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武器屋リードの営業日誌

第三話
─竜を追う者─

ライン

エピローグ〜プロローグ

 何よりもまず茶色い物が見えた。ぼやけた視界と頭がそれを天井だと判断するまでにたっぷりと十秒はかかった。続けて嗅覚が覚醒する。これほど懐かしく、安らぎを感じる匂いがあるだろうか。それは間違いなく自分のベッドの匂いだった。周囲は明るい。ということは昼間なのだろう。ただ問題が一つある。なぜ自分は昼間からベッドで寝ているのだろうか。それが分からない。
 ベッドに入る前の記憶を手繰り寄せる。深い深い水底から気泡が登るようにではあるが、少しずつ記憶が戻ってきた。
 山、坑道、竜、そして……レイ。
 血だまりの中、目を見開いて全く動かなかったその姿が不意に脳裏に叩きつけられる
 彼女はどうなった。
 反射的に体を起こそうとして呻き声を漏らしてしまう。全身が半端でないほどに痛いのだ。目に涙を滲ませた俺の視界をふと何かが遮った。
「リード」
 優しく、澄んだ声が俺の名を呼ぶ。穏やかな香りが鼻腔を抜けた。
「大丈夫か?」
 そんなことを訊きながら声の主は俺の額に手を置いた。
「熱は下がったみたいだな。三日も目を覚まさなかったんだ、心配した」
「そりゃこっちの台詞だ」
 体を気遣いながらゆっくりと上半身を持ち上げる。何か動きにくいと思ったら右腕を石膏で固められていた。
 ぼやけていた視界が像を結び、俺の目の前にいる人物をはっきりと見せてくれる。
 長く、艶やかな黒髪は変わらなかった。意思の強そうな瞳に整った顔。ただ、目元が少し優しくなったような、そんな印象は受けた。
 俺は肺に溜まったものを吐き出すように一度大きく吸い込み、ゆっくりと長く吐き出した。体中に蓄積されていた不安や恐怖、緊張感が全て溶けていく。
「よかった。ほんとに……」
「あぁ、君のおかげだ」
 微笑み、レイがベッド傍の椅子に腰掛ける。
「怪我は?」
「まぁ、それなりにな」
 どこか歯切れ悪く答えるレイの脇には二本の松葉杖があった。そういや足、無茶な方向に曲がってたもんな。
 そんなことを思い出し、何とはなしに視線をレイの足に向けた。
 その瞬間体が硬直し、何も言えなくなってしまう。黒いズボンのすそから出ているべきものがない。レイの左足は膝から下が無くなっていた。
 口を半開きにし、固まる俺に向かってレイは静かに言った。
「気にしないでくれ。あの状況だ、命があっただけでも運が良かった」
 俺は無言のまま唇を噛み締める。
「ましてや自分のせいなどとは間違っても思わないでくれ。その方が私にとって、辛い」
 俺にはただ肯く事しかできなかった。こんな時に何も言えなくなってしまう自分の底の浅さが腹立たしい。
「みんなを呼んでくる」
 そう言ってレイは立ち上がると松葉杖をついてドアに向かった。その後姿を見ながら拳を握り、口を引き結ぶ。
 やれるだけのことはやった。そして……結果がこれだ。
 仕方なかった。その一言で片付けてしまうにはあまりに重い。耐えられなくなった俺はレイから視線をはずしてしまった。と、ベッド脇のテーブルに乗せられた二枚のチケットが目に入る。チケットの下には小さなメモが一枚。そこには一言「世話になった」とだけ記されてていた。
 当然、俺が置いた物ではない。
「レイ」
 きつめの口調で彼女を呼び止める。レイの方向転換を待って、俺はそのチケットとメモをかざして見せた。
「何のつもりだ」
 俺の問いにレイは自嘲気味に笑うと足元を見つめ、口を開いた。
「私が持っていた唯一価値のあるものだ。旅の途中で知り合った劇団の団長から貰った。この町にも劇団が寄ることを思い出してな。それで、せめてもの礼に」
「そんな事を訊いてるんじゃない」
 口調が強くなる。
「まさか、その体で出て行くつもりじゃないだろうな」
 レイは何も言わず、うつむいている。即答できないことが、即ち答えだった。
「どうしてそんな無茶なこと」
