武器屋リードの営業日誌

第四話
─それでも劇は終わらない─

ライン

 俺は戯れに小枝を手に取り、半分に折って焚き火の中に放り込んだ。炎が一度大きく揺らぎ、併せて周囲の木々に映し出された影も揺れた。隣町までの道中。森の中。静かだった。どこか遠くから梟の鳴く声が聞こえ、そこに焚き木の爆ぜる音が重なる。風もなく、焚き火と厚い外套のおかげで寒さは感じなかった。
 行程的には予定通りだ。明日の朝、ここを発てば昼前か過ぎには隣町に着けるだろう。何か有益な情報がつかめればいいのだが。
 有益な情報。それを持っているであろう男が焚き火を挟んだ向かい側にいる。旅は道連れ世は情け。何の因果か共に行動することになったわが町の警備兵、カートだ。が、この森で野宿することを決めてから彼は一言も喋らず、黙って火をおこし、今現在も黙ったまま焚き火を見つめている。俺が話しかけると睨みさえするのだ。
それで仕方なく俺も黙っているのだが、暇で仕方がなかった。カートに聞きたいことは山のようにある。が、喋ってくれない。手元には一冊の本もない。手でやる影絵遊びにも飽きた。ちなみに俺が影という名の相棒と演じた小芝居「届け愛の歌。カートからアナ伏字伏字ムへ」は開演からわずか三秒で幕となった。
 まさか焼けた石が飛んでこようとは。このリードの目をしてもそこまでは見抜けなんだ。
 そんなわけで暇を持て余し、二本目の小枝を拾い上げた時だった。同時にカートも小枝を拾い上げる。何やらタイミングでも計るように長く息を吸い、吐き出すカート。その表情は戦場に赴く兵士のように真剣であり、緊張感さえ漂わせている。
生唾を飲み込み、何事かと見守る俺を前にカートは手にした小枝をゆっくりと構えた。
 一瞬の間。
 まさに雷撃。そう形容するにふさわしい小枝による突きが焚き火を襲う。炎が小枝を避けたような気さえした。カートは突きを繰り出したままの姿勢でしばし固まると、やがて焚き火の中から小枝を持ち上げた。
 小枝の先にはちょうどいい感じに焼き上がり、ほくほくと白い湯気を立ち上らせるじゃがいもが。
「まぁ美味しそう……って、ちょっと待てやお料理警備兵」
「人の役職に妙な枕を付けるのはやめてもらおうか」
 満足げな表情でじゃがいもを見つめていたカートが口元を歪めて俺を睨む。が、さすがにもう俺もひるまなかった。これ見よがしに大きなため息をついて「呆れました」と言わんばかりの表情を作ってやる。
「たかがいも焼くのに真剣な顔しやがって。遠慮して喋らなかった俺が馬鹿みたいじゃないか」
「みたい、じゃない。馬鹿なんだ」
「あのなぁ」
 と声をあげようとした瞬間、枝からはずされたあつあつのじゃがいもが飛んできた。反射的に手で受け取ってしまう。
 俺の手の上で跳ねるじゃがいもを一瞥し、カートも焼けたてのじゃがいもを手にした。そして何事もなかったかのように薄い皮をむいていく。
 たまにいるよな。手のひらが熱に対してやけに鈍感なやつ。
「リード、塩」
 俺はじゃがいもを外套の上に置き、塩の入った小さな皮袋を放ってやった。そこでふと気付く。
「じゃがいもも塩も俺のなんだが普通に食ってるよな、お前」
「だから率先して火を起こし、最高の焼け具合に仕上げてやっただろ」
「というか、遠出をするのに食料を一切持ってこなかったお前にびっくりなんだが」
 俺の台詞にカートは一度動きを止め、こちらから視線を外した。
「空腹で愚痴をこぼす程度の人間には警備兵は務まらん」
「じゃがいもを食う口から出たその言葉の何を信じろと」
「心意気」
 俺は口を開こうとして、やめた。何を言ってもあまり意味が無いような気がしたのと、じゃがいもがいい感じで冷め始めていたからだ。
