武器屋リードの営業日誌
6
朝食の後、店番を残りの三人に任せた俺は工房に篭もった。
先ほども言ったようにオーフィスの剣に魔法をかけるためだ。
使い慣れた工具と部屋に染み付いた微かな鉄の匂いが気分を昂揚させる。
自分が武器を扱っている人間だと強く感じる瞬間だった。
工房の中央には木製の作業台が置かれている。爺ちゃんの代から使ってるんだから結構な年代物だ。
表面に刻み込まれた傷はこの店の歴史そのもの。いとおしささえ感じてしまう。
俺は作業台の表面を手で撫でてから、その上にオーフィスの剣を置いた。
鍔にはめ込まれた青い石を見つつ、乾いた唇を舐める。
正直に言えば俺は不安を感じていた。手は普段かかない種類の汗で湿っている。
俺にやれるんだろうか。
そんな疑問を何度も頭の中で繰り返す。迷ったら終わりだと分かっていても振り払えない。
アトリア・デイ・ディスト。
その名が高密度、硬質の重りなって心を押し潰す。
ディストの王族のためだけに武具を作り続ける超一流の工房。歴史だって半端じゃない。
俺の目の前にあるのは何百年という時の、何千人という職人の、言わば歴史と叡智と技術の結晶だ。
その結晶に俺は手を入れようとしている。失敗すれば全てが水の泡。
だが、やるしかない。
「約束しちまったもんな」
胸中で呟き、握っていた拳を開く。指はきっちり動いた。意外と図太いじゃないか。
口元を緩め、目を閉じる。
「鉄と剣の精霊よ、加護を」
気休めではない。信じれば必ず助けてくれる。
「よし」
目を開いた俺は両手で頬を叩き準備に取り掛かった。
始めようか。
額に滲んだ汗が玉となり頬を滑り落ちる。
昼食を採ろうにも喉を通らなかった。
呼びに来てくれたクレアには申し訳なかったが、気持ちを途切れさせたくなかったのだ。
気がつけば窓から差し込む光が赤く染まっている。
あと少しだ。集中しろ。
直線を基調にした幾何学模様の描かれた布の上で俺は指を動かし続けた。
精霊に祈り、自分の腕を信じ、己の持てる全てを対象に叩き込む。
気が付けば、もう随分と「音」を聞いていない。触覚と視覚が異様に鋭くなり、世界は一点に圧縮されていた。
指先の感覚とその周りの狭い視界。それが全てだ。
呼吸と瞬きさえも停止し、最終行程に移る。
作業のためはずしていた柄頭と青い石をはめ込み、俺は剣を円錐状の台の上に乗せた。
ふらふらと揺れていた剣がやがて机と水平になり、静止する。
剣の上に手をかざした俺は細く、長く息を吐いた。
さぁ、仕上げだ。
「剣に宿りし精霊に願う。この剣を手にし者に大いなる力を」
祈りの言葉を捧げ、剣の上で印を切る。
「剣に宿りし精霊に願う。この剣を手にし者に大いなる幸運を」
刃の表面に二本の指を滑らせる。
「剣に宿りし精霊に願う。この剣を手にし者に大いなる勇気を」
俺は刃に触れたのとは逆の指二本を青い石の上に置いた。
「フレイ・イルム・ディリーザ・バルドガルム・レラ・サルト」
昔から伝わる古い古い呪文だ。爺ちゃんも親父もよく口にしていた。
正確な意味は分からないし、これは完全な呪文の一部でしかないらしい。
それでも、絶対に覚えなければならない言葉、として毎日復唱させられた。
これは俺たちの義務なんだ。
いつもへらへらしている親父がこの時だけは真面目な顔をしていた。
両の指をゆっくりと剣から離す。
行程……完了。
剣を持ち上げた俺は鞘に収め、長く大きく息を吐いた。
全身の筋肉を引っ張っていた緊張の糸が切れ、へたり込むように腰を下ろす。
作業台に突っ伏し、俺は自分の利き手である左手をじっと見つめた。見つめながら笑ってしまう。
何はともあれお疲れ様、と。あとは……、
「オーフィス次第だな」
と、つぶやいて窓から見える夕日に視線を移した時だった。
けたたましい音とともに扉が開かれ、オーフィスが飛び込むような勢いで工房に現れる。
「お、ちょうどよかった。今呼びに行こ」
「クレアとミアがさらわれました!」
こちらの言葉を遮ってオーフィスが発した台詞に思考が一瞬停止する。
だが一瞬だ。オーフィスの様子を見るに冗談だとは思えない。俺は一度切れた緊張の糸をすぐさま結び直した。
「すみません。私が井戸の方に水を飲みに行った間に」
「犯人の姿は見たのか?」
「いいえ。ただ、これが」
オーフィスが差し出した手には一枚の紙切れが握られていた。それを手に取り視線を落す。
『二人は預かった。返して欲しければミルスの旧坑道まで来い』
ひねりもウイットも泣けるところも笑えるところもない一文。
それがペンと紙がかわいそうになるくらいの汚い字で書き殴られている。
ミルスの旧坑道とは近所の山にある坑道跡だ。少々人が叫んだところで助けが来るような場所ではない。
人を殺すにはこの辺で最も適した場所だろう。
「すみません。私が、私が」
「泣きそうな顔するなって。考え様によっちゃいい機会かもしれない」
口を半開きにしたオーフィスに向かって、俺は剣を差し出した。
「予定より早かったが新生オーフィスの剣、デビューだ」
剣を両手でしっかりと受け取りながらオーフィスが肯く。
「必ず、助け出します」
気合の入ったいい顔をしている。
さらわれた二人には申し訳ないがオーフィスにとってはいい燃料になったようだ。
問題は実戦でどれだけ振れるか、だ。そこはもうオーフィスに頑張ってもらうしかない。
「行きましょう、リードさん」
「そう焦るなって。わざわざさらった以上そう簡単に殺しはしないさ。殺すんならその場で殺せばいいわけだし。まっ、準備する時間くらいはあるだろ。ちょっと待っててくれ」
言い残して俺は工房から外に出た。久しぶりに触れた外気は思ったより冷たく、体の熱をすぐに奪い取ってしまう。
日はほとんど山の向こうに沈みかけていた。
こりゃ坑道に着く頃には夜になるな。ランプを持って行かないと。
群青色と赤の二色に塗り分けられた空を見ながらそんなことを思う。
どこかでカラスが一声鳴いた。
もう一つ。
つま先で地面を蹴りつけた俺は鼻の頭に皺を寄せ、奥歯を思い切り食いしばる。
毛の先ほどの傷でも付けてみろ……殺す。
指を鉤爪のようにいびつに曲げたまま、俺は倉庫へと向かった。