妹と弟とシグ・ザウエルP226
   

 6

 一時間後、お世辞にも広いとは言えない室内には異様にぴりぴりとした空気が充満していた。
 俺とシャロンの間に先生が座り、ちゃぶ台を挟んで総勢六名の金融業者が身を寄せ合ってこちらを睨んでいる。初めは皆子分を引き連れて入って来ようとしたが部屋の広さがそれを許さず、結局子分は外で車番、各社代表一名ということになった。
 なお、うち三人がやたらと怖い顔をしているが、シャロンの「ぼけ」「かす」「うっさいはげ」などの電話口での応対については俺の関知するところではない。
 それにしてもどいつもこいつも煙草臭い。スーツと口に臭いが染み込んでしまっているのだろう。
「クリーニング代出してやるから何とかしろ」と本気で言おうかと思った。
「それで、どういうことだ。あ?」
 一人が身を乗り出し、先生を下からチンピラ特有の目付きで睨む。もちろん口は半開きだ。
 息を飲んで肩を震わせた先生に目で「大丈夫ですよ」と言ってから俺はシャロンが持ってきた二枚の書類を六人の前に差し出した。 十二のけったいな瞳がちゃぶ台の上に向けられる。
「この表からも分かるように、先生は利息制限法どころか出資法の定める年二十九・二パーセントをはるかに越える利息を払わされている。それでだ、払うもの払って返すもの返してもらって今日この場で終りにしようと思ってな」
「終りだぁ」
 また別の一人がすごむ。
「そう。終り」
 俺は軽く受け流し、具体的にどこへ幾ら払い、どこから幾ら返させるのか事務的に述べた。
 途端に六人が殺気立つ。
 まだこれから先生にたかるだけたかって最後の一滴まで搾り取り、あわよくば自分もおいしい思いをなどと考えていたんだろうが、冗談じゃない。
 俺たちが関わったからには、きっちり先生を守らせてもらう。
「おとなしく返した方が得だと思うけど」
 シャロンの声はいつもより低く、鋭かった。
 室内に沈黙が落ちる。
 外を走るスクーターの音がそこに割り込んできた。排気音が刻む妙なリズム。
 多分近所のちょっとやんちゃな子供だろう。
 目の前の六人は何を言うでもなく互いに顔を見合わせ、やがて最年長とおぼしき男が口を開いた。
「先生、あんた何がなんでも払いますって言ったよな」
 低く、厚みのある声が室内の空気を重くする。
「はい」
 先生の声はその空気に押しつぶされてしまいそうなほど細かった。
 だが瞳は逃げる事なくまっすぐ男達を見つめて、いや、睨んでいる。
 これほど厳しい先生の表情を見たのは初めてだ。
 膝の上で二つの拳を握った先生は息を吸い込み、それを言葉にしてはっきりと吐き出した。
「確かに返済はお約束しました。ですが、違法な利息分はお支払いできません」
 と、耳に障る高い声で一人の男が笑い出した。
「怖いねぇ最近の素人は。借りるときはどんな暴利でも構いません。返すときは暴利だから返せません、か」
 そう言って男はまた高い声で笑った。
 男の言葉に前を向いていた先生がうつむいてしまう。人が良すぎるのか「一理ある」と思ってしまったらしい。
 だが男の言葉は詭弁でしかない。
 人殺しに「お前だって虫の一匹や二匹殺したことがあるだろ」と非難されているようなものだ。
「馬鹿言ってんな。利息制限法はともかく出資法を違反した金利で契約を結んだ時点で違法行為なんだよ。ガタガタぬかすな」
 語気を強め、言う。
 ちなみに利息制限法には罰則規定がない。債務者の支払い義務がなくなるだけだ。だが出資法に違反すれば三年以下の懲役もしくは三百万円以下の罰金を払わねばならない。
「違法行為、ねぇ」
 もの凄くつまらない映画の感想を述べるような口調で別の男が漏らした。
「兄ちゃんバカだろ。ヤクザに法律が通用すると思ってんのか」
 男の薄ら笑いに、血液の温度が五度くらい上昇する。
「それじゃこれからも夜討ち朝駆け張り紙職場訪問ときっつい追い込みかけるから、楽しみにしてろや」
 そこで六人が一斉に笑う。