「ありがとう。だが、これ以上に君に迷惑をかけるわけにはいかない」
「俺は迷惑だと思ったことなんて一度もない」
 本心だ。レイは押しかけてきたのではなく、俺が泊めようと思って泊めたのだから。
「だが……」
 レイが言葉を紡ごうとしたところで不意に部屋のドアが開いた。
「お兄ちゃん」
 久しぶりにそう呼ばれたような気がする。部屋の入り口には涙で顔をぐずぐずにしたクレアが立っていた。
「よう。久しぶり」
 笑いながら、そんな挨拶をしてみる。結果、
「バカーッ!」
 大声で罵られた。
「ものすごく心配したんだよ」
 よく見ればクレアの目は真っ赤だった。ずっと泣いてたのか。急にばつが悪くなった俺は人差し指で頬を掻いた。さっきの第一声はさすがに軽すぎたか。
「悪かった。おいで」
 クレアを呼び、抱き締める。帰ってきたんだ。そんな一言が胸の奥を流れていく。
「もう大丈夫だ」
 俺の胸に顔をうずめ肩を震わせて泣き続けるクレアの頭を撫で、俺は何度も「大丈夫」を繰り返した。その度にクレアは肯き、大粒の涙が上気した頬を流れていく。
 きっと子供なりに色んなこと考えて、押し潰されそうだったんだろうな。
 シャツを握り締める小さな手に本気で申し訳なくなり、俺はクレアをきつく抱き締めた。
「起きたか」
 そんな声と共にまた一人部屋に入ってくる。この声も俺は知っていた。目に映ったのは予想通り白衣をまとった小柄な老人、先生だった。が、どうも様子がおかしい。先生の後に続いてぞろぞろぞろぞろと人が入ってくる。唖然とする俺の前で部屋の人口密度がどんどん上がっていく。最終的には二十人ほどの人間が俺の部屋に集まった。それどころか廊下にはまだ入れなかった人たちがいるらしい。ただ、集まった顔ぶれには見覚えがあった。友人だったり、近所のおばちゃんだったり、お得意様だったり、だ。
「一体何の騒ぎですか」
 とりあえず一番手前にいた先生に聞いてみる。先生はそれが当然だと言わんばかりに不機嫌そうな顔で俺の質問を無視すると、いきなり指を一本立てた。
「何本に見える?」
「一本、ですけど」
 意味が分からない。
「これから指を動かす。目で追ってみろ」
「はぁ」
 と返事をして言われた通り先生の指を目で追う。
「両手両足、それと指は動くか?」
「えと、動かすと痛いです」
「そんなことは訊いとらん。で、動くのか?」
 そんなこと、って。やっぱり相変わらずだなこの人は。
「動きます」
「そうか。大丈夫のようだな」
「いや、何が」
「完全に治るということだ。後はしばらく家でおとなしくしとれ」
「いや、だからこれは何の騒ぎで」
「みんなお兄ちゃんを心配して集まってくれたんだよ」
 と、先生の代わりに質問に答えてくれたのはクレアだった。クレアは手で涙を拭くと俺を見ながら、うん、と肯いた。
 そっか……。
 照れくさく思いながらもみんなの顔を見回す。誰もが目を細め、俺に微笑んでくれていた……って、ちょっと待て。
「そこの心無い友人一同の間で巻き起こるガッツポーズと舌打ちとコインのやり取りは何だ」
「知らん!」
「胸張って答えてんじゃねぇよこの人でなしが!」
 心無い友人筆頭である肉屋のニールに向かって声を張り上げる。
「大体こういう場合、みんなが完全復帰に賭けて勝負にならなかったとか、そういう正しい賭けの在り方ってのがあるんじゃないのか?」
「馬鹿だなぁ」
 と、ニールが立てた人差し指を左右に振る。
「セオリーなんか気にしてたら勝てないじゃないか」
「だから素で儲けようとすんなっ!」
 あぁもう、頭痛い。何が悲しくて三日ぶりの意識回復から数分で友人につっこみを入れねばならんのだろうか。笑いの神が与えたもうた試練か、これは。
 っと、そんなことより。
「先生、レイを止めてください」
 俺が言った瞬間、全員の視線が部屋を出ようとしてたレイに集まった。さすがに動くことができず、その場に留まるレイ。
「どこかへ行くつもりかね」
 俺の時と微妙に口調が違うのがなんかもやもやする。
 レイは一同の顔を見回し、やがて意を決したように口を開いた。
