猫と魔術

ライン

 その日の昼休み、ティアさんに連れ出された俺は図書館に来ていた。昨晩のことを話すと「あの子は連れて行かないほうがいいわね」と言われたため、左肩にアクロは乗っていない。隣の席に座っている後輩の女の子に預けてきた。
 紙の匂いが漂う小さな図書館のホール。昼飯時だということで俺とティアさん以外に閲覧者はいない。こんな時間にやってきた俺たちを、司書の女性がカウンターの奥から物珍しげに見ていた。
 そのホールで、ティアさんが一枚の紙を差し出す。受け取ってみると街報だった。街角に立てられた板に張られるあれだ。正確に言えば街頭情報紙になる。日付は七日前。こんな古街報がどうしたんだろうか。
「一番下の左隅の記事、読んで」
 言われるままにくすんだ紙に書かれた文字に目を落す。記事の内容は読んでいて楽しくなるようなものではなかった。
 賤民区に住む身寄りの無い十六歳の少女が、ナイフで首を突いて命を絶った。遺体は街外れの共同墓地に埋葬された、という訃報だ。
 だが普通賤民の身分にある者が自殺しても記事にはならない。おそらく「十六歳の少女」「ナイフで首を」の二つが人の目を引くと記事にした人間は思ったのだろう。そして実際人はこの手の記事を喜ぶ。
 それでもこの記事は街報の中で一番小さい。それが身分というものだ。
「この記事がどうかしたんですか」
 湧き出た微かな怒りをぶつけるように言う俺に、ティアさんはいつもと変わらない静かな声で答えた。
「昨日ここでその記事を偶然見つけて、気になったから調べてみたの。それで分かった事が二つ。彼女の名前と住所よ」
 役所には最終的な死亡届が提出される。職員ならそれを閲覧することもできた。
 しかしティアさんはこの記事の一体何が「気になった」のだろうか。俺には不幸で悲しい事件にしか思えなかった。
 それを訊こうと思った矢先、一人の男性がホールに入ってくる。続けて二人組みの女性。食事を終え、余った昼休みを図書館で過ごすつもりなのだろう。
「歩きながら話しましょ」
 ティアさんが俺の手から街報を奪った。
「行くわよ」
「どこに、ですか?」
 訊く俺にティアさんは街報を掲げる。
「彼女の家」
 街報を棚に戻したティアさんは俺に背を向けて歩き出した。
 一体何がどうなってどう関係しているのか、まったく分からない。今は考えるよりただティアさんについて行く事しかできなかった。

ライン

「何から話そうかしら」
 そう言ってから先を行くティアさんは立ち止まり、俺が隣に並んだところで話し始めた。
「まずあの記事について分かったことが二つ。住所はこれから行くからいいとして、名前ね。昨日の夜、私があの子に訊いたことは覚えてる?」
「ええ、リムフレイルって言葉に聞き覚えがあるかどうか、ですよね」
「そのリム・フレイルが命を絶った子の名前よ」
 驚きと疑問に自分でも目が大きくなったのが分かる。
「でも昨日は『言葉』だって」
「言ったわね。あれはあの子の心に触れてみるためにそうしたの。初めから『名前』って言ってしまったら、あの子の心を掴んでしまうおそれがあったから。些細なことかもしれないけど、心ってそれ程繊細なものだと私は思ってる。特にあの子の心はあやふやだから」
 心があやふやという言い方に多少引っかかったが「記憶」の言い換えだろうくらいに思い、それ以上尋ねることもしなかった。
「でも本当に大変だったんですよ、あの後」
「あら、被害にあったのはあなたの腕と睡眠時間だけでしょ。私としては上出来よ」
 すっとぼけた顔のティアさんに俺は乾いた笑みを漏らす。そう、上出来ですか。まったくこの人は相変わらずというか、何というか。
「あんな事になるなら対処方聞いておけばよかったと思いましたよ」
