妹と弟とシグ・ザウエルP226

 エピローグ

「ただいまー、おかえりー」
 正午過ぎの正門前、優奈と優希の声が見事にハモる。
 
ちなみに幼稚園からただいまー、会社からおかえりー、だ。
「おかえりー、ただいまー」
 笑顔で答えて膝を折り、俺は優奈と優希の頭に手を置いた。
 こうして二人の顔を見ていると心の底から安堵する。また生きて帰って来れたんだ、と思う。
 気が付くと俺は優奈と優希を抱きしめていた。温かくて柔らかくていい匂いがする。干したての布団みたいだ。
「お兄ちゃん」
 そんな何でもない呼びかけに、全身から緊張感が抜けていく。
「どうしたの? コレ」
 と言って優奈がいきなり俺の腫れ上がったまぶたをつついた。
「わぁっ! コラ、触るんじゃない」
 俺の慌て様が面白かったのか悪びれた様子もなく優奈はからからと笑った。
 これが子供の無邪気な残虐性ってやつか。やれやれ。感動の再会だってのに。

「ほんと、何かしらー」
「お前までやるなっ! ていうかあからさまに眼球狙いじゃねーかっ!」
 隣にいるスーツ姿のシャロンに怒鳴る。ちなみに俺も今は背広にネクタイだ。
「何よ。小粋なアイリッシュジョークじゃない」
「お前の国じゃパーティーの前に他人の眼球つついて笑うのか?」
「ごく稀に」
 ごく稀に、シャロン・オブライエンという女性が分からなくなる時があるが、決して俺のせいじゃないと思う。
「それよりも」
 言葉を切って咳払い。
「二人ともいい子にしてたか? 先生困らせたりしてないよな」
「優奈が男の子泣かしてムグ」
 今度は優奈が慌てる番だった。内部告発しようとした優希の口を手でふさいであははと笑う。
 元気がいいのは結構だがかなりのじゃじゃ馬になりそうだな、優奈は。
 口を押さえられてもぼーっと立っている優希は気のいいロバみたいだった。
「お兄さん、シャロンさん」
 この声も随分久しぶりに聞いたような気がする。俺とシャロンは立ち上がり、声の方へと向き直った。
 春風に揺れる黒髪は相変わらず見るものを魅了する。何よりも桜がよく似合いそうな、そんな髪だ。
 ごく個人的な意見だけど。
 先生は泣いていた。
 俺とシャロンは顔を見合わせて微笑を交し合う。
「先生からの依頼、完了しました」
「依頼料はスイス銀行の秘密口座へ」
「ないない。あー、後で振込み先教えますから無理のない程度に払ってください。でも」
 そこで切った俺のセリフをシャロンが引き継ぐ。
「途中で逃げたりしたら……分かるでしょ」
 シャロンがニヤリと笑った。
「はい」
 返事をして先生も涙に濡れた目を細める。どうやらこれで一件落着といったところかな。
 昨日の朝からほんっとに長かった。あとは楽しい楽しい誕生日のパーティーを残すだけだ。
 あっ、そうか。
「今日の夜二人のパーティやるんだけどどう?」
 でシャロンを見て、
「ですか?」
 で先生を見る。どうせ勢いで三人じゃ食べきれないほどの料理を作るんだ。だったら来てもらった方がいい。
 人は多い方が楽しいしな。それにちょっと思い出した事もあるし。
「じゃあ、せっかくだからお伺いしますね」
 先生からは色よい返事がもらえた。その一方、シャロンはあまり乗り気じゃないようだ。
「今日はさすがに疲れたし、それに私がいると何かと邪魔だから」
「邪魔? 何で」
「あなたはもう少し色々と敏感になった方がいいかもね」
 シャロンが浮べたいたずらっ子のような笑みに何の意味があるのか、結局俺には分からなかった。
 何はともあれ、帰ってケーキを作らなきゃな。



