空想都市企画  俺と君と世界の繋がり  1  時は十二月二十三日。赤服ともみの木と玩具屋とケーキ屋とホテル屋がドリームチームを結成し独り身の首を狩りに来る邪教の祭り前夜祭まであと一日と迫った今日この頃、俺は大学の生協の前で何となく空を見上げていた。  寒さにかじかむ手を安物のコートのポケットに突っ込み、鉛色の雲に向かって白い息を吐く。周囲から聞こえてくる楽しげな男女の声。クリスマスを前に大学構内は完全に浮き足立っていた。  まぁ、俺たちの年代のためにあるイベントみたいなもんだし、仕方ないといえば仕方ないか。もっとも、俺のためにあるイベントではないのがちと悲しいが。気が付けば四年生。卒論もあらかたまとまったし、ありがたいことに就職も決まった。春になる前にはこの街を去り、故郷の小さな法律事務所で働くことになっている。そんな、ちょっとした空白の時に訪れる学生生活四度目のクリスマス。二度あることは三度ある、と言うが三度あることは四度あるらしい。  要するに、今年も俺は独りだった。  友達がいないわけではない。だが彼女がいる奴等を飲みに誘うのはさすがに気が引けるし、彼女がいないやつらにしたってクリスマスに男と酒など飲みたくないだろう。俺からは誘わないし、実際相手からも誘ってこない。クリスマスが終われば忘年会の話とかも出るんだろうけど今は大人しくしてなければならない時期なのだ、独り身にとっては。  口元を苦く緩めて少しだけ長い瞬きをする。吹き抜けた寒風が並木を揺らす音。その冷たさに耳が痛くなる。  寂しくないと言えばそれは嘘だった。大学構内で楽しそうなカップルを見かけて下唇をかみたいような気分になったのも一度や二度ではない。だが生来の正確なのか、どうにも女性と話をするのが苦手だった。話したいと思う気持ちはあるのに。  でもまぁ、デートする金もないしな。  ポケットの中、指先で触れた小銭が鳴る。父親が病気がちである我が家は正直あまり裕福ではなく、大学にも奨学金をもらって通っている身だった。当然仕送りなどない。バイト代のほとんどは生活費に消えてしまう。  だからきっと女の子は楽しくない。  もうやめよう。鉛色の空を見ながら暗いこと考えてたらほんとに気が滅入ってしまう。帰ってカップラーメンでも食おう。  と、前を向いて歩き出そうとしたときだった。灰色だけだった視界の端に不意に鮮やかな色が生まれる。鳥か? と思いつつ視線を向けた俺の目に映ったのはこちらに向かって空からまっ逆さまに落ちてくる女性の姿だった。  何かを考える余裕などない。体は避けることよりも受け止めることを選択していた。腕を伸ばし女性を抱き止める。どん、とバスケットボールを投げられたほどの衝撃があって俺は女性を抱いたまま背中から地面に倒れこんでしまった。  地面に倒れこんだまま短く声を漏らす。混乱は後からやってきた。どこから落ちてきた。自殺? なぜ自分は無事なんだ。思えば間違った選択だった。衝撃が少なすぎる。など、思考の断片が頭の中を好き勝手飛び回り、形を成してくれない。ただ荒れた呼吸と鼓動、そして冷や汗にぬれた背中だけが正直にこの不測の事態に対して驚きを表していた。  深呼吸しようと大きく吸い込んだ息と共に柔らかい香りが鼻を抜ける。自分の手が触れている女性の肩の柔らかさに戸惑いつつ、俺は「あ、あの……」と声を漏らした。  反応はない。よく見れば女性は妙な格好をしていた。青、と言っても絵の具の青ではなく、海の青色のワンピース。両手首には赤い石が嵌め込まれたブレスレットを着け、額には何やら見たこともない記号が掘り込まれたバンドが巻かれている。何と言うか、一言で言うなればゲームかアニメの世界から抜け出してきたような格好だった。  長く伸ばされた銀髪は一房だけが金管で束ねられている。その髪の間から伸びた長い耳。どうもこの女性はいわゆるエルフのコスプレをしているらしい。確かにウチの大学にもその手の同好会はある。あるが、どうにもこの女の子は違う。そう考える根拠は一つ。あまりにも可愛いのだ。噂になってなければおかしいほどのレベルで。  伏せられた瞼の間から覗く長い睫毛。真っ直ぐに通った鼻筋の下、わずかに開かれた唇につい見入ってしまう。綺麗よりも可愛い。ただそれ以上に雰囲気と言うか、身に纏っている空気が違うのだ。異国よりもさらに遠くを想像させずにはいない。 「大丈夫?」  声を大きくして呼びかける。それでも女の子は反応しない。肩をゆすっても反応しない。  ちょっと……本格的にまずいんじゃないだろうか。かわいさに感心してる場合じゃない。頭でも打ったか。  俺は救急車を呼ぶべく携帯電話を取り出した。遠巻きに見ていた他の学生たちもざわめき出す。その時だった。不意に女の子が着けているブレスレットの赤い石が明滅を始める。  刹那、地面からとてつもない量の光が垂直に立ち上った。反射的に目を閉じたものの光は瞼の上から容赦なく眼球を痛めつける。  巨大な懐中電灯のまんなかに立たされたらこんな感じなんだろうか。目じりから流れた涙を手の甲で拭う。と同時に意識が混濁した。支えられなくなった体が地面に倒れていく。それをどこか遠くから見ているような感覚。  完全に気を失う寸前。九十度回転した視界の中で俺がみたものは、地面に描かれた円とそれに沿って記された奇妙な記号の羅列だった。  2  ぼやけた視界に最初に映ったのは無数の縦線だった。それが畳の目だと分かるまでたっぷり十秒はかかったと思う。脳みその代わりに漬物石でも詰められたような感じがする頭を持ち上げて辺りを見回す。薄暗く狭い六畳一間にぼんやりと浮かび上がる本棚。文庫本が前後二列にぎっしり詰められ、それでも入りきらなかった分は床に積まれている。それだけでここが自分の部屋だということは分かった。  夢だったんだろうか。  畳に肘を突いて上半身を持ち上げる。が、自分のすぐ隣で横たわっている女の子のワンピースのスリットから覗く太ももが目に入った瞬間その可能性はあっさり崩れ去った。  男の性とはいえ悲しいものがあるが。  この女の子は誰なのか。なぜ空から降ってきたのか。なぜ大学の生協の前にいた自分が自室に戻ってるのか。疑問は山ほどある。しかしとにかく先に女の子の無事を確認することが先だろう。いくらかわいくても死体じゃ話にならない。 「大丈夫? 分かる?」  声をかけながら女の子の肩を揺する。 「ん……あ……」  発せられた声にとりあえず俺は息を吐く。まだ命の方は大丈夫らしい。 「大丈夫? 救急車呼ぼうか?」  俺の問いかけに女の子が顔をこちらに向け、わずかに目を開いた。透き通ったエメラルドグリーンの瞳が瞼の間から覗く。やっぱり日本人じゃないんだろうか。 「ここ、どこ……ですか」 「俺の部屋。大丈夫? 病院行った方がよさそう?」  女の子はしばらく半分眠ったような顔で俺を見つめていたが、やがて目を閉じるとゆっくり体を起こした。衣擦れの音。それだけで部屋の空気が動き、胸の奥が痛くなるような香りがする。  片手で顔を押さえ、女の子が眉間に皺を寄せる。頭痛がするのだろうか。しかしそれも数秒のことだった。女の子は多少の疲れは見えるもののしっかりと覚醒した目で俺を見据える。 「ここは、なんという世界なのですか?」 「は?」  ガラスのベルの様に澄んだ声に感動する暇もなく聞き返してしまう。 「いや、あの……え?」  意味が分からない。それともからかわれているんだろうか。そういや何か格好もそれっぽいし、そういうなりきり遊びとか。いわゆる濃いオタクさんの。もしかして自分はとてつもない爆弾と一緒にいるのではないだろうか。そんな不安が心をかすめる。それともやはり頭でも打ったか。 「あの、この世界の名前です。ありませんか?」  俺の不安が伝わってしまったのか、女の子が幾分焦った声で詰め寄ってくる。その距離の近さにどぎまぎしながら俺は何とか「地球だけど」と返事をした。 「ちきゅう」  と繰り返し女の子が考え込むように口元に手をやる。 「やっぱり失敗してる」  そしてうなだれて勝手に落ち込む。おいてけぼりだ。 「あのさ、体とか大丈夫?」  とか、に色んな意味を込めて言ってみたのが返ってきたのは、 「大丈夫です。ちゃんと空間転移防壁張ってましたから」  暖かい微笑みとさらにこちらを二週は周回遅れにする不思議ワードだった。俺は一体どうすればいいのだろうか。生まれて初めて自室に入れた女の子がこれだなんて。凪の海になぜいきなりサーファーが追い求める伝説のビッグウェーブが来ますか。 「と、とにかくさ、大丈夫なら安心した」  ぎこちない愛想笑いなどしつつ女の子に向かって言う。と、急に女の子は何かに気付いたように目を大きくし居住まいを正した。 「いえ、あの、こちらも迷惑をかけてしまったみたいで。ありがとうございました」 「いやいや気にしないで。でも急に空から落ちてくるから。驚いたよ」  女の子と話をしている嬉しさから自然と口元が緩んでしまう。 「ええ、航行空間湾曲のせいで設定座標がずれちゃったみたいなんです。こんなこと初めてだったからものすごく焦りました」 「あぁ、そう……」  緩んだ口元はすぐに戻ったけど。 