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武器屋リードの営業日誌 番外編 その4

武器屋リードの休業日
─シュークリームにまつわるあれこれ その2─

ライン

その1

「どうしてかしら。あなたのこと見てると胸が高鳴るの」
 ちろり、と覗いた女性の舌が真っ赤な口紅をひかれた唇を舐める。軽い衣擦れの音と共に寄せられた身体からは香水の匂いがした。
「生まれて初めてよ。本気で食べてしまいたい、って思ったの」
 カウンターの上で豊かな胸が形を変え、細く白い指が俺の頬を撫でる。渇いた喉で生唾を飲み込んで、俺は「はぁ」ととぼけたような返事をしながら女性の大きく開いた胸元に一瞬だけ視線を落とした。たわわ、という単語が脳内をよぎる。たわわ。たわわ。と二つ。
 視線に気付いたのか女性は軽く波がかった栗色の髪を耳にかけ、艶っぽく濡れた唇を俺の耳に寄せた。
「もっと見たい?」
 もうこの場で襲っても神様は許してくれるんじゃないかってくらい扇情的な声が脳味噌に抜けた。じょうごで耳からどろりとしたピンクの液体を流し込まれた様な気分になる。
「そりゃあ、まぁ」
 と気のないような返事をしつつも俺の中では色んなものがすでに全開だった。右から揉むか左から揉むかで脳内に住む俺市民が戦争を始める。ちなみに今は左派が優勢であるが「人の手は二本あるのだから有効活用するべきではなかろうか」と主張する第三勢力、両方一度に派の台頭も著しい。
 時は乱世。まさに群雄割拠。後に高名な歴史家であるガルセビウスはこの時代を指して言ったという。
「いいからみんな滅んでしまえ」
 と。
 まぁ、そんな俺の脳内に住んでいる歴史ジジイのことはどうでもいい。問題は現在のこの状況である。休業日前夜、閉店間際の風の丘亭。最近は王都の秘密実験施設から逃げ出した熊と岩石と切なさの合成生物であるという噂も流れ出した巨漢のマスターはカウンターを挟んで俺達から少し離れた場所に立ち、黙ったままグラスを磨いている。
 我関せず、というよりは係わり合いになりたくないといった雰囲気だ。確かに店内には微妙な空気が流れていた。小さく喉を鳴らして肩越しに振り向けばそこにはテーブル席に陣取った女性が十数人いる。
 その表情はどれも険しい。が、見ているのは俺の方ではない。苛つきを多分に含んだ嫉妬の視線の全ては俺の隣に座る女性に注がれていた。
 なぜか。俺がこの女性と一対一で話しているからだ。決して言い間違いではない。背後の女性達は俺を取られたことに対して嫉妬しているのだ。
 リード・アークライト、二十五歳、独身、恋人なし。告白する前に俺に会うとそれは今日はやめておけという神様のお告げ、とかいうジンクスが最近十代の子の間で広がっていることにちょっと本気で傷ついたりしてる心優しき武器屋店主だ。
 まぁ、基本的にそんな俺ではあるが今日は違う。ご覧の通り、はっきりきっぱりとモテていた。やっと時代が俺に追いついたか、と言いたいところだがちょっと違う。これは全て俺の左肩に乗っているシュークリーム、もとい、シュークリーム様のおかげなのだ。
 ……いや、俺は至って正常だし鉄格子のついた病院にお世話になったこともない。多少妄想癖はあるがせいぜい脳内に愉快な仲間が住んでる程度だ。どうということもない。
 もちろん俺だって全く疑問がないわけじゃない。でも確かにいるわけで。
 確認するようにもう一度自分の左肩を見つめる。やはり間違いなくそこにはシュークリーム様が鎮座していた。見た目は何の変哲もないシュークリーム。だがシュークリーム様なのだ。
 ──話は今から数時間前に遡る。


 店を閉め、夕食の準備をしようと家に戻って台所に向かう。と、そこは二人の女性と香ばしい匂いによって占領されていた。正確に言えば女の子と女性、だが。二人でわいわいと騒ぎならが何やら作っている。
「何してるんだ?」
 食堂から台所に顔を覗かせて訊くと、大小二つの後姿がくるりと振り返った。それぞれ長く伸ばされた銀と黒の髪が一緒に揺れる。
「シュークリーム作ってるの」