 昨晩、何かが起こるかも、とだけ言って帰ってしまったティアさんにちょっとだけ皮肉っぽく言う。
「どうせなら居てくれればよかったのに」
「セイル」
 唐突に名前を呼ばれ、俺は立ち止まってしまった。気が付けばティアさんも立ち止まっている。
 細い路地のまん中、真剣な表情で顔を見上げられた俺は戸惑った。怒らせてしまったのだろうか。ティアさんはほとんど俺の顔を覗き込むようにして立っている。漆黒の瞳に俺の顔すら映りそうな距離だ。
「これだけは覚えておいて」
 低く抑えた、悲しげな声色。
「心を救えるのは心でしかない。人間という不完全な存在が扱う魔法は万能ではないということ」
 そこで言葉を切ると、ティアさんはうつむき独り言のように漏らした。
「私がいても何もできなかった」
 普段とまったく違う、しおれた花のようなティアさんに俺は無言で立ち尽くしてしまう。路地を吹く風に揺れる綺麗な黒髪を見ていると妙な焦りすら感じた。
「分かりました」
 喉の奥から搾り出すように答えた俺に小さくうなずき、ティアさんは再び歩き出す。
 心を救えるのは心でしかない。
 ティアさんの後をついて歩きながら胸中で繰り返す。ただ繰り返したところでその真意は分からなかった。魔法に過剰な期待をする俺への戒めなのか、それとも魔法使いとしてのティアさんの心構えなのか。
 前を行く小さな背中は明確な答えを拒否しているようにも見えた。
 自分で考えなさい。
 そんな声が聞こえてきそうだ。
 やがて路地を一本奥に入ったところで辺りの様子が変わる。立ち並ぶ家の作りが粗末になった。生きているのか死んでいるのか、皮膚を患った犬が通りの隅で目を閉じている。辺りに積まれたゴミにはハエがたかり、微かな羽音が聞こえてきた。
 粗末な家も生きているのか死んでいるのか分からない犬も悪臭もゴミもハエも通りに座り込む無気力な老人の目も、俺にとっては少し前まで日常だった。俺はここで生まれ、育ち、親父を看取った。
 だが、もう俺はここの人間ではない。時折向けられる目は明らかに異物を見る目だった。賤民が平民区に住むことを許されていないように、平民が賤民区に住むことも許されていない。
 通りに座り込む老人に「俺も昔あなたと同じだった」と言ったところで、返ってくるのは友好の笑みではなく嘲笑だろう。それとも「金を恵んでくれ」と言われるだろうか。
「ここよ」
 ティアさんの声に俺は足を止めて目の前の家を見上げた。いや見上げる必要などない。少し目を上に向ければそれで十分だった。家というよりは小屋に近い。屋根の端は腐って黒ずみ、所々が欠落していた。蹴れば簡単に割れそうな板壁に黒く浮かんだ染みがじっと俺を見ている。
 染みどころか家そのものが俺を睨んでいるような気がした。この中で一人の少女が命を絶っている。その事実が俺をためらわせた。
 怖いわけではない。いたたまれなかった。
 一度振り返ったティアさんが確認でもするように俺の顔を見る。俺にはただ黙ってうなずき返すことしかできなかった。
 とてもドアなどとは呼べない板を引いて中に入るティアさんに続く。家の中は生臭く淀んだ空気に満ちていた。昼間だと言うのに薄暗い。壁や床に見える染みは恐らく血の跡だろう。
 少女は一体どんな思いでその手にナイフを握ったのだろうか。
 床の染みを見つめていると横たわる少女の骸が見えてきそうになって、俺は慌てて頭を振った。全身に鳥肌が立つ。
 そんな俺とは対照的に、ティアさんは家の中を調べでもするように歩き回っていた。この部屋にあるのは小さな机と椅子が一脚、それから簡素なベッドだけだ。ベッドには無数の黒い点がついたシーツがそのまま残されている。反射的に目を背けようとしたが、そのシーツを引き剥がしてベッドを調べ始めたティアさんに結局顔を背ける事はできなかった。