「お茶入れるよ」 「いえいえ」  女の子が持ち上げた両手をぱたぱたと振る。 「せっかくですけど先を急ぎますから。この世界のお茶にも興味がありますけどまたの機会に」 「そ、そっか……」  微笑む女の子に安堵とも残念ともつかない気持ちが胸中に沸く。 「それで、ここから一番近い精霊流殿を教えて欲しいんですけど。からっぽになっちゃったみたいで」  そう言って女の子は恥ずかしそうに笑いながら両手を持ち上げて見せた。手首にはあの赤い石が嵌め込まれたブレスレット。明滅していた石も今は沈黙している。確かに「からっぽ」みたいな気はするが……気はするが当然のように言われても非常に困る。  ていうか、せいれいりゅうでん、って何だ。  そんなわけで俺が非常に困った顔をしてると女の子の顔が曇った。 「近くにはありませんか?」 「近くにはって言うか……なにそれ」  女の子の眉間に皺が寄る。 「何って精霊流殿ですよ。精霊流を充填してくれる」  不思議ワード第二弾。今度は追い抜き様俺の後頭部を殴っていった。脳内に浮かんだ選択肢は三つ。  一 真実を述べる。  二 近所のガソリンスタンドの場所を教えて女の子が出て行った後に鍵をかける。  三 布団にもぐりこんで目が覚めたら元の世界に戻っていることを願う。  結局俺は一を選択した。暇だったのと、どんな内容にせよ女の子と会話してるのには違いないという事実に気付いたから。 「いや、多分世界中探してもないと思う」 「そんな」 「さっきから精霊精霊言ってるけど、そういうの好きなの?」 「好きっていうか、呼び出せないと生活できないじゃないですか」 「どういう……」  意味、の「い」まで発音しかけたのと同時だった。 「おいで、ホム」  女の子が持ち上げた手の甲にいきなり火が付く。薄暗い六畳一間を照らし出した灯りに俺の口は見事なまでの半開きになった。そんな俺を見ながら女の子は怪訝そうな顔をしている。 「熱くないの?」  当然の疑問を口にする俺に向かって女の子は首を傾げて見せた。併せて長い銀髪がふわりと揺れる。 「ええ、自分の精霊ですから」  確かによく見れば火は女の子の手の甲から少し浮いていた。一体どういう仕組みなんだろうか。手品か……それともまさか。  と、 「うわぁっ!」  俺は反射的に大声を上げて火から飛び離れてしまった。火の中にいきなり現れた二つのつぶらな瞳と目が合ってしまったからだ。火も火で驚いたようでそのつぶらな瞳をもっと大きくして女の子の手から飛び降り、火の粉を散らして部屋の中を跳ね回る。 「ちょ……燃えるっ!」  畳の上を逃げ回る火の玉と追いかける俺。築三十年の木造ぼろアポアート。そりゃよく燃えることだろう。近くにあったクッションを手に取り大きく振りかぶった瞬間、火の玉は見事な新月面(二回宙返り二回ひねり)を決めて女の子の手の上に戻った。なぜかちょっと胸? を張る火の玉。  続けて女の子は逆の手を持ち上げる。 「出てきて、ミュー」  応えるようにどこからともなく現れた水滴が女の子の手の上で収縮する。やがてそれはゆらゆらと揺れる水球の形を成した。無重力状態での水と全く同じだ。水球はその形を蛇のように変え、女の子の手から肩、そして首を一周してまた手に戻ってきた。もとの水球に戻ったところでこちらには目を細めた猫みたいな顔が浮かび上がる。 「ホム、ミュー、お願いね」  がってんしょうち、と言わんばかりに火の玉と水球が大きく揺らめく。跳躍し、女の子の頭上で螺旋状に絡み合うホムとミュー。呆けた俺が唾を喉に流し込むほどの時間はあったと思う。ホムとミューが畳の上に降り立ったとき、六畳一間の中心、天井からぶら下がった裸電球の下には湯気を立ち上らせる水の玉が浮いていた。  どうやらお湯が沸いたらしい。  俺は恐る恐るそのお湯の玉に指先で触れてみた。 「あちっ」  間違いない。見事な熱湯だった。お湯に痺れた指先をさすりながら女の子の顔を見つめる。どうやら認めるしかないようだ。この子は俺の知らない世界の住人であり、俺にはない力を持っている。どうやらそれは精霊の力を行使することらしい。要するに……、 「すげぇ」  鼓動が高鳴る。顔が熱くなる。手の届く距離に自分の全く知らない世界がある。 「普通ですって。あ、でも火と水の扱いにはちょっとだけ自信あるんですよ」  ホムとミューを見ながら女の子が照れたように、でも少しだけ得意げに微笑む。 「とにかく信じるよ。君は本当に異世界の住人みたいだ」 「ありがとうございます。それで、その、精霊流殿の場所を……」 「いや、だからないよ。この世界の人間は君みたいに精霊呼び出したりブレスレットで空間飛び越えたりできないから」  女の子が俺の顔を見つめたまま沈黙する。何かまずいことでも言ったのだろうか。ひざの上で拳を握り、何かを考え込むようにうつむいてしまう。  しばしの沈黙。暇なのかホムとミューが畳の上を転がっていた。 「例えば、ですよ? この世界の人はお湯を沸かすときどうするんですか」 「どう、って」  俺は人差し指で頬を掻いてから立ち上がり、水道の蛇口をひねって水を出して鍋に水を張り、それをガス台の上に置き、スイッチをひねった。カチ、という音がして鍋の下で青い炎が灯る。 「これがこの世界での湯沸しの作法だけ……のわっ!」  気が付けばすぐ隣にいてガス台を覗き込んでいる女の子。触れ合う肩の感触が気になって仕方がなかった。 「そんな」  女の子が独り言でもつぶやくように言う。 「何の精霊の力も感じないのに」 「そこはほら科学の力ってやつで」  別に俺が偉いわけじゃないのになぜかちょっと誇るように言う。ついでに言っておくと俺は文系だ。科学とはビタ一関係ない。 「最後にもう一度だけ」  泣きそうな顔で女の子が俺を見上げる。 「この世界では精霊の力を行使したりしないんですね」 「それ以前に、できない」  答えた瞬間女の子が崩れ落ちた。反射的に俺も膝を折る。 「どうしよう……帰れない」  喉の奥から搾り出すような声で言って女の子が頭を振った。細い肩が、畳の上で握られた拳が震えている。そんな彼女の心細そげな姿に俺の胸まで重くなってきた。そして、何とかして助けてあげたいと思う。全く理が違う世界から来た彼女のために一介の学生である俺に何が出来るのかは分からないけど。 「だっ、大丈夫だって。きっと何とかなるよ。ね?」  うつむいたままの女の子。やがて小さくしゃくり上げる声だけが聞こえだす。日は完全に落ちかけていた。その色を濃くした闇が背中にのしかかってくる。情けないよな、ほんと。何を言えばいいのか全く分からないなんて。  うつむいたまま泣く女の子を見つめながら、ただ下唇を噛む。 「ほんとに、どうすれば」  ……ぐ〜。  一瞬の沈黙。 「帰れないよ、私」 「いやいや、今お腹鳴ったよね?」  震えていた女の子の肩がぴたりと止まる。手の甲で涙を拭って女の子はそっぽを向いた。  再び沈黙。 「なっ、鳴ってません」  その声に込められた照れや恥じらいに吹き出してしまう。つい女の子の頭を撫でたくなって右手がぴくりと動いたがそれは自制した。涙には驚いたが意外と折れない子なのかもしれない。 「でもおなかが鳴るってことは体は前を向いてるってことだよ。頑張ってる」  笑いながら言う俺に女の子も涙目で笑ってくれた。  顔に血が上っていくのが分かる。反則だろ、そんな笑顔。  火にかけられたままの鍋がコトコトと鳴る。その姿に親近感を覚えずにはいられない。 「とりあえずカップラーメン食べてみる? 丁度お湯も二人分沸いたしさ」  鍋、それから宙に浮いているお湯の玉に視線を移して言う。 「カップラーメン?」 「そ、この世界の技術の粋を集めて作られた食べ物」 「すごそうですね」 「すごいさ。これがなきゃ今頃俺は餓死してる」 「へー」  素直に驚く女の子。俺は立ち上がり、裸電球の根元に付いているスイッチをひねった。貧乏臭くはあるが蛍光灯より温かみのある灯りが室内を照らし出す。  果てさて、カップラーメンがお口に合うといいんだけど。  3 「そういえばまだ……はふはふ……自己紹介してなかったですよね」  炬燵を挟んで向かい側、生まれて初めて見たという箸を器用に使いながらどん兵衛(きつね)をすする耳の長いエルフの女の子。シュールと言えばシュールだが、その幸せそうな姿はいつまでも見ていられそうな気がした。  俺は俺でカップヌードル(カレー)をすすりながら「そうだね」と返す。 「わたし、フィオっていいます」  女の子──フィオさんの自己紹介に俺は一瞬ためらい、それでも勢いであの台詞を言ってしまった。 「いい、名前だね」  言った後で頬が熱くなる。ベタ。あまりにもベタ。フィオさんが箸を止め、俺の顔を見つめる。カレースープと共に生唾を飲み下す俺。 「うれしい。そんなこと言われたの初めてです」  フィオさんの笑顔を見た瞬間背中の全面に汗がにじんだ。嘲笑でもされてみろ、きっと俺は来年のお盆明けまで立ち直れなかったことだろう。ほどけた緊張感が温もりとなって全身に広がっていく。 「俺は宮那孝弘……ミヤナ・タカヒロ、ね」  分かりにくいかな、と思って名前と名字で区切って言い直す。と、いきなりフィオさんが吹き出した。