 と木のへらを片手に答えたのは銀髪の方、クレアだった。腕まくりに白いエプロンをして俺を見上げるその姿は気合い十分といった感じだ。もっとも、小麦粉で頬と鼻の頭を白くしているためいまいち間の抜けた感はあるが。
「すまない。君が戻るまでには終わらせる予定だったのだが」
 申し訳なさそうな顔をしたのは黒髪の女性、レイだ。彼女もクレアと同じように白いエプロンを着けており、その姿は実に扇情的……もとい、家庭的だった。細身の長身に長く伸びた黒髪。そして器量良しの美人さん。彼女はわけあって現在ウチに居候しているのだが、レイに店番を頼むとその日の売り上げが二割り増しになるという不思議な法則があった。もしくは悲しい男の性か。
 なお、俺が店番をしているとあからさまに嫌な顔をしつつ舌打ちを残して去っていく友人が数名いるのだが、闇夜に乗じて一度くらい襲撃しておいた方がいいのかもしれない。
「あぁ、いや」
 レイのエプロン姿になぜか照れながら人差し指で頬を掻く。そんな俺の視線に気付いたのか、レイはエプロンの端をちょっと持ち上げて微笑んで見せた。
「久しぶりに着けたよ、エプロンなんて」
 普段は凛としているレイが不意に見せたそのかわいらしい仕草に、俺はあはははと笑いながらクレアの肩をぺしぺしと叩いた。意味はない。
「楽しそうだね」
「楽しいぞ」
 半眼でこちらを見上げるクレアに向かって素直に答え、大きく肯く。うむ。やはりエプロンは良いものだ。発案者にはぜひとも勲章を送るべきだと思う。しかしエプロンの発案者であるエプローナ夫人(仮名)に勲章が送られたという話は寡聞にして知らない。えぇい、国は何をやっとるか、国は。
 と、右斜め上四十五度を見ながら権力者の怠慢に対し正当な怒りをぶつけているとクレアが言った。
「あれ絶対やらしいこと考えてる顔だよ」
「責めては駄目だ。むしろ頭の中だけで完結していることを良しとしなければ」
 挙句レイまで。
「そうだね。本人幸せそうだし」
「彼の楽園を侵す権利なんて誰にもないんだ。誰にもな」
「……いや、とりあえず物凄い気の毒なものを見るような目をこちらに向けるのをやめてもらえませんかお嬢さん方」
 女性二人に向かって呻く。
「だって、ねぇ」
「あぁ……うん」
 クレアとレイはたったそれだけの言葉で意思を同調させ、今度はかわいそうな人を見るような目をこちらに向けた。
 うぅ、負けるな俺。
「だっ、大体君らはそう言うが男なら誰しも頭の中に夢の国をこしらえてるもんだ」
 腕を組み、俺は一生懸命胸を張ってそう言った。俺は何一つ間違ってない。正義は我にあり。たとえこの場にいなくとも世界中の男達が今、この瞬間涙を流しながら肯いているに違いない。
 クレアとレイはそんな俺の顔をしばし見つめ、
「次何だっけ?」
「まずは卵黄と牛乳だな」
 すがすがしいほどに無視した。二人はそのままシュークリーム作りに戻ってしまう。なぜだろう。今日に限ってランプの灯りが目にしみる。愛の反対は憎しみではなく無関心。果たして誰の言葉だったろうか。
 とにかく俺は多大なる敗北感というか寂寥感を胸に台所から離れ、食堂の椅子に腰を下ろした。そのままテーブルに突っ伏して顔を台所の方へ向ける。
 女性二人は実に楽しそうだった。わいわいきゃーきゃーくすくすけらけらと騒ぎながらシュークリーム作りに精を出している。どうやら俺という人間の存在は黒歴史として封印されてしまったようだ。
 仕方がない。世界征服を目指すどこぞの皇帝が古文書を頼りに俺の封印を解きに来るまでしばしの眠りにつくことにしよう。しかし忘れるな。この世に光ある限り影もまた必ず存在する。全ては表裏一体。我もまた永遠なのだ。
「あーはっはっはっはー」
 テーブルに突っ伏したまま笑ってみた。当然のように反応はない。姉妹のように仲の良いクレアとレイの後姿を見つつ心の中でちょっとだけ泣いた俺は立ち上がり、本を取りに自室に向かった。
 愛の反対は無関心。愛の反対は無関心、と呟きながら自室の本棚に向かい、同じように呟きながら食堂に戻ってくる。
 と、そこには出て行ったときと違う甘い匂いが漂っていた。恐らくシュークリームに入れるカスタードクリームの匂いだろう。鼻から抜けた匂いが口に入り、舌があのまろやかな甘さと舌触りを想像し始める。
