武器屋リードの営業日誌
ライン

 

 手にしたランプの明かりが闇を丸く切り取っていた。
 こんな真夜中でも聞こえてくる虫の声に、一体いつ寝るんだろうか、それとも交代制で鳴いてるんだろうかとどうでもいい事を考えながら板張りの廊下を歩く。
 足を前に出す度にきしむ廊下は我が家ながら不気味だった。
 でもまぁ泥棒が入ったときには役に立つかもしれない。
 俺は大きくあくびをして瞬きした。眠い。とにかく眠い。
 それでもなおベッドから這い出したのはあの二人の様子を見るためだった。
 オーフィスは俺のベッドで寝ているからいいとして、問題はミアだ。
 彼女にはクレアのベッドで寝てもらおうと思ったのだが「今晩はオーフィス様の傍にいます」となかなかベッドに入ろうとしない。俺とオーフィスで何とかミアをベッドに向かわせたものの、あの様子じゃ多分……。
 自分の部屋の前で立ち止まった俺は片手に抱えた毛布を見やった。それからゆっくりと扉を開ける。
 辺りの静けさにひびを入れるようなきしみ音がした。
 隙間からランプを差し入れて中をうかがう。
 と、そこには案の定床に膝をつきベッドにもたれて眠っているミアの姿があった。
 隙間から体を滑り込ませ、少し離れたところから二人の姿をランプで照らす。
 こうして見るとオーフィスもミアもまだまだ本当にあどけない。
 今日は俺の隣で眠っているクレアの寝顔とそれほど変わらないような気がした。
 暗殺だ蜂起だと真剣な表情で語ってはいるが、これを見ると全部子供のごっこ遊びなんじゃないかとさえ思えてくる。
 もちろんその可能性がまったく無いわけではないが。
 俺はランプを床に置き、手にしていた毛布をミアにかけてやった。
 こんな姿勢で寝たら明日体が痛いだろうが、起こしたところでミアはベッドには戻らないだろう。
 ミアは小さく身じろぎして、またすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
 そんなミアの手がオーフィスの手から指一本分だけ離れてベッドの上に置かれている。
 ただの偶然かもしれないがミアの葛藤が垣間見えたような気がして吹き出してしまった。
 あと指一本分の勇気がなかったのか、指一本分の奥ゆかしさがあったのか。
 とにかくそのわずかな隙間がミアという少女なのだ。
 俺は持ち上げたランプで部屋を点検し、そっと廊下に戻った。後ろ手に扉を閉めたところで息を吐く。
 何とかうまくいくといいけどな、あの二人。
 そんな事を考えつつ部屋に足を向ける。歩きながらも寝る準備に入っている頭はほとんど働いていなかった。
 自分の足音さえどこか遠くから聞こえる。
 俺はふと足を止めた。
 半分寝ていた頭が瞬時に覚醒する。
 背中を抑えつけられるような威圧感。
 誰かがいる。
「開店、まだなんですけど。お客さん」
 沈黙。
 まず唇が乾き、そして喉。高鳴る心音が全身に響く。
 次の瞬間背後から繰り出される横薙ぎの一撃。
 膝を折ってかわした俺はすぐさまその何者かの足を蹴りで払う。手ごたえはなかった。
 気配が音もなく間合いを取る。
 俺はランプを持った手を突き出し、背後から首を刈ろうとした侵入者の姿を闇から浮かび上がらせた。
 眉間に皺を寄せた俺の目に細身の男が映る。

 男は黒一色の服に身を包み、同じく黒い布で顔の下半分を覆っていた。
 手には一振りのナイフ。鋼の冷たい銀とランプの暖かい橙が混ざり、独特な色を発する。
 男は何事も無かったかのように腰を落とし、構えた。
 乾いた唇を舐め、俺も構える。ランプは手にしたままだ。ランプを床に置くという動作。
 目の前の男が俺の首を掻っ切るのには十分すぎる隙だと俺は判断した。
 呼吸、肩の揺れ、視線。
 隙が無い。この男、並ではないようだ。
 どこから迷い込んだのか一匹の蛾がランプの光をかすめて飛ぶ。
 微かな物音がした瞬間、刃が目の前に迫っていた。
 速い!
 舌打ちしつつ半身を引いて突きをかわす。わき腹に微かな痛み。
 息を吐くと同時に繰り出した膝はあっけなく片腕でブロックされてしまう。
 もう一つ!
 曲げていた膝を伸ばし男の即頭部を狙う。
 だが俺の爪先は上半身を後ろに反らした男の鼻先をかすめただけだった。
 クソッ! だがここで止めれば確実に中に入られる。
 咄嗟に体を反転させた俺は背面蹴りへ移行。
 さすがにこれは避けきれなかったらしく、足の裏に幾許かの感触があった。
 だが感触であって手ごたえではない。その一撃によって間合いが離れ、仕切り直しが出来たに過ぎなかった。
 張り付くように乾いた喉に唾を流し込み、侵入者の姿を見据える。
 色素欠乏か。
 男の髪と肌は色を塗ったように白かった。
 だが、だからどうだというわけでもない。
 髪が白かろうが黒かろうが赤かろうがこの際どうでもいい。
 問題はいかにしてこの状況を乗り切るか、だ。
 目の前の男はナイフを水平に構えたまま微動だにしない。
 ただ一点を見つめ、あらゆる方向を見ている、そんな気がした。
 さて、どうしたものか。

