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血と香水のインク

ライン

エピローグ

  その日、昼過ぎに目覚めた俺はベッドから降り、いつもと同じようにドアの下から差し込まれている新聞を上半身裸のまま手にとった。
 同じベッドで眠っているエレナが身じろぎして、小さく声を漏らす。
 いつもと同じようにつまらない記事を、いつもと同じように一面から読んでいく。そんなにつまらないのなら読むこともない気がするが、ほかにすることもない。それに、一度ついてしまった習慣というものはなかなか抜けるものではなかった。
 新聞をめくっていく。
 普段ならペースを崩さず通過してしまう社会面。ただ、その日は違っていた。
 カラタ賞決まる。
 心中で見出しを声に出して読み、俺は記事を追った。
『先日発表されたカラタ賞においてサラ・バークレイ氏(アウルポスト新聞社 22歳)の『暗殺者になった少年』が大賞を受賞した。バークレイ氏は両親を殺され、暗殺者となった異国の青年にスポットを当て、彼の辿ってきた人生を描くことで我々が住む社会に潜む他者とのつながりの薄さを抉り出しており……』
 本当に取るとはな。
 喉の奥でうめくように笑う。どうやら一発で金鉱を掘り当てたようだ。あの長々とした取材にも意味があったというわけか。
 ベイルートが死んだことにより移民に対して融和政策をとる政党が台頭してきたことも受賞の一因だろう。政治的な干渉があったことはまず間違いない。
 人権、平和、協力、反省。良識派を気取る人間にとっては甘美なスローガンだろう。そんな良識派を煽るのにサラの記事はうってつけだったということだ。
 しかしベイルートの暗殺とサラの受賞。話ができすぎているような気もする。俺がベイルートを暗殺し、結果サラはカラタ賞を受賞し、その記事は移民に対して融和政策をとる政党に有利なものだった。俺とサラの間には取材する者、される者、以上のつながりはない。あれだけの事を言っていたんだ、サラと政党の間にもつながりはないだろう。
 俺の依頼人にしてもベイルートに個人的な恨みがあるだけだと言っていたが、裏ではもっと大きなものが動いていた可能性がある。だとすると……。
 考えようとして、やめた。今さら詮索しても仕方がない。終わったことだ。
 この国の空気が少し変わるかもしれない。それだけの事だった。
 俺はさらに記事を追った。受賞者のコメントも一緒に掲載されている。
『……この度、このような素晴らしい賞を頂き本当に嬉しく思っています。と同時に驚きを隠せないでいます。まさか自分が選ばれるなんて夢にも思っていませんでした……』
 よく言う。
 鼻から息を吐き、続きを読む。
『……彼に取材を申し込むまで本当に何日も何日も悩みました。相手は現役の暗殺者ですし、無事に取材を終えられる保証なんてありませんでしたから。でも、友人の協力もあり何とか記事を書くことができて、本当に良かったと思います。また彼の話に私自身多くのことを考えさせられました。これから先、生きていくうえでたくさんの、大切なことを学んだような気がします。ただやはり精神的にきつく胃に穴を開けたりもしましたが……』
 案の定、か。
 あの夜、屋敷で吐血したサラの姿を思い浮かべ、俺は頭をかいた。予想していたとはいえさすがに呆れてしまった。途中まで気付かなかった自分自身に。しかしそうなると共犯者がいるわけだが、果たしてどうしてやるべきか。
 背後でエレナが起き上がる気配がする。とりあえずそちらは無視して俺は記事を読み進めた。
『最後に、これは私信になるんですけど取材に協力してくれた彼に一言。クロちゃん、ごめんね。でもあなたなら大丈夫だと思うから。エレナのこと、大切にしてあげて』
 そこまで読んだところで新聞から顔を上げる。振り向けば目を覚ましたエレナがベッドの上で目をこすっていた。当然一糸まとわぬ姿だが、今さら気にする必要もない。
「んー、おはよ」
 寝ぼけまなこのエレナに無言で新聞を突きつける。焦点を合わせるのにたっぷり五秒以上使い、エレナは間の抜けた声で言った。
「あ……カラタ賞決まったんだ」
 ブルーの瞳がゆっくりと左から右へ動く。体内時計で計ったところによると、俺がエレナに新聞を突きつけていた時間は三分と十二秒だった。
「あ、やだ、あの娘ったら。大切にしてあげてね、なんて」
 挙句、出た台詞がこれだ。
 俺は新聞を床に放り投げ、ただ無言でエレナを見つめる。エレナはしばらく視線をさ迷わせていたが、やがて糸の切れた人形のように、かくん、とふざけた動作で頭を下げた。
「ごめんなさい」
「説明しろ」
 言いながらベッドの上、エレナの隣に腰掛ける。安物のベッドは相変わらずよくきしんだ。
「あのね、サラにあなたのこと紹介したの私なの」
「知り合いだったのか」
「一度彼女の取材を受けたことがあって、それ以来」
 うつむくエレナに俺は大きく腕を振って息を吐いた。
