ニャンタロス星の方から来ました

ライン

 三島尚登は猫を一匹飼っていた。雌の三毛猫。名前はネム。いつも眠そうな顔をしているからそう名付けた。一緒に暮らすようになってもうすぐ一年になる。公園に捨てられていたのを拾って来た。地元の大学を卒業して上京、そして就職。一人暮らしの寂しさと仕事の疲れもあったのかもしれない。アパート住まいだが大家が動物好きなこともあってトイレの始末さえきちんとすれば飼っていいと言われた。
 そんな訳で土曜日の夜、六畳一間の真ん中に置かれたちゃぶ台の上には缶ビール。その脇にスーパーで買ってきた二割引きの総菜。ちゃぶ台を挟んで正面の台に置かれたブラウン管テレビには体を張った罰ゲームに挑む若手芸人達の姿が映し出されている。傍からは都会の孤独を体現したような様に見えるかもしれないが尚登はそれなりに幸せだった。缶ビールに口をつけ、総菜をつつき、たまに笑い、そしてあぐらをかいたその足の上にいるネムの頭を時折撫でる。気まぐれに喉を掻いてやるとネムはゴロゴロと喉を鳴らし、気持ち良さそうに目を細めた。そんなわけで尚登はそれなりに幸せだった。
 と、不意にインターホンが鳴り、足の間にいるネムが顔を上げて耳をぴくぴくと揺らす。どうせ布団やら浄水器のセールスに決まっている。無視したほうがいいだろう。そういえばこちらに引越してきてセールスが当然のように夜の八時九時に来ることに驚いた。尚登が育った田舎では考えられないことだった。
 再び一つインターホンが鳴る。無視を決め込んでビールを一口飲む。またインターホンが鳴る。無視を決め込んで箸で唐揚げをつまみ上げる。
 一時の間。諦めたのだろうか。と、いきなりばちばちっという音と共に赤い火花がドアの下半分から噴き出した。驚き、固まった尚登とネムをよそに火花はドアに正方形を描いていく。やがて火花は収まり、尚登が生唾を飲み下した時にはドアには綺麗な正方形の穴が開いていた。立ち上る白い煙と焦げの匂い。が、そんな事など別に驚くに値しなかったのだと尚登は次の瞬間思い知らされた。
「よっこいせ」
 軽い掛け声と共に何かが穴から部屋の中に入り込んでくる。それは一匹の白黒模様の猫だった。もっとも人語を話し、ゴーグルを掛け、腰のベルトに銃をぶら下げ、二足歩行する生き物を猫と呼ぶのであれば、の話だが。
 視界の端でビールの缶がかいた汗がつつりと流れる。ネムはとっくにテレビの上に避難していた。白黒猫は二本の後ろ脚で歩いて尚登の前まで来ると、ピンクの肉球がついた手で器用にゴーグルをはずして見せる。ゴーグルの下から現れたのはやはり普通の猫の顔だった。
「はじめまして三島尚登さん。わたし、こういう者です」
 そう言って穴の開いたドアをバックに当たり前のように名刺を差し出してくる白黒猫。言いたいことは山ほどあったがとりあえず尚登はその名刺を受け取った。
 ニャンタロス連邦宇宙政府 教育省 タムネスティアル・ロジャー・ルーリタン・ニャルル三世
 名刺から目の前の白黒猫に視線を戻し、尚登は自分でも分かるくらい間抜けな「はぁ」という声を漏らした。
「タマ、とお呼び下さい」
 ふさふさの胸元に右の前脚を置いて会釈するタマ。やはり尚登には「はぁ」という間抜けな声を漏らすことしかできなかった。
「驚くのも無理はありません。これが地球人にとっては二千年ぶりの異星人とのコンタクトになりますので」
「い、異星人?」
「はい。地球人が知らないだけでこの宇宙には様々な惑星があり、知的生命体がいます。ちなみにわたしはニャンタロス星人」
 正直にわかには信じられない話だった。だが実際問題目の前にいるのだから仕方がない。尚登は貰った名刺をちゃぶ台の上に置き、深く息を吐いた。
「で、そのニャンタロス星人がしがない地球のサラリーマンに一体何の用が」
「正確に言うと用があるのは三島さんにではなく、そこのテレビの上にいる同胞になのですが」
 そう言ってタマは十六型ブラウン管テレビの上でこちらを見下ろしているネムを見つめた。その顔にどこか困ったような表情を浮かべて。
「というと」
 生まれて初めて見た猫の困り顔に感心しつつも尚登は話を促す。
「実はですね彼らは遠い昔ニャンタロス星から旅立った移民の子孫なのです」
 言葉を切り、再びネムを見上げたタマがはぁぁぁ……と大きなため息をつく。
「どこか遠くの惑星で立派なニャンタロス文明を築いてくれているとばかり思っていたのですが」
 テレビの上でネムが大きなあくびを一つ。それを見たタマが「情けない」と言わんばかりにもう一つ大きなため息をついた。
「ここ数日同胞たちの姿を観察していたのですが文明を築くどころか教育も労働も放棄して一日中寝てばかり。あまりの情けなさに涙がこぼれそうです。これがあの誇り高きニャンタロス星人なのかと」
 カーペットの上に前脚をついて頭を振るタマ。俺はぽりぽりと首筋を掻いてネムを見上げる。誇り高き我が家のニャンタロス星人はすでに寝ていた。
「というわけで」
 うなだれていたタマがにゃっと顔を上げる。
「ニャンタロス政府は彼らに再教育を施す方針を打ち出しました」
「はぁ」
「堕落してしまった同胞を再び教育し、誇り高きニャンタロス星人の姿を取り戻させるのです」
 にゃにゃっと立ち上がったタマが肉球を振りかざす。尚登にはタマのバックに燃え盛る炎が見えたような気がした。そういうのは宇宙共通らしい。
「つきましては厳正なる審査の上ネムさんがモデルケースとして選ばれましたのでご了承願います」
 なるほど。それでこんな時間に人の家のドアにバーナーで穴開けてやってきたわけか。非常に納得できないが納得するしかないのだろう。尚登は口元を歪め、それでも仕方なしに口を開く。
「まぁ、ネムをいじめないってんだったら構わないけど」
「それはもちろん。懇切、丁寧、マッシヴがニャンタロス式教育のモットーですから」
 何か最後の方に余計なものがくっついているような気がしたがこれ以上話をややこしくするのもアレなので尚登は気にしないことにした。仮にネムが超姉貴になったとしても今までと変わらぬ愛を注ぐことを心中で誓う。
「では明日、お昼前くらいに来ますから」
 そう言ってぺこりと頭を下げるとタマは来た時と同じように「よっこいせ」とドアの穴から帰って行った。その穴から外の景色を眺めつつ、尚登はどんなスタイルで大家に土下座するべきか考えることにした。


