武器屋リードの営業日誌
第三話
─竜を追う者─
1
「いらっしゃいませ。何をお探しですか」
言って微笑む。
昼下がりの商店街。俺の腕が伸ばされた先にあるのは、二十歳のときに親父から譲られた武器屋だ。
半年振りに来ていた友人を見送り、訳あって預かっている従妹のクレアと天下の公道で鬼ごっこをしていたら女性に声をかけられた。
どうやら武器屋を探しているらしい。だとすれば俺の出番だ。
武器屋のリード。
それがこの町での俺のポジションだった。
声をかけてきた女性はこの町の人間ではないようだ。そう思う理由はいくつかあるが一つ挙げるなら「噂になりそうなほど美人」というところか。
小さな町だ。それゆえこんな女性が町にいればとっくの昔に噂になっている。
長く伸ばされた黒髪に同じ色の瞳。
少し冷たく鋭い感じを受けるが、掛け値なしの美人だった。
今は薄汚れた旅装束に身を包んでいるが、本気で飾ったらどうなるんだろうかなんてことを思ってしまう。
思っていたらクレアに下から睨まれた。澄んだブルーの瞳で俺を射抜き「ふーん」ってな顔をするクレア。風に揺れる銀髪が今にも伸びてきて俺の首を締めそうだった。
厳しいね、まったく。
まぁ、女性の美しさ以外に武器屋として注目すべき点があるんだけど。
女性は布に包まれた長い棒状の物を背負っていた。
布に包まれていても穂先の形からそれが槍、パルチザンであることは容易に予想できる。
てことは探し物もやっぱり槍かな。
「君が店主なのか?」
女性の切れ長の目が少し大きくなった。
「意外ですか?」
「いや、随分と若いようだが」
もちろん、店主としてはという意味だろうが。
「先代がかなりのろくでなしで、店を放り出して逃げてしまったものですから」
苦笑する。と、女性も形のいい唇を緩めてくれた。
満面の笑み、ではないが背筋が痺れるような大人の笑顔だった。
「苦労しているようだな」
「そうですね」
答えてから気付く。こんな所で立ち話をする必要なんてなかった。
「店にどうぞ」
「あぁ、見せてもらう」
女性は外套をひるがえすと店に向かった。細身の長身に外套がよく似合っている。
俺も女性に続いて店に入った。
「楽しそうだね」
絵に描いたような不機嫌な声でクレアが言う。
「なに怒ってるんだよ」
「別に」
どう見たって「別に」って顔はしてない。尖った唇と眉間の皺の深さから推測するに十段階の八くらいは不機嫌らしい。
俺は顎に手をやり、ちょっと考えてからクレアを思いっきりくすぐった。
案の定身をよじってクレアがもだえる。火薬の代わりに小さな鈴を詰めて爆弾を作ったらこんな音がするのかもしれない。そんな笑い声が店内に爆ぜた。
「商売人だったら客の前では笑え」
「わ、わひゃ、かった。分かったからっ」
涙を流して笑うクレアに向かって、うむ、と肯き解放してやる。クレアは肩で息をしながら指で涙をすくい「もう、子供なんだから」と少し背伸びをした台詞を俺にプレゼントしてくれた。
何にせよ機嫌は直ったようだ。
本当に子供なのはどっちかな?