 結局、俺とカートはそれぞれ二つのじゃがいもと一枚の干し肉をたいらげた。ひとつが大人の拳ほどあったじゃがいもだ。さすがにおなかに溜まる。俺は一つ息を吐いて背中を木の幹に預けた。少し食べ過ぎたかもしれない。血がおなかの方に回ってしまい、瞼が重くなる。このまま寝てしまえればいいのだが、そういうわけにもいかなかった。俺にはカートに訊かなければならないことがある。今回の件に関して彼、というか警備隊が持っている情報だ。
 問題は素直に教えてくれるかどうか、だけどな。
 眠気に細めていた目を開き、体を前傾させて焚き火の向こう側にいるカートを見つめる。俺の視線を受けたカートは一度唇を引き結び、迷うような間を置いてから口を開いた。
「お前が何を言いたいのかは分かる。情報を提供しろ、だ」
 俺は微笑してカートの言を肯定した。
「最低でもじゃがいもの分は返ってくることを願うよ」
 突然吹き付けた寒風に外套をしっかり体に巻きつける。葉のこすれる音が風と共に頭上を駆け抜けた。
「情報を提供するにあたって条件が二つある」
「多いな」
 笑う俺に「これでも最低限だ」とカートが返す。
「一つは俺に協力すること。もう一つは勝手な行動をとらない事だ」
 カートの目は本気だった。そんな条件は飲めない。でも友達のよしみで、と言えるような雰囲気ではなかった。俺が首を縦に振らなければ、この話はここでお終いだ。
「何があってもお前に従えってことだろ、それ」
「そう思ってもらって構わない」
 なるほど。俺は目を閉じ、考えた。もしここでカートの提示した条件を飲めば、俺の行動はかなり制限されることになる。もちろんそこに法的な拘束力はなく、言ってしまえば俺とカートの間で交わされた約束でしかない。が、それだけにおいそれと破る事もできないのだ。
 俺という一般人に警備隊が持っている情報を提供、というか漏らすのだから、当然のようにカートも幾ばくかのリスクを負うことになる。その代償としての俺の行動制限。よくよく考えてみれば今回の件、カートにとって得になることは何一つ無い。そもそも俺が武器屋の面子をかけて首を突っ込もうとさえしなければいいわけで、俺の我侭だと言ってもよかった。要するに、この時点で俺はカートにそれなりの迷惑をかけていることになる。法的な拘束力がなくとも警備隊の捜査に協力するのは町民の「常識」であり「不文律」だからだ。
 そんな俺に対する情報提供の条件が行動制限なのだから、これはかなり譲歩してもらったと言わざるを得ない。それこそ、友達のよしみ、以外のなにものでもなかった。カートには捜査の邪魔という理由で俺を留置所にぶち込めるだけの権限があるのだから。
 俺は閉じていた目を開き、ゆっくりと肯いた。ここで拒否してしまえばカートの面子を潰すことにもなってしまう。幼馴染みとはいえカートは警備兵、俺は一般町民だ。保護する者される者という関係に変わりはない。ここまでの譲歩と優しさを見せてくれた友人の顔に泥を塗ることなど絶対にできなかった。
 カートは一度自分の手元を見つめ、いいだろう、と呟くように言った。
「条件が二つだからというわけじゃないが、提供できる情報も二つだ」
 話し出したカートに俺は身を乗り出した。焚き火に近くなり、熱い空気が頬を撫でる。
「一つは配達人を襲った奴等のこと。もう一つはその時の状況だ」
 俺は黙ったままカートの言葉を待つ。
「配達人への聞き取り調査で分かったことだが襲った奴らは五人。いずれも手首に同じような刺青をしていたそうだ」
 言いながらカートは自分の腕を持ち上げ、そこに指で刺青の図柄を描いて見せた。
「こう、手首を一周するように二本の線。その間にジグザグの線だ」