それから慌てたように表情を改め──結局肩を震わせて笑い出す。 「変かな?」  人差し指で頬をかきかき言う俺に、フィオさんは笑いすぎで涙がにじんだ瞳をこちらに向けた。 「ごめんなさい。ミヤナタカヒロってわたしたちの世界の言葉で『世界最強のうさぎさん』って意味だったから」  そりゃまた大層な称号を頂いたもんだ。両親に感謝せねば。 「でも俺の頭の中の世界じゃ俺はいつだって世界最強だよ」 「えー、暗いですよそれ」  言ってフィオさんはまた鈴のような声で笑った。正直、物凄く嬉しかった。こんなかわいい子が俺の言葉で笑ってくれてる。それだけのことでちょっと泣きそうになった。我ながら情けないとも思うが仕方がない。そういう人生を送ってきたんだから。 「でもさ、そういや何で俺たち普通に話せてるんだろ」  ふと疑問に思う。言葉が通じるわけないのに。 「これのおかげですよ」  答えてフィオさんが自分の額を指差した。そこにあるのは複雑な文様が掘り込まれたあのヘッドバンド。 「説明すると長くなるから……言葉の精霊が頑張ってくれてる、とだけ」  きっとその方がいい。フィオさんの世界の理を説明されたって俺には百分の一も理解できないだろう。 「感謝だけしとくよ、精霊さん」 「はい」  精霊の代わりに返事をしてフィオさんが微笑む。なんか、それだけで鼻が反応してしまう。匂い立つような、とはこういうのを言うのだろう。 「でさ、フィオさんは何で……ってそうか、この世界に来たのはトラブルだったか。どこか行こうとしてたの?」  麺のなくなったカップに箸を立て、炬燵の上で腕を組む。どん兵衛のあげを幸せそうに唇ではんでいたフィオさん。こちらの視線に気付くと恥ずかしそうにどんぶりを卓に戻す。  まぁ、恥ずかしがらなくても日本人なら誰でもやるけどね。 「あ、えと、フィオでいいですよ。ごはんもごちそうになったし。はい」  普通そういう基準で呼び方って決めないと思うんだが。それに女の子を呼び捨てにするなんて、その度に声が上ずりそうで怖い。そんなわけで「でも……」と躊躇っているとフィオさんに言われた。 「わたしもその方が緊張しないで済むし」  最後に、ね、とダメを押され、俺は呼び捨てを承諾した。嬉しいか嬉しくないかで問われれば確実に嬉しいんだけど。 「じゃあさ、俺も孝弘でいいよ」 「それはダメです」 「なんでさ」 「ごはんをごちそうになったからです」  あくまでその基準か。やけにこだわるな。 「だからタカヒロさんはわたしをフィオ。わたしはタカヒロさんをタカヒロさん」 「何か昔の日本の夫婦みたいだ」  というセリフはさすがに言えなかった。変に意識してると思われそうで恐かったし。 「フィールドワークに行く予定だったんです。もっと近くの異世界に」  近くの異世界という単語に引っかかり、眉間に皺を寄せてしまう。 「何か書くものないですか?」  あー、はいはい、と炬燵を抜け出てメモ帳とボールペンを手に戻ってくる。それを手渡してフィオの手元を覗き込む。実際は手元よりも胸元が気になって仕方がなかったのだが。その、けっこうあるみたいだし、服の生地が薄いせいか形が割とはっきりと。うん。 「あの、インク壷は」  フィオの声に慌てて頭と意識を引き起こす。 「いや、そのっ、こ、これはそのまま書けるから。中に黒い棒が入ってるだろ。それがインク」 「へー」  しどろもどろになる俺をよそに感心したように漏らし、フィオがボールペンをまじまじと見つめる。どうやら技術レベルはこっちの方が遥かに進んでるらしい。インク壷という単語から推測されるにまだフィオたちの世界では羽ペンを使っているのだろう。ということは、うーん、こっちの世界で言うなら産業革命はまだ起こってないっぽいなぁ。まぁ、あれだけ便利な精霊の力が普通に行使できるんだ。技術はそれほど必要なかったのだろう。マッチも水道もいらないし。  と、炬燵の上で仲良く転がっているホムとミューの姿を見ながら思う。 「ほんとだ。書けます」  メモ用紙の上に丸を描き、フィオが大発見をした子供のように破顔する。偉いぞボールペンを発明した人。 「えっと、ですね」  フィオの説明が始まった。 「まずこれがわたしのいた世界」  と先ほど描いた円をペン先で指す。それからその周りにいくつか円を描く。 「これらがわたしたちの言う異世界です。これらの世界とは交流がありますし、行き来ができます」  言葉を切ったフィオがその複数の円を大きな円で囲んだ。 「でも、どうやら世界はここにもあったようですね」  大きな円の外にぽつんと小さな円が描かれた。その円をボールペンで何度もなぞり、フィオがため息をつく。 「要するに遭難したってこと?」 「そうなんです」  数秒の沈黙。 「いやっ、違っ」 「気にしなくていいから。人生にはそういう瞬間が何度かあるし」  わとわたと手を振るフィオに向かって言う。異世界って言ってもそういうところは変わらないんだなぁと妙な親近感を覚えてしまった。 「でさ、さっきフィールドワークとか言ってたけど」 「学生なんです。ゼミのレポートをまとめるために異世界の食文化を調べてたんですが……」  言葉を切ったフィオが再び息を吐く。 「ほんとに、どうしたら」  組んだ手の上に額を乗せてうつむくフィオ。その頭の上に乗る重い不安の塊が目に見えるようだった。今や日は完全に落ち、窓から見える曇のかかった夜空がより一層気分を重くする。  時間は待ってくれない。携帯電話を開いてみれば六時半。そろそろ現実的なことを考えねばならない時刻だった。 「お金持ってる?」  顔を上げ、唇を真一文字に引き結んだフィオが首を横に振る。 「お金自体は持ってますけどこの世界じゃ使えないと思います」 「だよなぁ」  当たり前と言えば当たり前の結論に我ながら苦笑する。かと言って今の俺に人に貸せる金などない。だいたい元の世界に返る術がないフィオに今日一万円貸したところでどうにもならないだろう。百万円単位で貸せるのなら話は別だが。  ならばもう。  俺は大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。できるだけ顔に何の感情も表れないよう心の準備をする。熱のこもった頬が赤くなってはしないかと心配だった。さらりと言ってしまえばいいだけなのに鼓動は高鳴り口の中が急速に乾いていく。 「あっ、あのさ、帰る方法が見つかるまでウチでよければ泊めるけど」  目を大きくしたフィオが俺の顔をまじまじと見つめる。あ、いや、とその視線から逃げつつ俺はなぜか言い訳を考えていた。そりゃ俺だって男だ。こんなかわいい子と一つ屋根の下。あわよくばという思いが全くないかと問われればうんとは言わない。しかしそいつを素直に最前線に送れるほど戦慣れもしてなかった。  で、結局、 「紹介できる女友達がいればいいんだけど、俺、そっちはいなくて。でも、その、あんまり大勢の人にフィオのこと話して広まってもまずいと思うし、だから、あの、変な意味じゃなくてウチが一番安全かなと思っただけでやましいこととか別にいや何言ってるんだ俺」  自分でも笑えるくらいしろどもどろになってしまった。フィオは驚いたような表情で俺を見続けている。彼女は口をわずかに開き、俺は息を止める。  拒否の言葉を覚悟した瞬間、フィオの唇が紡いだのは「いいんですか?」という一言だった。素直な驚きと喜びがフィオの顔にはある。多分俺も同じような顔をしていたと思う。 「よかったぁ。これで追い出されたら本当に路頭に迷うところでした」  胸元に手を置いたフィオが表情を緩める。 「でも、いいの? 自分から提案しといて変な質問だけど、その、同じ部屋だし」 「それは、はい」  質問の意味が分かったのか頬を少しだけ染めてフィオがこくりと頷く。 「タカヒロさん真面目そうだし、何よりホムとミューが守ってくれますから」  そっか、とつぶやいて軽く笑う。「わたし……タカヒロさんにだったいいですよ」なんて答えが返ってくるとはちょっとだけしか期待していなかったが見事に撃沈。ただ、それでも俺は安堵していた。  多分ホムとミューがいる限りフィオには手出しできない。だから安堵した。言い訳ができたのだ。手を出す勇気を振り絞らなくていいという言い訳が。  こんなだから彼女どころか女友達もできないんだろうな。  思いながらもう一度、今度は自嘲気味に笑う。 「じゃあ、これからお世話になりますね」  こたつの上に並んだホムとミュー。その上からフィオが手を差し出す。こたつ布団で慌てて手を拭き、握り返したフィオの白い指は鳥肌が立つくらい温かかった。  4  翌日、昼過ぎ。  俺はコートを羽織ったフィオと並んでアーケード街を歩いていた。外を歩くのにさすがにあのコスプレのような格好では目立つだろうと貸したのだ。サイズは若干合ってないがそれは勘弁してもらいたい。  クリスマス直前。どの商店にも工夫を凝らした飾りが施され、年末商戦を全力で戦い抜いていた。クリスマスとは全く関係ないように思われる干物屋さんまでツリーを飾っているのもご愛嬌。きっちり楽しんできっちり商売。そんな空気で商店街は溢れている。  普段ならそんな空気に溶け込めず、何か申し訳ないような気分で街を歩いていた俺も今年は違った。