 このままにらめっこをしていても仕方がない。
 先に消耗するのは多分俺だ。
 俺は武器屋であって殺し屋じゃないんだから。
 しかしこちらから攻め込もうにも泣きたくなるほど隙がない。
 わずかでも動けばその瞬間、俺の首からは血の噴水が吹き上がるだろう。
 しかもその光景がはっきりとイメージできてしまう。
 あまりいい傾向じゃない。負け、のパターンだ。
 できればそんなイメージを頭を振って払拭したかったがそれもできない。
 この状況でたとえ一瞬でも相手から目を離せるのは、よほど自分に自信がある者か、さもなければただの馬鹿だ。
 せめてきっかけがあれば。
 ランプを持つ手が痺れ、わずかに震える。併せて影が揺れ始めた。
 限界か。
 背中を粘り気のある汗が伝う。
 相手の気配が膨れ上がった。さすがに勝負所を知っている。
 動く!
「お兄ちゃん?」
 寝ぼけた声が不意に夜気を打った。極限まで張り詰めていた空気が「ほよん」と揺れる。
 運がよかった。
 その声に慣れていた分だけ俺の方が早く反応できた。
 踏み込み、男にランプを叩きつける。
 火花が散って消え去る程の間。そのわずかな差が俺を救った。
 加えてランプに油を入れたばかりだったことが幸いしたようだ。
 多量の油が飛び散り、男の体が一気に燃え上がる。人間たいまつとなった男は大きく舌を打つと身を翻した。
 炎の尾を引き、廊下を走り抜け、窓ガラスをぶち破って男が外に踊り出る。
 後にはただ闇とススの匂いが残るのみだ。外からは相変わらず虫の声が聞こえてくる。
 大きく息を吐いた俺は額の汗を手で拭った。冷たくぬるりとした嫌な感触。
「一応助かった、か」
 心中で呟きながら壁に背を預ける。
 気が抜けたせいか、斬られた脇腹が鼓動に併せて疼くように痛み出した。
 脇腹に恐る恐る手をやる。
 幸いにも大量出血しているような感触はなかった。血の臭いも濃くない。
 まぁ軽症だろう。
「お兄ちゃん?」
 今度は寝ぼけた声ではなく、怯えたような声だった。
 目が慣れてきたのか、うっすらとクレアの姿が見える。
 表情までは分からなかったが、おそらく半分泣いたような顔をしているのだろう。
「お兄ちゃん」
「大丈夫、何でもない」
「でも」
 とクレアが何か言いかけたとき不意に扉が開く。
 部屋から出てきたオーフィスとミアの表情も分からなかったが、二人が発する戸惑いの雰囲気は感じることができた。
「あの」
 口を開きかけたオーフィスを手で制し、俺はクレアの肩を押した。
「さ、ベッドに戻って夢の続きだ」
「うん」
 か細い声。俺に寄りかかるようにして歩くクレアの体は僅かに震えていた。
 すっかり冷たくなってしまった小さな手を握り、クレアを寝かしつける。
 クレアは何も訊かなかった。本心では訊きたくてしょうがなかったのだろうが、訊かせなかった。
 クレアには関係ない。何も。
 規則正しい寝息を確認した俺はクレアの頭を一つ撫で、適当に傷の手当てをして部屋を出る。
 後ろ手に扉を閉めると、そこにはオーフィスとミアの姿があった。扉の前で俺を待ち構えてたようだ。
「あの」
 オーフィスの視線が宙をさ迷う。だがそれも一瞬の事、彼は唇を引き結ぶと深く頭を下げた。
「申し訳ありません」
 きつく握られたであろう拳がかすかに震えている。
 俺はとりあえず息を吐き、人差し指でこめかみを掻いた。
「別にオーフィスを狙ってきたと決まった訳じゃないだろ」
「しかし」
 反論しようとしたオーフィスを目で制す。
「まっすぐ地道に正直に商売してきたつもりだけど、まったく心当たりがないわけじゃないからな」
 言って俺は口元を緩めた。
「色々あるんだよ、田舎町の武器屋にも」
「すみません」
 歯を食いしばったオーフィスが再び頭を下げる。
 真面目だな、ほんとに。
「謝るなって。大体俺は君の事を王子様だと信じたわけじゃないし、俺を襲ってきた確率の方が高いと思っただけさ」
 背後の扉に背を預け、腕を組む。冷めた木の感触が火照った体に気持ちよかった。
「だから、黙ってここを出て行くなんてカッコ良さげなことする必要ないからな」
「しかし私たちがここにいたのではお二人に迷惑が」
「だから君達のせいかもしれないだけで、君達のせいだと決まったわけじゃないだろ」
 語調を強め、オーフィスの顔を覗き込むようにして言う。
「そういうことにしとけ。反論は不可だ」
「はい」
 歯切れの悪い返事。しかし一応受け入れてはくれたようだ。納得はしてないんだろうけど。