 聞きながら頭の中にその刺青を思い浮かべる。しかし同じ刺青をしてるってことは……、
「どこかの組織である可能性が高いわけか」
 俺の言を受けて肯き、カートが続けた。
「それについてはもう分かっている。その刺青はダラムのものだ。この辺りを根城にしている小さな盗賊団だが、王都の有力な盗賊組織とのつながりもある」
 調査して分かった、というよりも以前から警備隊としてはその盗賊団……ダラムのことを把握していたという意味だろう。
「下手につつくと親玉が出てくる、か?」
「だが、それをつつくのが警備隊の仕事だ」
 笑う俺にカートが小さく肩をすくめた。
「しかし、だとすると今回の件はケチな盗賊団が起こしたただの強盗って事になるのか?」
「どうもそうじゃないらしい」
 俺の予想を否定したカートが何やら含みのある視線をこちらに向ける。俺は唇を引き結び、その視線を受けた。どうも一筋縄ではいかないらしい。
「そこで二つ目の情報。配達人が襲われた時の状況だ」
 沈黙。
 焚き木が大きく爆ぜ、火の粉が宙に舞う。狼の遠吠えがした。火を絶やすと危ないかもしれない。
「配達人が言うには襲われる前に確認されたそうだ。マン・ゴーシュを持っているな、と」
 カートの視線に含まれていたものの意味が分かった。生唾を飲み込み、押し黙る。カートは俺の反応を楽しむかのように微笑していた。ゲームを有利に進めているチェスのプレイヤーはこんな表情をするのだろう。俺は唇をへの字に曲げ、カートから視線をはずした。
 暴走一般人の監視だとか言っときながら、結局は俺に用があったってことじゃないか。
 心中でぶつくさと呟く。
「拗ねるなよ。それで、武器屋のリード・アークライト。あのマン・ゴーシュは何なんだ?」
「安物さ、ただの」
「だったらなぜ狙われた」
 カートの口調がきつくなる。
「それが分かればお前に全面協力の約束なんてしてない」
 皮肉げな笑みを返す俺に、カートの表情がさらに険しくなった。いらついているのが分かる。
 この辺でやめとくか。
 俺は一つ息を吐いて表情を改めると、外套の下で指を組んだ。
「本当にただの安物なんだ。刀工の名はアーネスト・バーンズ。セシルが言うには有名な劇作家らしいけど確認はとれてない」
「確認はとれてないって、お前には分からないのか?」
 意外そうなカートの一言に俺はそっぽを向いた。
「その手の知識だけがお前の人生の拠り所だというのに」
「うるせぇ。仕方ないだろ、作ったのはマン・ゴーシュだけ。それも王都中心に流通しただけだ。セシルに言われてから文献あさったんだが確信には至れなかった。都会と田舎の情報格差に泣いたね、俺は。ま、とにかく同姓同名の別人の可能性も捨てきれないってことさ」
 顎に手を当てたカートが無言で肯く。
 それからややあって、俺は不意に気付いた。
「人生の拠り所ってどういうことだ!」
「遅いっ!」
 森に響く男二人の声。周りの木々が「うるさい。だまれ」と迷惑そうに葉を揺らす。焚き火の中で組まれていた枝が崩れ、炎が大きく揺れた。
「……ったく、ひとを武器さえあればパンが何個でも食べられるみたいに言いやがって」
「じゃあ訊くが、目の前に完璧にお前好みの女とこの世で最高の剣があるとして、片方やるって言われたらどっち選ぶ?」
 その様を脳内で思い描き、俺は本気で悩んだ。後光を背負った女神様が微笑みながら「さぁ、どちらでも」と両手を差し出し、その手の前には美女と剣がある。果たしてどちらを選ぶべきか。
 むぅ、これが究極の選択というやつか。
「その女性は膝枕で耳そうじとかしてくれるのか?」
「そんなこと訊く前に悩むな。ていうか何だ、その十代前半の少年が妄想するようなシチュエーションは」