「今日、この町を出ようと思う」
 室内にざわめきが広がる。当然だ。今のレイの姿を見れば……。
「悪いが、あんたの傷を診とる医者としては賛成できんね」
「だが、私は治療費も払ってないし正当な患者とは言えない」
「そんなもんはある時払いで構わんよ。治療費を滞納しとる奴なんざウチの近所にはスープの具にするほどおる」
 まぁ、それで経営が成り立ってるのもいまいち謎なんだけどな。
 一方のレイは言葉を切り、そこで唇を引き結んでしまった。室内に重い沈黙が落ちる。誰もがきっと次の言葉を待っていた。ややあって、先生が口火を切ってくれる。
「何か、別に気になっとる事があるんじゃないのか?」
 ゆっくりとレイの顔が持ち上がった。図星らしい。さすが先生、年の功ってやつか。
 レイは一度深呼吸をすると、こんなことを言った。
「私は……リードを殺しかけた」
 それがさっきの「だが」に続けて言おうとしていた台詞か。
「だからそれは俺が」
 俺の言葉を遮ってレイが首を横に振る。
「私はただ竜を追っているだけの旅人を装っていた。もう一つの目的のために君を巻き込むことを予想できなかったと言えば、それは嘘だ」
 嫌な予感がした。レイがここにいるということは疑いは晴れたのだろう。だが、一方で彼女が殺人を犯そうとしていたという事実がある。
 それを言ってしまえば妹の復讐という心情的に理解できる理由があったとしても、周りのレイを見る目が激変する可能性があった。
「あの時の私は、奴らを……」
 言うなっ! そう俺が叫ぼうとした時だった。
「そこまでだ」
 レイの告白を遮り、人だかりを割って一人の男が前に出てくる。黒の制服にショートソード。言わずと知れたこの町の警備兵、カートである。カートはベッドの傍まで歩いてくると、腰の後ろで手を組んだ。
「悪いが警備上の機密によりその先を公衆の面前で話す権利は君には無い」
 レイを見つめ、カートは言い切った。
「ちなみにだ」
 そこでカートの視線が俺に移る。
「君達をここまで運び先生を呼びに行ったのは俺だ。感謝するように」
「それはお前の仕事だ。ていうか公僕が堂々と民間人に恩売るなよ」
「閑話休題」
「……もう好きにしてくれ」
 何で俺の周りにはこう一癖も二癖もあるやつしかいないんだろうか。
「レイ・ケインベック。君の身柄をもうしばらく警備隊の監視下に置くことにした。言うまでもなく君は犯人ではない。清廉潔白だ。だが事件の背後関係等についてもう少し詳しく話を聞きたい。この時点で君には我々に協力する義務が生じたわけだ。そういうわけで君の移動に制限をかけさせてもらう。警備隊の許可なくこの町を出ないように。以上だ」
「おい」
 小声でカートに呼びかけ、手招きする。
「何だ」
「いいタイミングで来てくれた」
「計ってたんだよ」
「しかしよく移動制限権限なんて発動できたな。彼女はあくまで協力者なんだろ?」
「あぁ、だからまだ書類もない。上には後で適当に報告しとく」
「いいのかよ」
「ま、今回の件じゃお前に貸しがあるしな、上手くやるさ」
 俺の肩を軽く叩き、カートが笑みを浮かべた。何だかんだで義理固いんだよな、こいつ。それに今回の件で上に対しても思うことが色々とあったんだろう。
 何はともあれ、これでレイは町から出られなくなったわけだ。
「どうする?」
 俺は壁際で立ち尽くしているレイに向かって訊いた。変わらずレイの表情は暗い。何かを言おうとして口を開きかけ、閉じる。そんな事をレイは何度も繰り返した。
「これだけは言っておく。俺は君に殺されかけたなんてこれっぽっちも思ってない。絶対にだ」
 それでもレイは顔を上げてくれなかった。そんな苦しそうな顔をされると俺の胸まで痛くなる。どうすればいいんだろうか。
 そんな時、一人の老婆がレイに歩み寄りそっと彼女の手をとった。
「真面目な娘なんだねぇ」
 たださえ細い老婆の目がさらに細まり、何とも言えない笑顔になる。そこには歳を重ねた者だけに許される深い慈しみがあった。
 レイは目を閉じ、大きく首を横に振った。