隣に女の子がいる。それだけの理由でクリスマスという空間に自分の居場所ができたような気がしていた。もちろんフィオは俺がそんなこと考えてるなんてこれっぽっちも思ってないだろうけど。  彼女にとっては俺よりもこの世界の「食材」の方が気になるようだ。肉屋魚屋八百屋の前で足を止めては店先に並べられた商品を興味深そうに眺めている。気になることがある度に俺は袖を引っ張られた。  何かヒントになるようなことはないかと行ってみた図書館。俺たちは今そこから街はずれの丘に向かっている。フィオが元の世界に戻るための手がかりがつかめたわけではない。今から向かう丘がこの辺りでは一番「古い」というだけの理由からだ。そこには小さな神社があるらしい。俺たちの世界、こと日本に関して言えば精霊っぽいものといえば神様なわけで、まさに困ったときの神頼み以外の何者でもなかった。 「フィオ、行くよ」  お茶屋さんの前で立ち止まっていたフィオに呼びかけてアーケード街を抜ける。彼女の名前を呼ぶとき、やっぱり声が少しだけ上ずった。追いついてきたフィオと歩幅を合わせて歩くことしばし。家の数もすれ違う人の数も次第に減っていき、やがて木に覆われたこんもりとした丘が目に映りだした。  その丘を目標に車一台が通れるほどの道を歩き二、三度角を曲がる。ほどなくしてそ丘に登るための入り口にたどり着いた。鳥居と森を裂いて真っ直ぐに上まで伸びる石段。頂上はここからではよく見えない。  森の中から鳥の鳴く声がする。落ち着くような不気味なような。多分こういうのを畏敬の念と呼ぶのだろう。一度大きく深呼吸すると木の匂いがした。隣にいるフィオを見やると彼女も神妙な面持ちで石段の先を見つめている。 「どお?」 「はい。その、少しだけ」  石段の先を見つめたままフィオが言う。どうやら全くの見当はずれでもなかったようだ。俺は乾いた唇を舌で湿らせ、石段を登り始めた。俺の二、三段後をフィオが黙ったままついて来る。吹く風が木々を揺らし葉がこすれる音。湿った土の匂い。  確かに雰囲気はあるよなぁ。  空に向かって真っ直ぐに伸びた左右の木々を見上げていると背筋が震えた。最後の一段を登りきるとそこは猫の額ほどの広場になっていて、その奥に小さな鳥居とお社が鎮座していた。  神社って言うか、祠だなこりゃ。  ご神体が奉ってあるだけの小さなお社。その前の鳥居の高さは丁度俺の身長と同じだった。お社に下げられた小さな鈴と前に置かれた小さな賽銭箱についつい頬が緩んでしまう。小さくて精巧な物にはなぜか人を引き付ける魅力があると思う。 「この世界の神殿ですか?」  フィオが手を伸ばして鳥居に触れる。 「うん。俺たちの世界の神様がここにいる」  へー、と声を漏らしてフィオが祠を覗き込んだ。伸ばされた細く白い指が鈴に触れる。 「ずいぶん小さいんですね。礼拝のときとか、人が集まったら困りませんか?」 「あぁ、神様って言っても八百万のうちの一つ、というか数え切れないくらいたくさんのうちの一つだから、もっとたくさんの人が集まれる所がちゃんとあるよ」 「はっぴゃくまん?」 「そ、はっぴゃくまん。俺たちはやおよろずの神様って言うけどね」  眉間に皺を寄せたフィオが俺の顔を見上げる。顔が熱くなった。やっぱりどんな表情をしていてもかわいい。翡翠色の瞳に心が吸い込まれそうになる。 「神様は一人ですよね?」 「いや、俺たちの国には数え切れないくらいいる」  フィオの眉間の皺がさらに深くなった。 「くに、ってなんですか?」  今度はこっちが皺を刻む番だった。まさか真顔でそんなこと聞かれるとは思ってなかったし。 「いやほら、異なる文化や言葉や神様とか民族とか、そういうのを区切った地域というか……」  自分でもよく分からない説明になってしまった。普段当たり前のように使っている言葉の説明とはこうも難しいものなのだろうか。三角形ってなんですか、と質問されるのと似ているのかもしれない。 「だって、そんなのが同じ世界にあったら大きな争いが起きますよね?」 「起きるね」  文化、民族、宗教、価値観、それらに端を発する紛争は今もって世界中で継続中だ。 「でも仕方ないよ。俺たちの世界はここしかないんだし。みんなが傷付け合うことなく仲良くできればいいと思うけどね。フィオが住んでる世界は違うの?」 「わたし達の世界には同じ種族で同じ言葉を使って同じ神様を信じて……そういう人しか住んでませんから」 「でも他の世界に自由に行き来できるんでしょ?」 「自由に、はできません。規則ではなく現象として他の世界に渡航できる人数が決まってるんです」 「じゃあ戦争もなくて平和だろうね」 「昔はあったのかもしれません。少なくとも戦争という言葉が古代語として残ってますから。その戦争をなくすために太古の神が世界を今の形に分けたという説を唱える学者もいますし」  俺にはふぅん、と唸ることしかできなかった。同時に改めてフィオが異世界の住人であるということを意識する。なんかでも、もし日本人しか住んでない日本という国が一つの世界だったとしても、大阪と東京は戦争しそうな気がするけどな。もしかしたらフィオみたいに気性が穏やかなのがフィオの世界の人の気質なのかもしれない。  ふとした沈黙。それを埋めるように木々がざわめき、一瞬遅れて強く風が吹き付ける。その冷たさに俺は身を縮こませ、フィオがなびく銀髪を手で押さえる。こりゃどうやら早いところウチに帰ったほうがよさそうだ。 「フィオ、帰ろうか」  の「フィ」まで言ったところだった。遠くを見つめるような表情で視線を巡らせているフィオに気付いた。 「どうしたの?」 「匂いがするんです」  視線はこちらに向けぬまま言ってフィオが歩き出す。その両肩にはいつの間にかホムとミューが乗っていた。フィオは祠の脇を抜けて道もない林の中に入っていく。俺には後を付いていくことしかできなかった。  こもった様な木と土の匂いが強くなり、足の下で枯枝や枯葉が折れる音がする。前を歩くフィオは立ち止まることなく、目的地が分かっているかのように進んでいった。  三分ほど歩いただろうか。やがてフィオが一本の木の前で立ち止まる。俺は隣に並んでフィオの上気した頬をちらと見やり、それから視線を木に移した。  真っ直ぐに空を突き刺すような勢いで伸びている杉の巨木。他の木々と違うことは一見して分かった。フィオがゆっくりと木に向かって歩を進める。彼女は一度大きく深呼吸すると手のひらで幹に触れた。 「感じます」  呟いてフィオが額を幹に預ける。 「本当にわずかですけど。精霊の存在を」 「ほんとに?」  反射的に聞き返してしまった俺の方を振り返り、フィオが緊張したような面持ちでうなずく。そんなフィオの隣に並んで俺も木に触れてみた。かさついた杉皮が手のひらを押し返す。 「感じませんか?」 「ごめん、俺にはよくわからないや」  問いかけるフィオに向かって苦笑する。フィオも、仕方ないか、という風に苦笑を返してくれた。 「でも、おかげでほら」  フィオが俺に向かって右手を持ち上げてみせる。俺の目に映ったのはわずかながらも光を取り戻したあのブレスレットの赤い石だった。ということは……、 「時間はかかると思いますけど、ここに通い続ければきっと」  フィオが杉の巨木を見上げる。その横顔には安堵と喜びが広がっていた。日本には自然を神様として奉る信仰は当たり前のようにある。西洋のように自然を敵として征服するのではなく、畏敬の対象として奉り共存することを選んだ東洋の思想。そう考えるとフィオが日本に落ちてきたのも「神様のおぼしめし」なのかもしれない。まぁ、八割がたただの偶然だったりするんだろうけど。  俺も微笑して杉の木を見上げた。屋久島の縄文杉にでもフィオを連れて行けばすぐに元の世界に帰れるのかもしれないが、さすがにそれは無理だし、今の俺にとってはフィオの「時間がかかると思いますけど」という言葉が正直嬉しかった。フィオには申し訳ないがそれは彼女との共同生活がもうしばらく続くことを意味する。ただ、それは同時に「もうしばらく」でフィオと別れなければならないことを意味していた。 「どれくらいかかりそう?」  できるだけ平静を装って声を出す。フィオは一度手首のブレスレットに視線を落とし、 「そうですね。七日くらいあれば帰れるだけの精霊流が充填できそうです」  嬉しそうに答えた。あと一週間。もうそれしか残ってない。正直、うつむいて唇を噛みたいような気分だった。でもそれはできない。フィオの前なんだから。 「じゃあさ、お祝いしようか」  無理矢理に声が大きくなっているのが自分でも分かる。 「今日はさ、とある神様の誕生を祝うお祭りの前夜祭なんだ」 「あ、それで何か街がわくわくしてたんですね」  クリスマスという習慣に触れたことがないフィオにも街が騒がしいことが分かったようだ。 「大したことはできないけど、いい事もあったしさ」  口元を緩める。ほんの少し、フィオには分からないくらいに苦味を含めて。 「いいんですか?」  遠慮がちにフィオが訊いてくる。お祝いの費用がすべてこちら持ちになることを気にしているのだろう。そんな事どうだっていいのに。 「気にしないで。