武器屋リードの営業日誌
ライン
 

「ミアのことだよ」
「あの子が何か」
「どう思ってるんだ?」
 沈黙。
「ど、どうって」
「動揺したろ、今」
 ついニヤニヤとした笑みがこぼれてしまう。
 必死に何でもないふりをしてはいるが、オーフィスの目は面白いくらいあたふたしていた。
「別に動揺なんて。少し驚いただけです」
 と言いながらも俺と目を合わせようとしない。
「だいたい、ミアと剣術に何の関係があるんです」
「関係があるかないかは俺が決める。さっき『何でも訊いてください。全てお話します』って言ったろ?」
 ぐっ、とオーフィスが言葉に詰まった。だが既に時遅しだ。
「全部話して楽になろうや、な」
「うぅ」
 呻き声を漏らし、オーフィスがうな垂れる。どうやら観念したようだ。
「その、私は、ミアに」
「うん」
「確かに、その、こっ、好意を寄せては、います」
 と、オーフィスの顔が結構な勢いで跳ね上がった。
「ですがそれは好意であって愛や恋とはまた別のもでしてあくまで好意であってあのその言うなれば親愛の情とでも言うかとにかくもっとこう人の心は複雑で著名な哲学者であるハイレリウスの書を紐解けばそのことについてああでもないこうでもないと」
「でも、したいんだろ、ミアと」
 巨大なハンマーで殴られでもしたようにオーフィスの頭がぶれ、そのまま固まってしまう。
 意外と愉快な反応をする奴だな。
「おっ、おっしゃりたいことの意味が分かりかねます」
「そうか。えーっと、今までミアで何回抜い……」
「すみませんっ! もう許してください」
 額で地面を割る勢いでオーフィスが頭を下げる。
 わははは。よきかなよきかな。
「その、なぜ分かったのですか?」
「ミアに聞いたんだよ。彼女、厨房で皿洗いしてたんだろ? そんな子が王子様付きの侍女になるなんて誰かさんの特別な意思が働いたんじゃないかなと」
 「誰かさん」と「特別な意思」に力を込めて言ってやると、オーフィスは照れたような恥かしいような笑みを浮べた。
「しかしよく通ったな、そんな希望」
「お恥ずかしい話ですが王族が侍女に手を出すなどという事は往々にしてありまして、その類の事だと周りには思われていたようです」
「二、三回使ってみて気に入らなければポイすればいいと」
「……リードさん、何か王族というものに対して偏見を持ってませんか?」
「別に。ただ」
「ただ?」
「侍女の乳揉みながら食事するのは羨ましいなと」
「しませんっ! そんな事」
「えー、嘘でぇ。『あいつらは税金で乳揉んどる。何と羨ましい』って死んだ爺ちゃんが泣きながら拳握ってたぞ」
「……私が泣きながら拳を握りたい気分です」
「そんな君もミアの乳は揉みたいわけだ」
 沈黙。オーフィスが俺の顔を見る。
「はい」
 うん、大分素直になってきた。
「でも何で揉まなかったんだ? 二人旅なんだしチャンスはいくらでもあったろ」
「え、いや。強姦はちょっと」
「襲うな。二人合意の上での話だ」
「それは」
 と、オーフィスの表情が暗くなる。彼は芝生をぷち、ぷちと引き抜いてから首を横に振った。
「きっとミアは私のことを軽蔑しています」
「乳揉みながら食事するからか?」
 軽い冗談なのにオーフィスが俺に向けた蔑みの眼差しは死ぬほど重かった。ある種の哀れみさえ感じる。
「すまん」
 とりあえず謝る根性なしの俺。
 オーフィスは一拍置くように地面を見つめ、口を重そうに開いた。
「おそらく私はディストの歴史が始まって以来、最も情ない王族でしょう」
 口元は微かに緩んでいるが、そう言うオーフィスの拳は握られたままだ。
「ディストの王族、いえ、ディストという国にとって剣とは本当に特別な物なんです。それを振れなくなるなんて」
 緩んでいたオーフィスの唇が真一文字に引き結ばれる。
「泣きそうな顔するなよ。さっきも言ったろ。これだけ使えればたいしたもんだって」
「ありがとうございます。ですが、ミアは」