 よく考えたら夕食もまだなわけで、すきっ腹にこの匂いは耐え難いものがあった。締め付けられるような感じがするお腹を服の上から押さえて席に付く。気を紛らわせるには本に集中するしかないようだ。
 ページを開き、文字を目で追い始める。
「これで全部だな」
「えーっと、ちょっと待ってね」
 台所からレイとクレアの声がする。頭の半分でそれを聞きながらもう半分で本を読む。
「卵の黄身でしょ、牛乳でしょ、お砂糖でしょ」
 ふんふん、と本の内容とクレア、どちらにともなく胸中で返事をする。
「小麦粉でしょ、血煙草の根っこでしょ、バターでしょ、レンカルンカの黒焼きとアカマダアラハンテンダケの胞子。最後にミナゴロシサカダチウオの乾燥水袋。うん、完璧!」
「大丈夫そうだな」
「どこがだっ!」
 反射的に椅子を蹴って立ち上がる。何なんだその奇妙奇天烈摩訶不思議な材料の数々は。
「おかしいだろ! どう考えても!」
 俺の抗議にクレアはしばし眉根を寄せ、ぽん、と手を打った。
「忘れてた。最後に乙女の恋心」
「そういう問題じゃねぇ」
 呻く俺にクレアは腰に手を当ててこちらを見上げた。何がそんなに不満なの? と言わんばかりの顔をしている。こちらとしてはお前が自信満々な理由を一晩かけて訊きたいんだが。
「心配するな、リード」
 そんな俺にレイが笑顔で声をかける。
「大抵の物は煮れば食べられる」
「笑顔が素敵なのは結構ですがそういう問題でもないんです元旅の人」
 レイはレイでしばし顎に手を当ててうつむき、あぁ、と顔を上げた。
「キノコは身体にいいんだぞ。好き嫌いはよくないな」
 レイも大分この町の空気に馴染んできたようである。それがいいことなのか悪いことなのかはさっぱり分からないが。
「とにかく! 俺の知っているカスタードクリームは紫色の煙を吐いたりはしないっ!」
 かまどの上でがたごとと、何か新手の生物でも誕生したんじゃないかという風に揺れる鍋を指差し、俺は断言した。あれは断じてシュークリームの中に入っているものではないし、入れていいものではない。
 が、一度目を閉じたクレアはこざかしいとでも言いたげに鼻で笑うと逆に俺を、びしっ、と指差した。
「食べるのお兄ちゃんだけだし」
「……お前には製造者の責任というものについて一度説教しなきゃならんようだな」
 口元を引きつらせて台所に踏み込む俺から逃げるように、クレアがレイの陰に隠れる。
「あ、あのなリード、クレアも悪気があったわけじゃないんだ。ほら、これ」
 そう言いながらレイが差し出したのは一冊の本だった。黒一色の表紙にはこうタイトルが記されていた。
 『実践 初めての錬金術』
 またこいつか、と俺は本を受け取りつつ大きなため息をついた。ちなみに過去こいつのせいで貴重なシュークリームが一つ犠牲になっている。悲しむべき歴史だ。ていうか国は何をしている。禁書にしろ、禁書に。
「栞が挟んであるだろ」
 レイに促されるままそのページを開く。そこに記されていたのは「意中の人のハートを射止めるシュークリームの作り方」だった。いやだから錬金術の実践書にこんなことが書いてある時点でおかしいのだがとりあえず今はおいとこう。
 俺は本から目を離し、依然として紫色の煙を吐き出している鍋を見やった。それから大きく息を吐いてクレアの顔を見つめる。クレアはレイのエプロンを握り、幾分しょぼんとした表情でうつむいた。
「それでね、お兄ちゃんのハートを止めようと思ったの」
「射を抜くな、射を」
 まぁ確かにあんなものを口に入れた日には一生笑えなくなりそうではあるが。もしくは三日後に腹を突き破って何かが出てくるか。
「そういうわけだからあまりクレアを責めるな。君も少しは女心というものを分かれ」
「……命令?」
 レイが大きく肯き返す。
「いやにクレアの肩を持つじゃないか」
 俺の台詞にレイは自分に抱き付いているクレアの頭を撫でた。その眼差しはあくまで優しい。
「私にもクレアの気持ちは分かるからな」
「女同士だから、ってやつ?」
 と純粋に尋ねたつもりだったのだがレイにはそれが気に入らなかったらしく、彼女は眉間に皺を寄せて大きなため息をついた。