もちろんその一言は胸にしまっておく。新たな争いの火種をわざわざ蒔くこともない。
ふと、ものすごく不思議なものでも見るような視線をこちらに向けている女性に気付く。魚が二本の足で歩いて野菜を買いに来たってこんな顔はしないだろう。
……いや、さすがにするか。
「何を、してるんだ?」
女性の問いに俺とクレアは互いに顔を見合わせ、その後で女性を見て同時に言った。
「教い育や的が指ら導せ」
一瞬の間。
「はぁ?」
俺とクレア、そして女性の声が見事に重なる。
互いの言葉に納得できなかったのが二人に、何を言っているのか聞こえなかったのが一人。
今度は三人で顔を見合わせ、その後でとりあえずみんなして笑っておいた。
物事を適当に流すには笑うのが一番だ。それで大抵のことは何とかなってしまう。
「それで、できれば槍を見せて欲しいんだが」
一番最初に笑いを納めた女性が遠慮がちに言う。別に遠慮する必要なんてないのに。お客様なんだから。
いい人なんだろう、きっと。
商売をやっていて「客という立場に立ったときの態度」ってのはその人の人間性を計るいい物差しになるんじゃないだろうかと俺は常々思っている。
何が言いたいのか。要するに「俺は客だ文句あるかばかやらう」なんて態度を商売人に対してとる奴は人としてロクでもない、とこういうことだ。
礼儀を忘れた人間ほど醜いものはない。
それはさておき。
「槍ですか。何かご希望は?」
「そうだな」
呟いて、女性は懐から小さな布袋を取り出した。それをカウンターの上で逆さまにする。
固い音を立ててカウンターに落ちたのは五枚の金貨だった。
踊るように回転し、倒れた最後の一枚を確認するように見つめた女性は小さく息を吐いた。
それから少し申し訳なさそうな苦笑を浮べて見せる。
「これで買えるものを」
金貨五枚か。
女性の苦笑も分からないでもなかった。槍ならば、それなりに使える物を買おうと思えば金貨で十枚はする。最低でも八枚は欲しかった。
さて、どうしたもんだろ。
安物でよければ金貨五枚でもあるんだけど。武器としてのデキは「それなり」だもんなぁ。
あとは中古か。
うーん。
頭の中に倉庫を思い浮かべ、槍の在庫を思い出す。
「やはり無理だろうか」
考え込んでいたら渋っているのだと思われたらしい。落胆する女性に向かって慌てて手を振る。
「あぁ、いや。心当たりを探ってたんです」
「そうか。何とか頼む」
「大丈夫だよ。武器に関してだけは頼りになるから」
「だけ、って……」
クレアの台詞に唇を歪めてうめく。
人を一点豪華バカみたいに言いやがって。
と、クレアが顎に人差し指を当てて天井を見上げた。
「あ、おはじきも上手かな」
「いまいちフォローになってないような」
「どうして? わたし達の間じゃお兄ちゃんってカニミソなんだよ」
「カニ……ひょっとしてそれはカリスマのことか?」
「そうとも言うかな」
「カ、しか合ってないぞ」
しかもカニミソなんて食べた事ないくせに。俺でさえ片手で数えるほどだ。
「ダメだよ。大きく行かなきゃ人間は」
人差し指を立てて振るクレアに俺は笑うしかなかった。
ちなみに「おはじきが得意」ってのは事実だ。たまに近所の女の子が挑戦しにやって来ることもあった。
どうも俺を倒す事が女の子たちの間で一つの最終到達地点になっているらしい。
なぜおはじきが得意なのか。
伝説の聖なるおはじきで魔王を倒した勇者の子孫、なわけはない。子供の頃から店番の暇つぶしにカウンターの上でコインをはじいて遊んでた、という単純な理由ゆえにだ。
狙ったところで止めるなんてのは当たり前。技なんか編み出したりして、結構本気で遊んでたような気がする。
そもそもおはじきとは道である。道であるがゆえに日々の精進が……、
「あの、それで槍を」
おはじき道を脳内で語りそうになった俺を女性の声が現実に引き戻す。
そうだった。
「すみません」
咳払いなど一つして、俺は武器屋らしい質問をしてみることにした。ちゃんと槍の事は考えてますよ、なんて意味も込めて。
「やはりパルチザンをご希望ですか?」
女性に背負われている槍に目をやる。
「そうだな」
女性は槍を背中から下ろすと手に取った。先ほども言ったように、薄いブルーの布に包まれたそれが穂先の形からパルチザンであることは分かる。
いわゆる「槍」にもいくつか種類があって穂先の形によって呼び名が違う。
女性が手にしているのが楓の葉のような穂先を持つパルチザン。両刃の穂先に左右対称に突起が付いていて、斬ることも突くこともできるようになっている。
で、俺がオーフィスを助ける時に使ったのがグレイブ。薙刀だ。
他には穂先が二つに分かれた二叉槍や三つに分かれた三叉槍、斧と槍を足したような穂先を持つハルベルトなんてのがある。