 俺を見つめるカートはなぜか本気で呆れていた。理由はさっぱり分からないが。
 ……ふん。男には背中に追いすがる女を振り払ってでも我が道を行かねばならん時があるのだ。それが分からないとは。軟弱者め。
「じゃあこっちも訊くが」
 と、体全体でやれやれというオーラを発しているカートに向かって問う。
「完璧にお前好みの女の心と全世界で盗みをはたらく超大物の盗賊。どっちを捕まえたい?」
 そんなものお前、と余裕しゃくしゃくで答えようとするカート。が、案の定そこで我が町の警備兵殿は固まった。それから少しだけ間を置いて、やおら真剣な表情で訊いてくる。
「その女性は裸エプロンとかしてくれるのか?」
「ど変態」
「馬鹿言うな。二十五の男の妄想としては俺のほうがよっぽど健全だ」
 なぜか全く恥ずかしげもなく主張するカートに妙な敗北感を感じてしまう俺。やはり俺も「その女性は俺の誕生日に髪をリボンでくくって『わたしが……プレゼントだよ』とかちょっと頬を赤くしながら言ってくれるのか?」くらいの質問はしておくべきだった。
「次の質問」
 くっ、もう第二波が。ここで潰す気か。
「恋人から貰って嬉しい物は? その1、手編みのマフラー。その2、名工作の短剣」
 俺は喉の奥から声を絞り出し、震える指で爪で地面を引っかきながら答えた。
「め、名工作の短剣」
「ばーかばーか」
 うあ、すっげー腹立つ。
 だがまだだ。まだ終われない。ここで膝をついてしまえば二度と立ち上がれないだろう。攻撃は最大の防御。攻めろ。攻めるんだリード。
 俺はびしっとカートを指差し、問う。
「恋人にベッドの中で囁かれて嬉しいのはどっち。その1『ねぇ……しよっか』 その2『奴等のアジトが分かったわ。これで一網打尽よ』」
 頭を抱え、カートがのた打ち回る。
 悩んどる悩んどる。
 しばらくして、ぴたりと動きを止めたカートは頭を抱えた腕の影からひどく追い詰められたような表情を見せ、言った。
「……アジト」
 爆笑する俺。唇を噛むカート。
 とにかく、ゆっくりではあるがこんな風にして森の夜は確実に更けていくのだった。


 翌日、昼前。
 共に寝不足気味の面を晒しつつ、俺とカートは予定通り目的の町に到着した。馬を預けた馬屋の前でお互いの顔を見合わせる。
 結局あの馬鹿げた質問合戦は朝まで続き「女が何だ。仕事に命をかける男こそが真に美しい」という結論に同時に達したところで俺とカートは薄明るい空の下固い握手を交わした。なお、条約締結に至った裏には最近カートが恋人と別れたという政治的状況があったことを付け加えておく。やはり持つべきものは友達だ。
「で、どうするんだ」
 眩しい日の光に抗い、目を開いた俺はカートに尋ねた。約束により俺は今こいつの指揮下にあるわけで、一応判断は仰がねばなるまい。
 カートはあからさまにあくびを噛み殺し、手で顔をこすった。隠したのは制服を着た警備兵が天下の往来で日中からあくびをするところなど見られるわけにいかないからだろう。こいつはこいつで色々と気を使っているらしい。
「俺はこの町の詰め所に行ってくる。お前は武器屋に行って話を聞いてきてくれ。あるんだろ? 付き合い」
「そりゃあるけど……それってお前達の仕事じゃないのか?」
 俺の問いにカートは、そうだな、と当然のように肯定した。
「だったら」
 言葉を継ごうとした俺を寝不足にしては力のある目でカートが制す。
「今回の場合お前の方がいいんだ。どうも武器屋ってのは警備隊を目の敵にしてる節があるからな。俺達が行ったんじゃ素直に話してくれないかもしれない」
 そう言ってカートは笑って見せた。緩められた口元が「身に覚えあるだろ?」と雄弁に語っている。