「だから君は駄目なんだ」
「駄目なんだ」
 レイの口調を真似てクレアが後に続ける。全くもってわけが分からん。いわれのない非難に憤りさえ覚える。とりあえず鼻から息を吐いた俺は腰を手に当てて胸を張った。
「何とでも言え。俺が駄目なのは今に始まったことじゃない」
 沈黙。
「……自分で言ってて虚しくないのか、それは」
「自らの弱さを認めることで人は強くなったりならなかったり」
 再び沈黙。鍋が揺れるがたごとという音だけが台所を漂う。
「お兄ちゃん、そろそろ自分の人生ちゃんと考えた方がいいと思うよ」
「真顔で言うな小娘」
 呻く俺にクレアとレイは顔を見合わせて同時に肩をすくめた。何なのだろうか、この酷く納得いかない感じは。
「とにかく、まずはこれをどうにかしてくれ」
 俺は先ほどに比べ明らかに濃さを増している紫色の煙を手で払った。煙の中に時々人の顔のようなものが浮き上がって見えるのは気のせいだろうか? これだけ得体の知れないものなのに匂いが普通のカスタードクリームと同じなのがむしろ怖かった。
 はーい、と返事をして足上げ台に上がったクレアが鍋を覗き込む。おいしくなりますように、おいしくなりますように、と節をつけて歌いながら手にした木のへらでクリームをかき混ぜるクレア。
 そういうところはやっぱり女の子、まだまだかわいいと言うか、何と言うか。
「おいしくなりますように♪ おいしくなりますように♪ あ、何かこっち見た。おいしくなりますように♪」
「いるのか! 中に何かいるのかっ!」
 応えるようにがたごとと揺れる鍋。もはやここは一般家庭の台所ではない。気が付けば不定形に歪む人間の顔が辺りを飛び回り、壁にかけてある調理用具が微かに震えだしていた。風の音とも違う、唸り声のようなものが低く足元から響く。
 クレアは木のへらで鍋の縁を二度叩き、それをそのまま魔法の杖のごとく頭上に振り上げた。その隣で『実践 初めての錬金術』を手にしたレイが例のページ(断じて駄洒落ではない。名誉のために言っておく)を開き、支える。
「絶望を父とし、悲嘆を母とし、死の揺りかごにて育つ者。血を最良の友とし辛苦を伴侶に選ぶ者。今ここに我は求め訴える」
 そこで言葉を切ったクレアは俺の方を見て頬を赤くした。
「お兄ちゃん大好き」
「微妙に嬉しくないんだが」
 俺の素直な感想を黙殺し、クレアは鍋の方に向き直る。
「あとは難しい言葉が多かったから中略後略」
「適当だな、おい」
「大丈夫。気合いと根性でカバーするから」
 俺は三秒ほど何を言おうか考え、
「……まぁ、好きにしてくれ」
 結局腕を組んだ。それ以外俺に何ができると言うのだ。決してもうあれこれ考えるのめんどくさいとかそういう理由で動かないのではない。俺は能動的に動かないのだ。動かないこともまた立派な選択肢の一つである……と近所の事なかれ主義者も言っていた。
「何はともあれ届けて乙女の恋心。ぷっぷくぷーのぺー」
 その内容はさておきクレアの呪文が完成する。鍋は相変わらず紫色の煙を吐き出し続けていた。が、それだけだった。特に目立った変化はない。
「ぺー」
 変化はない。
「ぽー」
 変わらない。
「ぱぺ?」
「ぷぽー」
 言ってレイが鍋を指差す。
「ぺぷ!」
 本を指差すクレア。
「ぷー」
 悲しげな表情で首を横に振るレイ。
「ぺぽぉぉぉ」
「ぽぴぽぴ」
 がっくりとうな垂れたクレアの肩をレイがぽんぽんと叩く。どうやら二人の間では意思の疎通ができているらしい。どーでもいいがそれでいいのかレイ。君のポジションはそこじゃなかったはずなのだが。どうも彼女がこちらに寄ってきているような気がしてならない。
「ま、結局のところ大騒ぎしてできたのは紫色のカスタードクリームだけか」
 やれやれ、と首を振ったときだった。
「そうでもないぞ」
「なあっ!」
 いきなり背後からした声にのけぞってしまう。その瞬間、俺は真っ先に自分の頭を疑った。もし俺の頭にカスタードクリームではなくちゃんと脳味噌が詰まっているのなら、見えてはならないものが目の前にあったからだ。
 薄まりつつある紫の煙の中、シュークリームが宙に一つ、浮いていた。