 交渉決裂。
 だが頭の片隅ではこうなるんじゃないかと予想はしていた。
 シャロンの顔を盗み見る。憤怒の表情こそ見せていないものの、まとっている空気は明らかにキレていた。
 どうやらシャロンの方は準備ができているようだ。
 いいだろう。上がってやるよ、無法と暴力の土俵に。
 気を抜き、余裕の体で煙草に火を点ける男達に向って、俺は鞄から取り出した二丁のサブマシンガン、イングラムM11を向けた。
 併せてシャロンが懐に吊った二丁のグロック26を音もなく抜き去る。
「命中精度は高くないが、この距離なら関係ない」
 硬直する六人の男達。
 だがその直後、室内に男達のバカ笑いが響き渡った。
 どうやら硬直していたのではなく、きょとんとしていたようだ。
「に、兄ちゃん、ガンマニアか?」
「バッカ、学がねぇな。最近じゃミリタリーオタクって言うんだよ」
 かなりどうでもいい訂正の後、笑い声が一段と大きくなる。
 確かにこのイングラムがモデルガンなら俺はただの馬鹿野郎だ。笑われても仕方がない。
 こんな「兄ちゃん」が実銃なんて持ってるわけがないという先入観は分からないでもないが。
「ねぇ、もう撃ちゃってもいいと思うんだけど。急所は外して」
 見れば眉根を寄せて、シャロンはかなりうんざりした顔をしていた。
 俺は唾を飲み込み、最後の意志確認をする。
「取り立てをやめる気は無いんだな」
 俺の問いに男達が返したのは人を馬鹿にしきった薄ら笑いだった。どうやらこれ以上は無駄らしい。
 俺は一度目を閉じ、グリップを握る手に力を込めた。人差し指がトリガーの冷気を感じる。
「撃てよ」
 まだ俺たちが手にしている物がモデルガンだと信じて疑わない。
「撃てつってんだろうがっ!」
 一人の男がちゃぶ台を強く叩いた。
 次の瞬間、男の手をシャロンのグロックが押さえ付ける。
 くぐもった破裂音。
 弾丸が9ミリの風穴を男の手に開け、血と硝煙の臭いを撒き散らした。
 喉の奥からひび割れた叫び声を発し、手を押さえた男がのたうちわまる。
 呆然とした表情でシャロンを、グロックを、そしてのたうつ男を見つめる五人。さすがに今度は硬直したようだ。
 反応は外にいる子分たちの方が早かった。悲鳴を聞いたのか、怒声と共に土足で踏み込んでくる。
「兄貴! テメェ!」
 叫び、先頭切って駆け込んできた男が手にしていた銃を構えた。
 だが遅すぎる。
 シャロンは眉一つ動かさず、両手の銃で男の手と肩を撃ち抜いた。
 新たな悲鳴、と同時に血の臭いが濃さを増す。指の一本や二本は吹き飛んだだろう。
 子分どもの殺気が一気に膨れ上がる。
 俺たちを狙う銃口。投げ捨てられるドスの鞘。
「FREEEEEEEZE!」
 その時、シャロンの声が爆発した。
 男達にその意味は分からなかっただろう。
 だが油田火災を鎮火させるダイナマイトの爆風のように、シャロンの一声は部屋に充満していた殺気を一瞬にしてかき消してしまった。
 その声の大きさに驚き、鋭さに恐怖したようだ。
 撃たれた男達でさえ呻き声を潜め、じっと手を押さえている。
 正直、俺もちょっと怖かった。
 時が止まったような沈黙の中、シャロンは一度これみよがしに舌打ちをすると、俺に視線を送ってきた。
 さっさとやる事をやれ。でなければ殺す。
 仲間の俺にさえそんな物騒なメッセージを受け取れそうなほどシャロンの目はやばい。
 俺は少し焦って頷くと喉を鳴らし、口を開いた。
「お前たちに与えられた選択肢は三つだ。二度とはるか先生に関わらないことを誓い、返金に応じるか、ウチの弁護士と法廷で争うか、この場で死ぬか」
 子分たちがざわめく。
「一分あげる。それを過ぎたら十秒ごとに一人殺すから」
 ざわめきが大きくなった。
 しかし何てセリフだ。まるっきりテロリストじゃないか。
 ……まっ、似たようなもんか。
 ふと思い自嘲ぎみに薄く笑う。それがまた不気味に見えたのか、ざわめきはさらに大きくなった。