 まぁ、確かに武器屋にそういう傾向があることは否定しない。俺達は常日頃から警備隊には監視されているわけで、時にそれが原因でいざこざが起こることもあった。言ってみれば強気な嫁と口うるさい姑の関係なわけで、仲良く手を取り合ってという風にいくわけがない。近隣の武器屋が集まって酒宴という名の会合を開けば必ず警備隊に対する愚痴や文句が一つや二つ出てくる。正直、俺もカートが幼馴染でなければ二週間に一度は殴り合いの喧嘩をしているだろう。
「話が聞けたら『命の海亭』という店で待っててくれ。後で行く。場所は」
 とい言いかけたカートを俺は遮った。
「知ってる。この町も初めてじゃないしな」
 カートの言う命の海亭も何度か利用したことがあった。
「そうか。じゃ、くれぐれも揉め事だけは起こすなよ」
 外套に包まれた俺の肩を一つ叩き、カートはこちらに背を向ける。視界の中で小さくなっていくカートの背に「うるせー」と一言投げつけた俺は石畳の道を歩き出した。この町の大きさは俺が住んでいる町と大差ない。それゆえ、辺りの空気もそれほど変わらなかった。のどかな、普通の田舎町だ。目に付く事と言えば俺の住んでいる町と比べて露天が少し多いくらいか。歩きながら一応見てみたが残念ながら興味を引くような品物は置いてなかったし、フードを深くかぶり、水晶玉を前にした占い師の老婆から「おぬし、特別な運命を背負っておるな」と呼び止められ、神話の時代に魔王を滅ぼしたと言われる聖剣の伝説を聞くこともなかった。
 俺を見ている者といえば日なたで丸くなり、眠そうな目をしている虎猫くらいのものだ。眠そうという点において俺と彼(彼女?)は一瞬にして言葉どころか種族さえも超えた、何かこう、特別なもので通じ合い、結果同時にあくびをした。
 うむ。あいつとは親友になれそうだ。後で干し肉でも持っていってやろう。
 本来なら干し魚の方がいいのだろうが、この辺りではそうおいそれと魚は手に入らない。そこは我慢してもらおう。
 そんな風にとへとへと町を歩くことしばし。目的地である武器屋の看板が見えてくる。久しぶりに会う店主の顔を思い出し、俺は口元を緩めた。
 元気でやっているだろうか。そういや小さな娘さんが一人いたっけ。お菓子の一つもおみやげに持ってくるんだった。いや、今からでも遅くないか。何か買って……とそこまで考えた時だ。視界に入った異様な店の姿に思考を打ち切った俺は歩を早めた。外套がひるがえり、背負った両手剣が揺れる。
 店の前に辿り着いた瞬間、俺はただ絶句した。
 半分に割られ、戸の体裁を無くしてしまった雨戸が店の前に打ち捨てられている。唇を引き結んだ俺は一歩、店に足を踏み入れた。
 酷い。
 その一言だけが心中で呟けた。例え熊が暴れたとしてもここまでの状態にはならないだろう。
 店内は悪意をもって荒らされていた。
 つま先に触れたハルベルトを拾い上げ、周囲を見回す。壁には無数のスローナイフや短剣が突き刺さり、うち数本は床に落ちて転がっていた。たとえ刃が欠けていないとしてもこれではもう新品として売ることはできない。カタログや商品に関する資料は紙片にされ、辺りにばら撒かれていた。棚は全て落とされていた。曲がった釘が無残な姿を晒している。棚を破壊するのに使われたであろう戦槌(バトル・ハンマー)は最後にカウンターを真っ二つに叩き割り、そのままの状態で放置されていた。店内に商品が少ないのは片付けられたからか、それとも持ち逃げされたからか。
 俺は拳を握り締め、奥歯を噛み締めた。頭の奥に歯がきしむ音が響く。ここから店を営業できる状態に戻すことがどれだけ大変なことか。この店の主人がどれほどの思いをもって武器屋を営んでいたか。
 壊すのは一瞬。だが作り上げるのにどれほどの苦労があったと思ってやがる!