 床に肘を突いてベッドの下を覗き込むティアさん。まるで落した羽ペンでも探すような感じだ。感傷的になったりはしないのだろうか。
 ベッドの下に手を差し入れられた手が出てきたとき、そこには数枚の紙が握られていた。立ち上がったティアさんはしばらく黄土色をした紙を見つめていたが、やがて納得するようにうなずいて紙を丸めてしまう。
 宙に放り投げられた紙屑が激しい炎を上げたかと思うと一瞬で燃え尽きてしまった。後にはただ焦げた匂いが残るのみだ。灰すら落ちてこない。
 虚空を見つめるティアさんの目にはやはり何の感情も宿っていないように見えた。ただ小さく息を吐き、机に歩み寄る。
 引き出しを開けると、まるでそこにあるのが分かっていたかのように二冊の本を取り出した。一冊は黒表紙、もう一冊には表紙がない。紙の束を自分で綴じて本の形にしたものだ。
 表紙が無い方の本をめくるティアさんの瞳が左右動く。
「彼女の日記よ。読んで」
 日記を手渡すティアさんの顔に家に入ってから初めて表情が浮かんでいた。伏せがちの目はやるせなさの表れだろうか。とにかくそれが正の感情でないことだけは確かだった。
 開かれていたページから読み始める。小さ目の丁寧な字。
 だが、そこにはただ延々と賤民に生まれた自分を嘆き、悲しみ、全てを呪う言葉が記されていた。
 そして、ページを繰る度に彼女は壊れていく。
 まず己の周囲から目をそらし、自分から目をそらし、最後には全てからの逃避を望むようになっていった。ある状況から抜け出すには二つの方法しかない。状況を変えるか、そこから逃げ出すかである。
 十六歳の少女には状況を変えることはできず、また逃げ出す事もできなかったのだろう。日記の中でのみ彼女は自由だった。
 日記の中で彼女は一匹の猫になっていた。人からも社会からも解き放たれ、勝手気ままに街を歩く。食べたい時に食べ寝たいときに寝た。
 何物にも干渉されずに生きる猫は本当に幸せそうだ。
 それが、つらかった。
 自由を手に入れた代わりに孤独を背負った猫。何物にも干渉されないとはそういうことだ。それを幸せだと信じていた、いや、そう信じなければならなかった少女を思い、俺は唇を噛んだ。
 そして、ティアさんが俺をここに連れてきた訳が分かった。
「アクロは、この娘なんですね」
 日記を閉じ、傍に佇んでいるティアさんに目を向ける。ティアさんは一度床に視線を落してから答えた。
「アクロの一部が、ね」
 どういうことですか、と表情で問う俺にティアさんは思案するように目を細めてから説明してくれた。
「まだ、魔法が魔術と呼ばれていた時代の話よ。魔術師にゼロから使い魔をつくる技術はなかった。魔術には今の魔法のように技術的な体系もなかったし、分かりやすく言えば未熟だったのね」
 説明を聞きながら俺はとりあえず肯いてみせた。まぁ、魔法が使えない俺からしたら魔術も魔法もよく分からないけど不思議な力、でしかないんだけど。
「それで、魔術師たちは人の魂を動物に込める事で使い魔を作っていたの」
「は?」
 つい、強い口調で疑問符を発してしまう。だってそんなことをすれば……。
「そうね。魂を抜かれた人間は当然死ぬ。でも、彼らに拒否する権利はなかった」
 俺には黙ってティアさんの言葉を聞くことしかできなかった。次にティアさんの口から出る言葉がどんなものなのかは分からない。だが、自分が酷く怯えているということだけが実感としてあった。
「彼らが賤民だったからよ」
 薄暗い部屋の中がさらに暗くなったような気がする。重たい空気がぬめるように肌にまとわりつく。
「お金のために自ら魂を売る人もいた」
「嘘だ」
「史実よ。魔術と、そして魔法というものの歴史の一部」
 吐き出した息が酷く熱い。胸が痛かった。握った拳はどうすればいい?
