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武器屋リードの営業日誌
ライン

 夜。
 庭の草むらから虫の声が聞こえる。
 小さな鈴を鳴らすような声に俺は夏の終わりを感じつつ、ミアと井戸の傍で皿を洗っていた。
 食堂ではオーフィスがクレアに算術を教えている。
 最初は断ったのだが、あまりにもしつこく「何か手伝わせて欲しい」というものだから先生と皿洗いの手伝いをお願いする事にしたわけだ。
 桶に石鹸を溶かした水を張り、束ねた縄で皿をこする。
 最後にゆすいでお盆に重ねるわけだがミアの手際は驚くほどよかった。
 それを言うとミアは「オーフィス様付きの侍女になるまでは王宮の厨房でずっとお皿を洗ってたんです」と照れたように笑う。
 俺には「へー」と返事をすることしかできなかった。
 オーフィスが本物の王子様であるという前提で話をされると受け答えに困る。
 どうやら本物かどうか気にしないのではなく、仮に本物とする、とした方がよさそうだ。
 最後の一枚を積み上げた皿の上に載せ、エプロンで手を拭いたミアが夜空を見上げる。
 つられて見上げれば光を砕いたような星空の中に丸い月が浮かんでいた。近いうちに満月になりそうだ。
 そんな月を見つめてミアがため息をつく。
「どうかした?」
「王宮のテラスから見た月を思い出したんです」
 そう言ってほんの少しだけ寂しげにミアが微笑んだ。
「夜になるとディストの王宮では傍の湖に夜空が落ちてくるんです。湖に映る月は本当に綺麗なんですよ」
 膝を抱えるミアを横目に見ながら、皿洗いに使った桶をひっくり返して新たに井戸から水を汲み上げる。
 それから位置を調整して月を桶の中に映してみた。
 月をすくい上げるように桶の水を手ですくい上げた俺を見てミアが笑う。
 今度は口に手を当てて楽しそうに笑ってくれた。
「王宮から見える月に比べたら大した事ないんだろうけど。俺じゃなくてオーフィスが隣にいれば少しは雰囲気が出たかもな」
 冗談めかして言う俺にミアの顔が一瞬で赤くなる。
 予想通りの反応に自然と頬が緩んでしまった。
 うつむいたミアはしばらく組んだ自分の手を見つめていたが、やがて観念したのか恥ずかしそうに認めた。
「どうして……分かったんですか」
「分かるさ。晩飯の時だけで何回オーフィスの顔を見た? 君にとって俺の料理はオーフィスの付け合せだったみたいだな、完全に」
「そんな、とっても美味しかったです」
 弁解でもするように言うミアの顔はやっぱり赤かった。
 しかしどうもこの娘はとことん隠し事ができない性質らしい。根が素直にできているのだろう。
「でもその様子だとまだ思いは伝えてないみたいだな」
 濡れたところを避けて地面に座り、俺は頬杖をついた。
 と、ミアが驚いたように顔を上げて首を振る。
「そんな、とんでもありません。こんな思いを抱いているだけでも分不相応なのに、それをお伝えするなんて」
「でも今は二人旅なんだろ。嫌いな人と一緒に旅をしようとはオーフィスも思わないんじゃないか?」
「オーフィス様は優しい方ですから」
 そう言ってミアは桶の水に映った月を見つめた。
 夜風が柔らかそうな栗色の髪を揺らし、草むらがさらさらと鳴る。
「王宮には私なんかよりずっと綺麗で素敵な人たちがたくさんいて……。それにオーフィス様と私では身分が違います」
 見ているこっちが寂しくなるようなあきらめの微笑。
 ミアは抱えた膝に顔をうずめて自分に言い聞かせでもするように漏らした。
「だから、お傍にいられるだけでいいんです。それで私は幸せですから」
 幸せなわけない。
 だが今この場で「そんなの幸せじゃないだろ」とミアに言うのも違う気がした。
 このまま何事もなければ恐らくミアとオーフィスが結ばれる事はないだろう。
 そしてオーフィスがミア以外の誰かと結婚するその日に「おめでとうございます」と、優しげに、嬉しげに微笑んでみせる。
 周りには嬉し涙だと思われている悲しい涙と共に。
 暗い。不健康。
 だが俺だって純粋な思いだけで越えられるほど身分制度が甘くない事くらい分かっている。
 特に王族であるオーフィスと多分平民であるミアの結婚など絶対に認められないだろう。
 本人同士はともかく、まず周りが許さない。