 俺はハルベルトを持った手を振り上げ、喉の奥で呻き、そのままゆっくりと下ろした。
 ここは俺の店じゃない。馬鹿なことはするな。
 ハルベルトを壁に立て掛け、熱い息を長く吐き出す。頭を振って熱を逃がし、はたと気付いた。
 そうだ、主人は。
「すみません」
 奥に向かって声をかける。この店の主人だって武器の扱いには長けてるんだ。そう簡単にまいったりはしないはず、と思いながらも焦りだろうか。俺はかなり短い間隔でもう一度奥に向かって呼びかけた。
 ややあって住居部分へと続く扉が開き、一人の金髪の女性が顔を出す。この店のおかみさんで、当然顔見知りだ。ただ普段なら「よく来たねぇ」と明るく迎えてくれるその表情は沈黙し、ただ疲労だけが色濃く滲んでいる。
「リード……」
 戸惑いと驚きの表情で俺の名を呼んだおかみさんに向かって頭を下げた俺はすぐさま口を開いた。
「お久しぶりです。あの、ご主人は」
 語尾を小さくした俺に向かっておかみさんは思い出したように笑うと、
「あぁ、大丈夫さ。うちのは殺したって死なないよ」
 そう言った。無理して笑っていることが分かるだけに胸が痛い。この時間は店に日が入らないらしく、薄暗かった。本当に最悪の事態にならなかったことがせめてもの救いか。
「まぁ、顔くらい見てやっておくれよ」
 はい、と肯いておかみさんの後に続く。どうやら住居の方までは壊されずに済んだようだ。きしむ廊下を歩くことしばし、部屋に通された俺はご主人の姿に唇を噛んだ。骨折をしたときに使う軟膏の甘い匂いが鼻を抜ける。
「よぉ。情けない姿見られちまったな」
 ベッドの上、四肢を石膏で固められ頭に包帯を巻かれたご主人が目だけで笑う。
 何と言っていいのか分からず立ち尽くす俺に、ご主人は続けた。
「何て顔してやがる。お前の方が俺より具合悪いみたいじゃねぇか」
 そう言ってまた目だけで笑う。この分だと全身に傷を負っているに違いない。全快するまで三ヶ月以上かかるだろう。
 本当に気のいい人なんだ。商売で迷った時、何度も助けてもらった。それを、こんな。
 冷めかけていた熱が再び全身を巡り、握った拳に集まっていく。
「だから熱くなるなって」
「誰がこんなことを」
 拳を握ったまま、尋ねた。
「詳しいことは分からねぇ。ただ、腕に変な刺青をした奴らで、うちに来た警備兵の言うことにゃダラムとかいう盗賊団らしい」
 ご主人の台詞に昨晩カートと交わした会話が頭の中に蘇る。ダラム。配達人を襲った奴らと同じか。
「十一人いやがった。六人まではぶちのめしてやったんだがな」
 かすれた、咳き込むような声でご主人が笑う。つられて俺も笑みをこぼした。と、こちらを見ていたご主人の目が、すっと細くなる。
「ただ、今回はお前にも迷惑かけちまったみたいだな」
 かすれた声が俺に向かって詫びた。どうやら配達人が襲われたことはご主人も知っているらしい。俺は小さく首を横に振り、自分のつま先を見つめた。
 迷惑なんて何一つかけられてない。ほんとに、迷惑なんて。
 顔を上げ、口を開く。
「あのマン・ゴーシュについて知っていることを教えて下さい」
「知ってどうする」
 その声には俺を諭すような響きがあった。即ち、こうなりたくなかったらここで引いておけ、だ。だが俺はご主人の目を正面から見つめ、言い切った。
「けりをつけます」