 その女性に人気のお菓子は何かを確かめるように左右を見回し、クリームを入れるための切れ目を口の様に開いて喋り出す。
「ふむ。久しぶりの現世、悪くない」
 俺は一歩あとずさり、レイの肩を叩いた。
「ちゅ、宙に浮いたクリームがシューでぱくぱく」
「落ち着けリード・アークライト。何がどうしたんだ」
「だって! だって!」
 と子供のように言って宙に浮くシュークリームを指差してみるが、レイは眉根を寄せて首をひねるだけだった。俺の言いたい事が理解できないらしい。仕方がないので矛先をクレアに向ける。
「見えるだろ、な、な!」
 詰め寄る俺にクレアはしばし宙を見つめ、なぜか泣きそうな顔をした。
「たとえお兄ちゃんが寂しさのあまり空気とお喋りできるようになっても、私がちゃんと面倒見るから。ね、だからがんばろ? きっと良くなるよ。どんなに辛くても人は生きなきゃいけないんだよ」
 えぇい、こいつは別の意味で駄目だ。
「おいそこの男。諦めろ。我の声も姿も貴様にしか届いていない」
 背後から聞こえたそんな台詞に俺はゆっくりと振り向いた。
「なんでだよ……」
「え?」
 声が震える。呆けた様に切れ目を半開きにするシュークリーム。
「またマイノリティーかよ! たまには多数派でいさせてくれよ! 迫害されるのはもう嫌なんですおかーさん!」
 頭を抱えて叫ぶ俺。レイが怯えるクレアを守るように抱き締める。
「いや、だって貴様が我を召喚したのだろ?」
「違う! 主犯はこの二人で俺は見てただけだ。大体、二十五の男がシュークリームを召喚する理由がどこにあるってんだ! そもそもお前は何なんだ!」
「我か? 良くぞ訊いてくれた」
 シュークリームがぐっと胸を張った……ような気がした。
「万物に宿る数多の精霊。その眷族にして甘味一族に属す者。シュークリームの精霊とは我のことだ」
「まんまだな」
「ちなみにスローガンは『庶民の味方』」
「お手軽感を前面に押し出す戦略は間違ってないと思うぞ」
 シュークリームの精霊とやらに対してそんな評をする俺を見ながら、クレアとレイがこそこそと相談している。病院とか拘束とか薬とか行動療法とか生きてく強さとかそんな単語が聞こえてくるがこの際無視してもよさそうだ。
 とにかくこのままではどうしようもないので、クレアとレイの「勝手に前向きな」視線に見送られつつ俺は台所を抜け出した。無言で食堂を横切って廊下に出る。そこでシュークリームの精霊に向かって手招きした俺は大きく息を吐いて板壁に背を預けた。ひんやりとして心地よい。
 その前に駄菓子以上高級菓子未満の精霊が漂ってくる。俺は人差し指でさらに手(指?)招きして、シュークリームの精霊を眼前まで呼び寄せた。香ばしい皮の匂いと甘いクリームの匂いに食欲という本能が「貪り喰え」という命令を下す。
 口内にあふれた唾液を理性と根性で飲み込んだ俺は小声で話しかけた。
「そもそも精霊なんてのは信仰の中にのみ存在するもんだろうが」
 魔法も魔術も呪術も勇者も聖剣も魔王も神も精霊も、ついでに俺に愛を囁いてくれる女の子も物語の中にしか存在し得なかったはずだ。
 俺は確かに精霊の存在を信じている。が、それは精霊の存在そのものを信じてるのではなく、信じるという行為こそが万物に宿る精霊を生むと信じているから信じているのだ。何だかよく分からない説明だがとにかくそうなのだ。
 精霊とは信じるという行為である。というのが俺の持論だった。
 が、そんな俺に対してシュークリームの精霊は甘い匂いのするため息を吐き出した。あぁ、もう、おいしそうだなこんちくしょう。
「見識の狭いやつめ。目に見えるものだけが真実だと思わぬことだ。人間の五感で感じられるものなどたかが知れている。この世界を構成する要素のほんの一部分でしかない」
 もしかしたら今俺は世界の深遠に触れているのかもしれない。誰一人として知り得なかった世界の真の姿。それが今解き明かされようとしている。
 ……目の前の喋るシュークリームによって。
「嘘くさ」
「失礼な! 大体、人間ごときが……ぐうっ」
 俺は目の前でわめくシュークリームの口を塞ぐように手でつかんだ。一応握りつぶさない程度に。