 テーブルの上に並ぶ料理の数々。我ながら見事な出来栄えだ。
 その真ん中に鎮座しているケーキのデコレーション中に二度ほど寝そうになったのは俺だけの秘密として、料理に向けられる優奈と優希のきらきらとした瞳が実に気持ちいい。
 どうだね。お兄ちゃんだってコレくらいの事はできるのだよ。
 と、ありもしない髭を引っ張っているとチャイムが鳴った。どうやら最後のゲストが来たようだ。
 優奈と優希が椅子から飛び降りて玄関へ走る。この時ばかりは優希の方が少しばかり反応が早かった。
 ややあって小さな紳士にエスコートされた先生がダイニングに登場する。
 うん。スカートもまたいい。
「おじゃまします。あ、これ、ミートパイを焼いたんですけどよかったらどうぞ」
 先生が紙袋から取り出したパイは涎を誘発する匂いをこれでもかというくらいに放出していた。
 そういやパイ系の料理は作ってなかったな。今度先生に習ってみようか。
 ん、待てよ。と俺が抱いた疑問を察したのか、先生が少し恥ずかしそうに言った。
「オーブンはお隣さんに貸してもらったんです」
「あっ、あぁ、そうですか。その、電化製品もおいおい揃えなきゃいけませんね」
 間の抜けたセリフだ。フォローになってないし。
「ねぇ、早く始めようよ」
 俺が頭を掻いていると優奈に袖を引っ張られた。そうだな、お腹もすいたしそろそろ始めるか。
「はい質問。誕生日のパーティーで一番最初にすることは?」
「ろうそくー」
 優奈と優希が一緒に答える。
「よくできました」
 俺は用意しておいたロウソクをケーキに立て始めた。優奈の分が五本。そして優希の分も五本。
 最後に少し大きいロウソクを二本と普通のやつを二本加える。
「少し多いよ」
 優希が不思議そうな顔で俺を見上げた。
「いや、これでいいんだ。ちなみにこの少し大きなロウソクは一本で十歳だからな」
 そう言って俺は先生の方を見やる。
「おめでとうございます、先生」
「うそ、せんせいも同じたんじょう日なの?」
 興奮したのか優奈がぽん、と手を打った。
「本当はもう一週間と少し先なんだけど、一緒にお祝いしてもいいかなと思って」
 ライター片手に優奈を見やる。
「迷惑でした?」
「そんな。嬉しいです、とっても」
 少しうつむいて微笑む先生に俺はほっとした。
「でも、どうして私の誕生日をご存知なんですか?」
「会社の資料に書いてあったんです」
 先生が「あぁ」と肯く。納得してもらえたようだ。
 俺はライターに火をともし、ロウソクへと移していった。それからおもむろに灯りを消す。
 十四の小さな光がぼんやりと闇を切り取り、いくつもの揺れる影を作り出した。
 橙色の暖かい光に照らされた優奈、優希、先生、みんな笑顔だ。もちろん俺も。
 優希、あんまり顔を近づけると髪の毛焼けるぞ。
 さて、いつまでもこうして眺めていたいがそういうわけにもいかない。
 お腹がすくし、何よりケーキがロウだらけになってしまう。
 俺は小さく喉を鳴らして歌いだした。

 ハッピバースデートゥーユー ハッピバースデートゥーユー
 ハッピバースデーディア……ふと考える。
 俺以外ー
 ハッピバースデートゥーユー

 歌が終ると同時に三人がロウソクの火を吹き消した。暗闇の中に四人分の拍手が響く。
 再び電灯が灯るまでの短い闇の中、優奈と優希と俺と三人で暮らすようになってから今までの事がふと思い出された。
 本当に色々な事があったし、これからもまた色々な事があるだろう。不安でもあるし楽しみでもある。
 でも元気に育ってくれればそれでいい。二人が元気なら俺も元気でいられるから。
 って、何だか親みたいだな。
 笑いながら電灯のスイッチを入れる。さぁ、パーティーを始めようか。

 

 