「十秒経過」
 シャロンのカウントに正面の男達が互いの視線を交差させる。
 もうここまでくれば答えは決まっている。あとは誰が一番最初に手を挙げるか、だ。
「二十秒経過」
 言うやいなやシャロンがグッロクのトリガーを引いた。破裂音が沈黙を破り、血に汚れた銃が畳の上に落ちる。
「馬鹿なことは考えないように。そろそろ手元が狂って頭に当たるかも」
 また一人指を失った。
「三十秒経過」
「お前ら……どこの組のモンだ」
「ヤクザじゃないさ」
「イタリア系……マフィアか」
 そう言った男の目はシャロンに向けられていた。反射的に笑ってしまう。ちょっと短絡的だな。
 シチリアの極道なら初めから皆殺しだ。
「四十秒経過」
「只の社員だよ。警備会社のな」
 言い終わると同時に四人の男が一斉に鞄から金を取り出し、ちゃぶ台に乗せる。男達の顔は引きつっていた。
 幽霊に出会うと人間はこんな表情をするんじゃないだろうか。
 即ち、関わってはいけないものに関わってしまった。
「先生、残りの支払いを」
 俺の呼び掛けに、こちらも妖怪とでも出会ったように息を飲む。
 その震えが俺のスーツをつかむ先生の手から伝わってきた。
 先生は震える足で本棚に歩み寄ると、財布を手に戻ってきた。やはり震える指で数枚の千円札とコインを取り出し、支払いが終わってなかった業者に差し出す。
「五十秒経過」
 まず手を打抜かれた男が最後の支払いをつかみ、はいつくばるようにして逃げ出した。
 それを合図に全ての男が玄関に殺到する。
「一分経過」
 とシャロンが言う頃、部屋に残っていたのは俺とシャロンと先生だけだった。
「忘れ物よ」
 シャロンが落ちていた銃を玄関から外に放り投げる。
 やがて思い切り車のドアを閉める音と明らかに上まで回っているエンジン音がして辺りは再び静かになった。
「あっ、張り紙剥がさせるの忘れた」
 イングラムにセーフティーをかけ、鞄にしまう。
「我社のネームバリューも結構すごいじゃない。だてに一部から米軍よりタチが悪いとか言われてる訳じゃないのね」
「でも初めから出しても信じないだろうな。ほとんど都市伝説みたいなもんだし」
 そう言ってほほ笑んだ俺は先生の方に向き直った。
「すみません。お騒がせしました」
「いえ……」
 と何ごとか言葉を継ごうとした先生の体が不意に倒れかかってくる。慌てて先生を支え、俺は息を吐いた。
 柔らかく細い腕。つい触れてみたくなる黒髪からは優しいリンゴの香りがする。
「少し休んでいて下さい。張り紙、剥がしてきますから」
 高鳴る鼓動を抑え、俺はそそくさと立ち上がった。
「私もこれ、固まる前に拭かないと」
 畳の上にできた血痕を見ながらシャロンが苦笑いする。
 かくして俺とシャノンはそれぞれの清掃作業に取りかかった。

 

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