元々一人でもお祝いするつもりだったし」  大嘘だ。恋人のいない一人暮らしの貧乏学生にとってクリスマスイブは平日と一緒。 「タカヒロさんて信仰心が厚いんですね」  感心したようにフィオが言う。フィオの勘違いに俺は笑いながら「まぁ、ね」と言葉を濁した。 「じゃあお言葉に甘えて」  と、フィオが何かを思いついたようにぽんと手を打つ。 「そうだ。だったらわたしお料理作ります。こっちの食材にも興味あるし」  ね、と微笑むフィオに顔が熱くなった。服と肌の間に熱がこもる。 「いやでも俺んち調理道具とかそんなに揃ってないし」 「だーいじょうぶ、任せてください。これでも食文化研究家の卵ですよ。鍋と包丁さえあればそれなりのものは作って見せます」 「じゃあお願いするよ」 「はい。頑張りますね」  破顔するフィオ。俺は冷たい手で熱を帯びた頬に触れ「期待してるよ」と笑った。多分、ものすごくぎこちなかっただろうけど。  5  クリスマスパーティーの買い物はつつがなく……少なくとも表面上はつつがなく進行していった。フィオに笑顔を一つ向けられるたびに俺の血圧は目測で十くらいは上がったことだろう。特にケーキ屋の前で見せた彼女の笑顔が頭に染み込んで離れない。フィオのいる世界では砂糖が同じ重さの宝石よりも貴重らしく「甘いもの」は極限られた一部の人間の口にしか入らないらしい。子供の頃に一枚だけクッキーを食べたことがあって、その味が今でも忘れられないとフィオは言っていた。子供のようにケーキの箱を大事に抱えて隣を歩くフィオの姿を見ているだけでつい笑みがこぼれてしまう。  彼女があと一週間でいなくなってしまうことについてはできるだけ考えないようにした。どうあがいたって俺とフィオの別れは不可避だ。俺の我侭でフィオを引き止めることはできない。フィオにだって向こうの世界に親がいて兄弟がいて友達がいて、彼女のことを思い心配している人がいるはずだ。それに、恋人も。 「恋人同士で歩いてる人多いですね」  不意に声をかけられ肩が震える。まさか心の中を見透かされたわけではないだろう。 「家族や恋人とお祝いする人が多いから」  そっか、とフィオが呟くように言う。俺は乾いた唇をわずかに濡らしてから口を開いた。 「フィオは向こうの世界に付き合ってる人いるんでしょ」  できるだけ何気なく。世間話をするように。 「まさか。いませんよ。その、いいなぁ、って思う人はいますけど」 「そっか」  と今度は俺が呟くように言う。 「上手くいくといいね」  余裕を見せたかっただけのなかもしれない。思ってもいないことが口からこぼれだす。もしくは二十二にもなってまともに恋もしたことがない男だと思われるのが恥ずかしかったのか。 「でも、きっとわたしはだめです」 「どうして」 「大学通ってるし、そういうの変だから」  フィオが寂しげに目を伏せる。 「進学するとき周りに散々言われました。女が大学なんて行ってどうするんだ、って」  そういう価値観の世界なんだ。 「でもわたしお料理好きだし、食べることについてもっともっと勉強したかったから」  静かに、でも確実にフィオの声に熱がこもる。穏やかとばかりと思っていた彼女の中に一本の芯を見たような気がした。折れず、曲がらない精神の支柱。周囲との軋轢もかなりのものがあっただろうし、今でもあるのだろう。 「この世界……じゃなかった。このクニではどうなんですか?」  フィオが俺の顔を見上げる。長い銀髪が冷たい風に揺れた。 「学びたいことがあれば女の子も進学するよ。もっとも、二、三十年前くらいまではフィオの世界と同じような価値観もあったけどね」  言葉を切った俺は指で鼻の先を撫で、 「でもさ、自分のやりたい事があって、それに向かって真っ直ぐ歩くのっていいと思うよ。俺たちの国の価値観も変わったんだし、フィオの世界もきっと変わるよ。もしかしたらその変化はフィオから起こるのかもしれないし」  照れ笑いした。  フィオは少し驚いたように目を大きくし口を開きかけて、でも結局何も言わず胸に抱えたクリスマスケーキの箱に視線を落として一つうなずいた。その横顔に込められた感情までは分からない。 「タカヒロさんにはやりたいことって、ありますか?」  いきなりの問いについ固まってしまう。あるかないかで言えばある。が、それは誰にも語ったことがない夢だった。まぁでもこの際だ。言ってしまおう。フィオなら笑わずに聞いてくれそうな気がする。  なんてことを前から歩いてくる人を二人避ける間に考え、俺は口を開いた。 「弁護士になりたい。それで、あまりお金がない人のために仕事がしたい。俺自身貧乏だった……ていうか現在進行形なんだけど。でさ、悪いことしてる金持ちからはふんだくるの。そういう弁護士になりたい」  覚悟を決めて言ったとはいえやはり顔が熱くなった。子供か、俺は。 「タカヒロさんならきっとなれます。タカヒロさん、優しいから」  でも、そう言われた瞬間顔の熱が収まった。でも決して冷めたわけじゃない。顔の熱がそのまま胸の奥に下りてきたような温もりを感じる。過度の緊張がほどけ、心地よい鼓動の高鳴りだけが残っていた。  何だこれ。足元がふわふわする。  俺は隣にフィオの気配を感じながら、うつむき、アスファルトを見つめながら街を歩き続けた。雑踏が薄い紙一枚隔てて聞こえてくるような感じがする。  結局それから俺とフィオは家に帰るまでほとんど言葉を交わさなかった。でも不思議と沈黙は怖くなった。それがなぜなのかは分からなかったが。  結論から言うと俺とフィオ、二人だけのクリスマスパーティーは最高に楽しかった。いや、正確に言うとホムとミューもいたんだけど。 「料理にお砂糖使うの初めてです」  と言いながらフィオが作った料理は美味しくて、ときどき不思議な味がした。フィオは特に醤油とみりんに興味を持ったらしく、度々指につけて舐めては何かをメモ帳に書き記していた。  六畳一間の真ん中に小さなこたつを置いてその上に料理とケーキとお酒を並べる。食べて、飲んで、喋って、笑って、たったそれだけのこと。でも素直に嬉しかった。  フィオの世界では酒がこちらの世界で言うところの違法ドラッグの扱いを受けているらしく、酒を飲むのも初めてだと彼女は言った。最初は恐る恐るだったフィオも徐々に杯を重ね、気が付けば彼女の前には350mlのカクテルパートナーの空き缶が五本転がっていた。  薄い焼酎のウーロン茶割をちびちびとやる俺の対面で首まで赤く染め、饒舌になったフィオは自分の考えていることをたくさん話してくれた。女の子が自己主張することさえ歓迎されないような世界に対して怒り、素直に声を大きくする。その度に少し気おされた俺は、そうだね、と頷く。  最終的にフィオはどんっ、と拳をこたつの上に叩きつけて、そのまま後ろに倒れこんでしまった。無言になる俺。ホムとミューがこたつの上から心配そうにフィオを見下ろす。三秒くらいたって「くー」という寝息が聞こえてきた。苦笑した俺はこたつから抜け出して押入れから毛布を引っ張り出す。それをフィオの肩にかけてこたつに戻るとホムとミューと目が合った。ふるふると揺れる炎と水の玉に向かって口元を緩める。 「かわいいよな、お前たちのご主人さま」  ホムとミューは同時に俺の顔を見上げ、それから互いに顔を見合わせた。 「あ、本人には言わないでくれよ」  ただでさえ薄いウーロン茶割にさらにウーロン茶を注ぎ足す。グラスを傾けて俺はフィオの寝顔を見つめた。  一日、終わっちゃったな。  寒風にがたがたと鳴るぼろい窓枠の音を聞きながら俺は再びウーロン茶割で唇を濡らした。  6  翌朝、こたつの中で目を覚ますと室内に人の気配はなかった。痛む頭を持ち上げて携帯電話を開く。午前八時半。息を吐いて上半身を起こすとこたつの上には一枚のメモと朝食が乗っていた。メモはフィオからだろう。朝食を作っておいたことと、昨日の木の所に行ってくるという事が丁寧な字で記してあった。  顔を撫でると伸びた髭に手のひらがざらつく。吐き出した息が白く曇った。 「寒いな」  つぶやいて視線を移すと壁のハンガーにかかったままのコートが目に入った。まさかあんな薄着でこの朝早く出て行ったんだろうか。こたつから抜け出して衣装ケースを開けてみるが服が減っている気配はない。  俺は携帯電話と財布をパーカーのポケットに突っ込むとコートを手に部屋を飛び出した。  荒い呼吸を落ち着かせながら長い石段を登る。これだけ長い距離を走ったのなんて何年ぶりだろうか。シャツの下で汗がにじみ、久しぶりに鞭を入れられた心臓がフル稼働している。冬、それも朝の空気は乾燥していて口と喉の中が張り付くような感じがした。一つ大きく息を吸い込むたびに肺が痛くなる。  ホットの缶コーヒーでも買ってくればよかったな。  そんなことを思いつつ石段を登りきった俺は祠の脇を抜けて林の方へと足を向ける。木と土の匂いを嗅ぎながら歩くことしばし。足元の小枝を踏み折ったのと同時にフィオの姿が目に映る。彼女は目を閉じたまま木の根元に座り込んでいた。  木々の間から漏れ落ちる朝日とそれを優しく照り返す長い銀髪。二羽の小鳥がフィオの側でステップを踏んでいた。絵になる、とはこういうことを言うのだろうか。