「そう悲観することもないと思うけどな。ほら、昨日の夜だって彼女、君の傍にいたろ。心配だったんだよ。この件にしたってミアから相談されたわけだし」
 だがオーフィスはわずかに肯くだけで表情を軽くしようとはしなかった。
「ミアは優しい子ですから」
 どこかで聞いたような台詞を言ったきり、膝を抱いて黙ってしまう。
 俺は少しばかり罪悪感を感じていた。
 今ここでオーフィスにミアの気持ちを伝えれば彼も少しは元気になるかもしれない。
 だがそれでは意味がないのだ。
 オーフィスの側から一歩踏み出してもらわなければ意味がない。俺のやっていることはそのための手助けなんだから。
「なぜ、こんな事を訊くのですか?」
 顔を上げたオーフィスは困惑に目を細めていた。
「確かに剣術と恋心の関係なんてよく分からないよな」
 言いながら地面に置かれたオーフィスの剣を見やる。鞘が朝日を照り返し輝く姿は神々しくさえあった。
「そうだな。個人的な興味と、あとは心構えの問題だな」
 俺の言葉がオーフィスの眉間に皺を刻んでしまう。
「君は何のために剣を振ってるんだ?」
「それは」
 とオーフィスは即答しようとして、黙った。言葉に詰まった彼の目が落ち着きなく様々な場所を見やる。
 それは、と再び繰り返したものの思考をまとめる時間稼ぎにすらならなかったようだ。
「それは?」
 俺の方から訊いてみるがオーフィスの口から確たる答えは出てこない。
「考えたこともなかった?」
「すみません」
 結局オーフィスは唇を噛んでうな垂れてしまう。
 もちろん彼がそのことについて本当に何も考えていなかったとは俺も思ってない。
 心の奥底では何か思うものがあるんだろう。
 ただ、よほど突き詰めて考えてみなければそれを言葉にすることはできない。
 内なる自分と殴り合いにも似た議論を繰り返しはじき出される結論。
 意外とそれは単純な答えなのだが、それゆえにしっかりとした土台になってくれる。
 自分が足をつけて立つ場所、それを見つけた時にこそ踏み出せる道がある。
 薄い朝方の空を見上げ、それから俺はオーフィスに顔を向けた。応えてオーフィスの表情が硬くなる。
「確かに優れた武器ってのは芸術品にさえなり得る。君の剣のようにな」
「はい」
「でもな、それでも武器の基本は人を傷つけるための道具なんだ。その事実が覆ることはないし、覆してもいけない」
 無言で、ゆっくりと肯くオーフィス。
「人が武器を使うとき、言い換えれば君が剣を振るとき、それは即ち誰かを傷つけるときだ。あるいはその命さえ奪ってしまうか」
 言葉を切り、息を吸う。そして吐く。
「身を斬られれば当然痛いし、死ねば悲しむ人がいる。いいことなんて一つもない。なのに君は日々剣を振り、汗を流し、手をボロボロにして人を傷つけるための技術を学んできた。なぜだ?」
「それは、その、私は剣を象徴とする国の王子ですし、それが義務であって」
「難しく考えなくていい。あるだろ、もっと単純な理由が」
 困惑し、焦るオーフィスをなだめようと俺は笑みを浮べた。
「初めて剣を握った時のことを覚えてるか?」
「物心ついたときから、既に」
「そこから思い出を辿ってみるといい」
 言われた通り押し黙り、思案顔になるオーフィス。やがて彼は目を閉じた。
 今彼は遠く、過去の自分と久しぶりに再会を果たしているはずだ。
 あれこれ考えず、単純な思いだけを胸に剣を振っていた自分と。
 俺は頬杖をついてオーフィスの顔を見つめ続けた。端正な顔が時に歪み、また微笑を浮べる。
 当然のことながら俺はオーフィスがどんな人生を送ってきたのか知らない。
 せいぜいこうして思い出を辿る彼の表情を見ながら「色々あったんだろうなぁ」と思ってみるくらいだ。
 どれほどの時間そうしていただろうか。ゆっくりとオーフィスが目を開き、顔を上げた。
 晴れやか、とまではいかないが、さっぱりとした表情を見るに何か成果があったようだ。