 俺を落ち着かせるようにティアさんはゆっくりと息を吐き、続けた。
「もちろん今ではそんな事しないわ。魔法には人の魂を使わなくても使い魔を作れる技法があるし、使い魔自体が法律で禁じられているから」
 胸の下で腕を組んだティアさんが机上にある黒い表紙の本へ視線を移す。
 それは非常に嫌な黒をしていた。何百人分かの血が入った鍋に本を入れて煮込めばこんな色になるのではないだろうか。黒、というよりはドス黒い赤に見える。
「魔法に比べて魔術は未熟だと言ったのは覚えてる?」
 俺は黙ったまま肯いた。
「でも魔術には一つだけ魔法より優れてる点がある」
 言いながら唐突に膝を折ると、ティアさんは白く細い指の先でくすんだ床にそっと触れた。
 床を見つめるティアさんの目がわずかに細くなる。
「術陣と術符があれば才のない人にもある程度使うことができるの」
 こちらに向けられたティアさんの促すような瞳に俺も膝を折った。暗い中で目をこらせば確かに床に何か描いてある。
 炭で描かれたものなのだろうか。薄く黒い線を辿っていくと円が描かれていた。その中に見たこともないような文字や記号が規則正しく配置されている。ただ、手馴れた感じはしない。意味も分からずに書き写したであろうことはすぐに分かった。
「じゃあ、さっき燃やしたのが術符ですか?」
 今度はティアさんが無言で肯く番だった。透明感のある漆黒の瞳で俺を見つめ返し、ゆっくりと立ち上がる。衣擦れの音がやけに大きく聞こえた。
 ティアさんは黒い本を手に取ると、
「これが術符と術陣の写し元」
 つまらなさそうに言って燃やしてしまった。熱風が頬に吹き付け、前髪を揺らす。やはり後には灰さえ残らない。
 しかしこうも勝手に燃やしてしまっていいんだろうか。一応まだ警備所の管理下にあると思うのだが。
 当のティアさんはそれを気にする様子はまったくない。変わらぬ調子で話を続ける。
「テキスト……もう燃えてしまったけど、によると使い魔を作るのに必要な要素は」
 俺の目の前に拳が突き出された。
「術符、術陣、魂を差し出す人間、魂を受け入れる動物、これだけよ」
 言いながら指を一本づつ立てていき、最終的には四本の指が俺の前に並ぶ事になった。
「方法だって難しくない。術陣の中で人間と動物の決められた箇所に術符を貼り、人間が自ら命を絶つと同時に動物の命を絶つ。それで終り」
「だって、そんなの」
「あとは」
 言葉を継ごうとした俺をティアさんが遮る。
「人間と動物の魂が溶け合って使い魔の魂が出来上がるまでの七日間、半死半生の『人間でも動物でもないもの』に徹底的な教育を施すの。文字通り魂に刻み込む作業ね」
「それで、できあがりってわけですか」
 自分でも分かる。声が震えていた。命は野菜炒めじゃないんだ。そんな風に作るもんじゃないだろ。
 間違ってる。理屈もないくせにその答えだけは曲げたくなかった。
「落ち着いて聞いて。ここからが本題よ」
 唇を噛んでティアさんの言葉を待つ。高まりもせず、ただじらすようにゆっくりと打つ胸の鼓動がこの時は憎らしかった。
「あの子、アクロには誰も何も教えなかった。だからあの子は自分の主人が誰かも知らなかったの」
「じゃあ、あいつの記憶喪失って」
 ゆっくりと、だが確実にティアさんは肯いた。
「記憶を失ったんじゃない。始めからなかった。それが答え」
 言って嘆息し、目を僅かに伏せる。
「今あの子が持ってるのは人と猫が持っていた記憶の欠片よ」
 人、とはこの場所で命を絶った少女のことだ。
 猫、とは少女と共に命を絶った仔猫のことだ。
 アクロがお祈りや身分制度のことを知っていた理由が分かったような気がした。少女には身分制度を呪い、神様に祈る事しかできなかったのだろう。