ファンタジー小説の挿絵でしか見たことがない光景がそこにはあった。  静謐、なんて普段は使いもしない単語が思い浮かぶ。絶対不可侵のようでもあり、全てを受け入れてくれそうでもあった。まぁ、どれだけ言葉を繰ったって最後は「いいな」に行き着くんだけど。  ふと、目を開いたフィオが顔を上げる。こちらに向けられた少し驚いたような顔に向かって俺は笑って見せた。 「真冬にそんなカッコじゃ風邪ひくよ」  言いながら歩を進める俺に小鳥が飛び立ち、木々の間に消えていく。 「持ってきた」  と言ってコートを差し出したときだった。フィオの陰からホムが顔を出し、温風が俺を包み込んだ。冷え切っていた指先と耳にぬくもりが染み込んでいく。 「あぁ、そっか」  と呟いて俺は苦笑してしまった。フィオの側には火の精霊であるホムがいたんだ。 「わざわざ来てくれたんですか」 「ん、あぁ、でも必要なかった……かな」  こちらを見上げるホムと視線を交わす。 「昔からの悪い癖でさ。慌てると物事を考えなくなる」  言いながら掻いた頭はぼさぼさだった。 「寝癖ぐらい何とかしてくればよかった」  ぐー、と腹が鳴る。 「朝飯も食べてなかった。せっかく作ってくれたのに」  苦笑する俺にフィオが手を差し出した。 「貸して下さい、コート」 「でも」 「ホム、ありがとう」  俺の言葉を遮って言い、フィオがホムを撫でる。同時にホムの姿が消えて冬の冷気が戻ってきた。俺が差し出したコートを受け取ってフィオが微笑む。 「隣、座りませんか?」 「ん、あぁ」  と返事をしてパーカーのポケットに手を入れた俺はフィオの隣、木の根元に腰掛けた。フィオに触れるか触れないかくらいの距離をとって。 「ありがとうございます」  いや、と笑って鼻の頭を指で撫でる。 「でもほんとに余計なお世話だったみたいで」  フィオが首を横に振る。 「ホムと一緒にいると少しずつですけど精霊流を使っちゃうんです。だからこの方が」 「そうなんだ」  コートも全くの無駄ではなかったらしい。  不意に右肩に柔らかい重みがかかる。驚いて視線をやればフィオが目を閉じて俺の肩に体を預けていた。心臓が締め付けられるような感覚。何だろう。ものすごくいい匂いがする。 「眠い?」  少しばかり上ずった声で聞く。はっと顔を上げたフィオはなぜか辺りを見回してから俺の顔を見た。わずかに頬を染めたその恥ずかしそうな表情に俺の顔まで熱くなる。 「少しだけ」 「何時に家出たの?」  俺の問いにフィオが戸惑うような表情を浮かべた。そうか。時、って言ったってフィオの世界とこの世界の時間の感覚が同じとは限らないんだ。一日が二十四時間なんてのはこの世界でだけ通用する常識だ。 「えと、家出たときまだ暗かった?」 「はい」  この季節だと日の出が七時前くらいか。昨晩、というか正確には今日なんだけど、フィオがひっくり返ったのが午前三時くらい。ずいぶんと早起きしたんだ。それだけ気が焦ってるってことなんだろうけど。 「いいよ、眠って」 「でも」 「気にしなくていいって」  自分でも不思議なくらい強く言葉が出た。フィオが少し驚いたように俺の顔を見つめる。 「あ、いや、嫌だったら別に、その」  しどろもどろになる俺。ちょっと強引だったか。いやほんとに眠たいなら気にしなくて眠ればいいとはおもってるけど残りの二割くらいで……ごめん嘘ついた残りの四割くらいで「女の子に体を預けられる」というシチュエーションに憧れてただけとかいうのが顔に出てしまっただろうか。  視線に耐え切れなくなった俺は唇を引き結んでフィオから視線を外してしまった。周囲の季節を無理矢理冬から春に変えてしまえそうなほどに顔が熱くなる。首に巻きついた沈黙がゆっくりと絞まっていった。噛み締めた奥歯の感覚がなくなっていく。  乾いてひび割れた唇を舌先で舐めた時だった。 「じゃあ少しだけ」  肩にかかった柔らかな重みに不安が霧散する。同時に拳を握り締めるほどの喜びが流れ込んできた。聞こえてくる穏やかな吐息。体にかかる長い銀髪がフィオが息をするたび微かに揺れる。  俺は息を吐いて頭上で茂る杉の枝葉を見上げた。舞い上がっていた俺の中にふと灰色が染み出してくる。  はじめフィオと出会った時に比べたら二人の距離は縮まったと思う。フィオがどう思っているのかは分からない。ただ少なくともこうして俺が隣にいるとことを許してくれてる。  でも、距離が縮まれば縮まるほど別れるときに辛くなる。俺は涙を流さずにフィオと別れることができるんだろうか。フィオが隣にいる。この状態は有限だ。準備が整えば彼女は元の世界に帰らなければならない。  ポケットの中で拳を握り締め、俺は唇を噛んだ。目を閉じて後頭部を杉の幹に預ける。  フィオと別れたくない。  ただその一言だけが心の奥で何度も何度も繰り返された。  7  翌日、俺はフィオから預かったブレスレットを手に一人杉の木の根元に座り込んでいた。あの後結局俺も眠り込んでしまい目が覚めると完全に日は落ちていて、結果としてフィオは大風邪をひいてしまったわけだ。  朝起きて、熱っぽいフィオの顔と見事なまでの鼻声を見聞きした瞬間「代わりに行くよ」という言葉は口から出ていた。実を言うと俺も少しばかり熱っぽいのだが、こっそり計ってみたら三十七度くらいだったし大丈夫だろう。風邪薬も飲んできたし。  ちなみにフィオには薬を飲ませていない。異世界の住人であるフィオに対して食べ物はさておき、この世界の薬がどんな作用を及ぼすのか分からなかったからだ。俺たちにとっては薬でもフィオにとっては猛毒になる可能性がないとは言えない。  だからとりあえず暖かくして寝ることとまめな水分補給を言いか聞かせた。そして食べられるようならきちんと食べること。というようなことを寝ているフィオに向かって言うと彼女は微笑んで「お母さんみたいですね」と漏らした。  何と返したらいいのか分からなかった俺は「とにかく安静に」とだけ言い残して文庫本片手にアパートを出てきた。  冬の冷気の中、白く曇った溜息をついて俺は手元の文庫本に視線を落とした。目は文章を追うが頭の中では全く別の言葉が紡ぎ出されていく。  フィオと別れなければならない。フィオと別れたくない。  本を閉じ、枯葉の上に投げるように置いた俺はコートの袖をつかんだ。  高校を卒業するとき、少しだけこんな気持ちになったことがある。仲のよかった友人たちとの別れ。ただあの時は同じくらいの希望もあった。それぞれが新しい道に向かって歩き出すんだという希望が。  だが今回は違う。長い人生の中でほんの一瞬交わった線がまた離れていくだけのこと。何事もなければただの日常の一ページで終わるはずだった。なのに。  唇を噛み、抱え込んだ膝に額をつける。分かっている。絶対に引き止めちゃいけない。フィオにはフィオの生きる世界がある。俺がフィオと一緒に過ごしたい日常はフィオにとっての非日常だ。  でも、それでも……、 「兄ちゃん」  不意に頭上から呼びかけられ思考が中断する。頭を上げれば数人の作業服を着た男たちが俺を見下ろしていた。 「あ……」  絡まれたのかと思って一瞬身構えた俺に向かってまとめ役っぽい中年男性がいやいやと手を振る。 「悪いけど仕事するから少しどいてくれるか」  見れば確かに仕事師たちのようで、それぞれがボードやメジャーを手にしている。カーキ色の作業服の胸には青い糸で「畑野林業」と刺繍がしてあった。  俺は文庫本を拾い上げ、手を払って杉の木から離れた。 「悪ぃな。十五分くらいで終わるから」  詫びる中年男性に向かって会釈した俺は適当な木に背を預け、その作業をただ見ていた。胸の奥にまさかという不安を抱えながら。  十五分後、時間通りに仕事を終えた仕事師たちが引き上げていく。最後に「邪魔したな」とこちらに一声かけて帰ろうとした中年男性を俺は反射的に引き止めていた。 「あの……」 「ん?」 「この木、切るんですか」  喉が乾燥して上手く声が出ない。 「あぁ、明日の午前中には切って運び出す」 「そんな。だって」  と言いかけた俺の顔を見ながら中年男性が不思議そうな顔をする。慌てて口をつぐむ俺。中年男性は首をひねり、小さく息を吐いて俺から離れていった。  林の中に静けさが戻ってくる。俺は杉の木の前に立ち、ポケットからブレスレットを取り出した。多少輝きを取り戻したとはいえ赤い石の輝きはまだ鈍い。もし今木が切られてしまったらフィオは……。  帰れなくなるじゃないか。  その声は心の奥底からした。  これは不可抗力だ。どうしようもない。木を切ることが彼らの仕事でそれを止めていい権利なんて俺にはない。ちょっとばかり運がなかっただけ。またこの木みたいなポイントを探して通えばいい。フィオには残念そうな顔をして、ごめん、食い下がったんだけど、って適当に言い訳すればいい。優しい彼女は絶対に俺を責めたりはしないだろう。  そう、俺のせいじゃないんだ。俺のせいでフィオが帰れなくなるわけじゃない。これは仕方のないことなんだ。  喉の奥から呻き声が漏れた。  額を杉の木に押し当てて歯を食いしばる。一瞬でもラッキーだと思ってしまった自分に対して湧き上がるとてつもない嫌悪感。