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君と俺と世界の繋がり

ライン

その8

 雨は次の日も、そしてその次の日も、最後にもう一日降り続け、結局天気が回復したのは大晦日の夜になってからだった。もしかしたらこの世に神様は本当にいるのかもしれない。いつか会うことがあったら礼を言いたいと思う。
 二人で一本の傘を手に石段を登った数日の事を、俺は一生忘れないだろうから。
 夜明け前の張り詰めた空気の中、俺とフィオはいつもの杉の木の前にいた。時刻は新年一日の午前六時四十分。空は漆黒から紫へとその色を変えつつあった。フィオの両腕に着けられたブレスレットの赤い石は今や完全に元の輝きを取り戻している。これから元の世界に帰ることが分かっているのか、ホムとミューがフィオの両肩で嬉しそうに揺れていた。
 風邪は結局二人とも完全には治らなかった。まぁ、一時期よりは全然マシなんだけど。あっちの世界に帰ったらフィオも病院に行くのだろう。彼女には色々とお土産を持たせてあげたかったのだが、異世界の物をおいそれと持ち込むわけにはいかないと残念そうな顔で拒否されてしまった。こっちの世界と同じで検疫とか税関とかあるのかもしれない。
「日が昇ったらお別れだね」
 言って小さく笑う。いつまでも引き伸ばしていたら泣いてしまいそうだったからさっきそう決めておいた。一度地面に視線を落とし、それからフィオが頷く。
「ほんとに、お世話になりました」
「気にしないで。俺も楽しかった」
 何で過去形なんだろうか。
「わたしも楽しかったです。美味しくて珍しいもの、たくさん食べられたし」
 フィオが微笑む。俺も笑うしかなかった。
「あっちに帰ったらレポートまとめないとね」
「教官に『誰が昨日見た夢の内容を書いて来いと言った』って怒られちゃいますよ」
「そっか」
「そうですよ」
 会話が途切れる。視界が徐々に明るくなっていく。小鳥達が鳴き出し、朝の空気が林の中に漂い出す。何処か遠くから大型トラックの走る音が聞こえてきた。
 二人とも無言のまま時間だけが過ぎていく。フィオと一緒にいられるのは後数分。話したいという気持ちだけはあるのに何一つ言葉が出てこない。挙句、フィオの顔まで見れなくなった。唇を引き結んで木々の間から空を見上げる。もう紫色にオレンジ色が混ざりだしていた。目の端に涙がにじむ。
 いいのかよ、こんな別れ方で。俺はフィオに言わなきゃいけないことがあるんじゃないのか。伝えなきゃいけないことがあるんじゃないのか。このままただ別れたら俺は絶対に一生後悔する。勇気なんて今使わなきゃ一体いつ使うっていうんだ。
 俺は一度奥歯を食いしばり、大きく息を吸い込んだ。
「フィオ!」
 が、名前を呼んで彼女の顔を見た瞬間、俺は固まってしまった。フィオが大粒の涙を流しながら子供のように泣きじゃくっていたからだ。
「ごめっ、なさい……ぜっ、たい泣かないって、決めてたのに」
 震える声でフィオが言う。
 気が付いたら腕が伸びていた。それでも一瞬だけためらって、フィオの細い体を抱きしめる。彼女は俺の胸に顔をうずめ、肩を震わせて泣いた。フィオが泣いているのを見たら自分の涙は自然とおさまった。こんなとき男が泣いてどうするんだって、頭じゃなく心が思ったのかもしれない。
「フィオ」
「はい」
「短い間だったけど、生まれて初めて本気で人を好きになった」
 腕の中でフィオが微かに震える。
「ありがとう」
 フィオはしばらく俺の胸に顔をうずめたまま黙っていたが、やがてゆっくりと俺を見上げた。
「わたしね、具合が悪くなってタカヒロさんの部屋で寝てる間に勉強したんですよ」
「え……」
 疑問の声を発しようとした瞬間、俺の唇はふさがれていた。目を閉じて踵を上げたフィオの唇によって。何も考えられなかった。ただ温かくて柔らかい。
 どれくらいの間だったろうか。一秒にも一時間にも感じられるような時間。やがてフィオはこちらの肩を押して俺から離れた。温かかった分だけ離れてしまった今は唇が冷たい。でも、胸の奥にフィオが残してくれたものは決して冷めない感情だった。
「素敵な習慣ですね、キスって」
 微笑んでフィオが目じりの涙を拭う。気が付けば俺も笑っていた。木々の間から朝日が降り注ぎ、数多の影を地面に映し出す。
 同時にフィオを中心にあの奇妙な文字や文様が配置された円が浮かび上がった。俺はゆっくりとその円の中から出て行く。
「わたし、信じてます。たとえどんなに離れてたって心が繋がってる限り世界は繋がってるって」
「俺もだよ」
「わたし、信じてます! 絶対にまた会えるって!」
「俺もだよ」
 あふれ出しそうになる涙を堪えて声を振り絞る。