まぁ、こんなこと武器屋でもやらない限り知る必要はないわけで、他の人にとっては無駄な知識でしかないだろう。
しかし金貨五枚でパルチザンか。
眉間に皺を寄せ、顎を撫でながら考える。
「これを下取りに出しても駄目だろうか」
女性が手にしていたパルチザンを差し出した。
「ちょっと見ますね」
受け取ったパルチザンには結構な重さがあった。女性が使うには少しきついような気もするが。
布を払い、カウンターにかける。
布の下から現れたパルチザンに俺は目を見張った。別に非常に高価な品が出てきたとかそういうことじゃない。
異常に使い込まれていたからだ。興味がなければただのボロい槍にしかみえないだろう。しかし俺は数え切れない戦場を潜り抜けてきたような迫力を目の前のパルチザンから確かに感じていた。
つい生唾を飲んでしまう。
柄に視線を転じれば二箇所の黒ずみ。使い手の血の跡だろう。
盗み見るように女性の手を一瞥する。確かに武器を扱って生きている人間の手だ。お嬢様の手ではない。
俺は一度目を閉じ、それから頭上にある穂先を見やった。刃こぼれがかなり酷い。
修復でどうこうなるような状態ではなかった。
一体なにを突けばこんな事になるんだろうか。これではいつ穂先が折れてしまってもおかしくない。
「傭兵、ですか?」
「まさか」
言って女性が笑う。
じゃあ何を、と訊こうとしたところで先に女性が口を開いた。
「それで、いくらで買い取って貰えるだろうか」
俺は小さく息を吐いて、もう一度パルチザンを上から下まで見つめた。
確かに迫力はある。が、それはあくまでリード・アークライト個人としての意見だ。
「申し訳ないんですが出せて銀貨一枚です」
それが武器屋リード・アークライトの出した答えだった。
さすがに状態が悪すぎる。武器としての価値は無いに等しく、あるのは鉄屑としての価値のみだ。
「そうか」
落胆する女性に申し訳ない気分になるがこちらも商売だ。これで生きているだけにいい加減な事はできなかった。
と、不意にクレアが俺の袖を引っ張る。
「ねぇ、あれは?」
クレアが見ている先には一本の槍があった。壁に掛けてある特にどうと言うことのないパルチザン。よく言えば癖がなく使いやすそう。悪く言えば没個性的。
「あれか」
俺は壁に向かって手を伸ばし、そのパルチザンを手にした。重くもなく軽くもない。だが造り手の誠実さは伝わってくる。一人の職人が槍というものに対して出した結論がこれだ。
このパルチザンを持ち込んだ青年も同じく誠実で、どちらかといえば個性を主張しないタイプだった。
「卸値は幾らでもいいんです。とにかく置いて下さい」
そう言って深く頭を下げた自分より年下の職人の姿を思い出す。
まず使ってもらわなければ話にならないと、自分の造った槍を持って近隣の武器屋を回っていたようだ。
その情熱にほだされ、結局金貨三枚の卸値で店に置く事にしたのだが。
「これだったら金貨五枚とその古いパルチザンの下取りで構いませんけど」
言って女性に渡す。これが普通のパルチザンなら俺は金貨八枚の値をつけていた。だが誰も使ったことがないゆえに信用がない。それを差っ引いて金貨五枚でいいというわけだ。
女性は手にしたパルチザンを軽く振る。それから何かを考えるように目を閉じた。自分がこの槍を振るところをイメージしているのかもしれない。
やがて黒曜石のような瞳で俺を見つめ、女性は小さく肯いた。
どうやら納得言ったようだ。
一本売れたぞ。
心の中で造り手である青年に報告しておく。あ、ほんとに手紙でも出してやろうか。職人として歩き出したばかりなら嬉しいだろうし、そういうの。
「これでいい。貰おう」
「ありがとうございます」
女性に向かって深く頭を下げた俺はカウンターに散らばっていた五枚の金貨を集め、鍵のついた引き出しにしまった。
それから買い取ったパルチザンに改めて目をやる。
「あぁ、そうだ」
新しい槍に布を巻きながら女性が思い出したように声を上げる。
どうも先に口を開かれてしまうな。
「この町に人を雇ってくれそうな所はないか?」
意外な言葉につい大げさな驚きの表情を作ってしまう。
「恥かしい話だがこれで全財産を使い果たしてしまった」
綺麗に布に巻かれたパルチザンを見ながら照れ笑いする女性。その魅力的な笑みにくらくらしながらも、俺は別の意味でもくらくらしていた。
女性の計画性のなさに、だ。
なぜそんな無茶なお金の使い方をするのだろう。衣食住のどれかにまずお金をかけるべきだと思うのだが。それを削ってまで使える武器を手元に置いておかなければならない理由ってなんなのだろう。暗殺者に命を狙われでもしてるんだろうか。
「じゃあ今晩の宿は」
おそるおそる訊いてみる。
「大丈夫だ。野宿には慣れている」
大丈夫だ、って、なぁ。