同時にこの状況に対して何もできない自分がいる。  フィオと別れたくない。でも、彼女を悲しませたくない。 「どうすりゃいいんだよ」  その問いに答えてくれる人は当然のようにいなかった。ただ杉の硬い表皮が額を押し返すだけだ。  その日の夜、笑顔と暖かい夕食で迎えてくれたフィオに俺は何一つ言うことができなかった。  早朝、昨日と同じように杉の木へと続く石段を登る。布団の中から申し訳なさそうに、うっすらと目を開けて俺を見送ったフィオの姿がずっと頭の中でちらついている。結局フィオには何も言えないままアパートを出てきてしまった。  踏みしめる石段がひどく柔らかいもののように感じられる。多分熱のせいだろう。朝測ったら三十八度まで上がっていた。顔が熱い。視界がぼやける。汗は掻くのに寒気がして仕方がなかった。  石段を登りきって長く息を吐く。祠を左手に見つつ、いつものように林の中へと足を進める。落ち葉の上を歩いていると足が地面に沈み込むような感じさえした。  林の中、いつもの場所に杉の木はまだ立っていた。もたれるように木に手を付いて咳き込む。冷たい外気を吸い込むと喉がひゅーひゅーと鳴った。  体を反転させ、背中を杉の木に預ける。俺はそのままずるずると座り込んでしまった。ぼんやりとした頭の中でこれからのことを考える。  あと数時間、それとも数分だろうか、とにかくわずかな時間で仕事師たちがやって来てこの木を切り倒してしまう。俺はその時どうしたらいいんだろうか。いや、方法なんてない。そんな状況でやるかやらないか、声を発するか発しないかでしかない。  うつむいて目を閉じるととてつもない眠気が襲ってくる。それとも意識が飛ぼうとしてるんだろうか。コートのポケットにねじ込んだ手が震えだす。  なにが、どう──、 「またか、兄ちゃん」  呼びかけられ、はっと顔を上げる。そこには昨日と同じあの中年男性がいた。まったく気配を感じることができなかった。腕時計に目をやると三十分ほど針が進んでいる。 「大丈夫か? 顔色酷いぞ」  俺は短く声を漏らして立ち上がった。体がとてつもなく重い。すみません、と声を出すのがやっとだった。足を引きずるようにして歩き、近くの木にもたれかかる。中年男性はしばらくこちらの様子を伺うように俺の方を見ていたが、やがて従業員に指示を飛ばし出した。 「兄ちゃん、危ないから林から出てってくれや」  中年男性が俺に睨むような視線を飛ばす。一瞬その場に留まりかけた足も何か別の力に引き付けられでもするように林の外に向かって進み出す。もう、どうしようもない。何も考えられない。  寒い辛い苦しいだるい痛い怖い。ただ家に戻ってフィオの顔が見たい。  フィオ、ごめん。と、心の奥で漏らした時だった。チェーンソーのエンジン音が林の中に響き渡り、吹きぬけた寒風に林全体がざわめく。  ほんの少しだけ意識が覚醒した。  フィオの顔が見たい。でも、それは泣き顔じゃない。がっかりし顔でも残念そうな顔でも困ったような顔でもない。笑顔だ。俺はフィオの笑顔が見たいんだ。彼女が俺に微笑みかけてくれたとき、どんなに嬉しかったか思い出せ。生まれて初めて心に抱いたあの感情を思い出せ。 「あの……」  口から出た声は自分でも驚くほどか細かった。チェーンソーのエンジン音が更に大きくうねる。 「あの!」 「なんだ、兄ちゃんまだいたのか」  鬱陶しそうな表情で俺を見やる中年男性。俺は一度奥歯を食いしばり、深く頭を下げた。 「お願いします。この木を切らないでください」 「はぁ?」  いらつきを含んだ疑問符が後頭部に降り注ぐ。 「この木を切られると困る人がいるんです。お願いします!」  出しうる声を振り絞る。それでもチェーンソーのエンジン音にかき消されてしまいそうな声だった。 「あのなぁ、こっちは仕事請けてやってんだ。切られると困る? 切らなきゃこっちが困るんだよ!」  怒鳴り声に肩が震えた。筋が通ってないことなんて百も承知だ。でも、 「お願いします! 年内だけでいいんです! 木を切らないでください!」  不意に響き渡っていたチェーンソーのエンジン音が消えた。顔を上げた俺を従業員たちが取り囲む。 「訳のわかんねーこと言ってんじゃねーぞ、兄ちゃん」  反射的に一歩後ずさってしまう。 「優しく言ってるうちに帰れや」  俺は無言のまま首を横に振った。 「このっ……」  中年男性が大きく息を吸い込む。俺は地面に膝をついた。続けて額を落ち葉の上に乗せる。 「お願いします!」 「土下座なんかすんな! ダメなもんはダメだ!」 「分かってます! 自分の言ってることがめちゃくちゃだってことは分かってます! でも……今木を切られたら」  言葉が続かない。ただフィオの姿が、声が、香りが、柔らかさが脳裏をよぎっては消えていく。 「俺に出来ることだったら何でもしますから……お願いします!」  言った瞬間視線が九十度回転した。襟首をつかまれて投げられたのだと分かったのは杉の木にしこたま背中を打ちつけた後だった。 「だから俺たちは仕事で来てるんだよ! どうせ学生かなんかだろうが! バカなことやってるんじゃねぇっ!」  中年男性の怒声が頭に響く。頭痛が酷い。視界もはっきりしていなかった。俺は一度目をきつく閉じ、再び地面に膝を付いた。そのまま深く頭を下げる。 「お願い……します」  一瞬の沈黙。 「おい、お前らこの兄ちゃんをここから連れ出せ!」  落ち葉を踏みしめて近づいてくる複数の足音。俺の肩をつかむべく伸ばされた腕の気配が耳の真横を通り過ぎる。噛み締めた唇は酷く乾いていた。  と、唐突に冷く小さな何かが俺の手の甲を叩いた。ぱた、ぱた、ぱた、とリズムを刻むよう音が地面からしだす。ゆっくりと顔を上げた俺の目に映ったのは木々の間から見える灰色の厚い雲と、そこから降り注ぐ大粒の雨だった。俺を連れ出そうとしていた若い従業員たちも空を見上げている。  雨足はあっという間に強くなり、気が付けば土砂降りだった。林が雨の匂いで満たされていく。  中年男性の大きな舌打ちが聞こえた。それから俺の顔を見下ろして大きな溜息をつく。 「これじゃ危なくて作業ができねぇ。中止だ、今日は」  幅広の背中がこちらに向けられた。 「空の神さんも若い方がいいらしい。粘り勝ちだな、兄ちゃんの。帰るぞ」  その背中に若い従業員たちが付いて行く。土砂降りの雨の中一人林に残された俺はしばらくの間呆然としていた。地面に膝を付いたまま鉛色の空を見上げる。雨粒がいくつもいくつも顔の上を流れ落ちていった。  助かった……のか?  胸中で呟きながら体を後ろに倒す。もう膝をついていることさえ辛かった。意識が混濁していく。今まで味わったことがないような寒気と眠気が全身を支配していた。視界が黒く染まる。  もう耐えられない。  頭の中ではこのまま眠ってしまえば危ないことは分かっていた。でも体が言うことをきかない。瞼が自然に落ち、意識までが落ちていく。 「……さん」  闇の中から声がした。幻聴だろうか。それでも俺が一番聞きたかったその声に頬が微かに緩んだ。 「タカヒロさん!」  声が実態となって鼓膜を震わせる。何か暖かくて柔らかいものが冷え切った俺の手を包んだ。  幻聴じゃない。  鉄のように重たい瞼を持ち上げるとそこには赤い屋根ができていた。それが傘だと分かるまでに五秒はかかった。そして、その傘の前にフィオがいた。 「どうして」  俺も口を開いたはずだが自分の声は聞こえず、耳に届いたのはフィオの涙声だった。フィオの手が俺の頬に触れる。 「わたしなんかのために」  雨粒とは違う熱い水滴が顔に落ちてきた。 「分からない。でも、なんか、頑張れた」  目を真っ赤に腫らしたフィオの顔を見上げながら苦笑いする。ほんとは分からないなんて嘘だ。でも、言えなかった。言えたのは木が切られそうになったことと今日の作業が雨で中止になったこと、そして「風邪は?」の一言だけ。  俺の話を聞いたフィオは「それでタカヒロさん昨日から様子が変だったんですね」と漏らした。隠せていたと思っていたのは俺だけだったようだ。フィオもそれが気になって来てくれたらしい。  多少意識が戻ってきたところで上半身を起こす。頭痛と全身のだるさに抗って目を開けていることくらいはできるようになった。肩をフィオが支えてくれる。 「今日は、もう」  搾り出すような声で言ったフィオに向かって首を横に振る。 「一日でも早く帰らないと。きっと色んな人が心配してる」 「だったらわたしが残りますから、タカヒロさんは家に」 「いや、いるよ。ここまできたらもう少しくらい悪くなっても関係ないし」  言って笑う。顔が痺れているせいでちゃんと笑えたかどうか自信はなかったけど。正直体調は最悪だった。でも今は一秒でも長くフィオと一緒にいたい。  フィオはしばらく俺の顔を見つめていたが、やがて無言のまま濡れた地面に腰を下ろした。ぴったりと寄り添い、二人の上に傘を掲げる。  俺は息を長く吐き出して目を閉じた。なぜだろう。フィオが隣にいるだけなのに包まれているような感じがする。落ち行く意識の中、 「この世界で出会えた人がタカヒロさんで本当に嬉しかった」  潤んだ声が聞こえたが俺の願望が生み出した幻聴だろう、きっと。  