。
 綺麗ではあるがどこか造りが素人くさいペンダントを見ながら考える。
 となると、まさか。
 思い当たり、顔を上げたときだった。
 外から聞こえてきた木の板を叩く音に俺は立ち上がる。よく知った音だった。誰かが勝手口の戸を叩いている。
 どうやら心配するだけ損だったようだ。勝手口の戸を叩く知り合いなんて今はレイくらいしかいない。町の知り合いなら庭まで勝手に入ってくる。
 都会の人間には信じられないだろうが、田舎ってのはまぁそんな所だ。
「お姉ちゃんかな」
「多分な」
 嬉しげなクレアの声に答え、俺は食堂から庭に出た。歩きながら朝の空気を胸一杯に吸い込み、吐き出す。
 瞬間、舌打ちした俺は勝手口に向かって庭を走っていた。
 微かに感じる血の臭い。戸は同じリズムで叩き続けられている。
 奥歯を食いしばった俺は戸を勢いよく引いた。同時に血の塊が倒れ込んでくる。濃い錆の匂いにむせ返りながらも俺は血まみれのレイをしっかりと抱き止めた。
 血に固まった黒髪は顔に張り付き、指先から滴る雫が赤黒い染みを地面に打つ。
 レイの体は俺の体温を奪ってしまいそうなほどに冷え切っていた。
「すまない」
「喋るなっ!」
 青紫色の唇を震わせ、かすれた声で詫びるレイに向かって叫ぶ。
「クレアッ! 先生呼んで来い!」
 背後にいるであろうクレアに声を飛ばす。だが気配は動こうとしない。振り返ればクレアは手で口を押さえ、目を見開いて泣いていた。足は大きく震えている。
 子供には酷だ。だが、この場には俺とクレアしかいない。
「クレア。お前がレイを助けるんだ」
 涙に濡れた瞳を視線で射抜き、ゆっくりと言う。
「やれるか?」
 問う俺にクレアは鼻をすすると拳で涙をぬぐった。それから小さな唇を引き結び、何かを振り払うかのように駆け出した。
 勝手口から出て行くクレアを見送り、レイを地面に横たえる。
「すぐにクレアが医者を呼んでくる。大丈夫。あの子は歳以上にしっかりしてる」
 薄く目を開いたレイは小さく肯き、咳き込んだ。口から散った血が芝生に、俺の手に降りかかる。
「薬と包帯、取ってくるな」
 支えていたレイの頭を下ろした俺は家に向かって走った。
 一瞬でも迷う事の無いように、全ての手順と必要な道具を頭に思い浮かべる。
 俺にできるのはせいぜい先生が来るまでのつなぎだ。
 だが応急処置の良し悪しが生死を決める事だってある。
 庭で死人なんて出してたまるか。
 胸中で強く吐き出し、俺はもう一度「今やらなければならない事」を頭の中で繰り返した。

ライン
 

 
 部屋のドアがゆっくりと開く。
 死刑宣告をされる罪人ってのはこんな気持ちなのかもしれない。ゆっくりとではあるがやたらと強く打つ心臓に息苦しさを覚えた。
 白衣と薬の匂いをまとった裁判官が廊下で待っていた俺の前に姿を現す。
 ぼさぼさの白髪に口ひげ。白衣を着ていなければ彼が医者だとは誰も思わないだろう。実際白衣を着てたって近所の小うるさそうな爺さんにしか見えない。
 先生は腰の後ろで手を組んだまま不機嫌そうな顔で俺を見上げた。これが先生の地顔だ。常に何かに対して苛立っているような目にへの字口。失礼な話だが、あまり品を感じる顔だとは言えない。
 それゆえに、医者っぽくない、と思ってしまうのだ。
 だが彼がこの町一番の名医である事は疑い様のない事実だ。俺も生死に関わるような怪我をしたら、この先生を呼んでもらおうと思ってる人間の一人だった。
「あの」
 レイの容態は。
 そう訊こうとした瞬間脛に激痛が走った。片足を上げ、廊下で妙な踊りを舞いながら蹴られたのだと気付く。
「何するんですか!」
「うるさい。この程度の怪我でいちいちワシを呼ぶな」
 先生の言葉に上げていた片足を下ろす。眉根を寄せる俺に、先生はへの字口を九十度になる勢いでひん曲げた。
「大騒ぎしよって、この小心者が。大した怪我はしとらん」
「じゃあ、彼女は助かるんですか?」
 つい声が大きくなる。俺の喜びに反比例するように先生の眉間の皺はさらに深くなった。
「初めから死にかけとらんわ。疲労が溜まって倒れただけだ。血もほとんどあの娘のものではない。あの程度の傷ではあそこまでの血は出はせん。おのれで包帯を巻いておいて気付かんかったのかこのバカタレが」
「いや、その、必死だったもので。あ、でも口から血を吐いてたし内臓がやられてるとかは」
「少し派手に口の中を切っただけだ」
 このバカタレが。そう続けたそうな目で先生が俺を睨む。
 俺はとりあえず頭を掻き、天井を見上げた。長く息を吐くと同時に気を抜く。胸の中にあった重く黒い塊が溶けていくようだ。
「自分で騒いで自分で収まってりゃ世話ないわい」
 先生の一言に苦笑する俺。面目ない。
 そんな俺に一瞥くれ、先生は廊下を歩き出した。
「あの、診察代を」
「いらんわ。あんなのは患者のうちに入らん。そんな金があるんだったらあの娘に何か栄養のあるものを食わせてやれ。それで治る」
 言いながらも先生はさっさと廊下を歩いて行ってしまう。俺はその小柄な背中に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました」
「でかい声出すな。起きるだろうが」
 返ってきた台詞に慌てて口をつぐむ。もう遅いんだけど。扉を見やり、とりあえず起きた気配がないことに安心する。
 最後に先生は、ふん、という極めて不機嫌そうな吐息を残して姿を消した。
 やれやれ、か。
 廊下の壁に背を預け、膝を少しだけ曲げる。
 もっとも、先生の言った通り勝手に一人で騒いでただけなんだけど。いやもう一人。クレアまで巻き込んで、だ。
 とりあえず大丈夫だって教えてやらなきゃな。
 一つ息を吐いて体を起こし、店に向かって歩き出す。
 ふと、先生のある一言が思い出された。
 血もほとんどあの娘のものではない。
 じゃあ誰のものなのか。どうしてその血をレイがかぶっていたのか。
 立ち止まり、レイが寝ている部屋を肩越しに見やる。
 今は考えるのをよそう。レイが目を覚ましてから。それからでも、な。
 問題を先送りにしている。
 そんな自覚を胸に抱きつつも俺は再び店に足を向けた。
 靴の下で廊下が不安を煽るかのように、きしむ。

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