着飾れば華やかな貴族のパーティーで視線を独占できそうなほどの女性が言う言葉だとはとても思えない。
「じゃあ、その、食事は」
「山へ行けば野草くらいは生えてるだろう」
……マジかい。
つい胸中でうめいてしまう。顔に似合わずかなり逞しいお人らしい。
「できるだけ早く仕事が見つかるといいんだが」
まるで他人事のように言う女性に、顔を見合わせた俺とクレアは互いに「すげーな、おい」なんて表情を浮かべた。
何か野に咲く一輪の美しい花を摘もうとしたら、無茶苦茶ぶっとい根っこが付いていた。
そんな気分になる。
さすがにこう提案せざるを得なかった。
「泊ります? ウチに」
若い女性を泊めようとするとあれこれ文句を言うクレアもこの時ばかりはさすがに黙っていた。
飴かと思って口に入れたらビー玉だった。そんな顔はしてるけど。
「いいのか?」
女性にとっては思いがけない提案だったのだろう。声が大きくなっている。
「えぇ、どうせ俺とこの子しかいませんし。使ってない部屋、ありますから」
「ありがたい。恩に着る」
いきなり手を握られ、反射的に血液の温度が上がってしまった。
しかし随分と固い手をしている。この人は槍を手にして生きてきた人間なんだな、と改めて思った。
一度手合わせできるといいけどな。
女性の手を握り返し、そんなことを思う。と、俺の手を握った女性も同じ事を考えたのかどこか含みのある笑みを返してきた。
似たもの同士、ってところか。
「おほん」
どこまでもわざとらしいクレアの咳払いに繋いでいた手を離す。
膝を折った女性は口元を緩め、クレアに向かって手を差し出した。クレアは顔を引き締め、なぜか胸を張ってからその手を握り返す。
対抗心が見え隠れするのは気のせいだろうか。
「よろしく頼む」
「こちらこそ。でも……コレはわたしのだからね」
「いつから俺はお前の所有物になったんだ」
こちらを指さすクレアに向かってうめく。
「今、この時よ」
「選択肢とか拒否権は?」
「そんな言葉知らなくていいの」
俺とクレアのそんなやりとりに女性が目を細めて笑い出す。
「随分と愛されているな」
「あ、やだ。そんな……」
頬を押さえて赤くなるクレアに俺は痒くもない首筋を掻いた。
「この世で一番頑丈な鎖ですよ。身動きとれませんから」
女性は最後に一笑いし、立ち上がる。併せて長い黒髪が優雅に揺れた。
「レイ・ケインベックだ」
「リード・アークライトです。こっちは従妹のクレア」
まだ赤くなっているクレアの頭に手を置いて俺も自己紹介する。
と、女性……レイが軽く手を挙げた。
「敬語は止めにしてくれ。歳も近いようだし何より世話になるのは私の方だ」
「そりゃそうだ。じゃあこんな感じで」
「あぁ、その方が話しやすい」
少し安堵したようにレイが笑った。女性にしてはぶっきらぼうな話し方だが、どうやらこれが彼女の地らしい。
そりゃこれで相手に敬語を使われたら恐縮の一つもするだろう。
「じゃあ少し打ち解けたところで訊きたいんだけど」
「何をだ?」
「いや、一体何を突いたらこうなるのかなって」
やっと訊けた、なんて思いつつ手にしたパルチザンの穂先を見る。
「竜だ」
さらりと言われたその答えに、俺の口は「は?」の形のまま固まってしまった。
「だから、竜だ」
強めの口調で言い直すレイ。だが俺の口は固まったままだ。
「この町の近くまでは追ってこれたのだが見失ってしまった」
竜。
この世界において最も巨大で最も強きもの。あらゆる生物の頂点に君臨する正真正銘の王。巨大な翼の一振りで千の山と谷を越え、灼熱のブレスは全てを焼き払う……という噂のとんでもないやつらしい。
らしい、というのは俺自身生まれてから一度も竜を見たことがないからだ。
竜は人前にめったに姿を現さない。現すのはその人間を喰うときだけだ。そのせいか目撃情報でさえもかなり少なかった。
「ハンターなの?」
その希少性ゆえに竜は鱗一枚から骨にいたるまでその全ての部位が高値で取引されている。一攫千金を目指し命を賭けて竜を狩る者がいると聞いたことがあるが、レイもそうなのだろうか。
だとすれば何よりも武器にお金をかける理由も分かる。獲物が目の前にいるのに得物がないのでは話にならない。
が、レイは静かに首を横に振った。
お金のためじゃないのか。
だったら何のため……、
「復讐だ」
低く、冷たい声が腹に響く。レイの瞳はいつの間にか闇よりも深い黒を湛えていた。
乾いた唇はそのままにレイを見つめ続ける。正確に言えば目を離せなかった。
「妹を喰われた」
クレアが俺の手をきつく握り締める。小さな手は驚くほど冷たくなっていた。
「奴は……私が狩る」
暗く、落ちていくような決意。
俺にできたのは喉の奥からかすれた溜め息をもらす事だけだった。