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猫と魔術

ライン

 フライパン片手に階段を駆け上がり、俺は自分の部屋に戻った。足で扉を閉めてテーブル上の皿にできたばかりの野菜炒めを盛り付ける。
 辺りに思わず笑いたくなるような匂いが漂った。イマイチ火力が足りないかまどで作ったにしては上出来だろう。しかし管理人によって出された薪の倹約令はいつになったら解かれるのだろうか。
 ちなみにここの共同住宅(というか、大体どこでもそうなのだが)かまどは一階にしかないため、二階に住んでいる俺は作った料理を抱えて階段を走らなければならない。
 品数が増えるに比例して食前の運動も増えるという、とっても素敵な所だ。今日はスープに野菜炒めと二品作ったため、二往復ということになる。
 ついでに言っておくと、全ての料理を一度に運ぼうなどとは考えないほうがいい。過去、階段に料理をぶちまけて血の涙を流した男がいた。
 ……俺のことだけど。
 何はともあれ、俺は鼻歌など歌いつつ席についた。二人用の小さなテーブル。正面にはアクロが座っている。もちろん椅子ではなくテーブルの上に。
「僕は床でいいよ」なんて言われたが、せっかく一緒に食べるんだ、顔を向き合わせて食べた方がいいに決まっている。そっちの方が話もしやすいし。
 毎食ミルクだけじゃ飽きるだろ? と、アクロに訊いたところ、柔らかいものなら食べられるということだったので、パンをミルクに浸したものと野菜炒めに使った肉の残りをすり潰して軽く火を通したものを作ってやった。肉に関しては塩の一粒すら振っていない。それがアクロのリクエストだった。
 さて。
 俺は軽く目を閉じると右の拳を握り、左手で右の手首を握った。
 天と大地の神に、俺の空腹を満たすために失われた命に、そして最後に親父に心の中で感謝の言葉を述べる。
 祈りを解いて目を開けると、まだアクロがうつむいて目を閉じていた。
 記憶を失った今、アクロは何に感謝しているのだろうか。気にはなったが、祈りの内容は自分から喋っても訊いてもいけないことになっているので、俺がそれを知ることはできなかった。
「さっ、食べようか」
「うん」
 アクロが顔を上げたところで、おたまでナベからスープを皿に移す。早速スプーンで一口。
 うーん。あと塩一つまみ。ぎりぎり及第点ってところだな。
 スープに点数を付けながら俺はフォークを手にした。野菜炒めから薄緑色の葉野菜を選んで口に運ぶ。
 う。芯に火が通ってない。味は悪くないんだけど。やっぱり弱火での野菜炒めは難しい。次回の課題だな、これは。
 半生の芯を無理やり飲み込んで、俺はアクロを見やった。
「うまいか? っても俺は何も味付けしてないけど」
「うん。素材の味が生きてるよ」
 冗談めかして言うアクロの口はやっぱりミルクで白く染まっていた。揺れるヒゲに頬など緩めつつ、ちぎったパンを口に放り込む。
 やっぱり誰かと食事をするのはいい。一人で作って一人で食べているとたまに虚しくなることがあるけど、こうして目の前に誰かいるだけで命を繋ぐために行っている食事という儀式が、楽しむべき時間に変わったような気がする。
 アクロを家に連れて来たのは正解だった。記憶が戻るまでは家で面倒見よう。
 と、部屋に短いノックの音が二度響いた。
 俺とアクロは顔を見合わせ、同時に扉の方を見る。
 誰だろ。こんな時間に。
 俺はフォークを置いて立ち上がると扉に歩み寄り、僅かに開いた。
 次の瞬間、隙間に何者かのつま先がねじ込まれ、黒い影が部屋に滑り込む。
 とっさの事に体が固まってしまう。
 影が俺の背後に風の如く回りこんだ。そして、静かに言う。
「こんばんは」
「ティアさん。お願いですから普通に入ってきて下さい」
 ため息混じりに言って振り向く。
 黒い影に見えたのは長い黒髪と黒一色な服のせいだろう。
 知り合ってそろそろ二年になるが、やっぱりこの人の事はよく分からん。
「あら。普通じゃ面白くないじゃない」 
 あきれ果てた俺を不思議なものでも見るような目で見上げ、僅かに首を傾けるティアさん。
「笑いの感覚が違うだけ。あなたと私のね」
 その一言が頭の中を巡った。今のがいわゆるティアさん流の「笑うとこ」なのだろうか。だとすれば。
 いや、やめておこう。世の中には深く考えた方がいいことと、考えない方がいいことがある。
「それで、どうしたんですかこんな時間に」
 訊きながら椅子を動かし、ティアさんの席を作る。
「ちょっとあの子に訊きたいことがあったの」
 尋ねる俺に、腕を組んだティアさんはアクロの方を見やった。俺も釣られてアクロの顔を見てしまう。突然二人に注目され、戸惑うような空色の瞳が俺とティアさんの間を行ったり来たりする。
「ティアさん晩御飯食べました? まだなら一緒にどうですか」
 突っ立っていても仕方が無いので勧めてみる。幸い野菜炒めもスープも多少多めに作ってあった。
「そうね。いただくわ」