「ただいまー」
 翌日曜日、夕方。ネコ缶と晩御飯の食材が入ったビニール袋を片手に尚登は自室のドアノブを引く。尚登がいるとネムの気が散るという事でタマによって追い出されていたのだ。ドアの穴をふさぐダンボールを気にしつつ靴を脱ぐ。すぐ足にネムがまとわりついてきた。ビニール袋を床に置き、ネムを抱き上げる。頭を包み込むように撫で、喉を掻いてやるとネムはごろごろと喉を鳴らして目を細めた。
 うい奴め。えぇのんか? ここがえぇのんかぁ?
 とエロ将軍のノリでネムの腹をもふりつつ尚登はテレビが置いてある部屋に顔を出す。と、そこで尚登が見たものはブラックホールだってもう少し明るいだろうと思われるほどの暗黒を背負ったタマの背中だった。
「た、ただいま……」
 躊躇いがちに尚登が声をかけるとタマは肩越しにこちらを振り向き、大きなため息をついた。
「あぁ……おかえりなさい」
「何かあったのか?」
 尋ねる尚登にタマは一度泣きそうな顔をし、がっくりとうなだれてしまった。それからぽつりと呟くように言う。
「教育以前に言葉が通じませんでした」
「あちゃー」
 と見えない扇子で額をぺしりと叩き、尚登はタマの隣にあぐらをかいて座る。いつもの定位置――組んだ足の上にネムを乗せ、尚登はぽんとタマの肩を叩いた。
「そう落ち込むなって。微笑みデブだって最終日にはウジ虫を卒業したんだ。大丈夫さ」
 ふと沈黙し、タマがぱちくりとした目で尚登の顔を見上げる。
「キューブリックならシャイニングの方が」
 ……見てんのかよ異星人。
 と心中でつっこむ尚登をよそにタマは首を横に振った。
「ほんとに、困りました」
「まだ初日だろ? そんなに焦らなくてもいいと思うけどな。それに君達の気持ちが分からないわけじゃないけど猫が地球に迷惑かけてるわけじゃないし」
「それでは駄目なんです!」
 不意に大きくなったタマの声に尚登は肩を震わせ、同時に足の上にいるネムが顔を持ち上げる。黄色い二つの目は大きく見開かれていた。
 三つ呼吸をするほどの沈黙があっただろうか。タマが慌てた様子で表情を改め、あははと笑う。
「すみません、ちょっと疲れたみたいで」
 よっこいせと立ち上がりこちらに向かって頭を下げるタマに尚登は唇を結ぶ。そんな尚登の表情から逃げでもするように「じゃあ、また明日来ますね」とタマはそそくさと部屋から出て行った。ゆっくりと閉じていくダンボールで穴が塞がれたドア。
 ふむ、と撫でた顎は日曜日の無精髭でざらついていた。