 何かを確かめ、そして俺に挑むかのような視線。全身を包帯で巻かれている怪我人が発しているとは思えないほどにその眼光は鋭かった。だが逃げるわけにはいかない。通さなければならない意地がある。
 どれほどの間そうして睨み合っていただろうか。やがてご主人の瞳から力が抜け、いつもの柔和な目へと戻っていく。
「羨ましいね。若いってのは」
 ぼやくようなご主人の声につい苦笑してしまう。どうやら俺を認めてくれたらしい。僅かな間を置いて、ご主人はゆっくりと、一言一言を確かめるように話し出した。
「半年ほど前、俺の所に王都から小さな荷物が届いた。それがあのマン・ゴーシュだ。送り主は……」
 そこでご主人の声が一度途切れる。ゆっくりと大きく吸われた息と共に吐き出されたのは、とんでもない台詞だった。
「お前の親父さんだ」
「は?」
 反射的に高い声を出し、ご主人に詰め寄る。だが訂正はなかった。言い間違えではないらしい。
 何で親父が。全く意味が分からない。
 俺は口を「は?」の形で固めたまま、今頃どこかをふらついているであろう不良中年の顔を思い出していた。
 ご主人の話は続く。まずは聞かなくては。考えるのはそれからだ。
「マン・ゴーシュには手紙が添えられていた。これが何なのか説明することはできない。それを承知で誰の手にも渡らぬよう守って欲しい。ただ、うちの馬鹿息子が必要だと言ってきたら黙って渡してやってくれ、とな」
 ご主人が目を細める。だが俺には何も言えなかった。話がいきなり突拍子もないほうに飛んでしまい、うまく処理できないでいる。そんな俺の状態が分かっているのか、ご主人はゆっくりとではあるがよどみなく情報を提供してくれた。
「それからしばらくして、柄の悪い奴らが店に来るようになった。目当てはあのマン・ゴーシュだ。もちろん俺はシラを切った。親父さんとの約束だからな。だがあいつらも諦めない。月に一度くらいの間隔で店に来ては嫌がらせまがいのことをしていった」
 そこでご主人は顔をしかめ、短い呻き声を漏らした。
「すみません。喋らせっぱなしで。少し休みましょう」
「馬鹿野郎、あと少しなんだ。黙って聞いてろ」
 鼻の頭にかいた脂汗。浅い呼吸。喋るだけで相当辛いに違いない。
 俺には顔を引き締め、小さく肯くことしかできなかった。
「それでも大丈夫だった。奴らにも確信がないようだったし、無茶なことはしなかった。だが最後の最後、お前から手紙を貰って、マン・ゴーシュを配達人に預けた日の夕方にやっちまった」
 ご主人の顔が引きつる。痛みに耐えているのか。いや、違う。怒りだ。引き結ばれた唇が震え、ベッドに横たえられた体から湯気が立ち上っているような錯覚さえ覚える。
「その日も奴らはやってきた。親父さんとの約束が果たされようかって、よりによってそんな日に……あいつらは娘を殴ったんだ。顔を……拳で」
 ご主人の娘さんはクレアと同じくらいの年頃だったはずだ。それを、だと。
 今すぐに解放しなければこの場で暴れだしてしまいそうなほどの激しい感情が全身を駆け巡る。顔面に血が集まり、無数の針で突かれでもしたように痛んだ。
「あとは見ての通りさ。その時に親父さんから貰った手紙とお前から貰った手紙も見つかっちまってなぁ。すまねぇ。ほんとに……」
 ご主人の声が途切れ、嗚咽に変わる。自分よりも一回りも年上の人間が一人の男として、父親として泣いていた。涙を拭くための手さえ動かせず、そんな状態にされてなお詫びている。
 俺にはただ歯を食いしばり、深く頭を下げることしかできなかった。
