武器屋リードの営業日誌

第二話 短剣と待ち人

ライン

  エピローグ〜プロローグ

 昼下がり、俺とガルド、クレアとサラさんの四人は店の前にいた。
 結局ガルドとサラさんは明け方前に帰ってきたのだが、そのまま昼過ぎまで熟睡し、起きたと思ったらもう出発すると言うのだ。
 あのなぁ、と愚痴る俺にガルドは「すまん。仕事がもう一件あるのを忘れてた」と手を合わせた。
 四人で食事くらいはしたかったのに。
 そんな俺以上にクレアはもっと不満そうだった。
 ガルドがほとんどウチにいなかったため、まともに「語り」を聞けなかったからだ。しかも初日の「語り」が途中で打ち切られているのだからたまったもんじゃない。
 本を読んでいたら「オチ」のところだけページがなかった、みたいなものだ。
「すまん。今度来たときには徹夜で語ろう」
「絶対だよ」
 クレアが差し出した小指に背を曲げて太い小指を絡めるガルド。
「あーあ、おじちゃんとお姉ちゃんの恋話も聞きたかったのに」
「ごめんね」
 謝りながらサラさんは笑っていた。クレアがガルドのことを普通に「おじちゃん」と呼ぶのがおかしいらしい。
「今度は女同士じっくり話そ」
「うん、約束」
 返事をしながらクレアと指きりするサラさんにガルドは目を細めていた。娘を見つめる親父にしか見えないが、気持ちの本質に変わりはない。
 大切なものをいとおしく思う気持ちだ。
 しかし女同士って、まだお前は七歳だろうに。
 クレアを見ながら口を歪める。
「なぁ」
 小さく、固いガルドの声。
「その、サラから聞いたんだが」
「全部か?」
 俺の質問にガルドは一瞬固まったが、すぐに首を横に振った。
「いや、ただ……お前には迷惑をかけたようだ」
 まだ全てを話せてはいない、か。
 何やらクレアと話し込んでいるサラさんを見やる。
 もう少し心の準備が必要なのだろう。サラさんにはサラさんの歩く速さがある。俺がどうこう言えることではない。
 言えるのはただ一人、ガルドだけだ。
「サラさんが何を悩んでるのか俺は知ってる。でも」
「分かっている。サラの口から聞かなければ意味がない」
「待つのか?」
 俺の問いにガルドは微笑すると言い切った。
「待つさ。いつまでだって」
 そうか、と俺は一つ肯きガルドに向かって拳を突き出した。
 俺の拳に拳で触れ、ガルドも大きく肯く。
「幸運を」
「あぁ、ありがとう。本当に世話になった」
「今度の卸値は半額だな」
「そこまでは世話になってない。せいぜい八割五分だ」
 きっぱりと言うガルドに俺は苦笑いし、言った本人は目を細めて髭を撫でる。
 骨の髄まで商人だね、ったく。
 と、
「リードさん!」
 いきなり頭上からした声に俺は空を見上げた。
 そんな所から声をかけられる知り合いなど一人しかいない。頭の上にいたのは予想通りフィーナだった。
 昨夜姿を消してからずっと見なかったんで気になってたんだが。声の大きさや表情から察するに調子は悪くないようだ。
「どうした?」
 不思議そうな顔をするガルドに「ちょっと」とごまかしの笑みを浮べ、俺は店に引っ込んだ。
 今フィーナの姿が見えているのは俺だけらしい。サラさんも反応しなかったし。
「リードさん、私、決めました」
「何を」
 壁際にいるフィーナに向かって返事をする。他人から見れば展示してある武器を相手に喋っている怪しい男の出来上がりだ。
 それよりも随分と明るいが彼女の中で何か変化があったんだろうか。
「サラさんとガルドさんに付いて行きます」
「は?」
 反射的に声をあげてしまう。さすがにそこまでは予想してなかった。
「だって気になりませんか、二人の行く末」
「そりゃなるけど」
「ですよね。だからこの目で見たいんです」
 笑みを納めたフィーナの目が真剣なものへと変化する。
「サラさんが、ガルドさんがどうなるのか、そのとき私が何を思うのか、知りたいんです」
 そこで言葉を切ったフィーナは何かを考えるように間を置いた。
 しばし視線をさ迷わせ、最後に一つ肯く。
「昨日からずっとリードさんに言われた事を考えてました。でも、よく分からなかったし納得もできなかったんです。だから私に必要なのは考えることよりも経験なのかなって」
 フィーナの言葉に俺は吹き出した。
「おかしいですか」
「いや、嬉しいんだ」
 自分の言葉によって人の中の何かが変わる。それも悪くない方向にだ。
 近くに人がいなければ遠慮なく大笑いしていたことだろう。だが残念ながらそれはできない。
 武器を前にそんなことしてたら警備の人に通報されてしまう。
 鉄格子のついた病院は勘弁して欲しかった。
「だから短剣を」
 あぁ、そうか。
 俺はカウンターの引出しからフィーナがとり憑いている短剣を取り出し、店から表に出た。
「何をしてたんだ?」
 というガルドの疑問と共に六つの瞳が俺に向けられた。
「悪い悪い。お前に幸運のお守りをやろうと思って」
 苦笑しながら手にした短剣を差し出す。
 俺を見つめるガルドの眉間にはかなり深い皺が寄っていた。
 まぁ、気持ちは分からないでもない。
 サラさんも不思議そうな顔をしていた。俺が昨夜持っていた短剣と同じ物だとは認識できていないようだ。
「いいから黙って持っていけ。そして常に肌身離さず持ってろ。精霊鍛冶師リード・アークライトがありがたい精霊の力を注入しといたから」
「どこかで聞いたような話だね」