 ◆◇◆◇◆◇

 淡い光が照らす船内。無数のスイッチとディスプレイが配置された卓の前でタマは忙しく手を動かしていた。やがて正面に配置された一番大きなディスプレイに像が結ばれる。もう何度もこなしている業務とはいえ一日の内でこの瞬間が一番緊張する。
 母星への定時連絡。ディスプレイに映し出されたのは自分達が「将軍様」と呼ぶニャンタロス星の独裁者だった。銀色の長い毛並みに丸々と太った体。胸にはいくつもの勲章がぶら下がっている。豪奢な椅子に身を預けるその姿に向かってタマは深々と頭を下げた。頭を下げる角度が足りなかったゆえに同僚が粛清されたことは記憶に新しい。
「報告せよ」
 スピーカーからだみ声が響く。タマは一度生唾を飲み下し、真実を報告するべく口を開いた。
「この星の古き同胞に教育を施そうと試みましたが……言葉が通じませんでした」
「ほぉ」
 低く短い声。明らかに不機嫌なその響きに全身の毛が逆立った。
「つまりは、我らの地球侵略計画の尖兵としては使えんということだな」
「しかしまだファーストコンタクトです。これから段階を踏んで行けば」
「黙れ!」
 叱責の声にタマは反射的に直立不動の姿勢をとっていた。体にぴたりと付けた手が微かに震える。
「わたしに逆らう気か。そもそも機会をくれと言ったのは貴様ではないか」
 確かにそうだ。それは真実だ。自分は教育の力を信じたかった。
「もうよい。たとえ古き同胞と言えどもそのような怠惰な者達は我ら優等種族たるニャンタロスには必要ない。予定通り全ての『猫』を抹殺し地球侵略計画を遂行せよ」
 拒否権などありはしない。タマにはただ頭を下げて「了解しました」と言う以外になかった。
「なるほど、そういう訳だったか」
 声は不意に背後からした。驚きに顔を跳ね上げて振り返る。タマの目に映ったのはネムを胸に抱いて興味深そうにディスプレイを見つめている尚登の姿だった。
「どうして……」
「どうして? 矢追純一とたま出版が俺の育ての親。母船に戻る異星人の後をつけないとか考えられん!」
 そんなことを拳を握って力説する尚登。タマは手で顔をおさえて「にゃはぁ」と大きなため息をついた。好奇心は猫をも殺すという言葉が地球にはあるらしいが本当にその通りになってしまいそうだ。
 なんて自分の心配などどこ吹く風。尚登がこちらに向って一歩踏み出してくる。正確に言えばディスプレイの中にいる将軍様に向って、なのだろうが。
「地球人か」
「言うまでもなく。で、あんたさっきこいつを抹殺するって言ったよな?」
「あぁ、言った。そのような劣等民はニャンタロスの恥だ」
「あんたらにとって恥でも俺にとっては家族なんでね。認めるわけにはいかないな」
 尚登の台詞に将軍の口元が歪んだ笑みを形作った。
「家族。家族だと? この愚劣な生物が家族だと!」
「三島さん、逃げてっ!」
 そのいびつな将軍の表情を見た瞬間、タマは反射的に叫んでいた。あの表情の前に何人もの同胞が粛清された。が、間に合わなかった。尚登が「え?」と声を漏らすと同時に船内の一角から発射されたショックレーザーが彼の体を貫く。数秒の沈黙の後、意思を失った尚登の体はどさりと崩れ落ちた。床に倒れ伏した尚登の体を見下ろしタマは眉間に皺を寄せる。
「心配するな、殺してはいない。計画発動の前に事を大きくするわけにはいかんからな。だが……」
 そこで言葉を切り、将軍はどこまでも冷酷な瞳でこちらを見下ろしてきた。
「その劣等生物はこの場で貴様が処分しろ」
 そう言う将軍の視線が腰のベルトに提げられた銃に向けられていることはすぐに分かった。タマは小さく喉を鳴らし、ゆっくりと銃を持ち上げる。震える銃口を倒れた尚登の顔を覗き込んでいるネムに向けた。何かに気付いたようにネムが顔を持ち上げる。
「撃て」
 言うまでもなく拒否権などありはしない。タマはきつく目を閉じ、強張った手で引き金を引いた。