「まぁ、とりあえずお前のことはシュークリームの幽霊ということで処理しておく。幽霊までは許容範囲だからな、俺の人生」
「ふざけるな! 何が悲しくてあのような下等な存在と」
「喰うぞ」
 その一言で大人しくなるシュークリーム。口調こそ偉そうだが案外気弱なのかもしれない。
「で、何で俺なんだ?」
「なぜと問われても我は貴様の思いに呼ばれて出てきたのだが」
「だからさっきも言ったようにお前を呼び出したのは俺じゃなくてあの二人なんだって」
 食堂を一瞥し、腰に手を当てる。いや、そもそも『実践 初めての錬金術』に書いてあったのは「意中の人のハートを射止めるシュークリームの作り方」であって「シュークリームの精霊を呼び出す方法」ではなかったはずだ。
 ということは……。
「すまん。何かの手違いだ。飴玉やるから帰ってくれ」
「馬鹿を言うな人間! 勝手に我を呼び出しておいて帰れだと? 傲慢にも程があるぞ! 第一!」
 そこで言葉を切り、自称精霊は大きく息を吸い込んだ。手の中でシュークリームが少しだけ大きくなる。
「このまま何もせずに帰ったら他の精霊にいじめられるだろうが! 貴様は知らんだろうがショートケーキの精霊は物凄く陰険なのだぞ!」
 と、不意に手に持ったシュークリームが震えだした。
「うぅ……ちょっと人気があるからって威張りよって。私が何をしたというのだ」
 こいつはこいつで色々と苦労があるようである。そう思うと不意にこのシュークリームに親近感が沸いてきた。こういうのを同病相哀れむと言うのだろうか。
 俺はシュークリームから手を離して耳をかいた。まぁ、話くらいは聞いてやらねばなるまい。虐げられし者人間代表として。
「俺の思いに呼ばれて出てきた、って言ったよな。具体的に……どういうことなんだ?」
「なに、単純な話だ。三人の中で貴様の思いが一番強かったのだ。『異性の気を惹きたい』という思いがな」
 俺はしばし天井を見上げ、それから視線を落として自分のつま先を見つめた。
 そのまま五秒ほど沈思黙考する。
 否定できん。どう足掻いても。
 顔を上げた俺はシュークリームを見つめ、人差し指を突きつけた。
「勝ったと思うなよ!」
「何なのだ貴様は……」
 困ったような声でシュークリームが呟く。とりあえずそれは無視して周囲を見回した俺はシュークリームに口を寄せた。
「で、それについて何とかしてくれたりするのか?」
 俺の問いにシュークリームが自信ありげに笑う。それから大きく肯いた。要するにシュークリームの角度が変わっただけなのだが。
「期待していいぞ。我ら甘味一族は人の……特に女子(おなご)の心を捕えることには長けておるからな」
 なるほど確かに一理ある。俺とシュークリーム、二つ並べて女性に人気投票やらせたら絶対負けると思うし。
 ……うるさい。正確な現状認識こそ問題解決への糸口なのだ。
「俺は何を?」
「何もしなくてよい。我と共に外を歩くだけで女子たちが寄って来る」
 それはまた夢のような話だ。実現すれば、であるが。
「で、失敗した時の話だが……喰うから」
 シュークリームの動きがはたと止まる。三秒の静寂。
「のっ、望む所だ」
 その声は明らかに震えていた。自信あるんじゃなかったのかよ。
「だがこちらにも条件がある。成功した暁には……」
 何だよ。まさか魂をよこせとか言うんじゃないだろうな。
「我をシュークリーム様と呼び、ちょっとでいいから敬ってくれ」
 もしシュークリームに肩があったら俺は間違いなくぽんぽんと叩いている。これほど不憫という単語が似合うシュークリームも珍しい。
「結構苦労してるのか?」
「割と」
 俺は小さく二度肯き、廊下から食堂を覗いた。クレアとレイはテーブルにつき、真剣な表情で向き合っている。どうやら二人は俺の頭に住んでいる愉快な仲間たちをジェノサイドする算段をしているらしい。
 ときにクレア。お前今、殺虫剤って言ったろ。兄はせめて人間らしく死にたいです。
 とにかく喧々諤々と続く議論に背を向けて、俺は俺にしか見えないシュークリームと共に町に出ることにした。

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