 結局、先生には食器洗いまで手伝ってもらってしまった。
 ゲストにそんな事をさせるのは気が引けたが、さすがに今日は少しばかりきつかったので好意に甘えることにしたのだ。
 申し訳ない。今度先生の家でお皿洗います。
 ちなみに優奈へのプレゼントは大きなクマのぬいぐるみ、優希へのプレゼントは画材一式だった。
 もちろんそれぞれが望んだ物だ。今ごろ二人は夢の中だろう。
 時計を見上げれば午後十時。しかし本気でハードだった。
 こうしてソファーで先生と並んでコーヒーを飲んでいても一瞬で意識が飛びそうになる。
 俺はその度に頭を振って目を覚まさなければならなかった。というのも先生に渡す物があったからだ。
 俺は二枚の書類を取り出し、先生に手渡した。それぞれ借金と生命保険の契約書だ。
 今日の午後、会社の方に送ってきたらしいので取りに行って来た。
 二枚の契約書をじっと見つめる先生。何を思っているんだろうか。
「どうします? ぱっと焼いちゃいますか」
 ライターの火を点けたり消したりしながら俺は笑った。少し戸惑ったようだが、先生も「はい」と微笑む。
 客用に置いてあるガラスの灰皿を引き寄せる。その中に二枚の契約書をそっと置く先生。点火。
 小さな火が少しずつ契約書を黒い灰に変えていった。
 やがて細く白い煙を残して二枚の契約書は完全に燃えてしまう。
 俺と先生はしばらくその糸のような煙を黙って見つめた。見つめているうちに視界がだんだん狭くなっていく。
 あ、やばい。
「お兄さん」
 呼びかけられ、慌てて目を開く。
「あの、これ」
 そう言って先生が差し出したのは一枚のハンカチと二つのお守りだった。見覚えのあるハンカチは俺のだ。
 そういや返してもらってなかったっけ。ボロだし、別によかったのに。
 そう思いながらも受け取ってしまう。ハンカチはきっちり洗濯されていた。
「お守りはお兄さんとシャロンさんに。気休めにもならないかもしれませんけど」
「ありがとうございます。きっと喜びますよ、あいつも」
 先生に向かって頭を下げる。こういう心遣いは単純に嬉しいし、何より先生の優しさが心に沁みた。
 先生は膝の上で組んだ指を一度見つめてから俺に視線を向ける。
「あの、今日は本当に嬉しかったです。今年の誕生日にはこの世にいないって思ってましたから」
「いや、大した事してないですし」
 先生の笑顔に照れながら手にしていたコーヒーカップをテーブルに戻す。
「お兄さんは、今のお仕事続けられるんですよね」
「そうですね。両親が見つかるまでは」
 いや。
 震える腕で俺に銃を向けた男の姿が脳裏をよぎる。
「両親が見つかっても、もう戻れないかもしれません」
 俺は人間を殺し過ぎた。これからもその数は増えていく。もちろん平気なわけじゃない。
 でも、夜眠れないほどの罪悪感にさいなまれたのは五人までだった。だから、多分もう戻れない。
 そんな俺の顔を見ながら先生は一度唇を引き結ぶと、やがて思い切ったように口を開いた。
「私はシャロンさんのように鉄砲を撃ったりはできないですけど、お料理とか、お洗濯とか、家のことならお手伝いできると思うんです。だから、本当に遠慮しないで言って下さい。私にできることだったら何でも……します……から……」
 段々と先生の声が小さくなっていく。それとも俺の意識が遠のいているんだろうか。
 何か柔らかくて温かい。
 気が付けば俺は先生の肩に体を預けてしまっていた。慌てて背筋を伸ばし、目を開ける。
「すいません」
 と言ってる傍から意思に反して俺の体は揺れ始めた。
 その時、かすかな笑い声と共にすっと伸びてきた何かが俺の体を倒してしまう。
 一度倒れてしまえばもう起き上がれない。
 俺を倒したのが先生の腕であり、俺の頭の下にあるのが先生の膝だとしてもだ。
「あの」
「眠って下さい。私は構いませんから」
 優しい先生の声。
 仕事の事、この状態の事、親父の事、思う事は色々とある。
 でもそれは目が覚めて、顔を洗ってから考えてもいいはずだ。とりあえず今は気持ちいいんだから。
 頬に柔らかな温もりを感じながら、俺は深い深い眠りに落ちていった。

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