 ◆◇◆◇◆◇

 気が付くとそこは見慣れたアパートの一室だった。頭が重い。全身が痛い。記憶がはっきりとしない。それでも尚登はなんとかベッドからはいずり出し、台所へ向かった。冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出し一気にあおる。それで少しだけ体が落ち着いた。閉じられたカーテンの隙間から差し込む朝日。ジーンズのポケットに入っていた携帯電話を開くと月曜日の午前七時半だった。
 そしてふと気付く。ネムがいない。トイレ、風呂場、クローゼット、押入れ、すべて開けてみたがどこにもいなかった。焦りと同時に記憶が蘇ってくる。地球侵略。劣等生物。抹殺。携帯電話を片手に尚登には立ち尽くすことしかできなかった。
「まさか……ほんとに」
 そんな自分の声さえどこか遠くから聞こえてくるような気がした。


 この日、世界中のあらゆる場所であらゆる猫が姿を消した。人類がそれに気付くのにそれほど時間はかからなかった。それから七日間ほど人類は猫のいない世界を体験し――いなくなったときと同じように彼らはまた突然に戻ってきた。世界中に猫好きの歓喜の声が響き、また世界中に猫嫌いの怨嗟の声が響いた。もっとも、戻ってきた彼らにはある変化が生じていたのだがフィーバーの中それに気付く人間は少なかったし、気付いても気にする人間も少なかった。
 そして、彼の元にも。

 ◆◇◆◇◆◇

 深夜、コンクリートの廊下を音もなく歩き、懐かしいドアの前で一度立ち止まる。三秒ほどの間。髭をぴくぴくと動かした後で彼女はドアに開けられた正方形の穴をくぐった。ダンボールで蓋がされていたが片方しか固定されておらず、中に入るのに苦労することはなかった。懐かしい匂いを鼻で感じながらナツメ球によって薄暗く照らされた室内を進む。わずかに体を縮め――音もなくベッドに飛び乗った彼女は今まで生活を共にしていた、そしてこれからも生活を共にするであろう人間の顔を覗き込んだ。そこにはいつもと変わらぬ口を半開きにした彼の寝顔があった。
 彼女は布団の隙間から彼の胸元に潜り込み、体を丸めて目を閉じた。伝わってくる心地よい温もり。
 古き同胞は自分たちの事を愚劣な生物だと言った。学ぶことも働くことも放棄した怠惰な生物だと言った。まったくもって冗談ではない。ニャンタロス星から移民として地球に入植してから幾星霜。自分達が今の、ある種貴族階級にも似た地位を手に入れるためにどれだけ長い時間を費やしてきたことか。獣は狩られるものであるという概念を覆すためにどれだけの労力を費やしてきたことか。それを支配欲にとらわれたあげく抹殺、侵略とは浅薄にもほどがある。そりゃあ傍目には怠惰な生き方に見えるかもしれない。だが少なくとも独裁者を生み、武器を手に殺し合う様な事はしなくなった。我々は「猫」なのだから。そう、爪は隠すためにあるのだ。
 今回の彼らにはきっちりと再教育を施しておいた。母星に帰った者もいれば「猫」として地球に残る者もいる。そんなわけでいなくなった猫より戻ってきた猫の方が明らかに数が多いのだがそれを気にする人間はあまりいないだろう。少なくとも国家レベルで対策がとられる程度には。
 自分達の代わりに学び、働き、寝床と食事を提供してくれる。たまに人類のことを間が抜けてるなと思うことはあるが、なんだかんだ言って自分達は人類が好きなのかもしれない。ついでに地球という惑星も。
 明朝彼が目を覚まして自分が隣にいると知ったとき、彼は一体どんな顔をするだろうか。どんな声をかけてどんな風に頭を撫でてくれるだろうか。ネムはそれがとても楽しみだった。

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