「タカヒロさん。わたしもタカヒロさんのこと大好きです」
 その言葉が俺に届いたのと同時に円からあのとてつもない明るさの光が垂直に立ち上る。もう目は開けていられなかった。
「ありがとう。フィオ」
 ただそう叫んでいた。
 やがて光の塔は次第にその明るさを減じていき、辺りが次第にもとの静けさを取り戻していく。気が付けば林は元のままで、ただフィオだけがそこにいなかった。ほんの少しだけ普通じゃないものを取り込んでいた世界が、俺の知ってる元の世界に戻った瞬間でもあった。
 フィオと通い続けた杉の木。きっと仕事始めと共に切られてしまうのだろう。手のひらで表皮に触れると今までこらえていた涙があふれ出した。額を木につけて拳を握る。ここが誰もいない林の中でよかった。涙が、嗚咽が止まらない。
 去り際にフィオが言った。
「たとえどんなに離れていても心が繋がっている限り世界は繋がっている」
 信じよう、俺も。世界の繋がりを。きっとまたフィオに会える日が来る。春が来れば俺はこの街を離れて新しい生活を始める。フィオに語った夢。フィオと再会したときに一歩でも夢に近づいているよう頑張ろう。彼女に「どお?」と少しでも誇らしく言えるように。
 気合を入れて大きく息を吐いた俺は拳で涙をぬぐった。杉の木を正面に見据えたまま両手で頬を叩く。踵を返した俺は拳を握って歩き出した。まっすぐに、迷うことなく。
 が……二、三歩進めたところでその足はあっけなく止まってしまった。背後で激しく枝が揺れ、何かが地面に落ちる音。
 ゆっくりと背後を振り返った俺の口は思い切り半開きになってしまった。
 耳の長い、銀髪の女の子が一人地面に倒れている。だがフィオではない。見たところ十歳くらいの外見をしていた。
「いったぁ〜」
 頭をさすりながら女の子が身を起こす。長く伸ばされた銀髪が一房金管によってまとめられているのはフィオとまったく同じだ。
「着地に失敗するなんて天才のあたしにあるまじき大失態だわ。座標自体はここでいいはずなんだけど……。とにかく、さっさとフィオお姉ちゃん探して帰らないと」
「フィオ?」
 反射的に声が出ていた。こちらに気付いた女の子がびくりと体を震わせて俺を見やる。
「いや、あの、フィオって言った?」
「あなた、この世界の住人ね。お姉ちゃんを知ってるの?」
 警戒心のこもった眼差しで俺を射抜きつつ、質問に質問で返す女の子。
「知ってるって言うか……その、彼女なら元の世界に戻ったけど。たった今」
 妙な沈黙が辺りを支配する。
「うそ」
「いや、ほんとに」
 やはり辺りを支配する妙な沈黙。女の子は手で顔を押さえ、う〜、と唸った。その仕草が妙に大人びていて可笑しい。何か、会話から推測するにフィオを探しに来たフィオの妹のようだけど。
「ま、まぁいいわ。無事に戻ったんなら。あっちに戻ってから心痛料としてお洋服でも買ってもらえば」
 なんだ心痛料って。
「邪魔したわね、第一異世界人。ついでに精霊流殿の場所教えてくれると嬉しいんだけど」
 腰に手を当て、どこまでも偉そうに女の子が言う。人にものを尋ねる態度じゃないだろそれは。
「ないよ。フィオにも同じこと聞かれたけど」
 女の子はしばらく押し黙っていたが、やがて確認でもするように右手に着けたブレスレットに視線を落とした。
「まぁ、ここでも微量だけど精霊流充填できるみたいだし、しばらく通い続ければ大丈夫か」
「その木切られるよ、近日中に」
「はぁ?」
 俺のセリフに女の子が冗談じゃない、と声をあげる。
「じゃああたしはどうやって帰ったらいいのよ!」
「いや、それは……さぁ?」
 人差し指で頬を掻く俺。
「さぁ? じゃないわよ! 責任取りなさいよ!」
 拳を振り上げて女の子が叫ぶ。
「なっ、何で俺が!」
「うっさいわね! 古今東西老若男女魑魅魍魎責任は男が取るって決まってるの!」
 そんな無茶苦茶な。ていうかほんとにフィオの妹かよ。なんでこんなにアグレッシブなんだ。穏やかなのがフィオの世界の住人の気質かもしれないとか思ってたのは大間違いだったようだ。
「とりあえず宿と食料を提供しなさい。話はそれからよ」
 俺は可愛くはあるが眉のつり上がっている女の子の顔を見ながら大きな溜息を一つついた。心が繋がっている限り世界は繋がっている。どうやらそれは真実のようだ。俺と異世界との繋がりはもうしばらく切れそうもない。
「ほらっ、きりきり歩く!」
 いつの間にか先を行く異世界の女の子。俺はもう一度大きな溜息をついて、その後で少しだけ笑った。
 まぁ、何と言うか、今度の繋がりは物凄く手ごわそうだ。フィオ、君の妹みたいだけど大丈夫かな、俺。

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