「すみません。親父がはじめから俺にマン・ゴーシュを送っていればこんなことには」
「何か理由があったんだろ。その上で親父さんは俺を信用して仕事を任せてくれたんだ。お前が謝るのは筋違いってやつさ。それに、お前の親父さんには何かと世話になったからな。こんな事でもないと恩の一つも返せやしない」
 不思議な感じがした。俺が世話になっているご主人を世話していたのが親父だなんて。俺には武器の扱い方以外何一つ教えようとしなかったくせに。
「話せるのはこれくらいだ。あまり無茶するんじゃねぇぞ」
「はい」
 短く、強く返事をして俺は顔を上げた。
「親父が帰って来たら引っ張ってでも連れてきます」
「お前に引っ張れるのか?」
「言ってももう五十前ですから」
 少しだけ間を置いて、俺とご主人は同時に笑った。親父が年齢通りの生き物でないことは二人ともよく知っている。今度帰ってくるときは少しおとなしくなってればいいのだが。
「じゃあ、そろそろ。養生してください」
「お前も気を付けろよ」
 肯くように頭を下げ、部屋を出る。と、廊下でおかみさんと鉢合わせた。そのおかみさんの青いスカートに少女が一人しがみついている。栗色の髪をした、クレアと同じ年恰好の女の子。顔の左半分には布が当てられ、その上から包帯を巻かれている。
 女の子は俺の姿をちょっとだけ見つめると、おかみさんのスカートの陰に隠れてしまった。
「ごめんね。人見知りで」
 困ったように笑うおかみさんに笑みを返し、俺は女の子に向かって手を振ってみた。手こそ振り返してくれなかったものの、興味はあるらしくおかみさんの陰から俺を見上げる女の子。
 あ、そうだ。確かこの辺にあったような。
 俺は外套の中で体をまさぐり、小さな布の袋を取り出した。膝を折ってその袋を女の子に向かって差し出す。
「どうぞ」
 中には砂糖菓子がいくつか入っている。遠出をする時には必ず持ち歩くようにしていた。砂糖は必ず持っておったな、という武器屋の前は冒険者だった爺ちゃんの昔話からの受け売りなんだけど。
 女の子は一度おかみさんの顔を見てから、ゆっくりと袋に手を伸ばし、受け取った。袋の中を見た女の子の顔がぱっとほころぶ。
「ありがとう」
 耳を澄ませなければ聞こえないほど小さな声だったが、本当に嬉しそうに笑ってくれた。それだけに顔の半分を覆う包帯が痛々しい。
 俺は女の子の頭を一つ撫でて立ち上がった。と、嬉しいようなからかうような笑みを浮かべているおかみさんの視線に気付く。
「いや、あんたのお父さんもこの町に来た時は子供達に砂糖菓子配ってたからさ。やっぱり似るもんだね、親子ってのは」
 冗談じゃない。発言の撤回をして頂きたい。
「俺の方が人として遥かにまともです」
 口をひん曲げる俺に、おかみさんは笑うだけだった。それじゃ、と踵を返した俺の背に小さな、ばいばい、が聞こえる。肩越しに手を振った俺は廊下を歩き、破壊しつくされた店に戻った。一度立ち止まり、その光景を目に焼きつけてから表に出る。
 外気の冷たさが問題にならないほど体が熱い。目を閉じ、大きく息を吸った俺は手のひらに本気で拳を打ちつけた。乾いた破裂音と共に衝撃が肩まで響く。
 目を開き、ゆっくりと息を吐き出す。
 ふざけるな。
 ただそれだけを胸中に置き、俺は店を後にした。

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