 それがアクロに記憶として受け継がれている。
 自分の生い立ちを知ったとき、あいつはどんな顔をするんだろうか。
 過去が無い、と言われて喜ぶ奴なんていやしない。
 柔らかく、愛嬌のあるアクロの顔を思い浮かべ、俺は舌打ちしたい気分になった。
 どう伝えればいいのだろうか。
 言葉の引き出しの少なさ。情けなく、腹立たしい。
 気がつけばうつむき、汚れた床を見つめていた。
 そんな俺にティアさんの声がかかる。
「残念だけど、あなたが悩むのはそのもう一つ先」
 意味が分からなかった。ただ何となく声の調子と響きからそれが歓迎すべき事柄でないことだけは分かる。
 そして、顔を上げてティアさんの顔を見たとき、予感は確信に変わった。
 ティアさんは何かよくない事を言おうとしている。反射的に耳を塞ごうと手が僅かに持ち上がる。だが、ティアさんの目は怒るように、励ますように「受け入れなさい」と言っていた。
 手を諦めにも似た気持ちで元の位置に戻し、唾を飲み込む。針で刺されでもしたように喉の奥が痛かった。
「魔術は術符と術陣があればある程度は才のない者にも使える。でも、所詮はある程度でしかない」
 淡々と事実のみを伝える乾いたティアさんの声。釣られたのか、口の中が急速に乾いていく。
「不完全な魔術によって蘇生され、作り出されたアクロの身体と魂は……ほどなくして崩壊する」
 耳鳴りがした。甲高く、それでいて地を這うような酷く不快なやつ。
 船の甲板にでも立っているように地面が揺れ、視界までが歪む。痺れた顔面を片手で覆い、俺は頭を振った。
 崩壊。
 目の前にいる人は一体何を言っているのだろうか。
 そうか。崩壊、ってのは魔法の特殊な用語か何かで……思い、口を開きかけた俺にティアさんはやはり淡々と言った。
「あの子は死んでしまう。数日のうちに」
 床がさらに大きく揺れた。よろめき、あとずさった俺を薄い木の壁が支える。背を預けるには余りにも頼りない木の板。だが、預けなければ立っていられなかった。
 アクロが死ぬ。
 辛いとか悲しいとかではなく、ただ信じたくなかった。
 あり得ない。そんなことあっちゃいけない。
 だってあいつはまだ生まれたばかりなんだぞ。いい事も悪い事も何もしてないじゃないか。全部これからなのに。
「方法、あるんですよね」
 震えながらもきつい口調になる。否定されたくなかった。
 いつもと変わらぬ表情で俺を見つめたティアさんはゆっくりと首を横に振った。
「方法、あるんですよね」
「ないわ。何一つ」
 全てを切り捨てるように響いたティアさんの声に指先が震える。不意に、いつもと変わらぬ顔をしているティアさんが憎くなった。
 恐ろしく整った顔は高名な芸術家が魂を削って彫り上げた像のようだ。だが、触れれば彫像のように固く、冷たいのだろう。
 神様という名の芸術家に心までは彫れなかったようだ。
「平気そうですね」
 口元を歪める。
 俺の言葉にティアさんは少しだけ目を大きくすると、ぽつり、言った。
「そんな風に……見える?」
 俺から逃げるように顔を背け、ティアさんは一瞬だけ泣きそうな顔をした。
「ごめんなさい」
 詫びられた瞬間、俺はを食いしばり後頭部を壁に打ちつけた。鈍い音ともに重たい痛みが額に抜ける。
 目は閉じていた。ティアさんを見ることができなかった。
 最低だ。
 平気なわけないのに。ティアさんがそういう人じゃないことは分かっていたはずだ。
 どこまで馬鹿なんだ、俺は。
 閉じたまぶたの裏が熱くなる。
 泣く前にやることがあるだろ。そう言って自分を励ませる状況ですらないことに涙が出た。
 粗末な小屋の中。薄暗く、日は差さない。

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