 ティアさんの返事に新しい皿を出し、料理を盛り付ける。その間にティアさんとアクロは互いに自己紹介をしたようだった。
 料理を前に祈りを捧げるティアさんを挟んで話をする訳にも食べるわけにもいかず、部屋にしばしの沈黙が流れる。
 しかしアクロに訊きたいことって何だろう。もう何かつかんだのだろうか。
 今日一日、俺の方はまったく成果が上がらなかっただけに期待が募る。
 祈りを終えたティアさんはスープを一口飲み、少しだけ目を大きくした。
「いいお嫁さんになれるわよ、あなた」
「それはどうも。ところで訊きたい事って何なんですか」
 はやる気持ちを抑えられずに、つい身を乗り出してしまう。昼間、アクロに焦ってもしょうがないと言ったばかりなのに。
 ティアさんはフォークで野菜炒めをつつきながら「あなたに訊きたいわけじゃないんだけど」と俺に言ってアクロを見つめた。
 身構えたアクロのヒゲがぴくりと動く。
「あなた、『リムフレイル』って言葉に聞き覚えはある?」
 リムフレイル。何だろう。何か魔法関係の言葉なんだろうか。
「だからあなたが悩む必要はないの」
 呆れ顔のティアさんに言われた。
 一方、当事者であるアクロは天井を見上げたりテーブルを見つめたりして必死に思い出そうとしているようだった。だが、やがてうつむき微かに首を振る。
「ごめん。分からない」
「いいのよ。少し気になっただけだから」
 アクロを撫で、ティアさんは微笑んだ。普段の凛とした雰囲気からは考えられないほど優しい笑顔。つい見入っていた自分に気付き、あわてて頭を振る。
「それで、リムフレイルって何ですか」
「焦らないで。もう少し情報が集まって、まとまったらその時にね」
「そう言われても、やっぱり気になるよな」
 アクロに声をかける。だが意外にも同意は得られなかった。
「ティアが気にしなくていいって言ったんだ。だから大丈夫だよ」
 そうか。こいつは本気でティアさんが世界を七日で滅ぼせると思ってるんだった。そんな人になら何を言われたって信じるだろう。
 俺としてはもう少し追求したかったが、アクロがそう言うのなら仕方が無かった。俺がでしゃばっていい理由など無い。
 結局その後は三人で普通の食事会となった。途中、俺の不用意な一言によってティアさんにフォークとフライパンの二択を迫られたりしたが、それ以外はおおむね穏やかで楽しい一時だった。
 ただ、食器の後片付けを手伝ってくれながら、ティアさんが俺にささやいた言葉が気になる。
「今晩、もしかしたらあの子に何か起こるかもしれない。その時は慌てないで、とにかく安心させてあげて」
 とりあえず返事はしたものの、正直言って不安だった。
 俺に魔法に関する知識があれば、ティアさんがつかんだ何かを推測できたのかもしれない。だが今さら己の勉強不足を嘆いたところで仕方が無かった。
 俺には何が起こっても大丈夫なように心構えをする事しかできない。
 ティアさんも帰り、寝巻きに着替えた俺はベッドに仰向けになって大きく息を吐いた。体に溜まっていた一日の疲れが眠気となって頭を襲う。
 気を抜いた瞬間、意識という名の砦はあっけなく陥落しそうだ。
「アクロ」
 呼びかけると、ベッドの下にいたアクロが頭を上げた。
「寝ないのか?」
「あ、僕は床で」
 すべてを言い終わる前に俺はアクロの首根っこをつまんでベッドに引き上げる。
「つまんない遠慮するなって」
 あくび混じりに言ながら、首輪についた小さな鈴に指先で触れる。秋に鳴く虫の声のように澄んだ素朴な音がした。
 遠慮はともかく、今はアクロを傍においておきたかった。心配だったのだ、単純に。
 アクロはしばらくベッドの上に座っていたが、やがて手足を伸ばして、ぺたっとうつ伏せになった。
「変な寝方するのな、お前」
「何だかこの方が楽なんだ」
 猫はみな丸くなって眠るものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。それともこれは人並みの知能を与えられたアクロだからこそなんだろうか。まぁ、考えたところでしょうがないんだけど。
「灯り、消すぞ」
「ん」
 短い返事に、俺は枕元の棚に置いてあったランプの火を吹き消した。インクで塗りつぶしたような青い闇が部屋に落ちる。その中でアクロの大きな空色の瞳が光っていた。
 黒い体は闇に溶けてしまって見えなかったので、俺は瞳の方に顔を向けて話し掛ける。
「今度、お前が何を覚えてて何を覚えてないのか調べてみような」
 俺の声に反応するように、瞳がぱちぱちと点滅した。瞬きしたのだろう。
「ほら、お前ってさ自分の事は覚えてないけど身分制度とかお祈りとか、そういうのは覚えてるだろ。だからそんなのを調べてみたら何か分かるかもしれないと思って」
「そっか、知識だって記憶の一部だもんね」
 そう言アクロの声もあくび混じりだった。
 俺の方もそろそろ限界だ。部屋が暗いのかまぶたを閉じているから暗いのか分からなくなってきた。
「おやすみ」
 半分寝言のように言って眠りに落ちていく。アクロの返事は「おやす」くらいまでしか聞こえなかった。