「父が、誉めてくれたんです」
 頭に手をやったオーフィスが嬉しそうに言った。
「私の剣が一つ上達する度に大きな手で、こう、頭を包むように撫でてくれました」
 頭にやっていた手を顔の前に持ってきて、じっと見つめるオーフィス。己の手に父の手を重ねているんだろうか。
「普段は厳しい人でしたが、その時ばかりはいかつい顔に満面の笑みを浮べて」
 そう言うオーフィスの表情も柔らかくなっていく。
「夕食の時、父は私の成果を臣下の者や侍女たちにいつも自慢していました。私はそれが照れくさくもあり、嬉しくもあり、誇らしかった」
 柔らかいだけだったオーフィスの目に力が宿ったように思えた。
「皆が私に笑顔を向け、誉めてくれた。それが嬉しかった。応えなければ、と思っていました。だから私は」
 オーフィスが拳を握る。
「剣を振り続けたんです」
 澄青の瞳がまっすぐに俺を射抜く。ぐらついていた足下が多少は固まったようだ。
「上出来だ。じゃあ改めて訊く。君は何のために剣を振っているんだ」
 オーフィスの喉が微かに鳴る。
「私にどれだけのことができるのかは分かりません。でも、笑って欲しい。一人でも多くのディストの民に笑って欲しいんです」
「そのために剣を振る、か」
「はい」
 迷いのない凛としたオーフィスの声が庭に響いた。
 大きな声ではなかったのだが、そこには大気を震わせる力がある。
 しかし、ディストの民ときたか。
 苦笑し、耳を掻く。
「おかしいですか?」
「いや、やっぱり本物の王子様なのかなと思って」
「はぁ」
「普通の人間に『民』は背負えないわな」
 それをオーフィスは本気で言ってのけた。
 生まれながらにして頂点に立つことを宿命付けられた人間にしかできない思考だ。
 素っ裸で逆立ちして奇声を発しながら大通りを疾走したってそんな考え方俺には無理だろう。
 俺に『民』は背負えない。
「じゃ、ディストの民に笑ってもらって、中でもミアには最高の笑顔を見せてもらおうか」
「もちろんです」
「そのうえできっちり乳揉ませてもらうと」
「はい」
 こんどはオーフィスが苦笑する番だった。
 でも待てよ。
「突き詰めて考えるとミアの乳揉むために剣を振るわけだな、結局」
「それは激しく何かが違うような」
「まぁ気にするな。男の生きる理由なんて九割方乳揉むためだと死んだ爺ちゃんも言ってたし」
「……亡くなる前に一度お会いできなかったのが残念です」
 と欠片も残念がってない顔でオーフィスが言う。
「とにかく、だ。ミアの笑顔のためにその剣、俺に預けてみないか?」
「それは構いませんが」
 手元にあった剣をオーフィスが持ち上げる。
「どうされるんですか?」
 そう尋ねるオーフィスからは僅かな警戒心を感じた。
 彼にとっては大事な父親の形見だ。気持ちも分からないでもない。
 俺は意味ありげな笑みを浮べて軽く手を広げる。
「魔法をかけるのさ」
「はぁ」
 オーフィスの口から漏れる気のない返事。
 まぁ当然だろう。魔法なんて神話の時代に滅んでしまったし、比喩表現にしたって意味が分からない。
「具体的には何を」
「そうだな、ほら、その鍔にはまってる青い石、『いわれ』があるだろ?」
「まぁ、一応は。ディスト建国のときに初代の王に付き従った風の精霊が姿を変えたものだとは言われていますが」
 地面についている俺の手がぐっと芝生をつかむ。
「信じてる? それ」
 俺の言葉にオーフィスが、まさか、といった風に笑う。
「さすがに事実だとは。建国にまつわる御伽話、ですかね。好きな物語ではあるのですが」
「だからさ」
 少し低い声で言ってやる。
 笑っていたオーフィスが短く声を漏らし、驚いたように俺を見つめた。
「そいつも君を信じてない」
 俺はオーフィスが手にしている剣を指さした。
「言っとくがこれは精神論じゃない。魔と精霊の理論だ」