「じゃああの日、彼女が来ることを知っていたのか」
「うん。わたしがあの時間に来るようにって言ったの」
「なぜ」
「だってあなた、その、したあとが一番優しいし」
 エレナが俺を上目遣いで見つめる。
 確かにそれは間違っていない。事実俺はサラと交渉を行い、結果取材を受けることになった。これが機嫌の悪い時であったなら顔面に拳を入れていた可能性もある。
 と、不意にエレナが詰め寄ってきた。
「でも勘違いしないで。あのときの言葉は嘘じゃない、から」
 不安そうな顔をするエレナ。その頭を軽く叩いてやる。
「分かってる。お前が本気だと思ったから俺も嘘は言わなかった」
「うん……」
 抱きつかれた。柔らかい金髪が素肌に触れ、くすぐったい。
「なぜこんなまどろっこしい事をしたんだ?」
「それは、サラがあの手の人は普通に行ったんじゃ上っ面しか見せてくれない。奥まで見ようと 思ったらちょっと捻らないとね、って」
 確かに、あの女が命を懸けると言わなければ、俺は彼女をベイルートの屋敷にまで連れて行ったりはしなかっただろう。自分の過去を話したかどうかさえも怪しい。
「ということは、あれも」
「ぜんぜん……寄生虫の卵なんかじゃない」
 俺は大きなため息をつき、手で顔を覆った。つい喉の奥から笑い声を漏らしてしまう。
「俺をはめて恐いとは思わなかったのか? これでもそれなりに実績のある人殺しなんだが」
「思ったよ」
 エレナがベッドを降り、俺の前に立った。その素晴らしい肢体を見せつけるように一拍置いて服を着け始める。俺も放り投げてあった黒シャツを何となく手に取った。
「だから、サラは最後の一手を打ったんだと思う」
 最後の一手?
 心中で反芻したときだった。唐突に、それもかなりせわしなく扉が叩かれる。俺は反射的に忍刀をつかむと何があっても動けるように腰を落とした。その瞬間、激しく扉を蹴破り、銃を手にした数人の男が部屋になだれ込んでくる。
「警察だ! 動くなっ!」
 と言われて動かないわけにはいかない。捕まれば確実に死刑だ。
「一時五分、六件の殺人容疑でお前を……おいっ!」
 そんな刑事の声を背後に聞きながら、俺は窓を破って屋外に身体を躍らせた。耳元で風が唸る。俺が住んでいるのはアパートメントの四階だが問題ない。下は運河だ。工場廃水で汚れきってはいるが死ぬことはないだろう。
 最後の最後までやってくれる。
 サラが「あなたなら大丈夫だと思う」と言った理由が分かったような気がした。
 自分から人を警察に売っておいてよく言う。
 黄土色をした、冷たい運河に窓の破片と共に叩き付けられながら俺は笑った。これだけきっちり警察に目をつけられてしまったんだ。もうこの街には、いや、国にすらいられはしない。この手の情報はあっという間に広がってしまう。だれも仕事を依頼してくれはしない。こうなった以上、警察は威信をかけて俺を捕らえようとするだろう。俺にしても国内で下らない鬼ごっこをするつもりはなかった。さっさと国外へ出てしまうに限る。結果としてサラの命は守られることになったわけだ。
 その時、俺の隣で盛大な水柱が上がった。
 ややあって、水面に顔を出したエレナが大きく息継ぎをする。
「なぜお前まで飛び込む」
「嫌いなの、警察って。わたしだって全く脛に傷がないわけじゃないし」
 そう言ってエレナは今しがた自分が身を投げた窓を見上げた。窓からは二人の刑事が身を乗り出し、何やら叫んでいる。だが、飛び降りてくるだけの根性はないらしい。
 俺はふと恐ろしい考えに思い至り、エレナの顔を凝視した。
「まさかお前、始めから俺と一緒に逃げるつもりだったのか」
 詰め寄る俺に全身びしょ濡れのエレナがあげたのは実に乾いた笑い声だった。ひとしきり笑った後で、
「だめ?」
 と小首を傾げてみたりする。
「俺は、今ほど女を怖いと思ったことはない」
 サラとエレナの間ではここまでのシナリオが完璧に出来上がっていたのだろう。いくら馴染みの仲だとはいえ、ここまで他人の思惑通りに事を運ばれるとは。
「もしお前が俺を狙った暗殺者なら、完全に殺されていた」
 自嘲気味に笑う俺に対して、エレナが浮かべたのは照れたような微笑だった。
「でも嬉しい」
「何がだ」
 指先だけを触れさせた両手を水面から半分出し、エレナが頬を赤くする。
「騙されたってことは、それだけ信じてくれてたってことだから」
 俺は手の甲で水面を払い、無言でエレナの顔に水をかけた。
「いたぞ! あそこだ!」
 叫ぶ刑事の声がする。どうやら連れて行け連れて行かないの押し問答をしている暇はないらしい。
「勝手にしろ。面倒はみんからな」
「ありがとう。大好きよ」
 抱きつこうとするエレナ。俺は再び手の甲で水面を払った。
「そんなことをする暇があったら泳げ」
「……うん」
 冷たい運河の中、なぜこんなことになったんだろうかと己の運命に問いながら、俺はただひたすら手足を動かし続けた。


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