ライン

 微かに聞こえる声。
 何かを訴えるようでもあり、何かを呪うようでもある。
 悲しくて恐ろしい声。
 その声が、俺を眠りの底からゆっくりと引き上げた。
 まだ半分寝ている頭で辺りを見回す。
「アクロ?」
 窓から差し込む月明かりのせいで室内は薄明るい。アクロから返事はなかった。だが、
「わたしは悪くない。わたしは……悪くない」
 今夜、あの子に何か起こるかもしれない。その時は──、
 ティアさんの言葉が頭の中を駆け巡る。眠気など一瞬でとんでしまった。
「アクロ!」
 跳ね起きた俺は大声でアクロの名を呼び、体を揺さぶった。しかしアクロは目を開けようとしない。ただ「私は悪くない」を繰り返し、小さな体を震わせる。
 一体何が起こった。どうすればいい。
 背中が冷たい汗で濡れ、反対に手は驚くほど熱かった。鼓動が激しくなり、口の中が急速に乾いていく。
「わたしは悪くないわたしは悪くない」
 抱き上げたアクロの体には全く力が無い。だがその中で伸ばされた爪だけが俺の腕に力強く食い込んでいた。まるでしがみつきでもするように。
 腕から血が流れ、シーツに点を打つ。
 体が震えた。自分が冷静でなくなっていくのが分かる。生唾を無理やり飲み込んで気を落ち着かせようとしたが全く意味がなかった。
 どうしようもない焦りと不安が溢れ出してくる。視点が定まらない。
 俺は歯ぎしりして下唇を噛んだ。
 自分の情けなさに腹が立った。心構えすら出来ていなかったのだ。
 なぜ自分にはこいつを呪文一つで楽にしてやれるだけの力が無いんだ。 なぜ自分には不測の事態に対処できるだけの知恵が無いんだ。
 結局俺にはアクロを抱きしめてやる事しかできなかった。
 アクロの体は震え、爪がさらに食い込む。
「悪くない。悪くなんてないさ」
 自分でも何をやってるんだ、って思う。うわ言に答えて意味があるのかすら分からない。でも俺にできることは、これしかなかった。
 例え意味が無くても無駄でもやるしかない。俺が投げ出したらこいつは一人だ。この時、この場所で誰を頼りにすればいい? 俺しかいないんだ。
 腕に食い込むアクロの爪。引き離してはいけない気がした。
 どれほどの時間アクロを抱いていただろうか。気が付けば窓から月明かりではなく、朝日が差し込んでいた。
 唐突にアクロの手から力が抜け、俺の腕から離れる。いつの間にかうわ言も聞こえなくなっていた。体も震えてはいない。
「アクロ」
 答えは無い。だが俺の腕の中で微かな寝息をたてるアクロの顔は本当に穏やかだった。時々口を動かしてヒゲをぴくぴくと揺らす。
 俺は笑った。
 本当にのんきで幸せそうな寝顔だ。
「人の苦労も知らんとまぁ」
 ぼやいて、そっとアクロをベッドの上に戻す。
 確かめるように撫でたアクロの体は柔らかくてふわふわしていた。
 窓から差し込む日の光はまだ弱い。少しだけ眠ろう。
 枕に頭を預ける。
 どこか遠くから小鳥の声が聞こえ始めていた。

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