 あからさまに戸惑うオーフィス。俺の言っている事が分からないらしい。
 もう少し続けるか。大事なところだ。
「精霊ってこの世に存在すると思う?」
「確かに季節ごとの祈りは捧げますが、心の芯から精霊の存在を信じているかと問われれば」
 オーフィスが言葉を濁す。
「なぜ信じられないんだと思う?」
「それは、その、やはり実際に目にしたことがないからでしょうか」
「じゃあもう一つ。なぜ実際に見ることができないんだと思う?」
 この問いにオーフィスはしばし考え込み、やがて実に常識的な答えを提出した。
「実際には存在していない、からですか?」
「ハズレ。君が信じてないからだ」
「では信じればその姿を目にすることができると?」
 オーフィスが身を乗り出す。
 こういう話を馬鹿にしないで真面目に聞こうとする態度を見るに、信仰心が薄い訳ではないらしい。
 いいことだ。うん。
「見えると言っても絵本に出てくる羽の生えた妖精みたいなものが見えるわけじゃない。気配というか、もっとこう大きな存在力とでもいうものを感じるんだ」
 目の奥に微かな疑いの色を残しながらも、オーフィスは俺の話をじっと聞いている。悪い傾向じゃない。
「俺の場合、血筋のせいで見えやすいってこともあるんだけどな」
 鼻の頭を掻きながら言う俺にオーフィスは口を開きかけたが、結局は閉じてしまう。
 疑問を抱いたものの、どう訊けばいいのかが分からないのだろう。
「精霊鍛冶師って知ってる?」
 首を横に振るオーフィス。
「武器や防具に精霊の力を宿す事を生業としてるんだけど、今じゃ殆ど滅びちまったからな。仕方ないか」
 俺は苦笑して見せた。
「リードさんは精霊鍛冶師、なのですか?」
「隠れ、だけどな。そんなことが国に知れたら死ぬまで精霊の力が宿った武器やら防具を作らされちまう」
 傍から見ていてもオーフィスが悩んでいるのよく分かる。
 信じるべきか信じざるべきか。ちょうど俺がオーフィスの事を本物の王子様だと信じられなかったように。
「信じられない?」
「正直に言って、半信半疑です」
「でも半分は信じてくれたわけだ」
 ためらいながらもオーフィスが肯く。
「結論を言えばその剣からは精霊の力が抜けかけてる。そいつを鍛えなおす」
 俺は正面からオーフィスの目を見て言い切った。決して目を逸らしてはならない。疑われたらそれで終わりだ。彼は剣を託してはくれないだろう。
「そいつが君にとって大事なものだということは分かってる。でも、だからこそ預けて欲しい。その剣にはもっと大きな力が眠ってるはずだ」
 オーフィスの喉が微かに鳴る。やや堅くなった面持ちで自らが手にしている剣を見つめ、彼は下唇を噛んだ。
 数秒の沈黙。空気が張り詰める。
 やがて張り詰めた空気を押し広げるようにして、オーフィスがゆっくりと剣を握った手をこちらに差し出した。
「お願いします」
 大事な息子を他人に預ける親にも似た表情のオーフィス。その表情を受けて俺の手も汗ばんでいた。
「精霊鍛冶師の誇りにかけて」
 剣を受け取り、ゆっくりと力強く肯く。
 剣を手にした俺はそのまま立ち上がり、空を見上げた。緩やかに肺の空気を押し出す。
 とりあえずは一段落、か。
 つい表情から力が抜けてしまった。その表情のまま上からオーフィスを見下ろす。
「とまぁ、ちょっとマジな話になっちまったけどここまで。朝飯作らなきゃいけないから先、戻るな」
 オーフィスに背を向けた俺は一歩踏み出した。頭の中は既に今朝のメニューに移行している。
「リードさん!」
 と、頭にベーコンが浮かんだところで背後から呼び止められる。
 肩越しに振り返れば立ち上がったオーフィスが深々と頭を下げていた。
「任せろって。ちゃんと振れるようにするさ、必ずな」
 本心から出た言葉だ。それは間違いない。
 鞘を握る手に力をこめ、俺は庭をあとにした。
 さぁて、忙しくなるぞ。

ホームへ   前ページへ   小説の目次へ   次ページへ