 ゆえに無責任に二人をくっつけてやろうとは思えなかった。
 もしそれでもなお結婚するというのであればとてつもない数の敵を作る事になる。
 果たしてオーフィスはその中でミアを守れるんだろうか。
 彼は確かに悪い人間ではない。人見知りするクレアもすぐになついた。
 だが優しさの裏に弱さも感じる。
 もし昼間の喧嘩に彼が勝っていれば俺もこんなことを考えなかったのかもしれない。
 腕力がそのまま人間としての強さに結びつかないことはもちろんだが、それでも敗者から強さを感じることは難しかった。
「あの、リードさん」
 かけられた声は非常に遠慮がちだった。うつむいていたら深く考え込んでいるのだと思われたらしい。
「ああ、ごめん」とミアの顔に視線を戻し、俺は傍に積んである皿のズレを何となく直した。
 迷ったのか心の準備をしたのか、しばしの間を置いてからミアが口を開く。
「オーフィス様のことで相談があるんです」
 低く抑えた声からして先程の続き、恋の悩みではなさそうだ。
 俺は無言でうなずき、話を促した。
「今、オーフィス様は自信を失っていらっしゃいます。昼間のことにしてもあんな人たちに負けるはずはないんです」
「というと?」
「オーフィス様の剣は初代の王より引き継がれてきた由緒正しいもの。ディストにおける一つの象徴なんです」
「いわゆる聖剣ってやつだな」
 今度はミアがうなずく番だった。
 どこの国にもその手の聖剣はある。
 そのほとんどが完全に儀礼用と化し、文字通り「象徴」になってはいるが。
 だがオーフィスが聖剣だけを提げて旅をしているのを見るに、どうやらあれは武器として使われているらしい。
 もちろん初代の王が使っていたそのままの剣ではなく、後に作り直されたものだろう。
 オーフィスが戴冠前に国を出たのなら、彼の父が使っていた剣なのではないだろうか。
 ディストでは戴冠式の中で前王から新しい王に剣が渡されると聞いた事がある。
 もちろんそこで渡されるのは新しい王のために打たれた新しい剣だ。
 ややこしい話だが、代が変わるたびに打たれる剣が昔から引き継がれているということになる。
 形式的に引き継がれている、と言った方が分かりやすいか。
「オーフィス様は『剣が私を認めてくれない』とおっしゃいました」
 ミアが悔しそうに下唇を噛む。まるで自分の事のように。
「私には詳しい事はわかりません。でも最近では剣を抜く事すらためらうようになられて」
「聖剣といっても形式的なものだろ。そんなに気にすることもないと思うけど。今オーフィスが持ってるのは先代の剣?」
「はい。でも完全に形式だけではないんです。鍔の石は本当に初代の王から伝わるものですし、そして何よりオーフィス様にとっては実の父親である先王様が使われていた剣ですから」
 なるほど。オーフィスにとって剣が自分を認めないということは、父親に認めてもらえないに等しいのだろう。
 特に彼の場合その父親が亡くなっているため、遺品である剣に対するこだわりが強いのかもしれない。
「明日にでもオーフィスに話を聞いてみるよ」
 俺は立ち上がってズボンをはたいた。それから皿が積まれたお盆を持ち上げる。
 普段は二人分だが今日はその倍だ。
 しかも気合を入れて料理を作ったせいで品数が多く、比例して皿の数も多い。
 で、要するに重い。
「俺で何か力になれればいいけどな」
 お願いします、と頭を下げるミアに向かってうなずき、俺は手元の皿を見つめた。
 剣が抜けなくなった王子様と彼に思いを寄せる侍女。
 真偽のほどはともかく、たまにはこういう普通じゃないのも面白い。
 さしあたってはオーフィスの自信回復だが、何なら娼館にでも連れて行ってやろうか。
 ……いや、やめとこう。ミアが泣くから。
 大体それじゃ抜くものが違うか。
 と一人笑おうとしたところで俺は自分がおっさん化していることに気付いた。
 そして少しだけ寂しくなる。
 そういえばそろそろ本気で結婚考える歳だもんなぁ。
「いいよな、若いって」
 彼女にしてみれば何の脈略もなく発せられた俺の一言に、ミアは「そう、ですね」と戸惑いながらも答えてくれる。
 庭を吹く風にも俺の人生にももう秋の匂いが混ざり始めている……ような気がした。

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