8  雨は次の日も、そしてその次の日も、最後にもう一日降り続け、結局天気が回復したのは大晦日の夜になってからだった。もしかしたらこの世に神様は本当にいるのかもしれない。いつか会うことがあったら礼を言いたいと思う。  二人で一本の傘を手に石段を登った数日の事を、俺は一生忘れないだろうから。  夜明け前の張り詰めた空気の中、俺とフィオはいつもの杉の木の前にいた。時刻は新年一日の午前六時四十分。空は漆黒から紫へとその色を変えつつあった。フィオの両腕に着けられたブレスレットの赤い石は今や完全に元の輝きを取り戻している。これから元の世界に帰ることが分かっているのか、ホムとミューがフィオの両肩で嬉しそうに揺れていた。  風邪は結局二人とも完全には治らなかった。まぁ、一時期よりは全然マシなんだけど。あっちの世界に帰ったらフィオも病院に行くのだろう。彼女には色々とお土産を持たせてあげたかったのだが、異世界の物をおいそれと持ち込むわけにはいかないと残念そうな顔で拒否されてしまった。こっちの世界と同じで検疫とか税関とかあるのかもしれない。 「日が昇ったらお別れだね」  言って小さく笑う。いつまでも引き伸ばしていたら泣いてしまいそうだったからさっきそう決めておいた。一度地面に視線を落とし、それからフィオが頷く。 「ほんとに、お世話になりました」 「気にしないで。俺も楽しかった」  何で過去形なんだろうか。 「わたしも楽しかったです。美味しくて珍しいもの、たくさん食べられたし」  フィオが微笑む。俺も笑うしかなかった。 「あっちに帰ったらレポートまとめないとね」 「教官に『誰が昨日見た夢の内容を書いて来いと言った』って怒られちゃいますよ」 「そっか」 「そうですよ」  会話が途切れる。視界が徐々に明るくなっていく。小鳥達が鳴き出し、朝の空気が林の中に漂い出す。何処か遠くから大型トラックの走る音が聞こえてきた。  二人とも無言のまま時間だけが過ぎていく。フィオと一緒にいられるのは後数分。話したいという気持ちだけはあるのに何一つ言葉が出てこない。挙句、フィオの顔まで見れなくなった。唇を引き結んで木々の間から空を見上げる。もう紫色にオレンジ色が混ざりだしていた。目の端に涙がにじむ。  いいのかよ、こんな別れ方で。俺はフィオに言わなきゃいけないことがあるんじゃないのか。伝えなきゃいけないことがあるんじゃないのか。このままただ別れたら俺は絶対に一生後悔する。勇気なんて今使わなきゃ一体いつ使うっていうんだ。  俺は一度奥歯を食いしばり、大きく息を吸い込んだ。 「フィオ!」  が、名前を呼んで彼女の顔を見た瞬間、俺は固まってしまった。フィオが大粒の涙を流しながら子供のように泣きじゃくっていたからだ。 「ごめっ、なさい……ぜっ、たい泣かないって、決めてたのに」  震える声でフィオが言う。  気が付いたら腕が伸びていた。それでも一瞬だけためらって、フィオの細い体を抱きしめる。彼女は俺の胸に顔をうずめ、肩を震わせて泣いた。フィオが泣いているのを見たら自分の涙は自然とおさまった。こんなとき男が泣いてどうするんだって、頭じゃなく心が思ったのかもしれない。 「フィオ」 「はい」 「短い間だったけど、生まれて初めて本気で人を好きになった」  腕の中でフィオが微かに震える。 「ありがとう」  フィオはしばらく俺の胸に顔をうずめたまま黙っていたが、やがてゆっくりと俺を見上げた。 「わたしね、具合が悪くなってタカヒロさんの部屋で寝てる間に勉強したんですよ」 「え……」  疑問の声を発しようとした瞬間、俺の唇はふさがれていた。目を閉じて踵を上げたフィオの唇によって。何も考えられなかった。ただ温かくて柔らかい。  どれくらいの間だったろうか。一秒にも一時間にも感じられるような時間。やがてフィオはこちらの肩を押して俺から離れた。温かかった分だけ離れてしまった今は唇が冷たい。でも、胸の奥にフィオが残してくれたものは決して冷めない感情だった。 「素敵な習慣ですね、キスって」  微笑んでフィオが目じりの涙を拭う。気が付けば俺も笑っていた。木々の間から朝日が降り注ぎ、数多の影を地面に映し出す。  同時にフィオを中心にあの奇妙な文字や文様が配置された円が浮かび上がった。俺はゆっくりとその円の中から出て行く。 「わたし、信じてます。たとえどんなに離れてたって心が繋がってる限り世界は繋がってるって」 「俺もだよ」 「わたし、信じてます! 絶対にまた会えるって!」 「俺もだよ」  あふれ出しそうになる涙を堪えて声を振り絞る。 「タカヒロさん。わたしもタカヒロさんのこと大好きです」  その言葉が俺に届いたのと同時に円からあのとてつもない明るさの光が垂直に立ち上る。もう目は開けていられなかった。 「ありがとう。フィオ」  ただそう叫んでいた。  やがて光の塔は次第にその明るさを減じていき、辺りが次第にもとの静けさを取り戻していく。気が付けば林は元のままで、ただフィオだけがそこにいなかった。ほんの少しだけ普通じゃないものを取り込んでいた世界が、俺の知ってる元の世界に戻った瞬間でもあった。  フィオと通い続けた杉の木。きっと仕事始めと共に切られてしまうのだろう。手のひらで表皮に触れると今までこらえていた涙があふれ出した。額を木につけて拳を握る。ここが誰もいない林の中でよかった。涙が、嗚咽が止まらない。  去り際にフィオが言った。 「たとえどんなに離れていても心が繋がっている限り世界は繋がっている」  信じよう、俺も。世界の繋がりを。きっとまたフィオに会える日が来る。春が来れば俺はこの街を離れて新しい生活を始める。フィオに語った夢。フィオと再会したときに一歩でも夢に近づいているよう頑張ろう。彼女に「どお?」と少しでも誇らしく言えるように。  気合を入れて大きく息を吐いた俺は拳で涙をぬぐった。杉の木を正面に見据えたまま両手で頬を叩く。踵を返した俺は拳を握って歩き出した。まっすぐに、迷うことなく。  が……二、三歩進めたところでその足は止まってしまった。背後で激しく枝が揺れ、何かが地面に落ちる音。  ゆっくりと背後を振り返った俺の口は思い切り半開きになってしまった。  耳の長い、銀髪の女の子が一人地面に倒れている。だがフィオではない。見たところ十歳くらいの外見をしていた。 「いったぁ〜」  頭をさすりながら女の子が身を起こす。長く伸ばされた銀髪が一房金管によってまとめられているのはフィオとまったく同じだ。 「着地に失敗するなんて天才のあたしにあるまじき大失態だわ。座標自体はここでいいはずなんだけど。とにかく、さっさとフィオお姉ちゃん探して帰らないと」 「フィオ?」  反射的に声が出ていた。こちらに気付いた女の子がびくりと体を震わせて俺を見やる。 「いや、あの、フィオって言った?」 「あなた、この世界の住人ね。お姉ちゃんを知ってるの?」  警戒心のこもった眼差しで俺を射抜きつつ、質問に質問で返す女の子。 「知ってるって言うか……その、彼女なら元の世界に戻ったけど。たった今」  妙な沈黙が辺りを支配する。 「うそ」 「いや、ほんとに」  やはり辺りを支配する妙な沈黙。女の子は手で顔を押さえ、う〜、と唸った。その仕草が妙に大人びていて可笑しい。何か、会話から推測するにフィオを探しに来たフィオの妹のようだけど。 「ま、まぁいいわ。無事に戻ったんなら。あっちに戻ってから心痛料としてお洋服でも買ってもらえば」  なんだ心痛料って。 「邪魔したわね、第一異世界人。ついでに精霊流殿の場所教えてくれると嬉しいんだけど」  腰に手を当て、どこまでも偉そうに女の子が言う。人にものを尋ねる態度じゃないだろそれは。 「ないよ。フィオにも同じこと聞かれたけど」  女の子はしばらく押し黙っていたが、やがて確認でもするように右手に着けたブレスレットに視線を落とした。 「まぁ、ここでも微量だけど精霊流充填できるみたいだし、しばらく通い続ければ大丈夫か」 「その木切られるよ、近日中に」 「はぁ?」  俺のセリフに女の子が冗談じゃない、と声をあげる。 「じゃああたしはどうやって帰ったらいいのよ!」 「いや、それは……さぁ?」  人差し指で頬を掻く俺。 「さぁ? じゃないわよ! 責任取りなさいよ!」  拳を振り上げて女の子が叫ぶ。 「なっ、何で俺が!」 「うっさいわね! 古今東西老若男女魑魅魍魎責任は男が取るって決まってるの!」  そんな無茶苦茶な。ていうかほんとにフィオの妹かよ。なんでこんなにアグレッシブなんだ。穏やかなのがフィオの世界の住人の気質かもしれないとか思ってたのは大間違いだったようだ。 「とりあえず宿と食料を提供しなさい。話はそれからよ」  俺は可愛くはあるが眉のつり上がっている女の子の顔を見ながら大きな溜息を一つついた。心が繋がっている限り世界は繋がっている。どうやらそれは真実のようだ。俺と異世界との繋がりはもうしばらく切れそうもない。 「ほらっ、きりきり歩く!」  いつの間にか先を行く異世界の女の子。俺はもう一度大きな溜息をついて、その後で少しだけ笑った。  まぁ、何と言うか、今度の繋がりは物凄く手ごわそうだ。フィオ、君の妹みたいだけど大丈夫かな、俺。  終