 クレアの突っ込みをとりあえず無視して短剣をガルドに無理矢理渡す。
 ガルドはどうにも納得できないといった顔をしていたが、結局は荷物入れの中に短剣を納めてくれた。
 俺だけに見えるフィーナに向かって、にっ、と笑う。
 ぽん、と手を打って喜んでくれるフィーナ。こうしてみるとやはりフィーナは綺麗だった。幽霊なのに日の光が似合うってのもおかしな話だが。
「あ」
 荷物を手で抱えたガルドが急に少し離れた場所まで走って行ってしまう。
 何だ、と思っていると手招きされた。
 俺の行動よりさらに意味が分からないガルドの行動に戸惑いつつも、彼のいる所まで走る。
 女性二人に背を向ける形でガルドが差し出したのは、あの表紙が赤ワイン色をした大人のための本だった。
「ガルド、お前」
 分かっていた、分かっていたさといった風に何度もガルドが肯く。
 やはり持つべきものは友だ。
 俺とガルドが固い固い男の握手を交わしたことは言うまでもない。
「何してたの?」
 不思議そうな、というかあからさまに疑うようなクレアの視線から巧みに本を隠しつつ俺は「仕事の話だ」とあくまで言い張った。
 自信が嘘を真実に変える。
 こんな場面で使う言葉じゃないような気がするが、まぁいい。
「じゃ、そろそろ行くか」
 荷物を背負うガルドにサラさんが寄り添う。こうしてみるとやっぱり親子にしか見えない。これからも旅先で嫌と言うほど間違えられるんだろうな。
「お世話になりました」
 深く頭を下げるサラさんに向かって「いや」と首を振る。
「俺は何もしてませんから」
 そう、全てはサラさんがこれからするのだ。俺はきっかけにでもなれば、と思って自論をぶってみただけだ。
 できるだけ早く彼女の悩みが解消されればいいな、と思う。
 今度会う時は二人じゃなくて三人になってればいいのだが。
 いや、なってるさ。きっと。
「行こうか」
「はい」
 互いの顔を確かめるように見合ったガルドとサラさんがこちらに背を向ける。
「じゃあ、私も行きますね」
 地面に降り立ったフィーナが微笑んだ。
「元気でな」
 虚空に向かって声をかけているように見えるためか、クレアがとてつもなく変な顔をする。
 あとで言い訳できるだろうか。
「ヤドカリ、見られるかな」
「見られるさ。何だってな」
 はい、と言ってフィーナは大輪の笑顔を咲かせた。
 俺はこの笑顔を見るために睡眠時間を削ってたのかもしれない。
 ふとそんなことを思った。
「随分明るくなったな」
「昔の事、少しだけ忘れられるようになったから」
「どうやって?」
 訊いた途端、不意打ちされた。
 踵を上げて俺の頬にキスをしたフィーナが羽のように宙に舞う。
「少しだけリードさんのこと、考えるようになりました」
 フィーナを見上げ、指で頬に触れる。確かな暖かさがそこにはあった。
「また会いましょうね」
 笑顔とそんな言葉を残し、青空に溶けるようにしてフィーナは消えてしまった。
 形を変えながら流れていく雲に目を細める。
 結局問題は何一つ解決しなかった。サラさんは悩みを抱えたままだし、フィーナは相変わらずこの世で迷っている。
 自分に何ができたのかは分からない。
 ただ、一人の女性からキスはもらえた。それだけの事はしたんだ、と思うことにしよう。十分だろ、それで。
「お兄ちゃん」
 そらきた。俺が今考えなければならないのは自分の成果ではなく言い訳だ。
 とりあえず精霊と喋ってたとでも……なんて考えたがどうもクレアの様子がおかしい。
 ていうか、怒ってる?
「その本見せなさい」
 気がつけば、俺は不用意にも発禁本を手でぶら下げていた。
 あぁ、俺のばかちん。
 しばし考え、俺は逃げた。
「あっ! 待ちなさいっ!」
「勘違いするな、これは仕事で使う本だ!」
「だったら何で逃げるのよ!」
「そういう年頃なんだよ!」
 本を頭上に掲げ、飛び跳ねるクレアから逃げる俺。寝不足の体にこの運動はつらい。
 と、通行人にぶつかりそうになった俺は慌てて体をひねった。
 その拍子に本を落としてしまう。
 しまった、と思ったときにはもう遅い。
 本を拾ってくれたのは俺がぶつかりそうになった若い女性だった。長く伸ばされた漆黒の髪に同じ色の瞳、装束を見るに旅人らしいがそんな事はどうでもいい。
 女性は興味深げに本をぱらぱらとめくってから石像の如く固まっている俺に差し出した。
 誰かハンマーを持ってこい。俺をこなごなに叩き壊してくれ。
 本気で思った。
 あぁ、死にたいって。
「ん、君のではないのか?」
「私がやりました」
 がっくりとうな垂れてしまう。
「面会には行くからね」
 ノリがいいのは結構だがどこで覚えたそんな言葉。
 従妹の将来を心配しつつも本を受け取る。飲もう。今日は飲もう。
「その、訊きたいことがあるのだが」
「何でしょう。俺の性犯罪歴とかですか。前科だけはほんとに」
「いや、そんな事ではなくて、この辺りに武器屋があると聞いたのだが」
 武器屋、という単語に枯れていた心の木に小さな芽が出る。
 よく見れば女性は背中に布に包まれた長い何かを背負っていた。
 槍、か。
 俺は黙って店の前まで歩いていき、店内に向かって腕を伸ばした。
「いらっしゃいませ。何をお探しですか」
 言って微笑む。
 さぁ立ち直れリード・アークライト。お客さんだ。

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