「大丈夫。不思議なもので手を見れば分かるのさ。あなたの手はたくさんの苦労をしてきたいい手だよ」
「ただ、槍を握っていたから」
「それだけじゃないよ。それだけじゃね」
 そう言って老婆は深く肯いた。レイがゆっくりと自分の手を持ち上げ、不思議そうに見つめる。
「何を悩んでるのかは知らないけど、少なくともわたしはあんたを歓迎するよ」
 腰に手を当てた、ひときわ体格のいいおばちゃんがそんな声をあげる。
「そうそう。勝手に町を出ようたってすぐに捕まえてあげるよ」
「あんたみたいな娘を放っておけるほどわたしらは無慈悲じゃないからね」
「ここが嫌なんだったらウチにおいでよ。息子達が家出ちゃって寂しくてさ」
 驚きと戸惑いにレイの目が大きくなる。
 俺はベッドの上で苦笑いして、大切なことを思い出した。
 田舎の人間は基本的におせっかい焼きである。そして、この町の人間が特にそうだということを。
 俺が店を継いで一人暮らしを始めた時も、そこにクレアが加わった時も何かと世話焼いてもらったっけ。
 先程まで重たい空気さえ漂っていた室内がにわかに活気付く。その中心にいるのは間違いなくレイだった。
「大体、リードがトラブルに顔突っ込んで死にかけるのはいつもの事だしな」
「学習しないんだよな、こいつ」
「犬でさえお手くらいは覚えるってのに」
「うむ。どう考えてもリードが悪い」
「まぁ、ここは親子三代いつもトラブルの中心にいるような家系だし」
 そんな暴言もちらほら聞こえたが、耐えておく。
「そんなことより、あの娘が武器屋やってくれたら最高じゃないか?」
「いいな、それ。毎日通うね」
「俺なんか日に二振りバスタードソード買っちゃうね」
「じゃあリードいらないじゃん」
「何を今さら」
「そっかー」
 お前ら顔覚えたからな。怪我が治り次第一人ずついじめてやる。闇討ちだ、闇討ち。
 と、何かを感じ取ったのかクレアが俺の肩をぽんぽんと叩いた。
「色々あるよね、人生には」
「それはそれで腹立つ」
 クレアはいかにも悟ったような肯きを二つ残し、レイを囲む人たちの輪に入っていった。周りを囲む大人たちの後ろでぴょんぴょんと跳ね、お姉ちゃん、お姉ちゃん、と呼びかける。
 レイの前に立ったクレアが差し出した手には、小さなブルーの石が乗っていた。
 何かに気付いたような表情でレイがクレアの手からブルーの石を持ち上げる。石から細い、シルバーのチェーンが垂れた。
「お姉ちゃんにあげようと思って作ったの」
 クレアが照れたように笑う。
 クレアは、クレアなりにレイのことを考えていたってことか。
 手の中のブルーの石を見つめ、レイは何かに耐えるように唇を引き結んでいる。
「もらってくれる?」
 クレアの声は少し不安そうだった。クレア、心配しなくてもレイの表情はそうじゃないんだ。
 石を握り締め、レイが唇を震わせた。
「故郷を出るときに妹と約束したことがある」
 小さく首をかしげるクレア。松葉杖が床に倒れ、膝を折ったレイがクレアを抱き締める。
「もう、二度と泣かないと」
 そう言ってレイは肩を震わせて泣いた。嗚咽を漏らし、子供のように泣きじゃくる。レイは自分の事を普通の村娘だったと言った。それが優しさ故に槍を持ち、復讐者としての道を歩んできた。辛くなかったことなんて一つもないはずだ。
 故郷を出てからずっと堪えていた涙。好きなだけ泣けばいいと思うし、泣いてほしい。それで、昔の自分を取り戻せるのなら。
「商売人ってのは不思議なつながりを持っててさ、俺の知り合いにいい義足を作る職人がいるんだ」
 俺は人差し指で頬を掻いた。
「ゆっくりやろうよ」
 レイの嗚咽がひときわ大きくなる。綺麗な黒髪をクレアの手が何度も何度も撫でた。
 たまには大人が子供にすがりついて泣いてもいいだろ。
 少なくとも、ここにはそれを責める人間は一人もいない。
 どうやらレイにはもう少しだけこの町の一員でいてもらうことになりそうだ。

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