 まぁ、俺だって本気でさっきの暗殺者が俺を狙って来たとは思ってない。八割方オーフィスだろう。俺に刃を向けたのは、偶然俺とはち合わせたからだ。
 目撃者を消そうとしたに過ぎない。
 運が良かったと思う。
 オーフィスを見くびっているわけではないが、もし彼が一番最初に暗殺者と出会っていれば恐らく秒殺されていただろう。
 剣も抜けないような精神状態の少年とてだれの暗殺者とでは勝負にならなかったはずだ。
 それ故に俺はオーフィス達にとどまって欲しかったのだ。
 このままここを出て行ったところで遅かれ早かれ殺されるだけだ。さすがにそれは寝覚めが悪い。
 ミアから相談を受けたことだし、せめてオーフィスがまともに剣を振れるくらいにはしてやらないと。
 しっかし暗殺者に狙われるとは、オーフィスは本気で王子様なんだろうか。
 こちらも八割方は信じてもいいのかもしれない。とりあえず王子様風の少年ってことにしとくか。
「訊いてもよろしいですか」
 オーフィスがためらいがちに口を開く。
「質問によりけり、だ」
「なぜ、そこまでしてくれるのですか」
 オーフィスは一度隣にいるミアに視線をやり、さらに続けた。
「リードさんにしてみれば私たちは素性もはっきりしない旅人です。ただ偶然に出会って、それだけなのに……なぜ」
 オーフィスらしい堅い質問だ。
「別に君らのためじゃないさ。こうして脇腹を斬られちまった以上、俺も無関係じゃない。それに」
 廊下を吹く風が前髪を揺らした。
「窓の修理代、払ってもらわなきゃな」
 暗殺者がぶち破って逃げた窓を見ながら微笑む。
 半分は冗談だが半分は本気だ。こちとら商売人、お金に関しては少々うるさい。
「ま、そんなところだよ」
「それだけですか?」
 オーフィスの瞳が正面から俺を見つめる。
「それだけさ」
 俺も澄んだブルーの瞳を正面から見据えた。
 一瞬の沈黙の後、先に目から力を抜いたのはオーフィスだった。彼は諦めたように苦笑すると、
「おやすみなさい」
 こちらに背を向けた。
 続けて一つ頭を下げたミアがオーフィスの後を追う。
 と、ちょっと待った。
 ミアの肩をつかむ俺。
「君が寝る部屋はそっちじゃないだろ」
「あの、でも」
 俺の顔と離れていくオーフィスの背中を交互に見ながら、ミアがおたおたとした声を出す。
「あんな事があったばかりですし」
「いや、君がオーフィスの傍にいても危ないだけだし」
「大丈夫です」
 ミアが胸の前で拳を握る。
「盾くらいにはなりますから」
 その、どう考えても頼りにできない、というかしちゃいけない微笑みに俺は大きく息を吐いた。
 この笑顔をオーフィスが見たらどう思うだろうか。
 自分が盾になってでも彼女を守らなければならない。多分そんな決意を燃やすことだろう。
 仕方ない。俺でさえそうなんだから。
 男の持つ「保護本能」とでも言うべきものを見事にくすぐってくれる。
「オーフィスには使えないだろうな、その盾は」
「どうしてですか?」
 いや、本気で訊き返されても。なんと答えたらいいやら。
 しばし考え、ふと思いつく。
「そういう生き物なんだよ、男ってのは」
 案の定、ミアはそれ以上訊こうとはしなかった。そうですか、と言ったきり黙ってしまう。
 何か考えているようだが答えは出ないだろう。
 例えば俺が女性と二人で歩いていて、目の前にナイフを手にした盗賊が現れたとする。
 俺は女性より先に悲鳴をあげて逃げることはできない。
 男だから。そういうものだ。理由なんて無い。だから答えも出ない。
「まっ、考えるんだったらベッドの中でもできるしな。寝た寝た」
「はい」
 まだ未練があるのか、ミアは一度オーフィスがいる部屋を見やったが、結局は自分にあてがわれた部屋のドアノブを握った。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
 と、閉じかけた扉が止まってしまう。
「あの、ありがとうございました」
 不意に礼を言われた。突然のことについ黙ってしまう。
「リードさんって優しい人ですね」
「あ、あぁ?」
「おやすみなさい」
 パタン、と閉じる扉。一人廊下に残された俺。
 優しい人ですね、か。
 胸中で繰り返すと頬が緩んだ。その表情のまま大きく伸びをする。
 緊張に固まっていた筋肉がやっとほぐれた瞬間だった。
 色々と考えることはあるが、とりあえずベッドに入ってからにするか。
 肩を大きく回し、あくびをする。
 夜明けまでどれだけ眠れるかな、と。

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